No.112
誰もが初めからビジョンを明確に持っているわけではない。目の前のことに全力で取り組むことで見つけた自らの道で、独立開業へ。
創作ジャム専門店 salz(ザルツ)店主 ジャム作家
村上博信さん
profile.
宮城県出身。宮城県立宮城県工業高等学校からエコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジに進学。1999年に卒業後、東京のフランス菓子店に就職。その後、地元に戻り、派遣社員として数々の職業を経験。2007年には環境系機器を取り扱う企業に転職。2009年2月、イベントでオリジナルジャムを販売し、4月からジャム作家「salz(ザルツ)」としての活動をスタート。10月に仙台市内のカルチャールーム『アクテデュース』でジャムづくりのワークショップを催し、翌月から同所での講座を毎月開催。2012年には企業を退職して独立し、2015年12月には工房兼ショップを開設。現在も製造・販売に加え、教室の開催やイベントへの出店などを展開している。
access_time 2020.03.06
「ごはん会」の準備中に取材したキッチンスタジオにて
食べると驚きや発見があり、素材の存在を感じられる独創的なジャム。
地元である宮城県仙台市に工房兼ショップを構え、ジャム作家「salz(ザルツ)」としてオリジナルのジャムを製造・販売している村上博信さん。主に地域の農家から直接仕入れた2種類以上の果物や野菜を組み合せたり、スパイスやハーブ、リキュールやドライフルーツ、ナッツやチョコレートなどの副材料を加えたりと、独自のレシピで創作。無添加と手づくりにこだわりながら、素材の持ち味を引きだしている。
工房兼ショップの「創作ジャム専門店 salz(ザルツ)」にて
「食べると驚きや発見があり、素材の存在を感じられるよう心がけています。たとえば『ストロベリーペッパー』なら、いちごジャムに少しだけ粗挽きの黒胡椒を入れることで、最初はいちご、しばらくすると胡椒の香りがきて、最後に噛むとピリッとした刺激があり、三段階で楽しめます。これは、いちごジャムを塗った食パンに黒胡椒を振ってみたらおいしかったのでつくってみたんですが、初めて食べた人は驚くでしょうし、それが合うと感じたらまたびっくりするでしょう。そういうジャムをつくりたいんですよ」
週末には手づくり市やマルシェなどのイベントに出店。イベント会場やレンタルスペースでのワークショップやジャム教室なども行っている。パンやヨーグルトに添えるだけでなく、料理でも楽しんでもらえるよう、ジャムを使ったメニューを提案する「ごはん会」も開催。
チーズとグリーンサラダにバナナジャム
「ドレッシングやお肉のソース、フリットのディップなどに使い、解説しながら食べてもらうんですが、今では教室より人気です(笑)。たとえばリンゴとキャラメルバターを組み合わせタルトタタンと名づけたジャムを、豚の血を使ったブーダン・ノワールというソーセージに合わせてみたところ、とても相性が良かったんですよ。『これにジャムが合うんだ』なんて新しい楽しみ方が増えていくと、食の幅も広がっていく。そんな喜びにつながっていくとうれしいです」
ランチプレート(鶏肉のソテーにイチジクジャムソース)
小学5年生で始めたお菓子づくりが楽しく、製菓の専門校へ進学。
料理好きな両親のもとに生まれ、家には多くのレシピ本があったという村上さん。小学校5年生で初めてチーズケーキをつくり、「おいしい」と喜んでもらえるうれしさを知る。
プラムジャムのソーダ割り
「昔から何かをつくることが好きで、進学も工業高校へ。だけど続けていたお菓子づくりのほうが興味深く、卒業後は製菓の専門校へ進むことにしました。いろんな学校の資料を取り寄せたんですが、自由度の高さや実習の濃さ、周囲の評判などから、エコール 辻󠄀 東京の辻󠄀製菓マスターカレッジを選んだんです」
入学後は、今までに食べたことのない数々のお菓子と出会い、興味の幅が一気に広がっていく。好きなことを学ぶ毎日は、とても楽しかった。
「普通の家庭じゃ絶対にできないような、今まで想像もしていなかったお菓子を学べ、新しい知識がどんどん入ってきたのが面白くて…。つくることはもちろん、フランス菓子の素材や歴史、由来などを掘り下げられたのが楽しかったです。当時学んだ知識は、ジャムの講師を務める際にも役立ってます」
絶対にパティシエになるという強い意志がなく、就職先で挫折を経験。
卒業時の1999年には、東京のフランス菓子店に就職。しかし1年も経たないうちに挫折を味わうことになる。
「完全な縦社会で、単純にきつかったんですよね。今なら優しさだったと思える部分も、当時は素直に受け取れなくて…(苦笑)。もともと絶対にパティシエになるんだという強い意志があって進学したわけでもなく、将来のビジョンがもてていなかったので、乗り越えられませんでした」
その後は実家に戻って複数の派遣会社に登録し、さまざまな仕事に携わった。一方で、プライベートの時間を充実させていく。
「仕事では離れましたが、根底には“食”を求めるきもちがあったんでしょうね。帰郷後に入ったバレーボールの社会人サークルでは、隔月で行われる誕生日会のケーキづくりを担当していましたし、変わった料理をつくるのも好きでしたし…」
「東京にいたときトルコ料理が好きになったんですが、近くに食べられるお店がなかったので、手に入る材料でつくってみたら意外とおいしくできたんですよ。そこからのめり込んでいきました。飲みに行くのも好きで、行きつけのバーやクラフトビールのイベントなどで仲良くなった人たちとの付き合いが、今につながっているケースも多いです」
