INTERVIEW
No.098

同じ学校で学び、同じシェフに憧れた二人。長年かかって実を結んだ札幌のフランス食堂で、愛情たっぷりの料理を振る舞いつづける幸せ。

フランス食堂 クネル(Quenelle) オーナーシェフ マダム

屋木宏司さん  屋木ミキさん

profile.
屋木宏司さん
北海道出身。北海道岩内高等学校を1989年に卒業後、大阪の辻󠄀調理師専門学校へ進学。1990年に卒業し、辻󠄀調グループに入職。3年間の勤務を経て上京し、1993年、三田のフランス料理店『コート・ドール』に就職、約14年間の修業を経て、2008年5月、北海道札幌市に妻・ミキさんとフランス食堂『クネル』を開業。現在に至る。

屋木ミキさん
千葉県出身。千葉県立佐倉東高等学校を1989年に卒業後、大阪の辻󠄀調理師専門学校から辻󠄀調理技術研究所(当時)へ進学。1991年に卒業し、辻󠄀調グループに入職。2年間の勤務を経て東京へ。1993年9月に再び辻󠄀調グループに入職し、エコール 辻󠄀 東京で2005年3月まで勤務。その後、九段南にあった『ビストロ シェラタント』などで働く。2008年5月、北海道札幌市に夫・宏司さんとフランス食堂『クネル』を開業。現在に至る。
access_time 2019.08.26

札幌で愛されて11年超。おいしいフランス料理が気軽に味わえる。

北海道札幌市で2008年5月から続く『クネル』。北国の恵みを活かしたおいしいフランス料理が気軽に味わえると評判の“フランス食堂”。リーズナブルな価格設定ながらもボリュームたっぷり。カジュアルで入りやすく、どの料理も自然体で楽しめる。
切り盛りするのは、屋木宏司さんとミキさんのご夫妻。二人を結んだのは、母校である大阪の辻󠄀調理師専門学校と、東京・三田にあるフランス料理店『コート・ドール』の斉須政雄シェフ、そしてお互いが自称する“不器用さ”だ。
北海道はオーナーシェフである宏司さんの出身地。「蝦夷富士」とも呼ばれる羊蹄山のふもとにある京極町に生まれ、幼い頃から豊かな自然に親しみ、食べることが大好きな少年だった。料理人に惹かれたのは、当時放映していた「料理天国」というテレビ番組がきっかけ。
「監修をされていた辻󠄀調(辻󠄀調理師専門学校)の先生方が、きらびやかなスターみたいに見えたんですよね。もともと身体を使って働きたいと考えていたので、進学は迷いませんでした」(宏司さん)
一方、マダムのミキさんは千葉県の農家生まれ。幼少期から食に対する興味が強く、収穫された野菜を使っての料理を手伝いながら覚えていった。朝早くから夜遅くまで農作業をしていた両親に代わり、小学生のときから夕飯づくりに励んだという。
「添加物を使わなかった母の料理が私の味覚を育ててくれたと感謝しています。高校の選択科目では、食物に関する授業を学んだんですが、それが楽しくて楽しくて…。辻󠄀調グループに勤めていた親戚から話を聞き、辻󠄀調へと進学したんです」(ミキさん)

「好きだから学びたい」という純粋な想いが、今につながっている。

1989年に同じ専門学校へ入学した二人。学生時代に関わることはなかったが、料理人をめざす若者たちが全国から集まる環境は、この上なく刺激的だったと口をそろえる。数ある料理のなかでも、二人がとくに惹かれたのがフランス料理。初めて体験する見た目や味に感動し、自分でもつくれるようになりたいと強く願った。
学生時代に得た大きな収穫は、料理の楽しさが染みついたこと。当時感じた「好きだから学びたい」という純粋な想いが、長年、食の道を歩み続ける原動力になったという。1年間の課程を終え、「さらに深く学びたい」と感じた二人。
そうそうたる先生方の授業を受けたことで、「辻󠄀調で働けばもっと勉強ができるだろう」と教員を志望した宏司さん。「授業のアシストはもちろん、校長先生がお客様を招く夕食会の補助をするなど、いろんな仕事をさせてもらい、そのすべてが学びになりました」
ミキさんは当時あった上級校である辻󠄀調理技術研究所に進学。そのとき受けた斉須シェフの特別授業が、大きな衝撃となって響く。「言葉一つひとつに、絞り出すような重みがあり、説得力がある。大変なご苦労も真っすぐに乗り越えてこられたのが、ひしひしと伝わってきました。フランスで経験されたことも、飾ることなく、そのままの空気感で語られて…。虚栄がなく、正直で誠実。ものすごいインパクトで、感激し、奮い立つような気持ちになりました」
辻󠄀調理師専門学校の職員時代(屋木宏司さん)

