INTERVIEW
No.115

生産者とお客様、双方の想いを伝え合う懸け橋になることを目指して、夫婦二人で営むイタリア料理店。

リストランティーノ ピノリ オーナーシェフ

松川 雅紀さん

profile.
大阪府出身。大阪府立吹田東高等学校からエコール 辻 大阪 フランス・イタリア料理マスターカレッジに進学し、イタリア料理の道へ。2003年に卒業後、大阪市内にあった『スフィーダ アル チェントロ』に就職。3年間の修業を経てイタリアへ短期留学し、帰国後、大阪市内にあった2つのイタリア料理店で経験を積む。2009年にパティシエールの優さんと入籍・上京し、田窪大祐シェフのもとで3年間修業。帰阪後に独立準備を進め、2015年2月、大阪市の福島に『リストランティーノ ピノリ』を夫婦で開業。ミシュランガイドでは、2018、2019と2年連続でビブグルマンを獲得。
access_time 2020.05.08

料理人を志しつつも家業を継いだ父に影響されイタリア料理の道へ。

「小学5年生で始めたサッカーにのめり込み、高校もクラブありきで選びました。3年の夏に引退すると、みんな予備校に通い始めたんですよね。僕自身、成績は悪くなかったものの、みんなが当たり前のように大学をめざしているのに流されているような気がして嫌だったんです」
家業は鉄工所。昔気質の祖父に従い、父親は後を継いだが、松川さん自身はとくに興味をもてずにいた。自分は何をやりたいんだろう。そう考えたとき、浮かんだのが料理の道だった。
「父が料理好きだったんですよ。休みの日には、家でよくつくっていました。とくにパスタがおいしかったんですが、家族みんなが絶賛することに憧れを感じるようになって。それがきっかけで料理への興味に気づき、調理師学校への進学を決めました」
当時、“料理界の東大”と謳われていたことや、就職率100%だったことに惹かれ、辻調グループを志望。大学進学を勧める高校教諭が多いなか、一人の先生から「これからは手に職をつけないと駄目。良い判断だから応援する」と背中を押されたことで自信がもてた。
「両親からも大学進学を勧められると思っていましたが、すんなり許してくれました。あとから母に聞いたところ、実は父も料理の世界に行きたかったらしいんですよ。『何も言わなかったけど喜んでいたよ』と教えられ、うれしかったです」

興味が増した学生時代。アルバイトで得た“働く感覚”も楽しかった。

体験入学で相談した結果、やはりパスタが好きだという思いもあり、西洋料理に特化したエコール 辻 大阪を選択。どの授業も熱心に受けた。
「学校の厨房には楽しいものしかない。実習だけでなく座学も面白く、ほぼ最前列で懸命にメモをとっていました。毎日が楽しくて、1年があっという間。イタリア料理への興味もさらに増幅していきました」
大人に混じって働く感覚が新鮮で、大衆イタリア料理店でのアルバイトも楽しくて仕方がなかった。就職先を考える頃には、料理の専門誌に取り上げられるような個性があって魅力的な店で技術を高めたいと思うようになり、『料理王国』の記事で惹きつけられた『スフィーダ アル チェントロ』にアタック。大阪市内のイタリア料理の名店だった。
「いざ現場に入ると、シェフの仕事がめちゃくちゃ速いんですよ。ものすごく怖かったんですが、理不尽にキレたりはしない人で。仕事が遅かったり、仕込みの仕上がりが良くなかったりと、チーム全体の流れを乱すようなときに怒られていました。だけど怒りを引っ張らず、お客様が全員帰られると一変。助言をくれたり褒めてくれたり、めっちゃやさしいんです。だからついていけました」
目の前の先輩をできる限りサポートすること。先輩たちがスムーズに働けるよう2~3歩先を考えて動くこと。その行動には、サッカーでディフェンスを担っていた経験が活きたという。
「一番後ろから広範囲を見渡していましたからね。プレー中と同じく、自分にできることは何かを考えて動いていました。学生時代の実習でも、きびきびと無駄なく動く助手の先生に憧れていて…。しっかりと段取りを組んで料理に臨む大切さを学んでいました」
自家製タリオリーニ 山利のしらす 自家製カラスミと柚子

