INTERVIEW
No.155

フランス料理を学び、挫折を経験しつつも見つけた自ら極めたい道。あまりの味わいに衝撃を受けた焼鳥の文化を、地元にも根づかせたい。

焼鳥さえき 店主

佐伯貴大さん

profile.
島根県出身。島根県立松江商業高等学校から大阪の辻󠄀調理師専門学校に進学。辻󠄀調グループ フランス校を2010年に卒業後、東京へ。フランス料理店で働き始めるも、挫折を経験し帰郷。島根県松江市の居酒屋、ラーメン店、和食店、カフェなどでアルバイトを続け、すべて手づくりで提供する洋食店での勤務で独立開業への想いが再燃。感銘を受けた焼鳥の道を志し、再び上京。高級焼き鳥店での修業を経て、2019年、ニューヨーク店の立ち上げメンバーに。しかしコロナ禍により帰国。地元で独立開業準備を進め、2021年3月、島根県松江市に『焼鳥さえき』をオープン。
access_time 2022.09.09

当たり前の基準を上げていくことを大事にする考え方は、今も自分のベースに。

島根県松江市にある『焼鳥 さえき』。“予約が取れない店”として知られるようになった同店を一人で切り盛りしているのが、店主の佐伯貴大さんだ。
「シンプルだからこそ、食材の影響力が大きいんですよね。毎回、届く地鶏にも個体差がありますし、その日によって炭の状態も違ってくる。毎日、同じ仕事で飽きないかと言われますが、全く飽きませんよ」
同市に生まれ、商業高校へ進学。高校時代は、弓道部での活動に打ち込んでいた。周りの多くもゼロから始められる競技なら、チャンスがあるだろうと努力を重ね、中国大会にも進出。
「弓道には正射必中、正しく射れば必ず命中するという言葉があるんですが、一つひとつ積み重ねていけば、確実に成果は出るもの。常に基本へ立ち返ること、当たり前の基準を上げていくことを大事にする考え方は、今も自分のベースになっています」
もともと大学に行くつもりはなく、何かしら手に職をつけたいと考えていた。料理に目覚めたのは高校2年生のとき。家庭科の調理実習を前に、少しはできるようになろうと卵焼きを予習してみたところ、やればやるほど上達することに面白さを感じた。
「それで結局、地元と関西圏にある調理学校のオープンキャンパスを何校も回って。勉強面はもちろん、寮やアルバイト先の斡旋など、生活面でのサポートも一番充実していると感じた大阪の辻󠄀調理師専門学校を選びました。親には『料理の道に進むのは、大学を出たあとでも遅くないのでは』と言われたんですが、最終的には『あなたの人生だから』と応援してもらえました」

基礎体系がきちんとできているから、やればやるほど深められて楽しかった。

専門学校への進学時、漠然とめざしていたのはイタリア料理だった。しかし授業を受ければ受けるほど、フランス料理に魅了されていった。
「パスタやピッツァはそれまでも身近でしたが、フランス料理は全くなじみがなかったので、全部が新鮮だったんですよ。コンソメなんてキューブ状の市販品しか知らなかったから、あんなにいろんな材料を使い、時間と手間をかけてつくることに驚いて…」
「化学調味料のように脳に訴えかけるんじゃなく、身体にすっと入り込んで染み渡るおいしさ。初めて食べるロッシーニは、フォアグラやトリュフの香り、味わいもたまらなかったです。フランス料理って、基礎体系がきちんとできているから、やればやるほど深めていける。勉強していてもつくっていても楽しかったです」
和洋中を学ぶ1年間の課程を終え、卒業後は辻󠄀調グループのフランス校に留学。学び進めるうちに、フランスへの想いが募っていった。
フランス校時代 戸田純弘 先生と
「自分に自信がなかったので、裏付けになる根拠がほしかったんですよね。担任の先生にも『気持ちがあるなら行ったほうがいい。絶対に後悔しないから』と強く勧められて決断。1日24時間、料理と向き合う貴重な毎日でした。ただ、西洋料理を専門に学んできた学生と自分との差に愕然として…。途中で一度は心が折れてしまったんですが、先生や友だちに励まされ、『やれることを着実にやっていこう』と踏ん張りました」
『ル・シャンバール』での研修時代 M.Olivier Nasti(オリヴィエ ナスティ)氏と
約半年後からの実地研修では、アルザス地方の『ル・シャンバール』へ。前衛的な料理で今ではミシュランガイドで二つ星を獲得しているメインダイニングと、伝統的な料理が楽しめるビストロを併設したホテルレストランだった。
「スターシェフがいて、ホテルのおかげで街が潤っているようなところで…忙しかったんですが、労働時間は厳守されるなど、環境は整っていました。その分、みんなの集中力がすごい。フランス人の仕事の早さ、押さえるべきところは押さえる感覚など勉強になりました。最初は洗い物の担当だったんですが、先生方から『自己主張しろ』というアドバイスをもらっていたので、早く終わらせ『次の仕事を』とアピール。結果、両店のいろんなポジションを回らせてもらえ、格段に成長できたと思います」

