INTERVIEW
No.132

パリのお菓子に憧れ、単身渡仏し16年以上修業。ケーキづくりが大好きで、その空間にいるだけで幸せだという気持ちは、今も変わらない。

株式会社レフ/candidement コンサルタント・ シェフパティシエール

挾場美緒さん

profile.
岐阜県出身。岐阜県立高山高等学校から辻󠄀製菓専門学校に進学。1994年に卒業後、愛知県名古屋市のドイツ・ウィーン菓子店『フレダーマウス』で修業。その後、製パン会社『ドンク』やフランス菓子店『ティフィン』などを経験し、フランスに語学留学へ。以降、パリ最古のパティスリー『ストーレー』を皮切りに、三つ星レストランの『アルページュ』、『ギィ・サヴォワ』、『ル・サンク』、『ピエール・ガニェール』など数々の名店で修業し、2018年に帰国。『アンダーズ東京』を経て株式会社レフに入社。2021年4月からは、「candidement」という屋号でフリーとしても活動。商品開発やレシピ提供、お菓子教室や講習会などを行っている。
access_time 2021.05.07

美しいケーキに憧れ、製菓の道へ。感動的なおいしさが進学の決め手に。

1974年、岐阜県高山市生まれ。小学生の頃、少女漫画誌に載っていたレシピでお菓子づくりに目覚めたという挾場さん。
「幼い頃から輝きのある美しいものが好きで、かわいくてきれいなケーキに憧れていたんです。友だちとのクリスマスパーティーでは、私がケーキをつくったんですが、みんなに喜んでもらえるのがうれしくて…。文集にも『将来はお菓子屋さんになってフランスに行く』って書いてました」
高校で進路を決める段階になると、地元から近い名古屋の専門学校を中心に体験入学へ。
「唯一、辻󠄀製菓専門学校だけが大阪でしたが、先生方が出演されていた料理番組『料理天国』への憧れもあり行ってみたところ、キラキラした雰囲気がとても魅力的でした。そして何より、体験授業で食べたクロワッサンのおいしさに感動。以降、本場フランスにいたときも、『学校のクロワッサンが一番おいしかった』と友人に言っていたくらい、衝撃だったんですよね」
カリキュラムや実習の多さにも惹かれて同校を志望。大阪は遠いと親には反対されたが、「一流を学びたい」と説得した。
「フランス菓子、ドイツ・ウィーン菓子、和菓子、パン、デリカテッセン(洋風惣菜)など、いろいろ学べて面白かったですし、視野も広がりました。見た目がかわいく、きれいで、甘い香りも心地よく、しかもおいしい。とにかくケーキづくりが大好きだったので、講習を受け、実習するだけでも楽しく、その空間にいられるだけで幸せでした」

ドイツ・ウィーン菓子づくりの経験で、パティシエとしての幅が広がった。

就職先は両親の要望を尊重し、名古屋で探した。3年弱の修業を積んだ『フレダーマウス』は、ドイツ・ウィーン菓子の店だった。
「学校で習ったなと食べに行ってみたんです。最初はピンとこなかったんですが、ドイツ・ウィーン菓子って食べるごとにおいしさがにじみ出てくるんですよね。オーナーシェフの八木(淳司)さんは、現地マイスターの資格をもっていて、いろんなことをやっていらっしゃる方。チョコレートで人形をつくったり、メレンゲで動物をつくったり…ウエディングケーキもパンもアイスケーキも学べ、とても勉強になりました 」
その後もさらに幅広く吸収しようと、製パン会社やフランス菓子店などを経験。
「その頃からフランスで学びたいという想いが強くなっていたんですよね。寮で一緒だった友人と一度、パリを旅行したんですが、キラキラしたお菓子の数々に感激して…」
「見た目がきれいなのはもちろん、味に深みもある。ぜひマスターしたいと思ったものの、踏みだせずにいました。だけど毎日一緒にいるぐらい仲の良かった友人が、歌手になるため東京へ行くことを決意して。20代半ばでもう遅いかもしれないが、それでもチャレンジすると聞き、私も動かなきゃと思ったんです」

