INTERVIEW
No.015

アーティストとしての原点は、辻󠄀調で学んだ「食」と「品格」です

ヴェネツィアンガラス アーティスト

土田康彦さん

profile.
ヴェネツィア・ムラーノ島にスタジオを構える唯一の日本人アーティスト。1988年辻󠄀調理師専門学校卒業と同時に日本を離れ、パリで食と芸術の道を志す。
1992年イタリア ヴェネツィアに住まいを移し、老舗レストラン『ハリーズバー』に勤務するかたわら各地で個展を開催。1995年からムラーノ島にてヴェネツィアンガラス制作に携わり、世界を舞台に精力的な創作活動を展開。
2015年のミラノ万博では、日本館にて書家 紫舟氏の書をガラスで造形した作品を発表。
日本館は200万人以上の来館を記録し最優秀金賞に。2016年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展 日本館にて403architecture[dajiba]の『ガラス橋-en』に制作協力、日本館は審査員特別賞を受賞。多様な作風の中にも一貫した強いメッセージやコンセプト、哲学が根底に存在し「ガラスの詩人」の異名を持つ。
access_time 2017.07.07

アーティストを志す僕にとって、世界で通用する為の糧こそが料理でした。

東京、渋谷・東急百貨店本店8階にある美術画廊で「土田康彦展」は開催されていた。普段なら2会場となるスペースをひとつにつなぎ、50点を超えるヴェネツィアンガラスの作品、絵画が空間を飾る。
中央には6年の歳月をかけて撮り溜めてきた田邊アツシ監督によるドキュメンタリー映画 「土田康彦」の特別映像が映し出されている。
草月流第四代・勅使河原 茜家元とのライブセッションによるコラボ作品も印象的で、独自の存在感を醸し出していた。160人もの観客を前にした家元の生花パフォーマンスは、圧巻だったという。
「でも、勅使河原家元とのセッションは僕にとっては、作品創作というよりも草月流90周年のお誕生会でした。お家元に内緒でアーティストや音楽仲間を集め、鎧塚パティシエによる誕生ケーキをプレゼントしてお祝いしました。そんなことができるのも辻󠄀調のつながりがあればこそです」
会場のモニターに映し出される創作中の真剣な眼差しとは別の優しい表情が、そんな会話の中に感じられる。
「僕たちに限らず、人の活動エネルギーは一人では生まれてこない。多くの人や仲間に支えられてこそ。僕の何よりの財産です。その原点を僕は辻󠄀調で学びました」

「食」こそ、世界共通のアート。その力を信じて辻󠄀調に学んだ。

「僕は、岡山の片田舎で育ちました。小さな頃から絵を描くのが好きで、アーティストになろうと心に決めていた。世界を旅して見聞を広め、感性を磨く。それがアーティストへの道だと漠然と思っていました。でも、認められるまでは、どうやって食べていく?世界は広く、言葉も文化も違う。絵を描きながら職を探すのは容易ではありません。それを可能だと感じさせてくれたのが「食」でした。腕のいい調理師なら世界のどこにいっても通用する。仮に無給でも、賄いはある(笑)」
こうして、土田さんは「食」と「アート」の両立をめざす。その第一歩が辻󠄀調への入学だった。

本物を見極める知性と、動じない品格。それこそが一流の証。

「僕が辻󠄀調で学んだのは、知性と品格。どんなに忙しくても、調理器具の扱いに丁寧で、基本を決して疎かにしない。そして料理に対するリスペクトが本物を見極める感性を磨き、何物にも動じない確かな品格を育てるのだと。それこそが一流であることの証なのだと思いました。ある時、辻󠄀静雄先生の講義がありまして、200名を超える生徒が講堂に集まります。そこには美味しいケーキと紅茶が用意されていて、全員がそれをいただきながら講義を聞くわけです。その優雅で凛とした雰囲気に魅了されました」
そんな一流である為の気質を身につけ、卒業と同時に土田さんは、パリの日航ホテルへ。
「パリには、世界中のアーティストが集います。食に対するニーズも半端ではありません。味覚はもちろん、食器、レストランの雰囲気、調度品、サービス、そして美しい盛り付け。まさに食こそアートだと直感しました」

アリーゴ・チプリアーニ氏との出会いと、アーティストへの道。

パリを拠点として、土田さんの放浪の旅が始まる。中でも彼の感性を刺激したのはイタリア・ヴェネツィアだった。カナル・グランデ、サンマルコ広場、ドゥカーレ宮殿、街並みの美しさ、すべてが彼を魅了する。その道すがらに老舗レストラン「ハリーズバー」があった。
ヘミングウェイをはじめとする数々の芸術家に愛され、イタリア料理を世界に知らしめた伝説のレストラン。旅費を使い果たし途方にくれる彼に声をかけたのは、そのオーナーであるアリーゴ・チプリアーニ氏だった。
「『そうかキミは辻󠄀で料理を学んだのか。辻󠄀静雄は私の親友なんだ』そう言うとアリーゴ氏は、破れたジーンズをはいたような身なりの僕を招き入れ、食事を提供してくれました。その料理の素晴らしかったこと。夢中でいただきました。ただ、僕にはその料金を払うお金がない。
すると彼は『私には君の過去も未来も見えている。ここで働きなさい』なんとも不思議な言葉ですが、この時ほど、辻󠄀調OBであること、食を学んだことを感謝したことはありません」

