INTERVIEW
No.074

手づくりの技術は伝えていくべきもの。地域の人たちに愛されるパティスリーであることを大切に、未来のパティシエを育てたい。

パティスリー・ブリーズ オーナーシェフ

高橋教導さん

profile.
岩手県出身。エコール・キュリネール国立 辻󠄀製菓専門カレッジ(現・エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジ)を1993年に卒業後、神奈川県川崎市のウィーン菓子工房『リリエンベルグ』に就職し、5年間の修業を積む。その後、エコール 辻󠄀 東京の職員となり、辻󠄀調グループフランス校にも勤務。2004年より埼玉県春日部市の菓子工房『オークウッド』で5年間、スーシェフを務めた後、東京『ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブション』の統括シェフに。2010年4月、東京都昭島市にパティスリー『ブリーズ』を開業。
access_time 2018.09.28

パティシエは自身の姿勢がそのまま反映される、正直な仕事。

東京都内で唯一、地下水を水源としている昭島市。パティスリー『ブリーズ』は2010年4月、この街に誕生した。
「自然が豊かで風もよく通るんですよ。道路沿いで訪ねてもらいやすそうだったのでここに決めました。店名は“そよ風”という意味。お子様からお年寄りまで喜んでもらえるお店にしようと開業しました」
生菓子も焼き菓子もバラエティ豊か。ショーケースには、小さい子どもが大喜びしそうなものから美しく洗練されたものまで、色とりどりのケーキ類が並ぶ。
「最初はおしゃれなケーキばかりつくっていたんですよね。だけど周辺のお客様に、なかなか親しんでもらえなくて…。そこで知り合いの助言を参考につくったのが、こちらの『くまシュー』です。『かわいい!』というところから会話が生まれ、子どもたちが来てくれるきっかけにもなりました。メニューが生まれるのは、お客様とのコミュニケーションから。徐々に根づいてきたおかげで、提案型のケーキも出せるようになってきました」
『くまシュー』
「ケーキ屋さんは正直な商売だ」とオーナーシェフの高橋教導さん。「正直でなければ成り立たない」と断言する。
「高く見積もっても売れないし、卑屈になってもだめ。丁寧さも適当さもすべてそのまま反映される、自分自身が出る仕事です。単なる粉から想像のつかないものをつくっていくんだから、すごい仕事だと思いますよ。真面目に取り組むことが重要で、日本人に非常に合っている。日本のパティシエは今じゃ世界レベルですからね。この技術は伝えていくべきものです」

授業で食べたケーキのおいしさが衝撃的。製菓の世界を初めて知った。

1973年、岩手県に生まれた高橋さん。小さい頃からモノづくりが好きで、工業高校に進学する。しかし機械を使っての作業に楽しさを感じられず、別の道を模索。料理系のテレビ番組の影響で、製菓に惹かれるようになった。
「それで先生方が出演されることが多かったエコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジへ。進学するまでは街のなんでも屋さんに売っているようなケーキにしかなじみがなく、授業で食べたケーキに衝撃を受けました。『なんだこれは!』というものばかりで、どれも最高においしい。入ってからこういう世界があるんだと初めて知りました」
何もかもが初めてだったが、お菓子づくりは楽しかった。男子よりも人数が多い女子のなかには器用な学生も多く、彼女らにリードされるのも高校までとは真逆で新鮮だった。
「楽しかった反面、強い意志をもって進学したわけでもなかったので、将来が見えず、今後の不安も芽生えてきました。いざ就職する段階になったときも、先生から良いところだと紹介してもらった『リリエンベルグ』一択。『何もわからず岩手から来たが、なんとか一生懸命やりたい』ということだけ伝えて採用してもらえました」