パリは実力社会。技術力の高さを認められたことで、仕事が任されるように。

資金を貯めるため、派遣社員としてJR名古屋髙島屋へ。語学学校に通いながら、アクセサリーの販売業を経験した。
「しっかりとした百貨店のサービスを学びたかったのも選んだ理由です。出国の1ヵ月ほど前からは、毎日やめようかなと思うほど怖かったんですが、自分を奮い立たせて旅立ちました」
パリではホームステイをしながら語学学校へ通った。しかし半年ほど経った2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生。帰国を促され、実家へと戻った。
「数カ月後、パリで知り合った日本人パティシエから、地方へ行くので自分の代わりに部屋を借りてくれないかと連絡があり、二つ返事で渡仏しました。パティシエや料理人らで安く借りている屋根裏部屋だったんですが、その中のパティシエの一人に『明日僕が辞めるところを紹介してあげようか』って言われて。それが有名な『ストーレー』だったんです」
こうして研修という形で働けることになったのは、パリ最古のパティスリーだった。最初は少し冷たい空気を感じ馴染めなかったが、ある日を境に一変。
「自分たちの好きなことをやってもいい時間があったので、八木さんに習ったプラスチックチョコレートのバラをつくったところ、『なんだそれは』『教えてくれ』って(笑)。そこから見る目が変わり、いろんな仕事を任せてもらえるようになりました」

パリのパティスリーで自身のお菓子を出せる立場から、さらに上をめざし挑戦。

約1年後に帰国。実家から通える地元のホテルで働き、再び資金を貯めることにした。
「喫茶のケーキやウエディングケーキをデザインから任せてもらい、いい経験になりました。やがてワーキングホリデーの申請が通り渡仏。語学学校が一緒だった人から『自分が辞めるサロン・ド・テ(日本でいうカフェ)に入らないか』とメールが来たので、幸いなことに渡仏後すぐに働けたんです。人とのご縁のありがたさを感じ、嬉しかったです」
サロン・ド・テ『ラ・ジャコビンヌ』では、初めて自身のお菓子を出すようになり、労働ビザも取得してもらえた。店舗でお菓子教室を開かせてもらうなど、自分の好きなことができた。おいしいと言われる喜びもあり、とても居心地が良かったという。4年半にもわたり働いた。
「だけどある日、仲良くさせてもらっていた女性から、『それって歳をとってからでもできる仕事だよね』と指摘されたんですよ。パリは上をめざしている人が多く、彼女も一流店で働く料理人。『もうちょっとフランスにいる意味を見つけたら?』と言われ、グサッときたんですが、もっていたビザがそのお店限定のものだったので、新たに取得してくれるお店を探すしかない。賭けでしたが、あらゆるところに履歴書を送り、『ジェラール・ミュロ』に採用してもらいました」
運良く空きがあり、部門シェフとして入社。人気店だったので、シュー生地やクリームなど大量の仕込みを経験した。その後もさらなる高みをめざして履歴書を送り続け、ミシュランガイドの三つ星レストラン『アルページュ』に入社。
初めての三ツ星レストラン「アルページュ」で自家栽培の野菜を育てるシャトーにて。有名シェフ達と共にお食事会。
「初めて食べに行った三つ星が『アルページュ』だったんですが、ミルフィーユがものすごく繊細でおいしく、ここで働きたいなと。レストランは提供した時の印象がすべてなので、持ち帰る前提のものとは全然違うんです。そのつくり方を知りたいと思いました」
三つ星ならではの多忙を極めるなか、ミルフィーユはもちろん、看板メニューであるりんごをバラに見立てたタルトや野菜を使ったデザートなども習得した。
三つ星レストラン『ギィ・サヴォワ』オーナーシェフと