食とアート、一元生活のスタート。

一旦パリに戻り、準備を整えてヴェネツィアに移住する。土田さんに与えられたのはハリーズバーでの職と絵を描くためのアトリエだった。
「仕事は厳しかった。眠る暇もないほどに忙しい。もちろん、絵も描き続けます。僕にとって食とアートは一元、区別はありません。先人たちが歴史を積み重ね、築き上げてきた知恵や技を学ぶ。しかも、それはとてつもなく奥が深く、人々に愛され、この先も永遠に極めるという答えがない世界です」
ハリーズバーのスタッフとして店のマネジメントにも携わる一方で、個展も開催する。絵を描く素材のひとつとして、徐々に比重が増えていったのがガラスだった。
「ガラスそのものに興味があった訳ではありません。でも、少しずつ絵の中の素材として使うようになり、もっと知りたいという欲求が湧いてくる。店や個展で知り合った職人の工房に遊びに行くようになり、ガラスの吹き方を教わり、それを作品に取り入れる。僕にとっては、絵を立体化した作品のひとつがヴェネツィアンガラスでした」

命の恩人に報いるための別れ。アーティストとしての確立。

ハリーズバーの仕事はますます忙しくなってくる。世界中から出店依頼が相次ぎ、土田さんの責任も大きくなる一方だ。
「ちょうど、アルゼンチンでの出店企画が進んでいる時でした。すでに親子のように接しているアリーゴに『おまえがやれ』と言われました。アリーゴの片腕として依頼に従うのは当然です。でも、それが本当に恩に報いることなのだろうか。アーティストとしての道や環境を与えてくれたのもアリーゴです。このまま食の道を進んでいいのだろうか」
すでにアーティストとしての評価も受けていた土田さんの結論は、ハリーズバーを離れ、アートの道をさらに究めることだった。
「アリーゴは、僕にとって命の恩人です。その恩に真に報いたい。であれば、命の恩人の依頼を断ってでも初志を貫徹し、アーティストとしてさらなる高みをめざすことこそ、彼が最初の出会いで僕に言った 『キミの未来が見えている』という期待に応えることではないのか。そう決断しました」
ハリーズバーを離れ、ヴェネツィアのムラーノ島にスタジオを構えて本格的にアーティスト活動に専念する。そこからの怒涛の活躍は、冒頭のプロフィールに記した通りだ。日本の竹をモチーフとした「バンブー・コレクション」を皮切りに、世界から絶賛される作品を次々に発表。ガラス、絵画、執筆、音楽や映画、各界アーティストとのコラボ、対談などその領域は多方面に展開していく。

目の前に降りてきた造形を、形にできるまで突き詰める。

「僕の場合、作品は確かな造形となって目の前に、ふっと、降りてきます。フォルムも、光の陰影も、その作品が置かれている状況も、見つめている人々の位置や表情も、細部まで。ただ一瞬で、僕はその造形を思い出しながらデザイン画に落とし、形にします。それは多分、その時々で感受したこと、体感したことが心の中で造形化されるのでしょう。だから、その造形をより明瞭にするためにその時の心の記憶を文章にする。絵に起こす。それが作品に向かうプロセスです。文章、絵、ガラスは別のものではなく、全部つながっています。感受や触発のためにも、もっと貪欲にいろんな分野のアーティストと交わりたい、と思うのは僕にとって必然です」
だからこそ、すべての作品には確かな哲学が宿り、言葉が添えられ、土田さんが感受した世界を、私たちは彼の作品を通して目にすることができるのだろう。そこには妥協の産物などどこにもない。
「思い描いた造形を形にするまで諦めない。突き詰める。何年かかっても成し遂げることがアートの根元だから」
“一流とは、何事にも動じない品格”という言葉が作品と重なって見えた。

辻󠄀調OBであることを感謝し、誇りに思う。

美術画廊に設置されたモニターには、ムラーノ島のスタジオでの様子や、GLAY TERUさんと会話するシーンが映し出される。
「ドキュメンタリー映画スタッフとの打ち合わせの後、僕が食事をつくって、みんなで食べるんです。食事はコミュニケーションの原点ですからね。僕が今こうして、創作活動に打ち込んでいられるのも、いろんな人に出会い、たくさんの事を吸収し、新しい発想に転換できるのも食を学んだおかげ。そして、世界中の人々とのネットワークも辻󠄀調で学んだおかげです。食とアートは同源。辻󠄀調OBである事を誇りに思っています。TERUさんが、この映画のテーマソングを書き下ろしてくれたり、サンマルコ広場でのコンサートにつながったりしたことも、みんなこの延長にあると思います」
最後に、伝統と新風という言葉について聞いてみた。ヴェネツィアンガラスという伝統アートに新風を吹き込んだと言われる評価への自評と今後の活動のあり方に興味が湧いたからだ。
「ヴェネツィアンガラスは、1200年ともいわれる歴史をもつアートです。その間、多くのガラス職人やアーティストが知恵を重ね、技を磨いてきました。僕はそれをリスペクトし、学び、僕なりの方法で作品に活かしただけ。基本はすべて先人への尊敬と感謝から始まります。料理も全く同じ。学び続ける。探求する。食もヴェネツィアンガラスも総合芸術。伝統の積み重ねの中に、次なる答えがあるはずだから」
展示会が終われば、すぐにヴェネツィアへ戻る土田さんのスケジュールは、すでに創作活動で埋まっていた。

写真提供:田邊アツシ

土田康彦さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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