挫折を味わい、諦めかけた道。だけど一番ワクワクできるのが食の世界だった。

帰国後は、東京へ。最先端の環境で働き、刺激を受けたいという想いからの上京だった。
「30歳ぐらいで自分のお店を開きたいと考えていたので、早くに持ち場を回れそうな街場のレストランを志望。憧れの料理人がプロデュースしていたフレンチレストランに入ったんですが、まわりのレベルが高い分、自分のできなさ具合が突き刺さり…。初めての東京、初めての独り暮らしという環境の変化でメンタル的にも弱ってしまい、ほどなく地元に戻ってしまったんです」
フランス校に続く二度目の挫折。料理は向いていないんじゃとまで思い詰めた。しかし仕事はしなければならない。
「居酒屋、ラーメン店、和食店、カフェ…、3~4年はアルバイトを続けました。料理から離れなかったのは、結局、ほかに心動かされる仕事がなかったから。苦しいながらも、一番ワクワクできるのが食の世界だったんですよね」
転機になったのは、地元松江の洋食店に勤め始めたこと。出来合いのものは使わず、すべて手づくりで提供するシェフに出会い、料理への想いが再燃した。
「学生時代に学んだことが最も活かされるジャンルでもありましたし、その丁寧な仕事ぶりに刺激を受けました。料理の手順や組み立て方も勉強になり、『地元で自分の店をもつ』という夢と、もう一度真剣に向き合おうと決めたんです」

探究心がわき、シンプルに一つのことを突き詰められるのも、性に合っていた。

このまま洋食店を開くのか、別の方向へ進むのか。悩んだ挙げ句に出した結論は、意外なものだった。
「自分自身の想いや業界の流れなどを捉え随分と考えました。不器用な自分はあれこれ手がけるよりも、一つのことに集中するほうが向いている。だったらもっと専門的なもの、そのうえで西洋料理の経験値も組み合わせられるものがいいと、鉄板焼き、串カツ、串焼き、焼鳥を候補に考えました。当時、“フレンチお好み焼き”や“焼鳥とワインとのペアリング”などを謳うお店も出てきていて、その可能性を感じたんですよね」
広島、大阪、東京で食べ歩きをし、最も心に響いたのが、東京の焼鳥店だった。
「これまで焼鳥といえば、大衆的なものしか知らなかったので衝撃でした。あるお店では、焼鳥に対する塩の加減やアプローチがフランス料理そのものだったんです。もともとフランス料理をされていた方がつくられていて、転換するとこうなるのかと感動しました」
松江の洋食店での3年弱の勤務を経て上京。転職したのは、首都圏で高級焼鳥店を展開していた企業だった。
「組織として確立されている会社だったので、一つひとつ体系立ててイチから教えてもらえました。ソムリエからペアリングの基礎知識も教えていただけましたし。新店舗の立ち上げにも回ったので、焼きも覚えたんですが、想像している以上に難しい。最初は全くうまくできず、焼き手によってこんなにも仕上がりが違うはなぜだろうという探究心がわいてきて…。シンプルに一つのことを突き詰められるのも、性に合っていたんだと思います」

海外に対して構えなくなったのは、フランス校への留学経験があったからこそ。

1年半ほどの経験を経て、勉強として食べに行った店で衝撃を受ける。その店の大将の修行先で、2011年のミシュラン1つ星獲得以降、現在まで星を維持し続けている名店へ転職した。メニューはお任せのみで、シンプルにして究極。
「こんなにも炭の香りが薫るんだと驚きました。焼鳥に対する姿勢が徹底していて、同じ焼鳥でもここまで違ってくるんだなと。分店で、掃除や片づけなどの追い回しに始まり、レバーペーストやよだれ鶏の一品ものをやって。一通りできるようになると、仕込みや串打ちを経験。本店にも回らせてもらい、火や炭の使い方など、一つひとつ修業していきました」
ここでも自分の仕事を早く終わらせて次の仕事をもらいに行き、徐々にステップアップしていったという。分店では、自分で焼いたものを初めて食べてもらう経験も。
「それを『おいしい』と認めていただけたときに、とても強いやりがいを覚えたのと同時に、自分にはこの道が一番良かったと確信できました。包丁の研ぎ方や動かし方、食材の扱い方や仕込みの段取りなど、料理の根幹はジャンルに関わらず学んできたことが共通する部分。あとはお店それぞれのスタイルに合わせていけばいいので、基本の大切さをあらためて感じました」
2019年1月、海外初出店の立ち上げメンバーに抜擢。二番手としてニューヨーク行きを打診される。
「こんなチャンスは二度とないだろと即決。あまりの決断の早さに、親方にはビックリされましたよ(笑)。海外に対して構えなくなったのは、フランス校への留学経験があったからこそ。行けばなんとかなる、話せなくてもコミュニケーションはとれるというのが、実体験としてあった一方で、深いコミュニケーションには言葉の壁が大きいこともわかっていましたので、できるだけ英語を勉強するようにしました」
焼きの勉強を進め、2019年末に渡米。道具をそろえ、鶏の仕入先を見つけるところから準備をしていった。
「外国人に初めて教える立場になりましたが、言われたからここまでやる』という反応で、全部言わないと動いてくれない。アメリカ人をはじめ、現地スタッフと日本人との感覚の違いに戸惑いました。だけどなんとかオープンにこぎつけると、現地の日本人からもご好評をいただき、とてもうれしかったです」