シェフから刺激を受けてイタリアに留学。独立を見据えて東京にも。

前菜場、焼き場、揚げ場、パスタ場と、厨房の仕事はすべて経験。在職中、海外へ学びに行ったシェフの話から、その料理の本場で学ぶことの大切さを感じ、「イタリアで料理にふれたい」という思いが高まり、渡航を決めた。
イタリア修業時代
「シェフにも『若いうちに行ったほうがいい』と後押しされ、3カ月間イタリアへ。先輩からの紹介で、1カ月半は住み込みで働かせてもらったんですが、いろんな国の人たちが言葉の壁を越えて和気あいあいと助け合う風通しの良さがあり、料理も含めたイタリアそのものを好きになりました」
イタリア修業時代
帰国後は大阪市内の和食を絡ませたイタリア料理店で1年半、ほぼシェフと二人きりで昼から深夜まで懸命に働いた。その後、同じく大阪市内の有名レストランへ。
「本場のイタリア料理をよりリアルに再現するお店だったので、その点でも勉強になりました。独立までに一度は東京で学びたいと考えていたので上京を決め、知人に頼んで紹介されたのが、田窪(大祐)シェフだったんです」
「食事もさせてもらったのですが、すごく美味しくてお店の雰囲気も素敵で…さらに、直接お話しをさせてもらって、この人の元で働きたいという思いを強く感じ、入店をお願いしたのですが、スタッフは十二分にいらっしゃる状況で、良いお返事をいただけなかったんです。でも何回かお願いして、最後に妻といっしょにお伺いした時には、深夜までお話ししてくだいました。そのあと、最終的にOKいただけて、すごく嬉しかったです」
こうして、最初の職場で知り合ったパティシエールの優さんと入籍し上京し、広尾の『リストランティーノ バルカ』での修業をスタート。いずれは地元大阪で開業したいと考え、3年と期間を決めて修業に臨んだ。
「田窪シェフは独特の感性によって、食材の合わせ方など僕には思いも寄らないアイデアを出されるんです。しかも一皿に対するこだわりが半端ない。感覚の人だったから、理屈で教えてもらえるわけではなく、必死で食らいつく毎日でした」

大阪に戻り、パティシエールだった妻と夫婦で開業し、模索する日々。

いざ働き始めると、まだまだ取り入れなければならないスキルに気づく。基本ながらも奥深い技術の重要性を感じるスタートとなった。
「アラビアータとペペロンチーノを毎日練習しろと言われ、毎晩帰宅後に調理。僕と同じくシェフのパスタに感動していた妻に評価してもらい、改善していきました」
店では前菜などの持ち場を担当しながら、オーダーとオーダーの合間にパスタをつくり、シェフに評価を依頼。2年が経つ頃には認められるようになり、自由に楽しく働けるようになってきた。しかし長く離れすぎると大阪の現状がつかめなくなることを懸念し、予定どおり3年間で帰阪。企業の飲食部門でシェフとして1年ほど働いた後、独立に向けて動きだした。
「店を出すなら福島区がいいと思い探していたところ、今の場所を見つけました。落ち着いたまちの雰囲気が好きでしたし、ガラス張りで日当たりが良いところも気に入って。3階でしたが、路面店でない店舗も経験していましたので、視界が広くなることの清々しさも体感していました」
2015年2月、優さんと二人でイタリア料理店をオープン。店名の『リストランティーノ ピノリ』は田窪シェフにお願いして、『リストランティーノ バルカ』から命名したという。ビジネス街だったこともあり、夜のコース料理だけでなく、リーズナブルなパスタランチもスタートさせたところ、徐々に客足が伸びていった。
岐阜県中津川 大山さんのホンモロコ 小川さんのルタバガと茸
「ありがたかったんですが、ご来店が12時台に集中していて、作業に追われるようになってしまったんですよね。妻と話し合い、昼も予約制のコース料理だけにしようと決断。最初は明らかに売上げも下がりましたが、料理の細部にまでこだわれるようになった結果、クチコミで徐々にお客様が増えていきました」
鮮魚のカルパッチョと自家製キャビア

