INTERVIEW
No.069

ありのままの食材をアート的に表現。若手の料理人を育て、命をいただく感謝の念とジャンルを超えた独自の料理を世界に広めたい。

KiKi オーナーシェフ

水谷嬉々さん

profile.
三重県桑名市出身。辻󠄀調理師専門学校からフランス校へ。2012年に卒業後、両親とともに開業準備をし、愛知県名古屋市に茶懐石を主体とする料理店『満愛貴(まあき)』をオープン。スーシェフとして修業を積み、2014年4月、三重県桑名市にフュージョン料理店『KiKi』を開業。オーナーシェフとなる。2015年からは『満愛貴』のオーナーシェフも兼任。現在は、若手料理人の育成に力を注いでいる。
access_time 2018.08.03

素材を大切に、目にしただけで心が躍るアートのような一皿を追究。

和食、フレンチ、イタリアン、薬膳など、さまざまなジャンルを取り入れたフュージョン料理を提供している、三重県桑名市の一軒家レストラン『KiKi』。自家農園の無農薬野菜をはじめ厳選した食材を使い、目にしただけで心が躍るアートのような一皿に仕立てている。そんな同店を22歳の若さで開業し、オーナーシェフとなったのが水谷嬉々さんだ。
「信頼のおける生産者からの食材のみを使っています。鮮やかな彩りも、すべて素材そのものの色。食材の持ち味を最大限に引きだし、アート的に表現するよう心がけています。食感の楽しさや味の奥行きも感じてもらえる、目にもおいしい料理を堪能してもらえたらと」
ランチ、ディナーともに完全予約制のおまかせコースのみ。数年前、重度のアレルギーが発症したのを機に、お客様のアレルギーにも対応できるよう、薬膳の勉強を進め、ドライフルーツアドバイザーやスーパーフードスペシャリスト、ベビーフードコンサルタントといった資格も取得した。
離乳食
「アレルギーの方が食べられない食材の代用を考え、コースに取り入れるようになりました。美容と健康も重視しているので、ダイエット中の方や美意識の高い方にもご好評をいただいています。原点となるテーマは、命あるものとの共存。命をいただくという感謝の念を、料理で表現し、お客様へダイレクトに伝えられる…そのことに強いやりがいを感じています」
肉のフュージョン料理

命をいただくことへの感謝が芽生えた、離島での自給自足の暮らし。

1991年、三重県桑名市に生まれた頃、父・政紀さんは自宅近くで一風変わった料理店を営んでいた。
「スタートは中華だったんですが、その盛りつけが独特で、『おいしくて美しい』と評判になったんですよ。そこからコース料理をはじめ、茶懐石をやるようになって…。両親ともに芸術が好きだったので、幼い頃から美術館に行ったり、陶芸作家のもとを訪ねたり、全国の土地を巡ったりと、いろんなものを見せてもらった記憶があります」
自家製ローストポーク
中学入学を前に、“アートの島”としても知られる愛知県の離島・佐久島に家族で移住、高校卒業まで過ごす。両親はそこで、食材から手づくりする料理店を営むことにした。
佐久島にて
「畑を耕したり漁をしたり、味噌や醤油をつくったり海水から塩をつくったり、椿の種を集めて油にしたりエビスグサの種を集めてハブ茶にしたり…。自然にふれ、自給自足の生活を体験していました。釣りも大好きで、学校のある日も深夜2時ぐらいからイカを釣りに行ったりして(笑)。愛情を込めて育てた鶏をさばくことも経験。野菜や生き物、すべての命に感謝するようになりました」
佐久島にて
中学時代に料理人を目指し始め、卒業生である政紀さんの勧めを受けて、辻󠄀調理師専門学校への進学を決意。高校卒業後に入学してからは、放課後などプライベートな時間も、知識の吸収やスキルアップに費やした。
辻󠄀調理師専門学校時代
「授業中に流されるモニターの映像をデジカメで撮り、土曜にパソコンで画像編集をしてノートにまとめる…といった作業を毎週やっていました。放課後に行われている特別授業も欠かさず受講。高校3年間、料理の勉強を我慢していたという気持ちがあったので、とことん没頭しましたね」
辻󠄀調時代のノート 分厚いファイルで4冊。今も大切に使われている
「同じ食材でも、和食、中華、フレンチで全く違う使い方をすることも。もともと和食を志そうと考えていましたが、今の料理スタイルから考えても、オールジャンルを学べたことが大きな財産になっています」