偉大なシェフの姿勢に感銘を受け、努力を重ねようと共感しあった。

「先生方の指導がとてもわかりやすくて、楽しくて…。皆さん学生思いで、人柄もいい。こんな職場で働いてみたいと思ったんですよね。外来の先生方も多くいらっしゃって、情報も集まってくるので、学べることも多いだろうなって」(ミキさん)
こうして二人は、職場の先輩後輩として出会うことに。言葉を交わすうちに、意気投合したのが斉須シェフの話題だった。宏司さんもまた、「十皿の料理」というシェフの著作に感銘を受けていた。“不器用”を自認するシェフが、不安を抱えながらも階段を少しずつ上りながら生みだした十皿。その根底にあるのは、すべて同じ“誠実さ”だと語られている。
「何度も繰り返し、時間がかかりながらも前に進み、やっと人並みにできるようになる。主人も私も似たタイプだったんですよね。斉須シェフのお言葉から、こんなすごいシェフでも、自分のつたなさをもどかしく感じられていたことがあったんだなって。だから私たちも、ひたすら誠実に、努力を重ねようと共感しあいました」(ミキさん)
「飾った言葉じゃなく、生の声みたいなのが、文字からも伝わってきたんですよ。この人から学びたい。この人のもとで働きたい。そう思うようになり、学生時代に担任だった先生から、三田の『コート・ドール』を紹介いただきました」(宏司さん)
「コート・ドール」時代、斉須シェフと

料理のことはもちろん、生き方そのものを学ばせてもらった。

こうして1993年3月、二人はともに東京へ。将来を約束することとなる。宏司さんが『コート・ドール』で働き始めてから約1カ月後の休日には、スタッフの家族らが集うバーベキューにミキさんも参加し、「あのときの斉須シェフがここにいる」と感動したという。
「いろんなお話を聞かせてもらい、その後も機会があるごとに仲間に入れてもらいました。シェフは誰に対しても平等で誠実。やはり真っすぐな人でした」(ミキさん)
「食材を持ってきてくださる配達の方など、業者さんをものすごく大事にされるんですよ。もちろんお客様も大事にされるんですが、ごく自然にふるまわれていました。人に上下なんてなく、みんなが対等だと」(宏司さん)
シェフは食材に対しても平等だった。すべての人や物にやさしく、愛情が深く、それゆえ厳しかった。
毛ガニとアボカドの冷たいコンソメジュレ
「高級食材だから大事にするんじゃなくて。何気ない食材だろうが、少しでも無駄にしたらものすごく怒られるんです。『材料は口を聞けないから、俺が代わりに言っているんだ』って…。愛にあふれた人で、いつも真剣に叱っていただき、感謝しかありません。正しいことしか言われないのが、逆につらかったですけどね。シェフに落ち度があれば、文句も言えたんですが(苦笑)。料理のことはもちろん、生き方そのものを学ばせてもらいました」(宏司さん)
店名にもなっている『クネル』(魚のすり身+卵+バターなどの入った生地に甲殻類のソースをかけてオーブンで焼いています)

