INTERVIEW
No.154

食材にこだわった、本当につくりたい料理にシフトしたことですべてが好転。自分次第でどんなことでもできる、料理は可能性のある仕事。

hiroto(ヒロト) オーナーシェフ

廣戸 良幸さん

profile.
島根県出身。島根県立大社高等学校から現在のエコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジに進学。辻󠄀調グループ フランス校を1996年に卒業後、『リーガロイヤルホテル広島』に就職。5年弱の経験を重ね、東京・西麻布のフランス料理店『ザ・ジョージアンクラブ』へ。その後、ホテル『パークハイアット東京』や六本木の会員制レストラン『六本木ヒルズクラブ』、イギリスの『ハイビスカス』で研鑽を積み、2005年5月、広島市にフランス料理店『hiroto』をオープン。2012年3月、移転リニューアルし、ミシュランガイド二つ星を獲得。
access_time 2022.08.19

高校時代にバブルが崩壊し、大学よりも手に職をと、フランス料理の道へ。

初めての発行となったミシュランガイドの広島版で一つ星を獲得。2度目の発行となった2018年には、中四国のフランス料理店で唯一、二つ星に輝いた『hiroto』。オーナーシェフを務めるのは、廣戸良幸さん。2021年からは、中国地方を巡るJR西日本の豪華寝台列車「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の食事を監修する、“食の匠”としても知られている。
『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』(写真提供 JR西日本)
1975年、島根県出雲市生まれ。幼い頃から食べることが好きで、小学校へ上がる前には、大好きな果物を食べるため、自ら包丁で皮をむいていた。自宅の食事も、自分好みの味つけにつくり直すような子どもだったという。
『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』(写真提供 JR西日本)
「とはいえ料理の道へ進もうとまでは考えていませんでした。モノをつくることが好きだったので、建築系の大学に進もうかと思っていたんですが、ちょうど高校へ入る頃にバブルが弾けちゃって…。大学へ行くより手に職をつけたほうが良さそうだなとパンフレットを取り寄せ、ここだと思ったのが大阪の辻󠄀調グループだったんです」
実際に足を運び、魅了されたのがフランス料理だった。見るのも食べるのも初めてで、感動するほどおいしい。今まで知らなかった世界だったことで、よりいっそう興味をもち、現在のエコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジを志望した。
「だけど両親も先生も大反対(苦笑)。『一人前になるまで時間がかかるのを我慢できるのか』『ひたすら野菜の皮むきをやり続けられるのか』なんて詰め寄られ…『できる』と断言して説得し、進学したんです」

クラシカルなフランス料理を教えてもらえたおかげで、基準づくりができた。

やると決めたからにはやる性分。アルバイト先を斡旋してもらい、学業と両立させる寮生活を送りながら、休むことなく必死に勉強をした。
「何もかもわからないから、全部が面白い。すべてのベースとなるクラシカルなフランス料理を教えてもらえたおかげで、基準づくりができたと感じています。ある種の“型”があり、習ったとおりにやれば、自分でもおいしいものがつくれる。その繰り返しが楽しかったです。そしていつしか、自分の店をもつことが目標になりました」
1年間の課程を終え、1995年4月、辻󠄀調グループのフランス校に留学。レストラン形式の実習は想像以上に厳しかったが、必死で食らいついた。
「約半年後には、現地のレストランで研修できるレベルに育てないといけない。先生方も必死だったろうと、今ならわかりますね。研修先は、多いときで150人ぐらい来客のあるビストロだったんですが、キッチンは2人だけ。パティシエがいなくなったばかりで、行くとすぐに教え込まれ、合計3店舗ある系列店のお菓子をすべて一人でつくることになり、相当鍛えられました」