父の料理を受け継ぎつつ自分の個性を加え、世界に発信したい。

学ぶうちに「もっと学びたい」「海外で店を開くための勉強がしたい」といった想いが高まり、辻󠄀調グループのフランス校へ留学。現地の生活や文化を肌で感じ、料理がもっと好きになった。
フランス校時代
「フランス校では、“なぜこの食材を使うのか”ということも含め、丁寧に教えてもらいました。この土地だから、こういう生き物がいて、この組み合わせが実現して、こういう料理が生まれた…といった部分まで理解でき、現在のメニュー考案につながっています」
フランスでの研修先 『シャトー・デュ・モン・ジョリ』にて
「研修先は、帰国してからも交流のもてるシェフがいるレストランがいい」という願いが通じ、フランス東部にある一つ星『シャトー・デュ・モン・ジョリ』へ。オーナーシェフであるロミュアルド・ファスネ氏は、フランス料理の国際コンクール『ボキューズ・ドール』に参加する日本代表チームのオフィシャルコーチを務めた人物で、M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)の肩書きをもつ。
オーナーシェフ ロミュアルド・ファスネ氏と
「シェフにとてもかわいがってもらえて、M.O.F.が交流する大きな食事会や披露宴の出張料理、料理教室を手伝わせてもらったり、小学校の食育の授業やM.O.F.がいるお店に連れて行ってもらったりと、貴重な経験をたくさん積ませてもらいました」
『シャトー・デュ・モン・ジョリ』
「学びたい意欲を伝えたところ、前菜、魚、肉、デザートの部門も一通り回らせていただけて。仕込みの段階でスタッフ全員を呼び、シェフから『嬉々の仕事はきれいだろ?』と言っていただけたのも、うれしい思い出です。来日された際には会いに伺い、今もつながりをもてています」
卒業後は、どこかの店に修業に入ろうと考えていた。しかし留学中に政紀さんと手紙をやり取りしたことで、「同じ厨房に立ちたい」という気持ちが強まっていったという。
「父は21歳で独立し、独自の道を切り拓いてきましたが、厨房はずっと一人だったんですよ。独特な感性から生みだされる父の料理を受け継げるのは自分しかいない。そこに自分の個性を加え、世界に発信できたらと思ったんです。ただ、佐久島という土地では、両親も体力的に難しくなってきていたので、桑名に戻って名古屋でお店を開こうと誘いました」
佐久島時代 家族と

日本最大級の料理人コンペティションで最年少受賞し、新店を開業。

2012年8月の帰国直後から両親とともに開業準備を始め、12月、愛知県名古屋市に『満愛貴(まあき)』をオープン。スーシェフとして政紀さんの料理を学んでいく。一方で陶芸教室に通い、器づくりを始めたところ、それらの作品を政紀さんがいたく気に入り、店でも使い始めるようになった。
水谷嬉々さん作の器
2013年には、35歳未満の料理人を対象とした日本最大級の料理人コンペティション『RED U-35』の第1回大会に出場。450名以上の挑戦者の中から、わずか16名だけが獲得できる「シルバーエッグ」を最年少で受賞した。
「卵がテーマだったんですが、『満愛貴』の料理を広められたらと考え、看板にもなっているキューブ状の一品に仕立てたんですよ。すると審査員の先生方にも面白いと思ってもらえたようで…お店のことを多くの方に知ってもらえる機会にもなりました」
野菜のキューブ
2014年4月には、幼少期に父が店舗を構えていた場所で『KiKi』を開業。『RED U-35』への挑戦も続け、「ブロンズエッグ」も最年少で受賞した。2015年もチャレンジし、3年連続で入賞を果たす。
「『RED U-35』で発掘した若い才能をつなぎ、その力で日本を活性化する」という目的で結成された『CLUB RED』の活動にも参加。千葉県いすみ市や三重県鳥羽市など、特定地域の食材を使ったメニューを考え、地元のレストランの人たちにレシピを提供したり、食材を取り寄せてコースをつくり自店でフェアを開催したりと、さまざまな取り組みを行っている。
CLUB RED
「今まで同窓生以外の料理人とのつながりがありませんでしたが、大会を通じて同じ道を進むたくさんの仲間が増えました。活動に参加することで勉強にもなりますし、各地の料理人と情報交換できるのもありがたいです。皆さんとの交流が、大きな刺激になっています」

若手の料理人を育て、海外の料理人と学びあえる環境をつくりたい。

唯一無二の『KiKi』の料理は多くの人に愛され、リピーターも順調に増えている。一方で、若いながらもずっと抱いてきた「若手の料理人を育てたい」という想い。そんな目標を叶えようと、当時はサービスの奥啓太さんと2人体制だった2017年秋、フランス校の後輩にもあたる根本直人さんを新卒で採用。さらに2018年4月にも高校卒業直後のメンバーらを加え、それぞれの個性を伸ばす指導にあたっている。
左から根本さん、水谷さん、奥さん
「フランスは実力主義。留学したとき、とても若いスタッフたちがスーシェフや部門シェフを務めていたことに衝撃を受けたんですよ。これから料理をめざす人にとって素晴らしい環境だなと感じ、若いスタッフの芽を育てる職場をつくることが大きな目標になりました」
車で30分ほどの距離にある『満愛貴』にもスタッフを行き来させ、より多くのことが学べるチャンスを与えている。さらには佐久島と入れ替える形で、『KiKi』の近くに約100坪の自家農園を開設。全員で毎日、野菜や果樹を育てている。
自家農園
「料理人にとって、“一”を知ることはとても大切。農家の方の大変さを体感することで、一つひとつの食材への感謝の念が学べると感じています」
そして、もう一つの目標であった子どもたちへの食育も、佐久島の小学校でスタート。また、畑で育っている途中のものを見せ、それが何かをみんなで考え、実際に食べてみるというプログラムも愛知県西尾市の小学校で、2年生(約130人)に実施した。
食育の授業 佐久島の小学校にて
「もともと子どもが大好きで、『何かをしてあげたい』という想いが強くあったので、自分の仕事が生かせる部分で関わりをもちたかったんです。今、給食の廃棄量も問題になっていますが、食に興味をもってもらうことで改善につながるのではと考えています」
これから若い料理人を立派に育て、彼らが活躍できる店舗を増やしたい。その枠を海外にも広げるのが、今の夢だと水谷さんは語る。
「フランスでの研修中、日本で学びたいと考える料理人が大勢いることを知ったので、日本とフランスの料理人がお互いの地で学びあえる環境もつくれたらと思っています。食は365日、人間が命を維持していくのに不可欠なもの。そこに関われる仕事は、本当に幸せです。もっと食への興味をもつ若い人たちが増え、料理人をめざす人も増えたらうれしいですね」

水谷嬉々さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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