自分たちもいつか、愛情のこもった料理でたくさんの人を喜ばせたい。

ミキさんは上京後、『コート・ドール』の近くにある洋菓子店にしばらく勤め、やがて希望していた辻󠄀調グループのエコール 辻󠄀 東京で働くことになった。在職期間中、同グループのフランス校にも勤務。
牛ハラミ肉のステーキ エシャロットのソース
「若い学生たちはどんどん吸収していくのに、私はなかなかできなくて…しばらくは塞ぎ込んでいましたが、そこから少しずつ道が開けていって。不器用だった分、同じ悩みをもつ学生にも寄り添えましたし、時間はかかっても積み重ねればできるようになる実感がもてました。今は良かったと思っています。上京してからも11年半、ずっと育ててもらえました」(ミキさん)
えぞ鹿肉と豚肉パテのパイ包み焼き
お互いに仕事が忙しく、休日が一緒になることも少なかったが、時折食事に出かけ、おいしい料理に心を動かされた。自分たちもいつかこんなふうに、愛情のこもった料理でたくさんの人を喜ばせたい。そう願いながら、理想の店舗像のイメージをふくらませた。
道産くるみのクレームブリュレ
未来の独立を視野に、ミキさんは2005年に辻󠄀調グループを退職。都内のビストロなどで、サービスの経験を重ねていく。終業後には二人でよく散歩をし、出店場所を探して回った。
北あかりとホワイトチョコレートのスフレ ヴァニラアイスクリーム添え
ボリュームたっぷりのおいしい料理を存分に楽しんでほしい。食べ慣れた人だけでなく、フランス料理が身近じゃなかった人にも気負わず食べに来てほしい。そう考えたとき新たな候補になったのが、宏司さんの実家が引っ越してきていた札幌だった。
「家賃や物価を考えると、東京よりも札幌のほうが、理想をかなえやすかったんです。二人とも田舎育ちなので、東京でも時間を見つけては山に行っていたんですが、札幌には適度な緑もあっていいなと」(宏司さん)
「札幌は時間の流れ方や自然なども、私たちに合っていて。夏に東京から帰省すると、きれいな空気が身体に染み渡るんです。いつも東京に持って帰りたいなと感じていました(笑)」(ミキさん)

楽しく過ごされるお客様の姿を目にしたときの喜びが、私たちの力に。

「辞めるということを考える間もなかった」という宏司さんが『コート・ドール』に勤めた期間は、実に約14年間。フランスで修業していた元スタッフが帰ってきたことで、スーシェフの仕事を引き継ぎ、ついに独立を果たした。
「振り返れば、あっという間。無我夢中で、余計なことを考えるゆとりもありませんでした。日々できることを増やしていくのに必死でしたからね」(宏司さん)
『クネル』では、すべての料理を宏司さんが手がけ、ミキさんが調理補助とサービスを担当。お客様のことを思い浮かべながら、仕込みや味見を丁寧に行い、豊かに盛りつけ、熱々で食べていただけるよう気を配っている。
オマール海老の殻や魚の骨でもおいしい出汁をとり、食材を隅々まで使い切る。二人のお手本は、やはり斉須シェフだ。掃除や片付けも、スタッフと一緒に毎日やられていたシェフ。「習慣は第二の天性」という教えを体現される姿を見て、二人もそうであり続けようと努めている。
「『コート・ドール』の料理は、見た目も味も清いんです。ギリギリの塩加減で、魚や肉の旨味がにじみ出ている。夫の味付けもやはり、似ているんですよね。お客様からはよく、『おいしくて、やさしい』と言っていただけて…。元気回復、ストレス発散、翌日へのリセット、なんでもいいんです。お客様が楽しく過ごしてくださっているのを見たときの喜びが、私たちの力になっています」(ミキさん)
『クネル』開店時にいただいた、斉須シェフはじめ『コートドール』のメンバーからの寄せ書き

始めることよりも、やめることよりも、一番難しいのは続けること。

真面目に毎日、同じ積み重ねをやっているところが、やはり似ているという二人。大好きな料理の仕事で働けていること、来てくださるお客様がいらっしゃること、日々の生活ができていること…何気ない毎日が本当に幸せだという二人。日々のお客様との交流によって自分自身を磨いていく楽しさを感じている。
「料理を運んだとき、うれしそうなお客様の表情を見た瞬間ごとに癒されています。いろんなことがつながって、いろんな力が重なって、繰り返して来てくださる方がいらっしゃる。こんな幸せなことはありません」(ミキさん)
努力を重ねて重ねて、やっと人と同じぐらいにできるようになる。そんな自分たちで良かったと、これまでの歩みを振り返る。
「実際に動かないと身につかないことはとても多いです。人はそれぞれ違うものだから、いくら時間がかかってでも、自分に合った進み方で進めばいい。誰もが職業という服を着ているだけで、中身はみんな“人”です。今この道をめざしている人たちも、食にまつわる職業を通じて、自分自身の“人”を磨いていってほしいと思います」(ミキさん)
「何かを始めることよりも、やめることよりも、一番難しいのは続けることです。周りの情報に影響を受けている人も多いでしょうが、継続していたら見えてくるものもあります。結果を焦らず、ひたむきに前進することも大事です。『こうなりたい』という理想があれば、つらいことも乗り越えられるはず。いつかきっと、道は開けますから」(宏司さん)

屋木宏司さん  屋木ミキさんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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