INTERVIEW
No.145

一度は離れたものの、やっぱりお菓子がつくりたいという、自分本来の気持ちにたどり着いた。夫婦で始めた洋菓子店でさらに道を拓いていく。

pâtisserie COCORO オーナーシェフパティシエール

野口 育恵さん

profile.
鹿児島県出身。鹿児島市立鹿児島女子高等学校から辻󠄀製菓専門学校に進学。1999年に卒業後、製菓事業を手がける企業に就職して経験を重ね、製造部チーフとして奈良の喫茶店『パイファクトリー』に勤務。その後、派遣社員として事務職を経験し、結婚・出産を経て2011年には、辻󠄀調グループに就職。2012年、大阪・南森町で『sweets labo COCORO』を起業。2019年9月には兵庫県西宮市に場所を移し、夫・智邦さんとともに『pâtisserie COCORO』としてリニューアルオープン。
access_time 2022.02.08

やりたいことを見つけるために、自分なりに悩み迷う中、友人と参加した体験入学が転機となった。

兵庫県西宮市の『pâtisserie COCORO』。“わざわざ行きたい店”になることをめざし、駅から少し離れた閑静な住宅地で2019年9月に開かれた洋菓子店だ。お店を切り盛りしているのは、オーナーシェフパティシエール野口育恵さんと智邦さんご夫婦。地元のお客様を中心に、早い段階から人気となったが、ここに至るまでには紆余曲折があった。
シェフパティシエールを務める育恵さんの出身は鹿児島県。夢が見つからず、将来についてはずっと悩んでいたという。
「高校時代も『自分は何がやりたいんだろう』とばかり考えていました。もっと広い世界が見たいから鹿児島から出たいけど、やりたいこともない。福岡なら観光やホテルの仕事に就けるんじゃないか。医療事務の資格を取れば自立できるんじゃないか。そんなことを考え、いろんな学校のパンフレットを取り寄せたんですが…とくに興味をもてることもなかったんですよね」
そんな高校3年生の夏休み、友人から誘われたのが、大阪にある料理や製菓の専門学校、辻󠄀調グループのオープンキャンパス(体験入学)だった。
「楽しそうだからと行ってみたところ、辻󠄀製菓専門学校の体験授業で目にした、先生の手さばきと、器具の使い方に衝撃を受けたんですよ。混ぜた材料を移したあとのボールに、生地がまったく残っていない…それまでお菓子はレシピを見ればつくれるものだと思っていたのに、そうじゃないプロの技術が凄いことにびっくりして…。その日のうちに、『この学校に進学したい』と心が決まりました」

お菓子をつくるには動きが大事なんだなと、食い入るように見つめていた。

進学後はフランス菓子だけでなく、ドイツ菓子やウィーン菓子など、知らないお菓子の幅広さにふれ、魅了された。
「見たこともないお菓子がいっぱいで驚きました。その由来や歴史的なことも含めて学べるのは面白かったです。講習では指導してくださる先生の技術はもちろん、横からサポートする助手の先生方のテキパキとした動きに感動。オープンキャンパスで圧倒されたとおり、やはりお菓子をつくるには動きが大事なんだなと、食い入るように見つめていました」
自分も早く現場で活躍したい。そう考えてキャリアセンターへ足しげく通う。食べ歩きも重ねながら志望先を探し、当時、製菓事業を手がけていた百貨店「髙島屋」の子会社に就職した。
「実家に帰らず自立したかったので、福利厚生が整っていることも重視しました。入社後は大阪市内にあった製造部へ。髙島屋と提携していた『フォション』のケーキづくりや、喫茶店『パイファクトリー』で扱うパイやタルトなどの仕上げや配送準備に、まず携わりました」
半年ほど経つと、製品がどう扱われているかを学ぶため、難波にあった『パイファクトリー』の店舗へ。
「その後、奈良にも出店することになり、製造部チーフ兼店長代理のような形で異動。最初は大先輩からケーキの並べ方や見せ方、扱い方や提供の仕方などを教えてもらって。最後の仕上げにまで気持ちを込めて、お客様の目線も考えて出すことが大切なんだと勉強になりました。お客様の反応が見えるのも楽しかったです」

