INTERVIEW
No.001

「なぜ?」と「もっと」。 その衝動に突き動かされています。

kashiya オーナー シェフパティシエール

藤田怜美さん

profile.
秋田県出身。辻󠄀製菓専門学校卒業後、フランス校へ。卒業後、東京の『レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ』に勤務。2005年に再度渡仏し、バスクの二つ星レストランを経て、2006年にはパリの二つ星レストランでシェフパティシエに。2008年にはフランスのデザートコンテストで4位に入賞。2010年、パリでの和菓子研修会への参加を機に、京都の『亀屋良長』で和菓子職人の道へ。2014年9月、自身の店『kashiya』をオープン。
access_time 2017.04.28

和の要素も洋の要素も 引きだしの一つ。

「洋菓子が入ってきたから、区別をするために和菓子っていう呼び方ができただけで、もともとは菓子屋しかなかったんですよね。だから和でも洋でもどっちでもいい、という自由な気持ちを店名に込めたんです」
2014年9月、京都の二条通沿いに誕生した『kashiya』。パリの二つ星レストランでシェフパティシエを務めた後に京都の老舗で和菓子職人へと転身し、斬新な新商品を数々生み出してきた藤田怜美さんが開業したとあって、オープン当時から大きな話題を呼んだ。
「亀屋良長の “Satomi Fujita”のイメージというのがすごくあって、和菓子と洋菓子の融合だと雑誌などに書かれるんですが、そこにこだわっているわけではなくて、つくるうえで何が一番合うかを考える引き出しの一つなんですよ」

徹底的に学んだフランスの 伝統菓子がすべての土台。

「自宅でお菓子づくりに目覚めたのが中学時代。何の形もない粉と液体からできるお菓子に、無限の可能性を感じたんです」
洋菓子を知るには、フランスへ行かなければならない。アルバイト先のケーキ屋でそう実感し、辻󠄀調グループのフランス校で学ぶことが目標になった。しかし大阪の辻󠄀製菓で学ぶ1年次に、フランスの伝統菓子を徹底的に学んだことが、すべての土台になっているという。
 

多忙な研修先で経験を積めて ラッキーだった。

フランス校では働き方、仕事の仕方を根本から学んだ。恩師の一人、キャメラ先生の姿は特に印象深い。
「常に全身真っ白で、白衣も靴も靴下も、ダスターでさえも絶対に汚さない人でした。清潔であり仕事もきれい。今でも目標にしています」
研修先は、アルプス地方の小さな村。周りにほかの店もなく、多忙を極めた。しかしそのことを「ラッキーだった」と振り返る。
「おかげで多くの経験を積めました。オーナーがショコラティエのM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)の人だったので、チョコレートをすごく丁寧に教えてくれました」

きれいに保つことを心がければ きれいな仕事に自然となる。

卒業後は東京へ。厳しくも最も勢いのあるレストランに入りたいと、辻󠄀調グループの卒業生らで構成される『レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ』の門を叩いた。
「フランスよりも厳しいと聞いていたので、まず日本の店で経験を積む必要があると思ったんですよね。ここでも叩き込まれたのが、清潔さの重要性。常にきれいに保つことを心がければ、きれいな仕事に自然となるんですよ」
 
日本での修業を重ねつつも、いつかフランスで働きたい意志はオーナーにも周囲にも伝えていた。2年ほどして、現地で働いていたフランス校の同期からパティシエが必要になったと連絡があり、1カ月後には渡仏。バスクにある二つ星店だったが、そこでも「パリで働きたい」という目標をオーナーらに伝えていたことで、シェフパティシエの道が開けた。
「最先端の世界が知りたくて、パリで働くことは必ずかなえたい目標でした。もっと知りたいし、もっと経験したい。常にその思いに突き動かされている気がします」

職人の手さばきに感動し 和菓子の世界へ。

他店のパティシエが作る様子を見てみたいと参加したコンテストでは4位を獲得。ミシュランに載っているデザートは全て味わってみようと、三つ星店から順番に食べ歩いた。しかしどれを食べても、材料も作り方もわかってしまう。そこに物足りなさを感じ始めていたとき、参加したのがパリで開かれた和菓子の研修会だった。
「本当に衝撃でした。洋菓子なら型に入れて作るような形を手作業で細かく仕上げていく職人の手さばきに心から感動して。材料も作り方も、何もかも全くわからない。その日のうちに、京都で和菓子の修業をしようと決意しました。洋菓子ならパリ、和菓子なら京都 。単純ですが、そこに本質がある気がして」
現地で知り合った日本人女性に相談したところ、京菓子司『亀屋良長』との縁を結んでくれた。1803年創業の老舗が、新しい風を求めていたタイミングと重なったという。

なぜそうなるのか、 理論まで知りたくなる。

ゼロからのスタートに葛藤はなかった。とはいえ、いざ修業を始めると、製菓の基本的な理論は共通していたため、やはり今までの経験が生きたという。ただ少し、課題があった。
「私は『なんで?』って、すごく訊くタイプなんです。なぜそうなるのか、理論まで知りたくなる。だけど和菓子の現場は“見て盗む”世界。学生時代なら疑問は先生にぶつけて答えを得ていましたが、熟練の技の前ではそれが叶わず、自力で調べていました」
理屈がわかれば着地点が定まる。上達は早かった。そんな頃に持ち上がった新ブランド立ち上げの企画。伝統の技法を活かしつつ、和洋の枠にとらわれない新しいお菓子をめざした。
「最初は全然食べてくれなかったベテランの職人さんが、途中からつまみ食いをしてくれるようになり、あるときポロッと『うまい』って。すっごくうれしかったですね…。次第にほかの職人さんも『手伝おうか?』と言ってきてくださり、少しは認めてもらえたのかなと」
こうして彼女にしか生みだせない商品群、〈Satomi Fujita by KAMEYA YOSHINAGA〉が誕生。今までにない発想は大きな話題となり、人気を博した。独立した今も、ブランドの顧問として仕事を続けている。

「もっと」の先には 食べた人の喜びや驚きがある。

レストラン時代のように、いま自分のつくっているお菓子を誰がどう食べるか知りたくて、『kashiya』では季節のフルーツを使った皿盛りのデザートをメインとしている。
「『おいしい』はもちろん、『面白い』『驚きがある』と言ってもらえるのがうれしいんです。常連さんでも毎回違うものを食べられるように、季節に合わせて新商品を入れ替えています。フランスでのシェフ時代、毎日来るお客さんがいたんですよ。毎日新しいデザートを用意しないといけなくて大変でしたが、相当鍛えられました。」
発想の源は、旬の素材や風景など。風景からインスピレーションを得るようになったのは、京都に来てからだという。今も厨房には、辻󠄀製菓時代に教科書として使っていた書籍を置いています。お菓子づくりは科学的。なぜ膨らまないか、なぜ固まらないか。現象の答えが書いてある書籍は、使い込まれた大切なバイブルとなっている。
「仕上がりを想定してできるのは、いまに生きています。こうすればこうなる、というのがわかっているので、まず失敗はありません。その分、『もっとこうすればおいしくなる』という創意工夫に、すぐ向かえるんです」
彼女の行動には常に「もっと」という欲求がある。その原動力は何なのか。
「『もっと』の先には喜びや驚きがある。結局は、人を感動させたいという想いなんでしょうね」

藤田怜美さんの卒業校

辻󠄀製菓専門学校 launch

辻󠄀調グループフランス校 製菓研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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フランス・リヨンに郊外にあるふたつのお城の中には、
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