No.103
知らないことを知り、できないことができるようになったときの生徒の笑顔は格別。料理を伝え、育てることでパワーをもらえている。
愛知県立岩津高等学校 調理国際科
教諭 古橋浩光さん 非常勤講師 松下智己さん
profile.
古橋浩光さん(写真 右)
愛知県出身。名古屋市立北高等学校を経て、大阪の辻󠄀調理師専門学校を1980年に卒業後、東京のフランス料理店『コックドール』に就職。約3年間の修業を経て、地元名古屋の『チサンレストラン』に転職。その後、トヨタグループのレストランを経て、1986年から約12年半、結婚式場『東山会館』のレストランに勤務。1999年4月から愛知県立岩津高等学 食物調理科(当時)の西洋料理講師に。2005年4月には教員免許を取得。現在は進路指導部の教員として、全学のインターンシップなども担当。
松下智己さん(写真 左)
大阪府出身。大阪府立羽曳野高等学校を経て、大阪の辻󠄀調理師専門学校を1987年に卒業後、ホテルニューオータニ大阪の中国料理レストラン『大観苑』に就職。インターナショナル堂島ホテルの中国料理レストラン『瑞兆』を経て、1999年、ジェイアール東海ホテルズの中国料理レストラン『梨杏』に転職。ホテルアソシア豊橋、名古屋マリオットアソシアホテル、ホテルアソシア静岡に勤務し、名古屋のチーフシェフや静岡の料理長なども務める。2008年からは愛知県立岩津高等学校 調理国際科の中国料理の非常勤講師も兼務。2016年4月、岡崎市に『中国料理 翔園』を開業。日本中国料理協会 東海地区にて果蔬彫刻(野菜の彫刻)講師。
access_time 2019.10.18
古橋浩光さん(右) 松下智己さん(左)
生命力にあふれる純粋な生徒たち。指導している側も育ててもらえる。
愛知県岡崎市にある県立岩津高等学校の調理国際科は、国際的に通用する調理のスペシャリスト育成をめざす全国的にも稀少な学科だ。構成は約40人の1クラス。実習では1年次に西洋料理、2年次に日本料理、3年次に中国料理を学んでいく。
中国料理を指導するのは、現在、同市に中国料理店『翔園』を構える松下智己さん。名古屋マリオットアソシアホテルの中国料理レストランで働いていた2008年から、非常勤講師を続けている。
「学校からの依頼があって、日本中国料理協会の名古屋支部長だった鈴村(博彦)さんにお声がけいただいたんですよ。ちょうど協会のボランティア活動で、学生に料理をつくりに行ったりしていたので、子どもに教えるのが好きだろうと言われて…。それで一度、日本料理の実習を見に行き、やってみたいと思ったんですよね」(松下さん)
実習ではまず、松下さんが調理の手順を説明しながらデモンストレーションを披露。手元の映像が画面に映され、生徒たちは皆、熱心にメモを取る。サポートに入っているのは、同校の教員であり、自身も西洋料理を指導している古橋浩光さん。大事なポイントを端的に繰り返し、時折笑いを誘って授業を和ませる。
「校内の教員がサポートにつくんですね。おかげで、いろんなプロの先生の料理を見られて勉強になる。いろんな調理技術に触れることができて、西洋料理にも活かしていけますからね」(古橋さん)
一通りの説明が終わると、班ごとに分かれて実践。役割分担をして調理にとりかかり、とても楽しそうだ。見回る先生たちからも笑顔がこぼれる。
「知らないことを知ったり、できないことができるようになったときの笑顔がとてもいいんですよね。ものすごくパワーをもらいます」(松下さん)
「この年代の生徒たちは、生命力にあふれている。一緒にいるだけで元気になれます。純粋な目でよく見ていますし、大人なら忖度して控えるようなことでも、何も隠さずぶつけてきてくれる。指導している側も成長させてもらえていますよ」(古橋さん)
調理師学校でしっかり学んだことにより、同期にも教える役回りに。
1999年に岩津高校の講師となった古橋さん。その後、6年間の通信教育を経て高校家庭科の教員免許を取得した。
「38歳までは現場にいたんですが、西洋料理の先生が定年退職になるから誰かいないかという話が、当時、勤めていた結婚式場のレストランの親方を通じて回ってたんですよ。もともと教えることが好きだったので、挑戦してみることにしたんです」(古橋さん)
名古屋市に生まれ、進学校に入ったものの、興味があったのは幼い頃から家事として担ってきた料理をつくることだった。クラスメイトが皆、大学へ進むなか大阪の辻󠄀調理師専門学校へ。住み込みのアルバイトで学費を稼ぎながら、熱心に勉強をした。
「見ることやることすべてが新鮮で。ずっと自己流で料理をしてきていたので、基本を学ぶことにすごく憧れていました。和洋中、なんでも全部吸収しようと学び、西洋料理を選んだのは就職を決めるとき。しっかり勉強させてもらった分、当時から同期にも教える役回りになり、その後も下の面倒を見ることにやりがいを覚えるようになりました」(古橋さん)
東京での約3年の修業を経て、名古屋へ戻るにあたり紹介されたのが、生涯の師となる親方、生駒廣道さんだった。
「とても怖かったんですが(笑)、面倒見が良くて、人間的に本当にいい人で…。職場も親方といっしょに移っていきました。新しいスタッフが入ると必ず、フランス語の辞書をプレゼントされるんですよ」
生駒廣道さんからプレゼントされたフランス語の辞書
「昔は本しか情報源がなかったですからね。『借金してでも本を買え』というのが親方の教えで、よく原書を訳させられましたよ。あれだけ勉強できたのも、親方のおかげ。私も一生懸命、真面目にやっていたから、かわいがってもらえ、テレビや料理教室など外部の仕事にも連れて行ってくださり、さらに教える楽しさにも目覚めていきました。わからないことがわかったりして、みんなが喜んでくれるとうれしくなるんですよ」(古橋さん)