体調を悪くしてしまい事務職に転身。派遣社員を経て、産休後には母校へ就職。

届いたケーキの仕上げや店頭で使うカスタードづくりなど、日々の作業も忙しいなか、社員としての重責は想像以上だった。
「新しいデザートを考えたり、スイーツビュッフェを提供したりと、めまぐるしかったうえ、売上げについても考えなければならない。面白味もありましたが、未熟だったのでプレッシャーを感じてしまって…頑張りすぎて入社から3年ほどで体調を崩してしまったんです」
しばらく飲食の仕事は難しそうだと、派遣会社に登録し事務職を担当。いくつかの企業で電話受け付けや経理などを経験し、パソコン業務などできることを少しずつ増やしていった。不動産会社でマーケティング部のアシスタントになった頃、智邦さんと出会い、2005年、26歳のときに結婚。その後、リクルート社の営業アシスタントとなる。
「高校生に専門学校のことを知ってもらう部署でした。Webサイトや紙媒体に掲載する原稿のやり取りや進学系イベントのサポートを行うにあたり、オープンキャンパスのリサーチをしたり、パンフレットを読み込んで要点をまとめたり。その資料をデータ化するなど、これまで経験した事務のスキルが全部生かすことができる仕事でした」
「そんななか、母校ならぜひと辻󠄀調グループの担当に抜擢されたんですが、それがうれしくて…。資料も非常に熱を入れてつくりましたし、製菓の道を志す高校生たちとふれあうことで、もう一度、お菓子をつくりたいという気持ちが再燃したんですよね」
しかしハードな仕事だったため、産休のタイミングで退職。その後縁あって、辻󠄀調グループへの就職が決まる。
「企画部でWebの担当などをさせてもらったんですが、卒業生のもとへインタビューに行ったり、先生方にコラムやレシピのお願いをしたり、食にまつわることを仕事にできて楽しかったし、深く知れて勉強にもなりました。独立開業をした卒業生のもとへリサーチに行く機会もあり、ますます憧れが増しました」

製菓を仕事にしたいという想いを伝え、学生時代の恩師から再び学ぶことに。

母校で働くなかで、ある日、学生時代の担任だった大林万希子先生と再会する。
「そのときの気持ちを伝えたところ、自宅でお菓子教室やっているからと誘っていただき、週1回ぐらいのペースで通うようになったんです」
実務経験が少ないうえ、ブランクが長い。これから製菓を仕事にできるようにと、ベースとなるお菓子を最初から学ばせてもらった。
「マンツーマンのときには、『野口、なぜこうするんだった?』と授業みたいな感じでしたよ(笑)。これは家庭でのやり方だけど厨房に入ったらこうやる、といったことも織りまぜながら真剣に教えてもらいました。『家のオーブンだからできない』は言い訳。どんな環境でも、その人に知識と腕さえあれば、おいしくつくれるからと言われ、小さな工房からでも始めてみようと思えました」
しばらくすると、辻󠄀調での仕事で訪ねた兵庫県西宮市の『パティシエ エイジ・ニッタ』のお菓子教室にも通うように。先輩にあたる新田英資シェフは、独立開業の相談も親身になって聞いてくれた。
「両親が自営業だったのもあって、幼い頃から仕事をしている背中を見てきたんですよ。大変そうだけどキラキラしていて。私もそんなふうに、子どもたちにも頑張ってきたと言えるお母さんになりたい。好きなことなら愚痴も出ずに続けられるだろうとも思ったんですよね」
『sweets labo COCORO』

学んで好きになったウィーン菓子やドイツ菓子のおいしさを大勢に伝えたい。

パン教室を開いている友人から、発酵を待つ間、生徒さんに振る舞うケーキをつくってほしいとオーダーされたのが開業の始まりだった。そこからフリーマーケットなどのイベントに出店。本格的に進めようと、暮らしていた大阪市内の南森町で賃料の安い物件を探し、2012年に製菓工房『sweets labo COCORO』をスタートさせた。
『sweets labo COCORO』
「まだSNSが普及していなかった頃だったので、ブログを使い、『今月の焼き菓子セット』という形で販売していました。大林先生から学んだウィーン菓子やドイツ菓子が好きだったんですよ。見た目は素朴だけど、ちゃんとつくればこんなにおいしいんだ!ということを、たくさんの人に伝えられたらなと」
イベント出店時
ほどなくウエディングプランナーをしている友人から、スイーツビュッフェやウェルカムスイーツの依頼が来るように。ほかのプランナーにも紹介してもらい、結婚式の引き菓子など大きな受注も入るようにもなった。
イベント出店時
「順調に仕事は増えていったんですが…ひとりだったので、深夜までラッピング作業に追われて家事を短縮したり、土日のイベントならお義母さんに息子を預かってもらったり。いまは自分の腕を磨き直す期間だから、赤字を出さず、家庭に迷惑さえかけなければいい。そう考えつつも、家族の協力なくしては成り立たない状態でした」
weddingケータリング

