INTERVIEW

自身が惹かれた業務用オーブンを提案し、幼い頃から憧れていた商売人の力になる営業の仕事。この経験が、いずれ自分の商売の力にもなる。

株式会社七洋製作所 営業次長
溝江 誠さん

profile.

大阪府高槻市出身。辻製菓専門学校を1995年に卒業後、神戸の洋菓子店に就職。約3年間の経験を積み、シュークリームの専門店へ。その後、大阪府守口市の洋菓子店で修業を重ね、2005年、業務用オーブンなどの製造販売を手がける株式会社七洋製作所に転職。現在は営業職を務める。

自分に合う商売は何かを考え、
ピンときたのが製菓の世界だった。

「小さい頃から商売人が大好きだったんですよね。家の近くに商店街があって、同級生にも商売人の子が多かったんです。和菓子屋の友だちの家に遊びに行ったりすると、お客さんがやって来て、つくったものが売れていく。その様子に憧れていました」
生まれ育ったのは、大阪府の高槻市。高校に入り、進路を考える時期になると、自分に合う商売を探すようになった。一つだけ極めるなら何か。そんな視点で模索し、目に留まったのが辻製菓専門学校だった。
「資料を請求してみると就職率が高く、“料理界の東大”と謳われていたのにも惹かれました。まだパティシエブームも来ていない時代でしたが、クラスの女子に訊いてみたところ、『めっちゃいいやん!』と好感触。女性に喜ばれる商売なら、自分のモチベーションも上がりそうだなって(笑)、ピンときたんですよ」
お菓子をつくったこともなかったが、いざ入学すると、実習はとても楽しい。製菓は自分に合っていると体感できた。
「マンツーマンで教えてもらえ、質問もしやすかったです。ものづくりって戸惑うことが多いですが、困ったことがあると先生方が察して、手を差し伸べてくれる。そのタイミングが絶妙なんですよ。僕たちのクラスって団結力がすごくて、今もこの業界に残っている人が多く、とても力になっています。人とのつながりは、僕の財産ですからね」
神戸の修行先にて

「お菓子屋を外から見ることが将来役に立つ」と口説かれ転職を決意。

30歳までには結婚して独立し、夫婦でお店をもちたい。だから志望する就職先は仕入れもお菓子づくりも接客も、なんでもやらせてもらえる個人店に絞った。そんななか、実家の洋菓子店が新しい店舗を出すから来てくれないかという同級生の誘いを受け、神戸で働くことにした。
「立ち上げスタッフとして、先輩方に教わりながら頑張りました。そこで焼き場に入り、焼き菓子の面白さをすごく感じて。お菓子って顔があるんですよ。不思議なんですけど、好みの顔ってあるんです。これが職人の感覚なんだと徐々にわかってきて、のめり込んでいきました」
3年の経験を積み、経営に特化した勉強がしたいと、新規のシュークリーム専門店に転職した。駅構内にある6坪ほどの店を任されたが、そこで月商3,000万という全国トップの記録を達成する。その後は立ち上げ要員として各地の開店をサポートし、人の動かし方や管理の仕方などを学んだ。
「2年ほどして、マネージャー職に上がろうとしたときに退職しました。やっぱり自分でお店をもちたかったんでね。再び修業を重ねようと、大阪府守口市で2店舗を構えるお菓子屋さんに入りましたが、そこで今の仕事につながる出来事があったんです」
働き始め実力を認められると、オーナーから1店舗やってみないかと持ちかけられた。10年の契約期間が過ぎれば、屋号も機材も自分のものにしたらいい。そう言われ、まず考えたのが七洋製作所の業務用オーブン「バッケン」の購入だった。
「神戸のお店で使っていたんですよ。実は苦労するオーブンって多いんですが、大阪のお店がまさにそうで。いくらいい材料をうまく配合しても、最後の最後で悔しい思いをすることもありました。だけどバッケンなら、焼いたときの顔つきが見事だし、食べたら美味しいし。バッケンだからこそできることも多く、そういう商品をつくりたかったんです。そこで七洋製作所の営業マンと話をして仮契約もしたんですが…お店との最終的な条件が合わなくて、立ち消えになっちゃったんですよね(苦笑)」
こうなった以上、新天地を探すしかない。しかし当時29歳。25歳で結婚し、子どももいた。今後について悩んでいたときに、七洋製作所の営業マンが声をかけてくれた。
「3年でいいから来てくれないかと口説かれたんです。営業はいやだと断ったんですが、そうじゃないと。機械を納品後、操作の説明をしてお菓子を焼いたり、新作の提案をしたりするポジションだから、菓子職人の腕が必要だと言われました。出張が多く、全国各地、海外に行くこともある。『お菓子屋を外から見ると面白いし、見方が変わるからきっと役に立つ』…そんな言葉にビビッときて、飛び込むことにしたんです」