できるとわかれば仕事を任せてもらえ、実力次第でステップアップしていける。

帰国後は両親の勧めもあって『リーガロイヤルホテル広島』に就職。当時は人手不足だったため、業務は多忙を極めたが、くじけることはなかった。
「総料理長が素晴らしい方で、“料理人とは”といった精神面も教えてもらえました。仕事はとにかく忙しく、伊勢海老の掃除を1000人前、魚のカットを1000人前といった、ものすごい量の作業を一人で担当。一つのことを素早くやり続ける力が身につきました。自分の技術が上がっていくのも面白かったんですよね。もちろん数多くの失敗を重ね、怒られることもありましたが、根気強く育ててもらえました」
5年弱の勤務を経て、さらに腕を磨きたいと上京。東京・西麻布の『ザ・ジョージアンクラブ』の門を叩くも、初めて挫折を経験することになる。
「これまでとは全く違う職場の環境になじめず、人間関係にもついていけなくて…。もうしばらくホテルで実力を高めようと、当時、日本一だと感じていた『パークハイアット東京』へ。運良く欠員が出たところだったので、面接の翌日から働かせてもらえることになったんです」
扱うのはすべて高級食材、しかも選りすぐりの良い部分。さまざまな食材にふれ、新たな技法を覚えていくことが楽しみになった。
「すごい数の料理を出していたので、メインの火入れも余熱まで計算して焼く必要がある。できるとわかればどんどん仕事を任せてもらえたので、実力次第でステップアップしていけることに、やりがいを感じていました。世界中から来る一流シェフたちの料理を間近で学べたのもいい経験。大使館の料理をつくる機会も多く、フランス料理をベースにしたエジプト料理やタイ料理、オーストラリア料理など、当時は見たこともなかった組み合わせの料理ができ、とても刺激的で面白かったです」

イギリスの星つきレストランで、一皿すべてをつくる経験ができ勉強になった。

めきめき頭角を現すようになると、先に退職していた先輩から声をかけられ、会員制のレストラン『六本木ヒルズクラブ』へ。
「起ち上げ期で、まだ仕事の流れができていない中、1を言えば10わかる料理人が求められていたようで…。上位のポジションではなかったのですが、指導する側の立場も経験できました。総料理長からイメージを聞き、試作をつくってメニューを完成させるプロセスも、その後に生きています」
しばらくして、日本人の後任を探しているからと誘われたのが、イギリスの星つきレストラン『ハイビスカス』だった。
「1週間つきっきりで教えてもらってからは、ほぼすべて任されたんですよね。ここもとにかく忙しかったのですが、それまでパーツごとに担当していたのが、一皿すべて自分でつくる経験ができたのも勉強になりました」

安易な考えで独立開業したものの失敗し、やりたいことから外れていった。

「帰国後は知人に、シェフの話があるからと言われ、再び広島へ。『リーガロイヤルホテル広島』でアルバイトをしながら待っていたんですが…話が立ち消えてしまって。だったらもう自分で店を開こうと居抜きの物件を見つけ、2005年5月に『hiroto』をオープンさせました」
めざしたのは、ボリュームのある料理。2品も食べれば満腹になるようなフランス料理店をイメージしていた。
「そしたら見事に外して(苦笑)。いろんなものが食べたい県民性なのか、無理なスタイルだったんですよね。そもそも広島は、フランス料理が難しい土地。何もリサーチせず『おいしいものをつくれば人が来るでしょ』なんて安易な考えで始めましたが、完全に甘かったです。結局はお客様の要望にすべて答える方向にシフトするしかなく、ランチも始め、アラカルトにも対応し、リクエストされればパスタもつくり、夜も遅くまで受け入れて…。次第に僕がやってきたことや、やりたいことから外れていきました」
7年間かけて、なんとか借入金を返済。辞めるか改装するかで悩んでいた頃、現店舗の内装を手がけた人に出会ったという。
「相談してみたところ、ここで改装してもお金をドブに捨てるようなものだと言われ、いちから物件を探し始めました。1年近く経った頃に、店の隣だった今の場所が空くことになって。自分自身の世界観でつくりきったお店で、自分自身が納得いく料理を提供することができる。そして、辞めなければ借入金も返せることはイメージできていたので、いくらかかってもいいと、ゼロの状態からお店をつくることにしたんです」