有名レストランで「君みたいな人を待っていた」と言われて感激した。

その後も三つ星レストランの『ギィ・サヴォワ』へ。
「それまで好きじゃなかったギモーヴ(砂糖菓子)を初めておいしいと感じ、『ここで働きたい!』と志望しました。ポジションがないと断られ続けたんですが、友人宅のパーティーで『ギィ・サヴォワ』の関係者を紹介してもらえて。三つ星店と一つ星店、ブラッスリー(カジュアルレストラン)の3店舗を助けに行くポジションならとってあげると言われたんです。幅広い経験が積める分、より勉強になりました」
『ギィ・サヴォワ』のセカンド店 les bouquiniste (レ・ブキニスト)のシェフパティシエ時代
事情があり一時帰国したものの再び渡仏。一つ星店から支店の『レ・ブキニスト』へ異動になったシェフから声がかかり入店。やがてシェフパティシエの肩書きも与えられた。
『レ・ブキニスト』のシェフパティシエール時代
「レストランで初めて自分のデザートを出すことになり、三つ星店のシェフからも助言をもらいつつ形にしていきました。ケーキをつくるのとはまた違い、これがなかなか難しい。一方で、ケーキづくりのベースから崩していけば応用が利くということも、この経験から実感できました」
5つ星より上のフランス最上級ホテル称号「パラス(Palace)」の一つ『パーク ハイアット パリ - ヴァンドーム』時代
「ただ、レストランデザートに関する勉強不足も痛感したので、一度大きなホテルに入って学ぼうと、『パーク ハイアット パリ - ヴァンドーム』へ。『ル・ピュール』というオープンキッチンの一つ星レストランで、お客様に見られながらつくる緊張感も味わえ、度胸もつきました。また、営業後には毎サービスごとに全て廃棄し、翌日1から全て作り直す、さすがパラスホテルだと思いました」
二つ星『ジャン=フランソワ・ピエージュ』時代
その後も二つ星『ジャン=フランソワ・ピエージュ』のブラッスリーや、5つ星より上のフランス最上級ホテル称号「パラス(Palace)」の一つ『フォーシーズンズ ジョルジュ・サンク』にある新店舗レストランにて新作の考案等を手掛ける。
「入社試験では重役たちの前で、一日半で5個のデザートをつくる試験を受けたんですが、『君みたいな人を待っていた』と言われて感激しました。その後、同ホテル内の三ツ星 『LE V ル・サンク」へ移動。ほかとは違うことをするのが三つ星店。イースト菌を使ったデザートなど斬新な発想がいろいろあり、常に刺激を受けていました」
ジェルジュサンク ルサンクの統括、グランシェフ クリスチャンルスケール氏 が日本に仕事で来た際、お手伝いに

「戻ってきたら、また一緒に働こう」という言葉を胸に帰国し、新たな挑戦を。

2017年9月には、三つ星レストラン『ピエール・ガニェール』のシェフ・パティシエに。前シェフが14回も試作していたブッシュドノエル。自分の試作品をガニェールシェフに食べてもらったところ、一度でOKが出るなど、高く評価されていた。
ピエール・ガニェール氏と
「三つ星のシェフって本当に気さくで、ものすごく助けてくれるんですよ。独特だったのは、メニュー変更当日、前日には決まっていた物を、インスピレーションで朝来てから全く違うものに変えること。当日の朝では材料もそろわないし最初は驚きましたが、誰も文句など言わず、やるしかないと喜んで取り組んでいる。すごく大変でしたが、臨機応変に対応する力も身につきました。帰国当日には、ガニェールシェフから電話がかかってきて。『戻ってきたら、また一緒に働こう』と言ってもらえ、心の底からうれしかったです」
『ピエール・ガニェール』シェフパティシエール時代
長きにわたる修業を経て、2018年に帰国。パリ時代からで10年以上の友人、田熊一衛シェフの声がけで、Libre(リーブル) 白金高輪店オープンに向けて新たなデザートを考案した。『アンダーズ東京』に入社し、レストランの責任者に。約3年の経験を重ね、2021年4月、各地にレストランやパティスリーなどの飲食事業を展開する株式会社レフに入社。
『アンダーズ東京』時代 遊びに来てくた10年以上の友人2つ星シェフのドミニクブッシェ氏と
「レフが関わるお菓子全般のプロデュースやレシピ提供などを行いつつ、商品開発やレシピ提供、講習会の開催など、フリーでの仕事もさせてもらえることになったんです。レフが運営する白金高輪のレストランを、定休日や空き時間に使わせてもらい、試作品づくりお菓子教室の開催などを行う予定です」
HAUTE MONTAGNE (オートゥ モンターニュ)ネーミングの由来は「地元は山に囲まれ、雪深い事もあるので、高い山と粉糖をかけて雪のように」