ただ売るのではなく、お店の繁盛にまで責任をもつ営業職に惹かれた。

こうして2005年、七洋製作所に転職。大阪支店の実演ルームや全国各地で開かれる講習会の会場、導入された店舗などで、焼き菓子づくりを披露した。頑張ったら頑張った分だけ喜んでもらえる。そんな仕事の楽しさに気づかせてもらったという。
「もともと商売人に惹かれたのも、人と人との関わりが好きだったところが大きいんで。この仕事は性に合っていたと思います」
入社当時、七洋製作所は、中身の見えるスルーオーブンを店内に設置し、お客様の五感に訴える手法を推し進めていた。それまで厨房の奥にあったオーブンを、集客装置として活用しようという提案だった。
「あるお客様が、店内の一角をマルシェコーナーにし、スルーオーブンで焼きたてのお菓子を振る舞う方法をとったところ、大ヒットして。つくりながら売るというスタイルが流行りはじめ、『店内にバッケンを置いたら売れる』という視点ができてきました。バッケンは質が高い分、値段も高い。だからこそ、売れる仕掛けや仕組みが重要なんですよ」
多くの有名パティシエが愛用し、そのグレードの高さに太鼓判をおす。店にバッケンを置くことが、ある種のステータスになっていた。やがて3年が過ぎ、ブームも落ち着きを見せ始めた頃、社長から営業職に就かないかともちかけられた。
「入社前に抱いていた営業に対するマイナスのイメージは既になく、挑戦したいという意欲にかきたてられました。単に売れたらいいのではなく、そのお店を繁盛させなければ…というのが社長の考え方。そこに貢献してみたくなったんです。売るためにはどうするかを考える会社なので、商売の勉強にもなるだろうと」

商売人の目線で商売人を応援できる、密な交流がとても楽しい。

担当エリアは近畿圏内に加え、東海地区と北陸地区。さまざまな地域を回り、多くの菓子店を外から見るという経験は、目から鱗の連続だったという。鮮度の高いお菓子をつくって販売していけば、必ず数字につながる。そんな確信も得た。
「もともとバッケンを買おうとしていた人間なので、ユーザー目線で自信をもって勧められます。自社製品でつくれる面白いお菓子やおいしいお菓子を持って行ったり、導入事例を紹介したりして、ならではの魅力を強調。大阪支店にお招きして製品をご覧いただくこともありますし、ご希望があれば福岡の工場にも喜んでお連れします。バッケンに限らず、うちの製品があれば、お店の商品がより良くなるし、生産性も上がるのは間違いありません。話すときは、常に『自分がこのお店を営むなら』と想定し、お客さんにリアルに伝わるよう心がけています」
ただ単に、注文が来て機械を売るだけなら物足りなかっただろうが、商売人の目線で、商売人を応援できる。その密な交流がとても楽しいという。
「業者って、裏から入り店内を見ずに帰っていく人も多いんですが、僕も社長も、いちお客さんとして表から入って、気になる点があれば指摘し、深い付き合いができるよう意識しています。自分が店にいたときも、外からの意見を教えてもらいたかったんでね。特に高級なものは接近戦でなければ売れません。お客さんの懐に入ることが大切です。おかげでLINEにも、相談の連絡が頻繁に入ってくる。高校時代の狙い通り、モテモテですよ。オーナーパティシエのオジサマ方からですけどね(笑)」
「この仕事の醍醐味は、出会いが多いこと。営業だからノルマもありますし、正直大変ですが、いろんな人に出会うのが一番の励みになっています」
アフターサービスの一環として、大阪支店で年に4回ほど無料の勉強会を開き、業界やお菓子に関する新たな情報も届けている。また、“お客様の声”として情報誌やWebに掲載しているインタビュー記事は、すべて営業マンが作成しているという。
「情報誌はご利用者様に無料でお配りしているんですが、名だたる会社やお店を掲載させてもらっているので、ありがたいことに載りたいとおっしゃる方が多いんですよ。そのお話を伺うのも楽しいです。仕事はもちろん職場が好きでなければ、いきいきと働けない。それは菓子職人であろうが営業マンであろうが同じです。とはいえ、独立願望はありますよ。その夢を捨ててしまったら、自分はこの業界にはいないと思います。最終的には自分のつくったものを、喜んでもらえるような仕事がしたい。店を持つ夢は、いつか必ず実現させたいです」

溝江 誠さんの卒業校

辻製菓専門学校 launch

辻製菓専門学校

洋菓子・和菓子・パンを総合的に学ぶ
フランス・ドイツ・ウィーンの伝統菓子から和菓子や製パンまで、多彩なジャンルでの学びを深めながら、クオリティの高い製菓技術を習得。あらゆる現場に生かされる広い視野を養い、
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