INTERVIEW

“食の街”福岡で新たな郷土料理を生み出し、文化の起源をつくる。

株式会社studio092 代表取締役 
奥津啓克さん

profile.

神奈川県出身。エコール 辻 東京から辻調グループ フランス校へ。1992年卒業後、東京『レストランひらまつ』などで経験を重ね、1998年、 SIMPLICITYに入社し、和食料理店『HIGASHI-YAMA Tokyo』、和菓子店『HIGASHIYA』などを手がける。2004年、福岡市へ移住し、プラザホテル『BASSIN』などに勤務。2007年に独立し、『手島邸』を開業。2010年には『手島邸LOUNGE』、2012年には『博多水炊き とり田(でん)』薬院店をオープンさせ、株式会社studio092設立。2013年、『手島邸』契約満了に伴い、『中島町倶楽部』をプロデュース。2015年には『博多担々麺 とり田(でん)』美野島店を開く。2017年2月には、クアラルンプール店をオープン。2017年6月現在、国内は福岡市内5店舗に。

新たな日本料理をつくりだすことが、伝統を守ることにもつながる。

「働き始めてから、フランス人の料理人に言われたんですよね。『日本人なのに、なぜ日本料理をつくれないんだ?』と。彼らにとって、フランス料理はできて当たり前。でも僕たち日本のフランス料理人は、つくれないどころか知らないことが多すぎる。確かに自国の料理にも目を向けるべきだと、意識するようになりました」
フランス校を卒業後、東京の一流レストランでキャリアを積み、新店舗の立ち上げをいくつも担当した。やりがいを感じる一方で、当時はグローバリズムが声高に叫ばれていた時代、日本の料理人がアレンジして出すものがフランス料理として認められづらいというジレンマもあった。そんな折に、自身のこころに響く出会いがあった。
「デザイナーさんから、『これからの和食を一緒につくっていこう』という誘いを受けたんですね。和食の場合、お皿の上だけじゃなく、器やしつらえにも季節感を取り入れ、すべてがリンクしている。その奥深さに惹かれ始めていたときでした。しかもフレンチとは逆に、日本人がつくる日本料理は自由度が高い。昔のフレンチが今のフレンチに変わってきたように、日本料理も新たな創造が伝統を守ることにつながると考え、26歳で転向を決めました」

福岡は地元だけで食材がまかなえ、個人が飲食店を始めるのに絶好の場所。

和食を独学し、1998年、「現代における日本の文化創造」をコンセプトとする和食料理店に立ち上げから参加。開業すると「こういうお店を出したい」という依頼が各地から入り、デザイナーらとチームを組んで数々のプロデュースを行うことになった。食、器、空間すべてを自分たちで考える。以前にも増して「生み出す面白さ」が味わえた。その一環で、福岡に初めて訪れたのは2000年。約2カ月間滞在し、“食の街”だと実感した。
「東京には世界中から食材が集まりますが、福岡は九州だけでまかなえる。これって食本来の形だなと思ったんですよね。自分は料理人だから、世界中どこででも働ける。嫁の出身が九州だったこともあり、結婚を機に移住することにしたんです」
2004年に移り住み、出店を手伝ったホテル併設の和食レストランに勤め始めた。福岡はとかく暮らしやすかった。街のサイズがコンパクトで交通の便が良く、人々はおおらかだ。一大歓楽街のすぐそばに一級漁場があるなんて、世界でも珍しい。少し行けば山があり、緑も豊か。何より個人店の活気に圧倒された。
「福岡は土地も食材も人件費も抑えられ、個人が飲食店を始めるのに絶好の場所なんですよね。夢に向かって頑張る料理人たちが、お互いを尊重しながら頑張っています。ここで認められるには、自分で城をもたないと難しい。そう思うようになり、独立を志しました」