人に勧められてつくったジャムが好評を博し、本業にすることを決意。
環境問題にも興味をもっていたことから、2007年には、環境系機器を取り扱う会社に転職。エンジニアとしてメンテナンスの仕事を担っていた。
「車で各地を回れたので、終業後、道の駅などに立ち寄るのも好きでした。その頃、休日によく行っていたのが、木工や金物細工など、いろんな作家さんが出店していた手づくり市。交流会にも混ぜてもらったりしていたので、自宅で忘年会を開き、料理を振る舞ったんですよ。そしたら好評で、『瓶詰めにして売ってほしい』『村上さんの感性で面白いものをつくってほしい』と話が盛り上がり、自分でも興味がわいてきて。調べてみたところ、ジャムなら商品化しやすかったので、2009年2月、小さなイベントで4日間だけオリジナルジャムを販売することにしたんです」
そこでも好評を博し、独学で勉強を始め、4月にはジャム作家「salz(ザルツ)」としての活動をスタート。組み合わせの妙が楽しめ、素材の個性を活かした、美しい色合いのジャムが次々に生みだされていく。10月にはカルチャールーム『アクテデュース』から依頼を受け、ジャムづくりワークショップを催し、翌月から同所で講座を毎月開催。クチコミで人気が高まり、バーや製パン店、雑貨店や百貨店など、商品の取り扱いも県内外で増えていった。
「最初は二十代の頃よく行っていた飲み屋さんで扱ってもらっていたんですが、どんどん広がっていって。本腰を入れれば仙台でもやっていけるのではという手応えがあったので、2012年に会社を辞め、独立開業へと至りました」
活動10周年を迎えた2019年には、大口取引が相次ぎ、全国区に。
自宅や共同スペースでの製造を経て、2015年12月には工房兼ショップを開設。製造は一人で担いながらも、大量発注にも対応できるようになった。活動10周年を迎えた2019年には、大口取引が相次ぐ。春には、食のセレクトショップ『ディーン&デルーカ』から声がかかり、期間限定で販売。その後、全国18店舗での取り扱いが始まった。
「毎年開催されている朝食フェアの商品としてお声がけいただいたんですよ。たまたま検索に引っかかっただけだと思いますが、ずっと昔から大好きだったお店なので、まさかと驚き感激しました。地道にやってきて本当に良かったです」
10月からは、アパレルブランド『ディスコート』の系列10店舗でも取り扱われることに。常温で持ち運べて賞味期限が長く、ギフト向きでもあることが功を奏した。
「ネットを通じて、個人の方からのお取り寄せもいただいています。全国各地に専門店はあるのに、遠方からわざわざ求めてもらえるのがありがたいですね。ショップやイベント会場で、ご夫婦やお子さんたちから、『これおいしかったよね』『ママこれ買って!』なんて会話が聞こえてくると、ちゃんと味わってもらえているんだなとうれしくなります」
ジャムを使ったメニューを提案する「ごはん会」※Facebookより転載させていただいております
無理に目標を定めるのではなく、目の前にある好きなことに全力投球を。
「これが1本、おうちにあるだけで、毎日の食卓がちょっと楽しくなったり、感性が刺激されたりする。そんな存在になってくれたらなと。ごはん会では、初めて会った人同士でも『あれがおいしかった』『うちではこうやって食べた』なんて盛り上がることが多く、幸せを感じます。人って同じものを共有して、共感したいじゃないですか。そう思ってもらえるのも、このジャムならではなので、誇りに感じています」
これまでを振り返り、「今の自分があるのは、専門学校時代があったからこそ」だと語る村上さん。
「製菓の技術や知識が身についただけでなく、友人たちと食べ歩いたフランス料理なども含め、さまざまな“食”を経験することで、見た目の美しさや構成の仕方にも興味を覚えるようになりました。気になったことは調べ、吸収していくという、追求する姿勢が身についたことも大きいです」
「普通なら何年も修業をして一人前になってから自分のお店をもつところ、まったく違う方法で今に至っていることにちょっとしたコンプレックスもあるんですけど、組織に属さず趣味で始めたことだったからこそ続けられ、形になったのかなと感じています」
たとえ専門校に進んだとしても、誰もが10年後20年後のビジョンを明確にもって進んでいけるわけではない。自分と同じような人たちに、「こんなケースもあると知ってもらえたら」とメッセージをくれた。
「行き先が定まっていないのは不安でしょうけど、だからこそ、これから見つけていけるものが無限にあります。僕自身、ジャムづくりのきっかけは人からの勧めでしたが、やってみたらすごく興味深く、今では仕事にできている。『こうじゃなきゃいけない』というしがらみに縛られるのではなく、まずは目の前にある、自分が好きだと思えたことに一生懸命、向き合っていれば、道は開けていくと思いますよ」
エコール 辻󠄀 東京
辻󠄀製菓マスターカレッジ
(現:辻󠄀調理師専門学校 東京)
お菓子をつくり、味わい、集中して製菓の基本と応用を学びとる。
多くのお菓子と出会うことで、
基礎と応用を徹底的にマスター。
お菓子をつくる仕事に就く自信や誇りにつながる1年間。
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