INTERVIEW
No.148

イタリア料理店に生まれ、専門校での学びやシェフとの出会いを経てフランス料理店のマダムへ。今ではお客様やスタッフの幸せが喜びに。

レストラン アルティザン マダム アルティザングループ 取締役

佐藤 恵美子さん

profile.
神奈川県出身。中央大学横浜山手高等学校(現 中央大学付属横浜高等学校)から現在のエコール 辻󠄀 東京の辻󠄀 フランス・イタリア料理マスターカレッジに進学。1995年に卒業後、横浜のフランス料理店に就職。その後、都内や横浜のイタリア料理店、フランス料理店で経験を重ね、イタリアワインの専門商社『エトリヴァン』へ転職。その後、佐藤剛シェフの料理に惚れ込み、2001年から沖縄の『レストラン アルティザン』に加入。2010年から店舗を横浜に移し、現在はシェフとともに『レストラン アルティザン』『ロティスリー アルティザン』を経営。
access_time 2022.04.08

できるようになったり、褒められたりすることで料理の世界が楽しくなった。

神奈川県横浜市にあるフランス料理店『レストラン アルティザン』と『ロティスリー アルティザン』。両店を切り盛りするのが、佐藤剛オーナーシェフと恵美子マダム夫妻だ。
かつて横浜にあったイタリア料理の名店、『オリヂナル・ジョーズ』の元シェフだった父と元サービスだった母のもとに生まれた恵美子さん。中学に入ると両親が東神奈川に『イタリア料理 ヴェルデ』を開業し、そのキャリアをスタートさせる。
佐藤 恵美子マダム(左) 佐藤剛オーナーシェフ(右)
「ごはんを食べるなら手伝ってからだと、皿洗いから始め、父の助手みたいな仕事や接客をするようになりました。もともと食べることが好きで、食に関わる仕事をしたいとずっと思っていましたが、いつしかそれがもう当たり前の道に。うまく仕事ができず悔しい思いもたくさんしたんですが、できなかったことができるようになったり、お客さんに褒められたりするのが楽しくて、のめり込んでいったんだと思います」
高校卒業後は西洋料理を学ぼうと、現在のエコール 辻󠄀 東京へ進学。3つ上の兄が先に進学し、学んだ料理を披露していたことを受け、自分も入ろうと決めていた。
「せっかくならイタリア料理に限定せず、フランス料理も含め広く学びたいと思っていました。料理に関してはほぼ初心者だったなか、意識の高い同級生が多く、食らいついていくのに必死。濃密で刺激的な1年間でした。講義を受けたあと、グループで段取りを決めて実習にあたるんですが、プロの料理人にはスピーディに量産する力が必要。専門知識はもちろん、時間制限があるなかで実践するスピード感が勉強になりました」

シェフの料理に惚れ込み、「ここで働きたい」と横浜から沖縄への移住を決意。

卒業後は横浜のフランス料理店に就職。経験を重ねてから実家を継ぐつもりでいたが、学んでみてフランス料理にも惹かれるものがあった。
「シンプルな調理法が多いイタリア料理とはまた違う、フランス料理の味を重ねる感じが好きだったんですよね。食べておいしく、私にとってより心が動くのがフランス料理だったんです。西洋料理のベースでもあるので、仕事としても両方経験しておけたらなと」
その後は東京・麻布十番にあったイタリア料理店『クチーナ ヒラタ』へ転職。しばらくすると東京・四ツ谷のフランス料理店『オテル・ドゥ・ミクニ』が横浜に出店することを知り、オープニングスタッフに。サービスとして入り、そこで現在のパートナーでもある、佐藤剛さんと原みさ子さんに出会うこととなる。
「原さんとは、たまたま一緒に帰って話をするうちに、エコール 辻󠄀 東京で違うクラスの同級生だったことがわかり、意気投合して。この時、当時料理人だった佐藤剛さん(現在の夫で社長)とも仲良くなったんですが、3ヵ月ほどで修業をしにフランスへ行っちゃったんですよね。このままサービスでやっていこうと思ったのもその頃。博識なソムリエにいろいろ教えてもらううちに、ワインにも興味をもち、その奥深さに惹かれていきました」
仔羊のロースト 栗と山羊チーズのソテー
約2年の経験を重ね、ワインにも力を入れていた東京・南青山のイタリア料理店『リヴァ デリ エトゥルスキ』に転職。ワインスクールに通いながら働くようになった。
「驚くほど味のバリエーションがあり、飲むタイミングや温度、品種などで違いが出てくる。知れば知るほどもっと知りたくなり、のめり込んでいったんです」
焼き白子と湘南白菜のロースト 発酵バターといくらのソース
ワイン好きが高じて、イタリアワインの専門商社『エトリヴァン』に転職。インポーターを務めつつ、勤務後や休日は実家を手伝うようになった。
フォアグラのコンフィ、イチゴ、山羊のチーズのサラダ
「当時はワインに夢中だったので、実家をワインバーにしようと思っていました(笑)。そんな最中の2000年、剛さんが沖縄でお店を開いたと知り、旅行がてら食べに行ったんですが…オープンキッチンで働く姿が、これまで見たどの料理人よりも手際がいい。こんな流れるスピードで仕事のできる人がいるのかと衝撃を受けて。話しながらバババッとつくってくれたのに、すごくおいしい料理が出てきて、身震いするほど感動。その料理に惚れ込んで、すぐさまここで働きたいと伝えました」
ブーシェルのアンデュイユ(内臓のソーセージ)とフレンチフライ

