INTERVIEW

“食”への興味が、私を南極にまで連れて行ってくれた。

第57次南極地域観測隊 調理隊員
渡貫淳子さん

profile.

1993年エコール 辻 東京日本料理マスターカレッジを卒業し、同校職員に。その後、ご夫婦で料理教室と受注生産で料理を提供する「食彩わたぬき」を開業。お店の他に企業のレシピ開発や新規店舗の開発サポート、料理教室の講師など幅広く活動。「南極で働く」ことに興味を持ったことから、南極観測隊の料理人に応募。2015年、第57次南極地域観測隊の調理師として隊員30名の現地での食事をまかなう。約1年半を過ごし、2017年春に帰国。

3度目の挑戦で夢を叶えた「南極料理人」への情熱。

料理人とは、つくづく不思議な人種だ。普通なら豊富な食材と万全な調理環境の中で自らの腕をふるいたいと願うはずが、すべてが凍りつくような極限の世界への挑戦である。南極・昭和基地。30名の隊員がさまざまな観測を行い、冬を越す。観測船「しらせ」に積み込める食材は30トン。たった二人の調理師で、1年間の食事を賄わなければならない。その過酷さは容易に想像がつく。
南極観測船「しらせ」
「私が南極に興味を持ったのは、2003年から第45次南極越冬隊に参加された中山由美さんの新聞記事を読んでからです。その時は憧れとして漠然と思っていただけなのですが、2009年に“南極料理人”という映画を見て、想いが募りました。しかも調理師が一般公募されていることを知り、本格的に勉強を始めました。南極で調理師として働けるチャンスが私にもある、と」
それから約6年の歳月をかけて渡貫さんは、南極で調理隊員となるための環境を整える。まだ、行けるとも決まっていないのに。家族に説明し、書類を整え、1年間のメニュースケジュールを想定して必要な食材などを書きとめ、何度も練り直していく。
「南極での賄いについての情報は何もありません。であれば経験者に話を聞くしかない。SNSで呼びかけ、越冬隊に関する集いにも参加して体験談を聞き、調理師として参加された方のお店に押しかけてお手伝いをさせていただき、自分のキャリアがどうすれば南極で活かせるかを考え続けました」
55、56次と応募するも願い叶わず、2015年1月、3度目のチャレンジにして渡貫さんは南極昭和基地史上で2人目の女性料理人として夢を実現させるのだ(女性の越冬隊員は、第39次が最初だが、その数は決して多くはない)。
「諸先輩方は、どなたも歓迎してくださいましたが『決して甘くはないし、難しい。5回挑戦してダメなら諦めなさい』とも言われました。でも、諦めたくはなかった」
それほどのエネルギーを、渡貫さんはどこで身につけたのだろう。

挑戦の原点は、料理への探究心です。

「私が料理人の道を選んだのは、母親がそれほど料理が得意ではなく、食べたいものがあれば自分でつくるしかなかったからでしょうね。学校帰りに立ち寄る本屋さんに、辻静雄先生の本が並べてあり、辻調理師専門学校のことを知りました。当時、“料理天国”というテレビ番組も人気でしたし。辻静雄先生の本はフランス料理でしたが、食べたこともないし“美味しさ”の基準もわからない。それで和食の道に進むことにしました」
エコール 辻 東京の学生時代
昼は学校で学び、夜はお店のアルバイトで経験を積む。
「和食とは言っても、家庭料理のそれとはまるで違います。よく怒られました、厳しかったですね。自分の味覚とプロの味覚、その差を理解し、近づけていくのが私なりのテーマだったように思います」
そして、彼女は卒業後のキャリアを料理店ではなく、辻調のスタッフとして働くことに求めた。
辻調職員時代 調理実習の助手を務める
「お店に就職すれば、キャリアの幅が限定されるような気がして。でも、辻調に残ればいろんな先生方の知見を吸収することができます。ここには名だたる料理人がいらっしゃいますし、外部からも講師がたくさん招かれる。私にとって、これほど魅力的な職場は他にありませんでした」
辻調職員時代
食材、調理器具、下準備、段取りなど、講義のための全てを整えて万全を期し、100名ほどもいる職員の賄いもつくる。そんな辻調スタッフとしてのキャリアが、やがて南極観測隊員を志す探究心にもつながっているようだ。
渡貫さんこだわりの「どこでもヨガ」を南極でも実践(この時の気温はマイナス30度を下回っていた)

結婚、独立、子育て。多忙な中での南極挑戦。

やがて渡貫さんは、同じ職場で働く今のご主人と結婚。ご夫婦で独立して「食彩わたぬき」を開業する。これも従来のレストランとは少しばかり形態が違う。
「料理教室を運営しながらお店もやり、イベントなどで料理も提供します。主人は海外で料理をつくったり、映画のロケに参加してシェフを務めたりするので、その間は、私がお店を運営していました。まだ、子供も小さかったですしね」
料理講師、お店の経営、レシピ開発、シェフ、そして母親。そんな中での南極挑戦である。
「多分、息子が一番の理解者かもしれません。面接の時には積極的にアドバイスもくれましたし、南極出発の日は平日だったのですが『僕は学校があるから空港には行けないよ』そう言って、ハグして見送ってくれました。そんなこと、してくれたことなかったのに・・・」

万全の準備と、臨機応変な対応。

南極への出発は、2015年12月2日。前年の1月に面接、その5日後に通知があり、2月に健康診断。3月から長野県乗鞍で冬の合宿訓練、6月から夏の合宿を重ね、7月から国立極地研究所で本格準備に入る。
「食材に関する仕入れもそれからです。調理師は二人。限られた予算内で2000品目をリストアップし、発注先を決め、それらが届いたら仕分けしてコンテナに詰める。全部私たちの仕事です」
合格してからのスケジュールは実に慌ただしいが、ここで6年間もの事前の準備期間が役に立つ。
「食材リストはずっと考えていましたから。直前になってからでは見落としがあるかもしれないし」
相方はフレンチ
幸いなことに、相棒となるもう一人の調理隊員である長谷川さんは第52次で越冬の経験もあるフレンチのシェフ。的確なアドバイスをもらいながら“和食とフレンチ”の役割分担を決め、比較的スムーズに準備は進んだという。
南極で流しそうめん
「ただ、メニューの事前構成はしませんでした。天候やその日の作業項目によって欲する料理も変わるでしょうし、それぞれの好みもある。食材の傷み具合もわからない。そこは、臨機応変に対応しようと思ったんです」

食事が大きな楽しみ。極地生活を支える調理師の役割。

こうして、南極料理人の約1年半におよぶ極地生活がスタートする。
「厨房は快適でした。スチームコンベクションもあれば、サラマンダーもある。欲しい設備は揃っています。水耕栽培のシステムまであるんですよ。ただ、動線に慣れるまでに1ヶ月ほどはかかりましたね。そして環境保護の観点から汚水や残飯を出すには制限がある。毎日のことですから、隊員の皆さんに好みや要望も聞いて工夫します」
総合的に考えると金曜日はカレー
夜勤者の夜食の準備も欠かせない
「夜食の準備も欠かせませんし、観測は地道な作業が続きます。食事は大きな楽しみです。お誕生会にケーキを作ったり、節句を祝ったり、特別な日には懐石料理も披露したり。結構楽しくやれました」
南極で節句を祝う 
もちろん予期せぬトラブルもある。キメの細かなメンテナンスも不可欠だ。シフトを調整して互いに確保した休日も、調理以外の点検やその他の作業を行うことも多いという。
「配管が凍ったり、破損すれば死活問題ですから。時には隊員たちも調理を手伝ったりしてくれますからお互い様。隊員全員のチームワークで乗り切ります」

料理は、「ありがとう」が一番多い仕事です。

仕事は“ありがとう”といってもらえる機会がとても多いということです。観測や調査、研究も大切な仕事ですが、結果がすぐに出ることも少なく、評価も褒められるのもずっとあと。その点、料理は毎日その場で『美味しかった、ありがとう』と言ってもらえる。美味しさは、笑顔にも、思い出にも、会話の素にもなります。素敵な仕事ですよね」
体重増加は気になる…でも美味しいから食べたい。そのジレンマと戦っていた隊員が名付けてくれた「悪魔のおにぎり」
「そして、私が料理人でなければ、決して南極越冬隊の一員にはなれなかったでしょう。人がいる限り必ず求められるのが“食”。そのパワーと可能性も改めて感じさせられました。好きな料理を通じていろんなことへチャレンジできる。若い方にも“食”を通じて、チャンスがいっぱいあることを感じてほしいですね」
そんな渡貫さんの“食”に関する興味と挑戦は、どうも今回の南極だけにとどまることはなさそうだ。

写真提供 : 石川貴章、友松岳士、梅津正道

渡貫淳子さんの卒業校

エコール 辻 東京 日本料理マスターカレッジ launch

エコール 辻 東京
辻日本料理マスターカレッジ

日本料理の奥深さに触れながら、
1年間で徹底的に本物の技術を学びとる。
1年間、日本料理だけを徹底的に。本物と一流にこだわった環境で、
日本料理の奥深さやおもてなしの心を会得する。
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