目標だったシェフに感化され、よりよい食材を求め産地を訪ねていく。

着実に常連客が増えていったものの、目標とする売上げにはまだ足りなかった。どうするべきかと日々、二人で話し合い、レストランとしての個性や魅力、いわば「レストラン力」を上げることに目標を置いたと優さんは語る。
「そのためには、やはり食材にこだわろうと。良い食材を使えば、味は確実に良くなります。また、一生懸命良い食材をつくられている生産者さんの想いに触れて、それをお客さまと共有できたら素敵だなって」(優さん)
それに対し、松川シェフがこう続ける。
「料理を生みだすのに食材のポテンシャルがいかに重要か、僕自身も強く感じていたんですよね。以前から田窪シェフは食材を大切にし、産地直送もされていたんですが、日本全国を飛び回られるようになったのは僕が辞めてからのこと。そこで思い切って、同行させてくださいとお願いしてみたところ、『来週岐阜に行くけど来る?』と快諾いただき、田窪シェフに受け入れていただけていることが感じ取れて、すごく嬉しかったです」
岐阜県中津川のチョウザメ養殖場にて、生産者の大山さん(中央)と、田窪シェフ(右から2人目)と
店で捌いてキャビア仕込み中
こうして2018年秋、岐阜県中津川市へ赴き、チョウザメやホンモロコの養殖場を見学。その足で三重県の包丁研ぎ師を訪ねると、翌日には京都へも足を運んだ。 
和歌山県の山本農園さんの桃
「皆さん熱量がとても高くて、めちゃくちゃウェルカムなんです。つくっているものに対する誇りも感じ、とても刺激を受けました」
次に出会ったのは、田窪シェフをはじめ、信頼する料理人たちが絶賛していた和歌山県の老舗しらす店。県内生産者とのつながりを多くもつ人だったこともあり、その輪は数珠つなぎで広がっていった。
和歌山の柑橘農家、井上善兵衛農園さん

メニューの考案も食材ありきに。生産者さんの背景も含めて伝えたい。

やがて自然に囲まれた生産者への訪問は二人のライフワークに。柑橘類も含め、そのメインは和歌山県産のものとなっていった。ドルチェづくりを担う優さんは言う。
「山利」さんの釜揚げしらす
山利の7代目当主の木村さんと
「生産者さんは、個性的で魅力あふれる方が多いんですね。“これが良い”と信念をもって生産されている方のメッセージは説得力があります。もちろん食べたら本当においしい。こんな関りを持っていくと余すところなく大事に使おうという気持ちも格段に高まります。この歳になっても知らないことばかりで、本当に楽しい。生産者さんのお話をすると、喜んでくださるお客様が多いのもうれしいですね」(優さん)
和歌山の小川農園さん
産地へ赴き、現地の空気ごと味わわせてくれるイタリア料理店。独自の個性が定着しはじめると、それを望むお客様も増えていった。加えて「お客様の反応を伝えると、生産者さん側も喜んでくださる」と松川シェフ。
和歌山県日高川町の「藏光農園」さんの完熟梅
「その懸け橋になるのが、僕たちの役目なんだと思っています。生産者さんのもとを訪ねるようになってから、メニューの考え方も食材ありきになってきました。今後はさらに産地から直接仕入れるものを増やして、素材の魅力を存分に活かせる料理を提供し、生産者さんの背景も含めてお客様に伝えていきたいですね」

松川 雅紀さんの卒業校

エコール 辻 大阪 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch

エコール 辻 大阪
辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ

フランス料理とイタリア料理の現場で、
必要となる技術や力を集中して学びとる。

フランス料理とイタリア料理。
共通点が多い2つの料理の、基本の技術と理論を徹底マスター。
望む未来を切り拓く力と自信を養う。
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