INTERVIEW
No.079

自分が本当にやりたいのはカフェだと気づけたことで拓けた新たな道。「食を経験するシチュエーション」をつくる仕事は刺激的で面白い。

株式会社カフーツ カフェ新規事業部 部長

鶴見 昂さん

profile.
神奈川県出身。辻󠄀調理師専門学校を2005年に卒業後、東京・世田谷のパティスリー『フラウラ』へ。退職後、ケータリングでつくっていたお菓子が人気を集める。2008年、株式会社カフーツに入社し、東京・二子玉川の『カフェ リゼッタ』のプロデュース、翌年からは大阪・北浜の『エルマーズグリーン』のプロデュースに携わり、都内と府内で同ブランドを展開していく。2012年には、レシピ本「Café Lisetteのお菓子」(エンターブレイン)を発行。2016年からは熊本市で、地元の果物を使ったジャム、パフェやケーキなどを提供する『フラベド パー リゼッタ』のプロデュースを手がける。
access_time 2018.11.30

パティシエの独創的な世界に憧れ、好きなお店を回って情報を集めた。

「小学生の頃から家に一人でいることが多かったんですよ。時間を持て余し、母のレシピ本を見て始めたのがお菓子づくりのきっかけ。料理だとメニューに合わせた材料が必要だけど、お菓子なら家にある材料の配合を変えるだけで違うものがつくれる。それが面白かったんですよね。粘土やプラモデルのような遊びが、たまたまお菓子づくりだったんです」
ときは1990年代半ばのスターパティシエ全盛期。テレビや雑誌で多くの特集が組まれ、彼らの独創的な世界に憧れた。
「6年生の頃から、いろんなお店に行っては『どうやったらパティシエになれますか』と質問ばかりしていたんです。迷惑な子どもでしょ(笑)。中学校に入ってからも、どういう経緯で今のお店を開くに至ったかなどを訊いて回り、情報を集めました。すると学校に通って学ぶよりも早く現場に入るべきという意見が大半で。(苦笑)」
しかしいきなり飛び込むには迷いがあった。一口に製菓の仕事といっても、パティスリー、レストラン、ホテル、はたまた講師など、さまざまな可能性がある。自分がお菓子と携わるにはどの道がいいのかを模索したかったという。
「あるシェフから、料理からお菓子へは転向できるが、逆は難しいと言われたんですよ。それを聞き、自分は料理にも興味があったし、もしかしたら料理の道に行くかもしれないなと思い、よく名前を目にしていた大阪の辻󠄀調理師専門学校に進学しました。お菓子の理論はすでに本で学んでいたこともあり、それ以外の経験を重ねたかったんですよね」

お菓子そのものよりも、それを取り巻く空気感に心惹かれていた。

入学してみると、料理を学ぶこともまた面白かった。空いた時間には多種多様な料理店を回り、仲間と情報を共有する。その関係が築けたことも財産だったと振り返る。料理を学んだ後の視点で改めて見るお菓子もとても新鮮なものだった。いざ就職となり、長年の思いからパティスリーを選択。2005年、当時は東京・世田谷にあった『フラウラ』へ入ることにした。
「迷惑な子ども時代(笑)、まだ前のお店にいらした桜井(修一)シェフにお話を伺いに行ったことがあったんですよ。すごく良くしてもらったんですが、就活時期にお電話したら当時のことを覚えてくださっていて感激しました」
鶴見 昂さんの著作「Café Lisetteのお菓子」(株式会社KADOKAWA)より
限られた時間で、どう作業を分担し、どうやり繰りしていくのか。人気の一流店での仕事は、とても勉強になった。さらには新たな企画の実践を任せてもらうなど、早い段階から目をかけてもらえていた。
「憧れの気持ちから、ずっとシェフについて研究してきたので、おっしゃりたいこともよく理解できたんですよね。それが大きかったかもしれません」
だが今とは違い、長時間労働が当たり前だった時代。覚悟はしていたものの、想像以上に厳しい世界だった。
「志半ばで挫折する人も目にするなか、自分はお菓子そのもの以上に、お皿の回りにある空気感に心惹かれていることに気がついて。持ち帰ったケーキを誰とどんなときに食べるんだろうかとか、食を経験するシチュエーションを考えるほうが僕にとっては面白かったんです」
鶴見 昂さんの著作「Café Lisetteのお菓子」(株式会社KADOKAWA)
自分が本当にやりたいことはカフェだと気づいた頃、シェフから将来何をやりたいのかと問われ、素直に答えたところ、カフェへ研修に行く機会を与えてくれた。
「シェフにしてみたら、現実を見つめてこいという意図だったんでしょうけど、行ってみると働いている人たちがすごく楽しそうなことに感激して…。戻って『すっごく楽しかったです!』と報告したらガッカリされて(苦笑)。僕らに対し、パティシエとして極めさせてやりたいという思いがシェフにはある。期待してもらっていたのに申し訳ないなと、半年も経たないうちにお店を辞めたんです」
『Café Lisette』のランチ 鶏肉のコンフィ