教員となり学び直したことで、直面してきた疑問が解消されていった。

神奈川県川崎市のウィーン菓子工房『リリエンベルグ』は、当時から人気店だった。グルメ漫画で紹介されるとさらに有名になり、いっそう忙しさが増す。
「バブルが崩壊し、何もかもが急変した時代。製菓の技術も急速に進化し、ついていくのも必死でした」
5年間で一通りの実務を経験。今後の展開について母校へ相談に行ったところ、教員にならないかという誘いを受けた。
「5年間の修業を経て、正直、自分でもできるほうだと思っていたんですが、学校の先生となると別。知識がないと教えられませんし、実力のなさを初めて痛感しました。フランスに学校をもっているのは辻󠄀だけで、最先端の技術や情報が入ってきていたんですが、受け容れる側の僕にキャパシティがなかった。そこでようやく『勉強しなきゃ』と思いました」
当時は生徒よりも必死だったと振り返る。学んでいくうち、今まで実務でなぜ失敗するかわからなかった原因も理解できるようになり、みるみる興味がわいてきた。
「過去に直面してきた問題も多く、点と点が線でつながっていきました。それからは、すごく楽しくなってきて。自ら勉強しようとすると、なんでも吸収しやすくなるんですよね。在校中に学んだこととも、どんどんリンクしていきました」
フランス校の先生時代

赴任先のフランスで世界最高峰の技術にふれ、身の引き締まる思いに。

わかり始めてくると、また現場で挑戦したいという気持ちがわいてきた。3年が経とうとする頃、あるパティスリーから「スーシェフとして迎えたい」という依頼が舞い込んでくる。しかし同時に、「(辻󠄀調グループ)フランス校の先生にならないか」という誘いも受け、迷うこととなった。
フランス校の先生時代
「スーシェフになったほうが安泰だったんでしょうが、やはりフランスを経験しておきたい。『なんとかなるだろう』で行ってみたんですが、なんともならなかったですね(苦笑)。赴任当初は言葉の正確な理解も追いつかない。先生として教えないといけないのに、フランス人のキャメラ先生からも怒られ、28歳にもなって悔しくて泣いたこともありました。そこからまた、必死に勉強し始めたんです」
キャメラ先生が来店
毎日、新聞を読んで、フランス語を習いに行った。キャメラ先生にも、わからないなりに教えを請いに行った。
「根気強く食らいついたところ、『実はフランスの仲間として教えたかったんだ』と言われ、必死に指導を受けました。フランスで吸収したことを、早く日本に帰って実践してみたい。そう思うようにもなりました」
フランスの『テュエリー・ミュロップ』での研修時代
2年目となった2012年度、年末年始のバカンス中には、キャメラ先生の仲介により、そのクリエイティビティに憧れたアルザスのパティスリー『テュエリー・ミュロップ』へ研修に行った。1月には、フランスで行われる世界最高峰の洋菓子の国際大会「クープ・デュ・モンド(・ドゥ・ラ・パティスリー)」日本代表チームのサポートを行うことなる。結果、世界第2位となるパティシエらとの出会いは衝撃的だった。
「こんな人間たちもいるんだと驚きました。素晴らしい技術をもちながらも、気取らず謙虚。もっとしっかりと生徒に教えなければと、身の引き締まる思いでした」