ゆくゆくは地元で土地のものを食材にしたカフェを開き、地域に貢献したい。

フリーとしての屋号は、フランス語で「純真」を意味する「candidemen(コンディドゥモン)」。すでに福岡県のパティスリーでレシピ提供を主とした講習会も行っている。
「新しい風を入れたいとご依頼いただき、現場のシェフらと一緒に1日半で11品をつくりました。コンサルティング系の仕事は喜びや感謝がダイレクトに伝わってくるのが面白いですし、考えた商品が売れるのもお客様に好評だったと聞くのもうれしい。必要としてくれている人の存在が、一番の原動力になっています。また、レフでは、某有名ブランド等の顧客向けのお菓子等の考案、提供を始めていて、これからの展開も楽しみです」
『AMITIE』(フランス語で友情を意味する。貴重なティムットペッパーを友人から譲ってもらったことから名付けた)
ケーキをつくって喜んでもらえたらそれでいい。その気持ちは、パティシエを志した頃から変わっていないという。
「学校でいろんなことを学べたからこそ、ドイツ・ウィーン菓子のお店にもパン屋にも抵抗なく進め、多彩な経験が積めました。ちょっとベースを知っているのが大事。分野ごとの良い基礎を教われたことが、その後の実務につながっています」
コロナ禍による心境の変化もあった。地元へ帰ることもままならないなか、長く離れていた故郷に貢献したい気持ちが芽生えてきた。
「ゆくゆくは地元で土地のものを食材にしたカフェができればと、高山市の観光担当の方や農家さんとも連絡をとり始めています。農業や酪農をやっている友人もいるので、力になれないかなと。牛乳はもちろん、サラダやキッシュ、ガレットなどを出せば野菜も使えますし、パリで学んだ野菜のデザートにも応用できるでしょうしね」
『ジョルジュサンク』の入社試験で作った自身考案のデザート 左から『フレーズデボア、ウォッカ』『チョコレート、プラリネ』『レモン、コリアンダー』『ライチ、バラ』『ヨーグルト、白ブドウ』
これまでを振り返り、「決して楽な道ではありませんが、好きなことだから頑張れたんだと思います」と語る挾場さん。
libreリーブル白金高輪店オープン時に考案した作品
「パリのパラスや、星付きで働くという事は、様々なストレスがかかることも多い。皆個性が強く競争も激しい環境の中、そんな気がなくても敵対心を持たれることも…人間関係でかなり落ち込んで、この仕事を辞めようと思ったこともありました。そんな時、友人やフランス人シェフ達が皆助けてくれて…結局、家でもお菓子をつくっちゃって。楽しいしやっぱり好きなんだなと感じて、戻ってきたんです。改めて友達は宝だと思いました。“好き”を仕事にできるのは幸せなこと。海外に出て働くのも、最初は大きな不安もあるかもしれませんが、行ってみればなんとかなるもんです。私のように歳を重ねて新たな挑戦をする女性もいるので、食に興味があるなら飛び込んでみてほしいですね」

挾場美緒さんの卒業校

エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジ  (現:辻󠄀調理師専門学校 東京) launch

辻󠄀製菓専門学校
(現:辻󠄀調理師専門学校)

洋菓子・和菓子・パンを総合的に学ぶ

フランス・ドイツ・ウィーンの伝統菓子から和菓子や製パンまで、多彩なジャンルでの学びを深めながら、クオリティの高い製菓技術を習得。あらゆる現場に生かされる広い視野を養い、
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