売れそうな料理ではなく、自身の好きな料理をつくり始めると客数が急増。

商社を退職し、ワインの勉強のため約1年間、イタリアへ留学。そこから沖縄の『レストラン アルティザン』で働くようになり、結婚へと至る。
「その頃には兄夫婦が実家を継いでいたので、自分の道を切り拓いていこうという思いもありました。だけどお店が沖縄の人たちになじまず…潰れそうになっていたんです」
蝦夷鹿のアッシュパルマンティエ タルト仕立て
佐藤シェフは言う。
「もともと料理人よりもビジネスがやりたかったんですよ。だから儲かるんじゃないかという理由で売れそうな料理を考え、フランス風の居酒屋にしたんですが、全然思いどおりにいかず…」
「昔の同僚だったサービスマンと共同経営で始めたものの、途中で離れていってしまい(苦笑)、マダムが働きに来た頃には、借金も増える一方。料理も最初から妥協してやっているから熱意もない。もう辞めようかとマダムに持ちかけたところ、『せっかくなら辞める前に自分のつくりたい料理を全部やりなよ』って言われたんですよね」
メニューを一新し、自身が好きなフランス料理をつくりだしたら来店数が急増。売り上げもV字回復を果たす。一気に忙しくなり大変だったが、二人とも仕事が楽しくてたまらなかったという。2002年には自宅を併設できる場所に移転。一日中、仕事に没頭した。
「僕を見いだしてくれたのはマダムです。第三者の視点で、売れるからちゃんと売りなさいと導いてもらえ救われました。マダムが料理を学んでいた強みも大きい。いろいろやりすぎて的が絞れなくなったときに、これがいいよと方向性の助言もしてくれます。お客さんの反応も見てくれているし、サービスも安心して任せられる。事務も含め料理以外のことを全部やってもらい、楽しみながら料理に専念できるようになりました」

都心で勝負しようと沖縄から横浜へ。人気のあまり一時は窮地に追い込まれた。

さらに都心で勝負がしてみたいと2007年に一度閉店し、恵美子さんの地元横浜へ。二人で働きに出て資金を増やしつつ準備を進めた。テーマに据えたのは「男のフレンチ」。佐藤シェフは語る。
「フランスの(ミシュランガイド)星つき店で修業をしていたとき、提供しているコース料理よりもまかない料理に感動したんですよね。フランス人って、とにかく肉をいっぱい食べるんです。当時、日本では野菜料理を中心とするお店が流行っていましたが、自分のなかではフランス料理は肉だなと。地元のフランス人が日常的に食べるものを日本に紹介したい。気軽に入れてお腹いっぱいになるお店、フランス料理を食べたことのない人も満足させられるお店をつくろうと考えました」
こうして2010年10月、『ブラッスリー アルティザン』をオープン。約3カ月間はまったく人が来なかったが、たまたま訪れたグルメブロガーのレビューを機に、称賛のレビューが相次ぐと、毎日満席が続くようになる。
「これは千載一遇のチャンスだと必死になりすぎて、スタッフにもきつく当たってしまって…ほとんど全員、辞めてしまったんですよ。でもお客さんが外まで並ぶ状態が続いてるし、断るすべもわからなかったから、二人と数人のアルバイトで限界まで働き続け、倒れる寸前だったと思います」
恵美子さんが続ける。
「だけど2011年3月、東北の震災が起きて、予約が一気になくなって、働く環境を立て直す時間を得ました。忙しすぎるとお店も荒れるし、スタッフが働く条件も悪くなる。それまで話し合う時間もありませんでしたが、集客もこちらでコントロールしないとだめなんだと二人で確認し、立て直していきました」
原みさ子 シニアソムリエ (右)