クラウドファンディングや「焼鳥会」が、初めてご来店いただくきっかけにも。

しかしプレオープンから4カ月ほどで、新型コロナウイルス感染症の感染が拡大。2020年3月末には帰国を余儀なくされた。
「会社からは、再開できた際にはまた行ってほしいと言ってもらえたんですが、元々、最終的には地元で独立開業するつもりでしたので、非常に迷いましたが、会社とお話をさせていただき、予定より数年早かったですが、地元で開業準備を進めていきました」
「鹿野地鶏」の生産現場にて
実家へ戻り、出店場所とともに食材も探し始める。せっかく松江で出店するなら山陰の地鶏を使いたいと、選んだのが鳥取県鹿野町で育てられている「鹿野地鶏」だった。
開店準備のころ「焼鳥会」
「松江の洋食店での勤務時代に知り合ったフランス料理の先輩から教えてもらい、見に行ったんですが、肉質も脂の載りも素晴らしくて…。当初は有名な銘柄鶏でもいいかなと思っていましたが、比べると雲泥の差。肥育日数も倍以上かかっていて、価格も段違いでしたが、妥協なく選びました。なるべく地のものを使いたかったので、野菜もできるだけ県内産に。県内外の方に、その良さを知ってほしいなと考えました」
開店準備のころ「焼鳥会」
オープン時に地元のお世話になった方向けのイベントを開催する資金を集めるため、クラウドファンディングも展開。一方、知人のお店や公園など、さまざまな場所で「焼鳥会」をネットワークを広げていく。こうして2021年3月、『焼鳥 さえき』をオープンさせることができた。
「静かな雰囲気のお店にしたかったので、飲み屋街ではなく、少し離れたところを選んだんです。イベント開催も初めてご来店いただくきっかけにもなりました。焼鳥会で知り合った方々も足を運んでくださいましたし。コロナ禍対策の『Go To Eatキャンペーン』も手伝って、スタート直後から予約でいっぱいになり、自然と“予約の取れない店”というイメージも持っていただけるようになりました」
左ーかしわ 右ーカタ(手羽元)

自分が身につけたものを、地元島根でも受け継ぎ、焼鳥の文化を浸透させたい。

メニューは、先付、小鉢、お口直し、焼き物からなる、おまかせコースが主体。そうすることで、一人での営業を実現している。
左ーオクラ 右ーソリ
「焼きながら接客もする必要があるので、より鹿野地鶏の魅力が伝わるようなスムーズな流れを意識しています。もともと2~3人の体制でやるイメージでしたが、コロナ禍でどうなるか不安だったため、失敗したとしても迷惑かからないよう一人でやり始めて、今に至ります。結果として予約が埋まるようにもなりましたし、必要な分しか仕入れないのでフードロスにもならない。焼いていて楽しいですし、目の前ですぐに食べてもらえ、リアクションをダイレクトにいただけて面白いです」
〆の親子丼
おまかせコース主体の同じようなスタイルの焼鳥店は島根県では類を見ない。「自分自身、にぎやかな居酒屋も大好きなんですが」という前提で、焼鳥への想いをこう語る。
レバーペースト
「焼鳥=居酒屋というイメージで来られると、価格も雰囲気も全く違うので、ギャップで戸惑われると思います。東京だとある程度、こういった文化が熟成されていますが、島根県にはまだ浸透していないので、ここから文化をつくっていきたい。焼鳥はもっと評価されるべきものだという想いが強くあります。修業先で教えてもらったものを地元にも浸透させ、選択肢としても知っていただき、食文化が豊かになればうれしいです」
鹿野地鶏焼鳥弁当
自分が身につけたものを、地元島根でも受け継いでいきたい。そのためにも、焼鳥の道を志す人と一緒に働きたいと展望を語る佐伯さん。
「辿り着くまでの心得は伝えていけると思うので、どっぷり入ってくれる人と出会いたいですね。やはり基本を守り、まず自分なりの型を築くことが大切。ベースがしっかりしていれば、そこに軸足を置いたピボットもできますからね。自分の場合、いろいろ試しつつも、やっぱり基本が一番いいと実感しているところです。どんな道をめざすにしても、その時々で、そのときにしかできないことを一生懸命、やるしかない。チャンスだと思ったときは、なりふり構わず飛び込むのが正解だと、僕は思います」

佐伯貴大さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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