開業当初から指導を任され、スーシェフという立場の厳しさを痛感。

その後帰国し、4月からは再びエコール 辻󠄀 東京で教鞭を執る。渡仏前にも挑戦した「ジャパン・ケーキショー」のアメ細工部門に出品し、今度は大会会長賞を受賞。もっとさまざまなことに挑戦したいと考えていた矢先、「クープ・デュ・モンド」で出会った野島茂氏と横田秀夫氏、2人のシェフから声がかかった。
「ちょうど『パークハイアット東京』のシェフが横田さんから野島さんに交替する時期だったんですよ。野島さんからのお誘いに対し、岩手から出てきて新宿の最高級ホテルで働くことになるのか…と心踊っていたんですが、横田さんからは春日部(埼玉県)で店を出すからスーシェフとしてやってほしいと。まだ先が見えない厳しい道を選んだほうが勉強になるだろうと、横田シェフについていくことを決めました」
こうして2004年から、菓子工房『オークウッド』で働くことに。講習会での指導などで多忙な横田シェフは、開業当初から不在にすることが多かった。そのため自分が指導をするしかない。スーシェフというポジションの厳しさを思い知ることになる。
「世の中で一番しんどい仕事だと思いましたよ(苦笑)。スタッフが9人いたんですが、いきなり横田さんの代わりが務まるはずもなく、指導もままなりません。シェフが厳しい人ならば優しくすればついてきてもらえるんでしょうが、横田さんは非常に優しい人だったので、厳しく言わないといけない立場でもありました」
行き詰まっていたとき、かつて研修でお世話になったシェフから、「とにかく横田シェフに尽くせ」というアドバイスを受ける。時間を見つけては横田シェフとじっくり話し、「自分の考えではなく、横田シェフに教わったことだ」と伝えながらスタッフをまとめるようにした。自分についてきてもらうためには、技術で示すしかない。そう考え、コンテストにも尽力。何事にも真摯に取り組めば取り組むほど、周りが助けてくれるようになり、スタッフとの一体感も生まれるようになった。
「コンテストでたくさんのシェフとのつながりも生まれるように。真面目にやることで評価してもらえるようになり、いろんな会や手伝いにも呼ばれるようになりました」
次なるステップを考えていた折、『ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブション』の統括シェフにならないかと誘いがあった。2018年8月に急逝したフランス料理の世界的シェフ、ジョエル・ロブション氏がプロデュースを務めたパティスリーだ。
「最高峰の舞台で責任あるポジションに就き、非常にいい勉強になりました。ただ、しばらくすると、ロブションさんが望むもの、ヒット商品になるもの、ロブションに来るお客様が喜ぶもの、3つの視点から考えることが難しくなってきて。もう自分でやるしかない時期なんだなと、それまで漠然としか考えていなかった独立のタイミングを悟りました」

重要なのは技術ある人間の創造性。職人の稀少価値はさらに高まる。

店を開くにはどうすればいいか。周囲のオーナーパティシエの助言を仰ぎながら準備を進める。いくつもの店舗開業を手伝った経験も役に立った。
「ありがたいことに、開業当初からメディアの取材にも来てもらえて…。辻󠄀調グループや『オークウッド』でテレビの仕事を受けたつながりもあり、早い段階に知ってもらえたようです」
業界の未来を考え、後進の指導も重視。特別講師として母校で指導することもある。
「ここ最近は毎年、新卒のスタッフを1人ずつ採用しています。一番長いスタッフで5年目です。業務のことだけを考えるなら経験者のほうが良いのですが、若いスタッフたちの成長を考えれば下から来ないとだめ。僕一人じゃ成り立ちませんからね」
『クープ・デュ・モンド』への出展作品
導くからには、自身が結果を示すことも大切だと、コンテストへの挑戦も続けている。準優勝はすでに経験していたが、2018年度「クープ・デュ・モンド」日本国内予選で2位に終わったことで闘志に火がついた。
「前回2位だった伊藤文明シェフ(『パティスリー メゾンドゥース』)が今回1位になり、日本代表選手に選ばれたんですよ。きっとこの1年間で、並々ならぬ努力をされたんだと思います。自分もこの1年が正念場。次回こそは日本代表になりたいです」
教えることと教わることは両輪。「時代についていくには、新しい人に学ばなければ」と、若手パティシエによる講習会にも積極的に参加している。しっかりと学び続ければ、残っていける仕事だと高橋さんは言う。
「この仕事にAIは不向きなんです。材料がいつも違ってくるので、部分的には使えても、できない部分が多い。手作業は必ず残ります。何より技術をもっている人間のクリエイティブな考えがなければ、新しいものも生みだせない。職人さんの稀少価値はこれからますます上がると思います」
食べるものは人生を左右する。おいしいものを食べれば、人生は変わると自身の経験からも振り返る。
「災害のときも、甘いものを食べると子どもたちが笑うそうです。子どもたちが笑うと、大人たちも笑う。食べものには、人生や人の感情を変える力があります。それだけのものをつくる仕事は、とても大切。これから進む若い人たちにも、つくることを楽しいと思ってもらえたらうれしいですね」

高橋教導さんの卒業校

エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジ  (現:辻󠄀調理師専門学校 東京) launch

エコール 辻󠄀 東京
辻󠄀製菓マスターカレッジ
(現:辻󠄀調理師専門学校 東京)

お菓子をつくり、味わい、集中して製菓の基本と応用を学びとる。

多くのお菓子と出会うことで、
基礎と応用を徹底的にマスター。
お菓子をつくる仕事に就く自信や誇りにつながる1年間。
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