同級生で友人のソムリエが、心強い仕事仲間に。お店の雰囲気も良くなった。

さらに2014年2月には、『ロティスリー アルティザン』を開業。フランス製のロティスリーマシンで焼いた、ジューシーなローストチキンやローストビーフなどが味わえ、一躍人気店に。クリスマス前、人手が足りないから手伝ってほしいと恵美子さんが声をかけたのが、原みさ子さんだった。原さんは言う。
「レストランに勤めていた頃、フランス料理をやるなら基本的なことだけでも知っておいたほうがいいと人に勧めらて参加したワインツアーで、こんなに面白い世界があるんだと感激したんです。せっかくならちゃんと勉強したいと思っていたところ、ワインスクールのスタッフをやってみないかというお誘いがあり、そこで16年間勤めていたところでした」
少し手伝うだけのつもりだったというが、年が明けてからも続けてほしいと頼まれて継続。スタッフみんなと仲良くできる原さんが来てから、お店の雰囲気も良くなったと恵美子さんは語る。
「原さんは、おしゃべり好きでムードメーカー。ソムリエとして技量はもちろん、お客さんの対応も上手。怖い社長とも私とも対等に話せる、おちゃらけた人が来てくれたので(笑)、仕事中の空気も和むようになりました」
「それ褒めてるの?」と笑いつつ、原さんが続ける。
「お客さんと楽しく接しているうちに常連さんが増えていくとやりがいがあります。おすすめしたワインが、初めて会う方の好みにうまく合致することも大きな喜び。今夜は私がおいしいお酒を飲めそうだなとうれしくなります (笑)。料理を実践で学んできたことは、ソムリエにとってもかなりの強み。たとえばこの料理はバターを多く使っているから、もっと濃いほうが合うとか、この材料の組み合わせなら軽めがいいとかがわかり、ご提案にも活かせています」

お客様が満足し、スタッフがより良い生活を送れるお店づくりが今のやりがい。

2018年2月には、横浜の官庁街でもある日本大通に『レストラン アルティザン』を復活。佐藤シェフは語る。
「最初から3店舗は絶対つくろうと決めていたんですよね。ロティスリーは会社帰りにふらっと寄れるところ、ブラッスリーはファミリーでも出かけられるところ、こちらは社用の接待やデートにも使えるところ、という三段階のイメージで、内装にもこだわり良い場所に出店したんですが…想像以上に敷居が高く見えてしまったようで。これまでカジュアルを売りにしていたお店だったので、常連さんも訪れない。最初は集客に苦労しました」
加えて建物の老朽化もあり、翌年にブラッスリーを閉店。約1年かけて徐々に新規客が増えてきていたなか、ブラッスリーの常連だったお客様も少しずつ訪れ始めた。ただ、閉店時に誰も解雇しなかったため、シフト制にしようと朝から夜までの通し営業へと変更。出だしは夕方の集客に苦戦したが、2020年からのコロナ禍を受け、早い時間帯からの利用が増え、理想的な営業状態になっていった。
「今、こうやってお客さんが入ってくれるのが、うれしくてうれしくて…。以前は欲張りだったんですよ。上昇志向が強かったから常にイライラしていたし、スタッフにもきつく当たってしまい…」
「だけど自分も年齢を重ね、自分の力量もわかり、今の状況に満足しはじめたら怒らなくもなり、スタッフも続くようになってきて。きれい事じゃなく欲がなくなり、お客さんが満足して帰ってくださったり、スタッフが楽しそうに働いてくれていることが喜びだと思うようになったら、お店の雰囲気も良くなってきたんです」
恵美子さんが続ける。
「社名にも職人を意味するアルティザンとつけたのは、職人が報われる環境をつくりたいという願いから。月日を重ね、働いているスタッフ全員の生活を向上させたいと、より強く考えるようになってきました。以前は自分が第一線に立てばお店は繁栄すると思っていましたが、今はまったく逆。スタッフの良いところをどんどん引き出し、伸ばしていったら、お店は良くなっていく。みんなで一緒にお店をつくっていくこの感覚が、今すごく楽しいです」
紆余曲折して辿り着いた、現在のアルティザンの形。今回お話を伺った3人それぞれに、食の世界に進む人たちへのメッセージをもらった。
「食べ物もワインも、普通にあれば普通のものですが、より良いものだと気持ちがとても豊かになるものです。調理次第で食材は大きく化けるし、ワインとの組み合わせ次第でさらにおいしさが増していく。それを広めたいし、これからの人たちにも広めていってほしいですね」(原みさ子シニアソムリエ)
「最近はお金でお金を生む仕事が注目されていますが、もともとお金っていいものをつくることで初めて生まれるもの。料理も完璧にそうです。誰でも始められ、個性が出せて、自分ひとりでも完結させられる。とてもいい仕事だなと、あらためて思うようになりました。迷いが生じても、自分を信じて進めば道は拓けます。今後なくなるわけもないから、不安に思わず始めてもらいたいし、続けてもらいたいですね」(佐藤剛オーナーシェフ)
「何があっても、やり続けることが一番の近道だと思います。壁にぶち当たるたびに違う道ばかり選ぶと、いつまで経っても遠回りが続いてしまう。しっかり向き合えば、本当に楽しく、夢中になれる仕事です。ぜひ諦めずに、続けてほしいです」(佐藤恵美子マダム)

佐藤 恵美子さんの卒業校

エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ  (現:辻󠄀調理師専門学校 東京) launch

エコール 辻󠄀 東京
辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ
(現:辻󠄀調理師専門学校 東京)

フランス料理とイタリア料理の現場で、
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