地元にとってなくてはならない店になることは、人生を捧げるだけの意味がある。

幸運な縁があり、洋画家・手島貢氏の自宅兼アトリエだった場所をしばらくの間、安価で借りられることになり独立へ。2007年、完全予約制の創作和食店『手島邸』を期間限定でオープンさせた。200坪ほどの敷地に建てられた、昭和初期の木造建築は趣深く、調度品や器にも凝られていて、庭には四季折々の草木が満ちる。その贅沢な空間にわずか12席で、メニューは10品ほどのおまかせコースのみ。自身の料理を存分に創造できる、夢のような場所だった。
「近所の人は知らないものの、東京や海外からお客さんが来る店になり、原価も度外視しながらつくっていました。だけど最初から、終わりが決まっていた話。終了までに何かを始めようと模索している間にたどり着いたのが、水炊きだったんですよ」
『手島邸』には各地から人が訪れることもあり、「地元の郷土料理を食べたい」というリクエストも多かった。その一つとして出したものが、鶏の水炊きだ。振る舞ったお客様からの反応が良く、手応えを感じていた。
「水炊きも立派な博多の郷土料理ですが、家庭で食べるのが一般的。もともと宴席の接待で流行った経緯もあり、気軽に食べに行く習慣が根づいていませんでした。だけど本来の郷土料理は、地元の人たちに愛され、他所から来た人に紹介したくなるものであるはず。伝統を受け継ぎ、なくてはならない店になろうと心に決めました。そのことには、人生を捧げるだけの意味があると考えたんです」

良い店とは、人、箱、街の三つがそろって初めて成り立つもの。

「飲食店づくりは街づくりと共通しています。良い店とは、人、箱、街の三つがそろって初めて成り立つもの。おいしい料理やサービスだけでは、お客様を満たしきれません」
多くの店舗を立ち上げた経験から、大切な要素は見えていた。だからこそ、建材や調度品などの質やデザインにも、とことんこだわった。めざすは家でつくれないレベルの味で、若い人のポケットマネーで食べられる水炊き。試行錯誤の末、2012年、『博多水炊き とり田』の1号店をオープンさせた。鶏ガラを使わず、贅沢に丸鶏を炊き込み、旨味を存分に引き出したスープに、新鮮な朝びきの鶏肉。またたく間に人気となり、ミシュランガイドのビブグルマンにも認定された。
こうして昔からある文化の継承を通じて、見えてきた新たな目標がある。それは「文化の起源をつくること」だ。
「水炊きにも起源があるわけじゃないですか。生まれたものが街の人に受け容れられ、広まっていったときに、文化になる。その起源をつくりたいと始めたのが、『博多担々麺』なんです」
もとは月替わりのランチメニューとして好評を博した一品だった。ベースは水炊きのスープ。そこへ博多名物「ごまさば」のゴマだれをヒントとした味つけで、明太子に代表される辛味成分、5種類の唐辛子を使ったラー油で仕上げる。地元に由来する新名物として打ち出し、『博多担々麺 とり田』の展開をスタートさせた。
「新しい料理の概念をつくる。それが一つでもできたら、この人生、料理人として生きてきて良かったと思えるだろうなと」

九州の食文化を広めるべく海外へ。ステップアップできるステージにも。

「九州は西の端。東京へ行くのも、台湾や上海へ行くのも、たいして変わらないんですよね。福岡にいれば、店舗展開しなくても豊かに暮らしていけるから、正直、東京に出店する意味は感じられなくて。だけど九州の食文化を知らないところへプレゼンに行くのは、非常に意味がある。海外出店は以前から視野に入れていました」
そんななか、マレーシアのクアラルンプール中心部に出店の誘いがあった。三越伊勢丹とクールジャパン機構による、日本の暮らしやこだわりを海外に発信するスペシャリティストア。その日本食レストランのフロアで展開する6軒のうちの1店舗として白羽の矢が立ち、2017年2月、オープンへと至った。
「マレーシアは多民族国家。豚を食べないイスラム教徒が6割を占め、牛を食べないヒンドゥー教徒も1割弱。非常に多くの鶏を消費する国です。ケージのあるお店も多く、鶏料理を出すには最適。さらには多国籍の人たちを対象にリサーチができ、いい勉強になっています」
おいしく水炊きを食べるには何が必要かを追求し、誕生した独自の「黄金ぽん酢」や「柚子胡椒」は、お客様からのリクエストを受けて商品化。2017年5月には、「博多担々麺」がカップ麺となり全国発売となった。国内の店舗は現在、福岡市内に5店舗。郷土料理としての発信は、どんどん広がりを見せている。
「成長したスタッフたちに、ステップアップできるステージをしっかりつくりたい。そのうえで絶対にぶれさせないのは、まず、おいしいこと。それでいて思ったより安く、足を運びやすく、満足できることです。店舗の形態や規模は違っても、来店されたお客様を最大限にもてなすことに変わりはありません。『とり田』の味が10年20年後、地元の料理として愛され続け、ずっと受け継がれていけば本望ですね」

奥津啓克さんの卒業校

エコール 辻 東京 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch

辻調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch