INTERVIEW
No.164

卸業をベースに、大好きなフランス菓子づくりを若いチームで楽しむ新たなステージ。パティシエという仕事の魅力を広く伝えたい。

ブループリント シェフパティシエ

神﨑 琢也さん

profile.
長崎県出身。長崎県立波佐見高等学校から辻󠄀󠄀製菓専門学校に進学。2013年に卒業後、坊佳樹シェフについて台湾へと渡り、新規開業の洋菓子店で責任者を務める。2015年に帰国後、神戸の店舗や佐世保の菓子店で修業を積み、2018年、佐賀県で洋菓子の卸売業を営む企業に入社し、新規オープンとなった工場併設のフランス菓子店の製造責任者に。2021年7月より『ブループリント』ハウステンボス店に勤務。並行して準備を進め、2022年12月、『ブループリント』長崎店としてパティスリーをオープン。2023年3月には、併設のラウンジもスタートさせた。
access_time 2023.04.26

父の夢だった甲子園出場を果たし、母の夢も叶えたいとパティシエの道に。

生まれ育ったのは長崎県佐世保市。小学生の頃から野球一筋だった。名門高校からスカウトを受けて特待生で入学し、3年次には正捕手として甲子園に出場。1回戦で強豪・横浜高校と対戦するも、タイムリーヒットでチームを勝利へと導いた。
2011年、第83回選抜高等学校野球大会出場時
「甲子園出場は父の夢でした。それを叶えて次を考えたとき、プロ入りの話もありましたが、フィジカル的にも通用しないと感じていて…。それなら母の夢だったパティシエになって、将来一緒に店をやりたいと考えたんです。周りからすれば『なんで?』という理由でしょうが、それでも僕は両親の夢を叶えたかったし、だからこそ諦めずに続けてこられたのかもしれません」
辻󠄀製菓専門学校時代
2012年、大阪の辻󠄀󠄀製菓専門学校へ進学。食べ歩きで惚れ込んだ神戸の坊佳樹シェフに懇願し、卒業後は彼のもとで働けることになった。任されたのは、台湾で開業する洋菓子店の責任者。坊シェフから指導を受け、学んだことを現地スタッフに伝えながら、実作業にも励む。初めての外国の現場で、2年半全力疾走した。 
台湾時代
「シェフは厳しい方でしたが、吸収できることばかりで、ついて行って本当に良かったです。そろわない道具も多かったんですが、『これがなければつくれない』では応用力がない。このときの経験が、今も役立っています」

製菓はもちろん、商品開発やコンサルティングの仕事も魅力的だと感じ始めた。

2015年に帰国すると、神戸の店舗へ。しかし2年ほど経った頃、実家へ戻ることになったため、佐世保の老舗菓子店に転職する。2018年には、洋菓子の卸業を手がける佐賀県の企業へ。新規オープンすることとなった、工場併設のフランス菓子店で製造責任者を務めた。
「卸しの生産数をこなせるか不安だったんですが、どうすれば効率よく大量につくれるかを教えていただき、実店舗の商品と両立できるようになりました。お菓子をつくること自体も楽しいんですが、人と会話をして自分からアプローチできる、商品開発やコンサルティングの仕事もすごく魅力的だと感じるように。仕入れ値や売上高などの数字も明確に見せてもらえましたし、原価計算や給与計算のノウハウや事業計画の立て方など、経営のための力を鍛えてもらえ、感謝しかありません」
そろそろ独立開業に向けて動きだそうと、資金を貯めるため地元に戻って職を探し、2021年7月、佐世保市のハウステンボスにあったカフェ『ブループリント』へ。オープン間もない店舗で、洋食づくりをメインに手がけ始めたところ、母体であり造船業をメインに手がけている企業、そとわコーポレーションの外輪宣弘社長から声がかかる。
「僕がパティシエだということが伝わり、『現状でも何かつくれるか』と訊かれ、道具がないなかダンボールやアルミホイルで型をつくって、タルトを焼いて本社へ持っていきました。その出来を認めてもらい、自分自身のめざす展望を伝えると、事業計画書を持ってくるよう言われたんです」

いきいきと働く姿を見てもらえたら、パティシエになりたい人も増えるはず。

もともと神﨑さんが開業を考えていたのは、卸業でしっかりとした売上げを確保しながら自身の好きなフランス菓子をつくるというスタイルの店舗だった。その計画を社長に伝えたところ、入社2カ月後には長崎市内の自社ビルに新たな店舗を構える計画が動きだした。
「そもそも設計図を意味する『ブループリント』は、そとわコーポレーションの建築部が始めた店舗。建築の打合せができるカフェをつくろうとスタートした場所だったんです。そこへパティシエの自分が入ったことで、打合せの際にも、よりイメージのふくらむ空間が築けるのではと、パティスリー&ラウンジを立ち上げることになりました」
自社ビルは長崎随一の歓楽街、銅座町の一等地。5年後までの資金計画を立て、準備と人集めを1年以上かけて行った。
「建築との関わりから、学生時代に知ったフランス人パティシエ、アントナン・カレームを思い出したんです。19世紀初頭に活躍した彼は、建築物から着想を得て、数多くのピエスモンテ(工芸菓子)を生みだしました。その当時、美術や音楽、建築や製菓が芸術として並列されていたことが素敵だなと思って社長に話したところ、厨房をステージとしてつくればいいんじゃないかと言われて…」
「いきいきと働く姿を見てもらえたら、パティシエになりたい人も増えるかもしれない。社長の発想に感激しながら、憧れを抱いてもらえる舞台になるよう、イメージを形にしていきました」
こうして2022年12月、『ブループリント』長崎店としてパティスリーをオープン。2023年3月には、併設のラウンジもスタートさせた。
「グループ会社の持つ創造性や機能を活かして、イスやテーブルなど家具一つひとつが手づくりですし、オーブンなどの塗装もしてもらえる。リクエストすれば金型もつくってもらえるし、パッケージのデザインも自社でまかなえるので、本当に理想的な環境です。社長からは『餅は餅屋の仕事をするべきだ』と言ってもらっていて。『君はケーキづくりの専門なんだから、ほかで必要なことはなんでも言え』と。個人で独立していたら、ここまで整えられるはずもなく、本当に奇跡のような出会いです」
「こんな若手の言うことを、なぜこんなにも聞いてくれるのかというぐらい、社長は器が大きい。とても頼りがいがあり、この人に任せれば大丈夫だと思わせてくれる。いつかは自分もそんな人間になりたいと憧れています」

材料にこだわり、適切な対価をスタッフに支払うためにも、安売りはしない。

売上げのカギを握る卸業では、パティシエの国際大会に日本代表チームのキャプテンとして出場した経歴をもつ、鍋田幸宏シェフ監修の「カステリーヌ」の生産を受注。長崎銘菓のカステラとテリーヌを合わせた新感覚スイーツで、12月の発売と同時に全国各地から注文が殺到した。
『カステリーヌ』
「材料メーカーやホテルのコンサルティングや卸業をはじめ、オーブンも冷凍庫もないような小さなカフェにも利用してもらえるよう、生地も1枚から請け負っています。『カステリーヌ』の発売を受けて、百貨店やスーパーからのお話も増えてきました。大手ECサイトにも出店されている企業から大規模な発注もあり、工場の新設も計画中です」
「もともと卸業の仕事を広げてくれたのは、神戸をはじめ昔からお世話になっていた材料屋さんたち。『材料あってのお菓子づくりだ』という坊さんの教えから、ずっと感謝をもって接してきましたが、長崎に帰ってきてからも力になってくださり、本当にありがたいです」
製菓スタッフの中心は、21~22歳の若手たち。取材時に指示を出していたのは、まとめ方が上手だという最年少の女性スタッフだ。
「僕の手が離れても回していける体制を整えています。自分がつくっているものにいくらかかって、お金をいくら生んでいるかわかっていないとだめだと、原価計算も大事にさせていて。材料にこだわり、きちんとした対価をスタッフに支払うためにも、安売りはしない方針です。事業計画で出していた3年後の売上目標を、わずか半年で達成できたのも、みんなの頑張りのおかげ。その分、給料もできるだけ上げ、プライベートの時間も取れるよう、働き方改革にも力を入れています」
アルコール類も提供するラウンジに合わせて、お酒に合うケーキも考案。ステージやスクリーンも設け、音楽ライブや上映会など、さまざまなイベントを開けるようにしている。
「結婚式の二次会にとご予約いただいたときは、ウエディングケーキやビュッフェ用のケーキもお出ししたんですが、すべてスタッフに考えてもらいました。利益を上げるためにも卸業は大きな柱ですが、お客様の反応が見えないこともあり、モチベーションを維持する難しさがある。その分、いい材料を使って自分の好きなお菓子づくりを楽しめて、お客様の喜ぶ姿が見られる経験を大事にしています」

パティシエをめざし、地元で活躍できる人が増えるよう、展開していきたい。

「パティシエって、すごくお金をもらっていい仕事だと思っているんですよね。朝から晩まで、同じものを同じ個数、毎日つくりつづける労力は相当なもの。その価値を正しく評価される職場にしたい。もっとパティシエのステータスを上げたいし、『君たちのやっているのはすごいことなんだよ』と伝えたいんです」
パティシエを育てることにも精力的な神﨑さん。外来講師として母校、辻󠄀󠄀製菓専門学校での講習なども行っている。
「吉村(大輔)先生と名刺交換をしたとき、『やっと同じ土俵に立てたね』と言ってもらえて、泣いちゃいました。学生時代はケチョンケチョンに怒られていましたが(苦笑)、卒業後もずっと気にかけてくださっていて…。ほかの先生方も、今の状況をとても喜んでくださっています。指導をしてもらった先生方の顔に泥を塗りたくない。それがモチベーションにもなっています」
5月からは母校の教員だった中島陽香さんが製造責任者として入社。西日本洋菓子コンテストのピエスモンテ[アメ細工]部門で最優秀賞にも輝いた中島さんが入ることで、スタッフのさらなるスキルアップも期待できる。
「鍋田さんも講習にも来てくださいますし、僕以外からも学べる機会は増やしていきたいです。彼女たちの姿に刺激される学生さんもいるでしょうしね。実際、厨房の中をずっと見ている高校生がいるなと思って声をかけたところ、『辻󠄀󠄀製菓に進学するんです』と。中を案内してあげたら、とても喜んでくれました。そういったウキウキワクワクが未来につながると思うんです」
せっかく学びに出て地元長崎で働きたいと思っても、自分の好きなお菓子づくりのできる場が見つからないのはもどかしい。『ブループリント』発の展開を今後さらに広げ、Uターンをしても好きなことができる、地方のモデルケースとして確立させたい。パティシエになりたい人に、職場を見てもらいたいし、自分がしてもらいたかったことをしてあげたいと神﨑さんは語る。
「高校生にお菓子をつくってもらい、親御さんに召し上がってもらうイベントも開きたいんですよね。プロジェクターで手元を映して見てもらえたら、応援してくれる親御さんも増えそうでしょう。僕自身、周りの人たちに支えてもらったからこそ今がある。その恩返しをしていくことが今の目標でもあります。好きなお菓子をつくって、感謝してもらえて、本当にいい職業なので、志す人が増えるとうれしいです」

神﨑 琢也さんの卒業校

辻󠄀製菓専門学校 launch

辻󠄀製菓専門学校

洋菓子・和菓子・パンを総合的に学ぶ

フランス・ドイツ・ウィーンの伝統菓子から和菓子や製パンまで、多彩なジャンルでの学びを深めながら、クオリティの高い製菓技術を習得。あらゆる現場に生かされる広い視野を養い、
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