製菓を仕事として確立させるため、人生の伴侶が仕事のパートナーになった。

そろそろ製菓一本で頑張っていこうと、2015年、同僚たちの応援を受けつつ辻󠄀調グループを退職。ネット販売もブログからWebサイトに切り替え、週末には工房で生菓子も販売するようになった。
「退職して定収入がなくなったので、スポット的なイベントやウエディングの仕事に頼ってはいられないと頑張ってはいたんですが…もともと工房用に借りたところなので立地も悪く、自転車操業のままで。ずっと見守ってくれていた主人にも、これをずっと続ける気なのかと訊かれ、ちゃんと仕事として成り立たせたいと答えたところ、じゃあ今のままではダメだと諭されました」
ご主人の智邦さん(左側)
その話を受けて、智邦さんは言う。
「深夜まで働き詰めで、いつか潰れちゃうんじゃないかと心配していたんですよ。だけどある日、帳簿を見せてもらったら、あんなに頑張っているのに…と(苦笑)。実は、なんでも一人で抱えこんでしまう彼女をみていて、僕自身もいつかは一緒にやるのがいいだろうと感じてはいたんですね。続けるという気持ちの強さを確認できるまで、とことん話し合いました」
「続けたいなら、手段を探すしかない。数字が読めたり、事業計画が立てられたり…と、彼女をサポートするのに必要な条件を挙げていったら、僕の得意な分野だったんですよね。まずは現状を知るためにも、いろんなパティスリーの商品を食べてみたところ、彼女のお菓子なら、やり方さえ間違わなければ絶対に売れると確信して。それでもう、しっかり腰を据えようと会社を辞め、物件探しから始めました」(智邦さん)

小さなお子さんからお年寄りまで、地域の人たちみんなに食べてもらいたい。

智邦さんのリサーチによれば、大阪に比べて兵庫県、とくに西宮や芦屋には洋菓子文化が根づいているうえ、物件が大阪市内よりも安価。それで見つけたのが、今の場所だったという。「新田シェフの存在も後押しになった」と育恵さん。
「お菓子づくりを習いに通い、西宮のまちのイメージも良かったんです。2018年末から準備を進めたんですが、どんな雰囲気のお店にしたいか旦那に伝え、デザイナーさんは入れず工務店さんと直接やり取りしてもらうことで経費を節約しました。オープンしたときには、大阪からのお客様もわざわざ来てくださって…。今でもすごく応援してくださっているので、ありがたいです」
スタート時には自身が大好きなタルトや焼き菓子をメインにしようと考えていたが、「小さなお子さんからお年寄りまで、地域の人たちみんなに食べてもらいたい」という思いからショートケーキを定番に。常時、10種類ほどの生ケーキも置くようになった。
「広く知ってもらえるきっかけになったのは、おそらくインスタグラムです。カフェスペースを併設したので、提供したお菓子をその場で撮影してアップしてくださるお客様も多く、お店のフォロワーもわずかな期間で5,000人ぐらいに増えました。オープンから半年ほどでコロナ禍になったんですが、そこからまたすごく忙しくなって。出歩けない人たちがお家用に買いに来てくださり、どんどん売上げが伸びていきました」

成長を感じながら、好きなことを仕事にできる。こんな幸せなことはない。

今後は近隣での店舗展開に加え、智邦さんの友人からの誘いで沖縄での出店も計画中。現店舗でつくったものを味が変わらないよう冷凍で送り、仕上げをして提供するパティスリー&カフェを開く予定だという。
「ほしいと思ってくださった方に届けたいので、オンライン販売にも力を入れていきます。場所によっては、お菓子屋さんを選べない地域もありますからね。生産拠点と実店舗・オンラインショップを総合的に運営していきます。目下の課題は、人材育成。しっかりと人を育て私のお菓子をどんどん伝えていきたいと考えるようになりました」
「スタッフを教育するにあたり、役立っているのが学生時代に学んだ基礎の部分です。器具の使い方や仕事の回し方が少し違えば、作業効率も全然変わってきますからね。当時、先生方の動きを見て『すごいな』と感じたことを、いま、スタッフにも教えています」
「もともと、私は自分の好きなお菓子がつくれたらいいかな…というくらいの気持ちでしたが、主人と話し合う中、オンライン販売や海外展開まで含めた事業として捉えていく視点に触れ、夢の持ち方も変わっていきました。自分だけでは拓けない世界へ一緒に踏み出せたことは、とても嬉しく感じています」(育恵さん)
たとえ強い動機じゃなくても、「好きだな」から始まって、どっぷりハマることだってある。「気になるになることに対しては、まず行動してみることが大切」だと、育恵さんは語る。
「私の場合、たまたま友だちに誘われて踏み出した一歩でしたが、体験してみたことで『これだ!』と思えましたからね。ずっと学び続けられて、成長を感じながら、好きなことを仕事にできる。こんな幸せなことはありません。どんな仕事についても、しんどいことは必ずある。そのなかで、好きなことを仕事にできる環境って、とても素晴らしいと思うので、好きだと感じているなら、『大変そうだな…』と諦めるんじゃなく、突き進んでほしい。自分に負けず、好きなことに向かっていったほうが、あとで良かったなと感じられるはずですよ」

野口 育恵さんの卒業校

辻󠄀製菓専門学校(現:辻󠄀調理師専門学校) launch

辻󠄀製菓専門学校
(現:辻󠄀調理師専門学校)

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フランス・ドイツ・ウィーンの伝統菓子から和菓子や製パンまで、多彩なジャンルでの学びを深めながら、クオリティの高い製菓技術を習得。あらゆる現場に生かされる広い視野を養い、
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