移転を機に生産者を訪ね歩き、自分がつくりたい料理だけを手がけることに。

こうして2012年3月にリニューアルオープン。厨房の造りは簡素化し、客席スペースは素材にもこだわった。メニューはすべてお任せのコース料理のみで、完全予約制。全国の産地に足を運び、生産者との対話を通して食材を見極め、自分がつくりたい料理だけを手がけようと心に決めた。
「当初は5,500円、高くても10,000円と、コース料理としては低めの設定だったこともあり、1カ月ほど経つとお客様が入るようになったんですよね。最初は1日1組もざらでしたが、それでも予約せず来られた方には帰っていただいて。上限も3組でしたし、次第に予約の取れないお店だと認識してもらえるようになっていきました」
納得のいく食材を仕入れ、納得のいく料理を提供する。その味わいがクチコミで評判を呼び、瞬く間に人気店となった。移転からほどなくして、ミシュランガイドで一つ星を獲得した。続けていくうちに、より良い食材を使うため、価格を改定。二つ星にも輝くなど、その評判を不動のものにしていく。
『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』の依頼を受けてからは、周辺地域の食材開拓にもいっそう力を入れた。
「今後さらに 取り入れようと考えていたところに『瑞風』のお話をいただき、良い成長のチャンスだと感じました。自分が県外へ行くとしたら、なるべくその土地の良いものを食べたいですからね。もともと県外のお客様が多かったので、自分の店でも、地元の食材を多用するようになり、地元食材を探求していくと、あまり知られてはいないけど素晴らしい食材がたくさんあり、生産者さんとの出会いも増えていきました」
榊山牛の生産者 馬上さんと

生産者さんが僕を信頼して預けてくれた食材を、一番いい状態で提供したい。

実績を重ねるにつれ、より良いものが仕入れられるようになり、提供する料理の質も上がってきた。そこに大きなやりがいを覚えるという。どうすれば本来のポテンシャルを引き出せるか。食材に合わせて試行錯誤するのが好きなのだと語る。
北海道の蝦夷鹿 アイマトン 黒島さんと
「僕の料理って、飾りっ気がないからインスタ映えしないんですよね(笑)。だけど食べてもらったらわかるはず。めざしているのは、わかりやすく色があって、印象に残る料理。何を食べているかが、しっかりわかる料理にしたいんです。うちでは当たり前かのように魚を2週間、熟成させたりもしますが、それが可能なのも、素晴らしい食材を仕入れているからこそ。生産者さんが僕を信頼して預けてくれた食材を、一番いい状態で提供したいんですよね」
アライオリーブの新井さんと
完全予約制にしたことで時間のコントロールが利き、生産者のもとへも訪ねやすくなった。
鹿児島の真鴨などのジビエ猟師 時吉さんと
「たとえば鴨は鹿児島から送ってもらっているんですが、こちらからも毎年、行くようにしているんですよ。コロナ禍で昨年は叶いませんでしたが、鴨猟を一緒にやり、宴会で語らって、親交を深めています。自然の鴨は個体差が大きいんですが、信頼関係が続くと良いものを譲ってくださるんですよ」
トマトの温かいタルト
「スマホひとつで何でも注文できるこの時代、お金と時間を使って、早朝から市場を見て回って…なんて煩わしいと思う人もいるかもしれませんが、本当にいい食材を見分ける目と、それを活かせる料理をつくる腕のある料理人だと認められない限り、一握りしかない極上の食材は回ってきませんからね」
高掛農園マイクロリーフの温かいサラダ 三良坂フロマージュの花かごスープ
良い食材を仕入れ、最適な管理でベストな状態に仕立て、それをわかってくれる人に提供する。それができれば、一朝一夕ではまねのできない店になると廣戸さんは話す。
山口産塩水赤ウニとサフランリゾット スープドポワソン
「一流の生産者さんが気合いを入れて処理した食材を送るのが本当にいい店だと、僕は思います。食べ慣れている人は、その価値がわかってそういう店に訪れる。僕はそちら側に行きたいんですよ」
山口産熟成平スズキのローストと広島産ジュンサイ
良いものを知っておけば、より良い料理を追求できる土台にもなる。「そういう部分を見たい、学びたい人が増えればうれしい」と廣戸さん。最後に料理へ興味がある人たちにと、メッセージを送ってくれた。
榊山牛ロースのロースト 赤ワインソース
「料理は可能性のある仕事です。選択肢が多く、腕さえあれば世界中どこでも通用しますし、自分次第で、どんなことでもできる。諦めなければ少しずつでも確実に上がっていけます。これまでの経験から断言できることは、常にアンテナさえ張っておけば、チャンスは必ず来るということ。可能性をつかめるか、つかめないかは本人次第です。ぜひ夢をもって、チャンスをものにしてください」
左はスタッフの山本善人さん(エコール 辻󠄀 大阪 2019年3月卒)

廣戸 良幸さんの卒業校

エコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch

辻󠄀調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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