生駒廣道さんからプレゼントされたフランス語の辞書
生徒と関わることで、自らも調理師としての原点を思い出させてくれる。
一方の松下さんも、辻󠄀調理師専門学校を卒業後、就職先のホテルニューオータニ大阪で出会った先輩に導かれ、約29年間のホテル勤務を経て、2016年に独立開業を果たす。
「入社当初は右も左も分からなかったのですが、がむしゃらに仕事と向き合いました。先輩方から様々な指導を受け、今の自分があると思います。その恩を、今度は自分が生徒たちに返していく番だと思っています」(松下さん)
松下さんが岩津高校で受け持っている授業は、年間22~23回。「それだけの回数でこれほど生徒と密な関係になれるのは、松下先生だからこそ」だと古橋さんは語る。
「ここまで自分から生徒に関わってくれる先生はいないですよ。年間の授業が始まる前に、名簿と顔写真をくれるようお願いされ、授業開始早々に全員の顔と名前を一致させてしまう。しかも下の名前で呼ぶ。覚えてもらえているだけでもうれしいのに、一気に距離が縮まりますよね」(古橋さん)
「中国料理に親近感を持ってもらうために、授業では下の名前で呼ぶようにしているんです。これは少しでも中国料理に前向きに取り組んでほしいからという僕の思いからです。料理も思いを込めて調理することで、美味しさが伝わることを感じ取ってもらいたいです」(松下さん)
積み重ねることで、できない理由が見えてきて、技術が本物になる。
技術は繰り返し、継続して練習しなければ自分のものにならない。技術を磨くことを楽しんでほしいと、同校で数年前から取り組んでいるのが“朝練”だという。
「レベルアップカードというのを渡して、千切りなど技能的なものを修得し、合格したらハンコがもらえるようにしています。自由参加なんですが、やる生徒は伸びていくし、本人たちもうれしそうですし。生徒のなかには、松下先生の技術を見て感動し、野菜の彫り物にチャレンジしている生徒もいるんですよ」(古橋さん)
「毎週、授業が終わると見せに来てくれるんですが、そのレベルがどんどん上がってきているんです。熱心に取り組んでくれてうれしいですね。チャレンジ精神と一つのことをやり続けようとする姿勢に僕もモチベーションがあがります。若いうちに失敗を糧にして自力で成功をつかみとる力をつけて欲しいです。回り道しても一歩一歩前に進んで自分の目指す調理師になってくれることを期待しています」(松下さん)
「以前、4日間のホテルでの校外実習でシャトー剥き(野菜の切り方の一つ)をやるよう言われたのに、できなくて、ものすごく悔しがって帰ってきた生徒がいたんですよ。その後、できるまでずっと練習して、めちゃくちゃうまくなったんですよね。『今でも悩んだらシャトー剥きをやります』と。それだけ彼にとっては頑張ったこととして刻まれているんです」(古橋さん)
やる気を高めるのに最も効果的なのは成功体験だと2人は語る。なんでもいいから一つのことをやり続け、達成感を得られれば、向上への意欲も高まっていく。
「うちの生徒には、1年次に1回、鍋を磨かせるんですよ。頑張ってピカピカになった鍋を見ると感動してくれるし、褒めると次からきれいに使ってくれる。小さなことでも成功体験を得れば、できるんだという自信になる。それを身近なところから積み重ねられるよう心がけています」(古橋さん)
「自分の人生に後悔のないよう、少しでも興味をもったことには積極的にチャレンジしてほしい。失敗を恐れず挑戦することで、自分の世界観が変わり、幅も広がっていきますから」(松下さん)
食の根本を踏まえたうえで対応できる、本来の職人を育てたい。
料理を通じて成長していく高校生たち。入学してから大きく変わる生徒も少なくない。
「中学時代は不登校だったけど、高校に入って休まず通ってくれたり、あるきっかけで料理にめざめてくれたり…。すごくやんちゃで『なんとかしないと』と思っていた生徒が、今では店をもったり、料理長になったりしていると感慨もひとしおです」(古橋さん)
「うちの卒業生は、『高校にそんな行くことある?』というぐらい、頻繁に来てくれるんですよ」と笑う古橋さん。生徒から言われてうれしかったのは、「先生みたいになりたい」という言葉。多くのふれあいを通じて、人間性も見てもらえていることに喜びを感じるという。
「技術的な部分だけじゃなく、“ザ・人間”として、この人の料理を食べたい、この人に教えてもらいたいと思ってもらえる人になりたいんですよね。もうすぐ定年を迎えますが、教える仕事はずっと続けていきたいと思っています」
地域の人たちに依頼され、10年ほど前から食育の講演をするようにもなった古橋さんは、「食べることを真剣に考えてほしい」とメッセージする。
「食をいい加減に考えている社会はだめになる。食べることは、人間の根本です。どんな立場の人でも、食べるもので、考えや行動が変わるものだと思います。だからこそいろんな商談にも会食の場が設定されているんです。食をとおして社会を良くしていくという側面も必ずあります。単なる調理技術だけを重視するのではなく、食の根本を踏まえたうえで対応できる技術を磨いていくのが本来の職人の姿。そういう料理人たちを育てていかないとと考えています」(古橋さん)
教諭 古橋浩光さん 非常勤講師 松下智己さんの卒業校
辻󠄀調理師専門学校
西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ
食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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