料理を幅広く学んだ経験が、カフェのメニューづくりに役立った。

将来の道を模索するべく、退職後は派遣の仕事などでお金を貯めるようにした。休みの日には、友人が手がけるケータリングの仕事をサポート。お菓子づくりにも励んだ。
「そういった活動が、知り合いのコーディネーターの目にとまり、『カフェを開きたがっている会社の相談に乗ってほしい』という依頼を受けて。助言するだけ思ったら、あれよあれよと入社することになり(笑)、2008年8月から『カフェ リゼッタ』のプロデュースを手がけることになりました」
『Café Lisette』のランチ 季節のタルトサレ
東京・二子玉川に2003年、ベルギー製のリネンを中心に取り扱う『ザ・リネンバード』をオープン。それらの生地から始めたアパレルブランド『リゼッタ』や、作家モノや民芸の器や道具を販売する『コホロ』などを展開してきた株式会社カフーツが、飲食事業にも力を入れようと始めたのが『カフェ リゼッタ』だった。メニューには、お菓子はもちろん料理も必要。しかも洋食や和食、中華など垣根を超えたエッセンスが求められたため、専門学校で得た知識や技術は大いに役立った。
『Café Lisette』の モンブラン
「一通り学んでおくことは、とても大事だなと今も実感しています。パティスリーにいたときにも、台湾のパイナップルケーキから着想を得たフランス菓子のガトーバスクのようなものがあって、面白いなと感じました。幅広く知っておくことで湧いてくる発想もありますからね」
任されたのはメニューだけにとどまらない。内装や家具、食器なども含めた店舗全体をしつらえた。ベースのイメージは、1920年代頃のフランスの暮らし。
『Café Lisette』の プリンアラモード
「食事に来る人、お菓子を食べに来る人、会話をしに来る人など、カフェにはそれぞれ目的の違う人たちがやって来る。自分が好きな雰囲気の席を選んで使える自由度もその魅力です。いろんなものが雑多にある雰囲気もカフェならではだと思うので、あえて統一感をもたせず、椅子やカトラリーなどもバラバラにしました。自社のデザイナーや外部の作家らと打ち合わせをしながら、コスチュームや器なども製作。この空間に来て、満足して帰ってもらえる店づくりを心がけました」

生産現場の近くに工房を構え、果物をつくる段階から携わっていく。

2009年には、コーヒーを主軸とする『エルマーズグリーン』を、大阪・北浜のカフェからスタート。以降、大阪府堺市や大阪市内で展開を拡げている。
「代表が堺市出身なので、大阪にお店をつくりたがっていたんですよ。イギリスに長く住んでいた人なんですが、いろんな国のお菓子やパンがゴチャ混ぜにあるロンドンのカフェがカオスでいいねって話になり、多国籍な要素を取り入れたお店をめざしました」
『フラベド パー リゼッタ』のジャムづくり
そして2016年10月には、熊本市に現地の果物を使ったジャムづくりなども手がけるカフェ『フラベド パー リゼッタ』をオープン。開業は鶴見さんの提案だった。きっかけは『カフェ リゼッタ』で、熊本のみかんを使ってジャムをつくったこと。
オリジナルのジャム
「熊本は12カ月間にわたり多品目の果物をつくっているので、現地でお店を出したいなと。生産現場の近くに工房を構え、果物をつくる段階から一緒に携わって加工すれば、それがブランドになるのではと思ったんです」
『フラベド パー リゼッタ』店内
現在の生活拠点は熊本。生産者と話し合いながら製品をつくり、厨房にも入っている。さらには並行して東京や大阪の店舗をサポート。
「今はメンテナンスのような仕事がメインですね。スタッフの相談に乗り、レクチャーしていくような感じです。やっぱり現地のメンバーがお客様と共存しながら、お店を変化させていくほうが面白いと思うんですよ。各店が自分の手を離れて育っていくとうれしいし、やりがいを感じます」

無数の選択肢から活躍の舞台を見つけられるのも、食の世界の良さ。

自由が丘にも出店した『カフェ リゼッタ』では、イベントを頻繁に催している。新しいメニューを各店に取り入れるなど、何か新しい展開をするにはいい機会になるという。
「『フラベド パー リゼッタ』の出店も、何度かイベントでロールプレイングし、お客様の反応を見てから決めました。イベントで和菓子のスペシャリストとコラボして新しいお菓子を考えるなど、ほかの人と携わって何かを生みだしていくことは常に大切にしています。多様な人たちと関わることで得られる相乗効果って大きいんですよね」
求められる状況に応じて、お皿の内外を構成する。自分たちがやりたいことや利用者の要望、世の中の流行りなど、いろんな情報を集めて組み立てていくのが今の仕事だと分析する。
「お客様からのリクエストを鵜呑みにして再現してしまうと、お店に来たときの特別感がなくなってしまいます。各方面からヒアリングしつつバランスを整えていく…“編集者”の仕事に近いかもしれません。僕にはあまり“個”がないので、編集していくほうが楽しいんです。熊本での展開がひと段落ついたら、今後はほかの生産地にも拠点をつくっていけたらなと思っています」
自身の独創性を追い求めるよりも、地域性やニーズを考慮しながら、「また行きたい」「また買いたい」と思ってもらえる場所や製品をつくっていくほうが面白味を感じる。無数の選択肢から活躍の舞台を見つけられるのも、食の世界の良さだと鶴見さんは言う。
「ときには心が折れるケースもあるでしょうが、結局は自分にマッチするかどうかの問題です。固執しなければ、自分に最適な環境に巡り会えると思います。これからめざす人も、広い視野で食の楽しさを追求していってもらえたらうれしいですね」

鶴見 昂さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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