INTERVIEW
No.133

誰もが羨む三つ星店での研修から10日で逃げ出す挫折を経験。紆余曲折ありつつも確かな基礎とフランス料理愛で、理想のビストロを実現。

Kamekichi オーナーシェフ

亀井 健さん

profile.
大阪府出身。大阪市立桜宮高等学校からエコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジに進学。辻󠄀調グループ フランス校を1997年に卒業後、大阪市内の洋食店『ぷちローザ』に就職。その後、大阪府高槻市のフランス料理店『フルーレット』や大阪市内の『ル・クロ・ド・クロ』などで経験を重ね、2006年、ビストロ『Kamekichi』をオープン。
access_time 2021.05.28

食育を大切にする家庭で育ち、フランス料理の美味しさも体感。

「母方の祖母が、おいしいものを食べさせることが子育てには重要だと考える人だったんですよね。その影響で、家ではスナック菓子を食べさせてもらえず、だけど両親は共働きだったので、お腹がすいたら家にあるもので何かつくっていました。始まりは、小学校低学年の頃の炒り卵か目玉焼き。食べた親に喜ばれたのがうれしくて、料理番組をメモしてつくるようになったら、母に『あんたのつくった料理が一番おいしい』とおだてられ(笑)、どんどんハマっていきました」
1978年3月、大阪市生まれ。学校が終わると近所にあった祖父母の家へ行き、夕食を食べることも多かった。祖母は初物の果物が出れば高くても食べさせてくれ、食材も料理に合わせて魚屋や肉屋で厳選してくれた。
「生意気なんですが、一番の好物は百貨店のフレンチレストランで食べる、伊勢海老のグラタンでした(笑)。家族のお祝い事でも、よくホテルへ食べに行っていたから、おいしいもの=フランス料理というイメージになっていたんです」
高校を卒業したら専門学校でフランス料理を学ぼうと、早い段階から考えていた。『料理天国』というテレビ番組で料理を振る舞う辻󠄀調グループの教員たちに憧れ、西洋料理に特化して学べるエコール 辻󠄀 大阪を志望。
「その後は辻󠄀調グループのフランス校に留学しようと決めていました。ただ、親から向こうで食べ歩きなどに使うお金はアルバイトで貯めるよう言われ、高校1年次からの4年間、マクドナルドに勤め100万円を貯めたんです。笑顔で接客することや仕事をしながら掃除をすることなどに加え、18歳からはアルバイトマネージャーも経験。社員さんに代わって高校生や歳上の方に仕事をお願いするといった貴重な経験が積め、就職してから大いに役立ちました」

これまで食べた料理全てがつながっていき、思い出の味をつくることができる面白さも。

一方、専門学校に関しては、「思っていたのと違う」というのが第一印象だったという。
「包丁をとぐ実習で、『それじゃ手を切る!』などと、さんざん怒られたんですよ。入った僕からしたら、『それを教えてもらいにきたんですけど』って感じだったんですが(笑)、でもその考えはすぐ改まりました。たった1年でプロになるのに、お料理教室に通う気分でいた自分が間違っていたんだなと・・・とにかく先生のつくる料理が抜群にうまくて、少しでも近づくには受け身ではなく予習が必要、現場に出たらもっと厳しいんだと、完全にシフトチェンジできました」
グループ実習で率先して動くためには、予習が重要だと実感。熱心に授業を受ける仲間たちは皆、意識が高く、ライバル心もあったという。
「すぐにはできないのが大前提でも、作り方だけは頭に入れていくよう、めっちゃ勉強しましたよ。かなり感動的だったのが、自分が幼い頃から食べていた憧れの料理が全部出てきたこと。一番好きだった伊勢海老のグラタンはテルミドールというメニューだったんだとか、舌平目などの白身魚にかかっていたのはヴァンブランというソースだったんだとか、全部がつながっていき、思い出の味がつくれる面白さもありました」
フランス校時代

フランスで先生方を前にして、「同期に申し訳ない」とボロボロ泣いた。

1年間の課程を経て、フランス校へ留学。今度は、「行って大正解が第一の感想」だったと振り返る。
「フランスの食材は日本とこんなにも違うんだと体感できましたし、現地のシェフから受けた授業は今でも思い出せるぐらい糧になっています。休みの日には自分の舌を鍛えようと、(ミシュランガイドの)三つ星を中心に片っ端から星つきレストランを食べ歩いて、合計29個もの星を食べました」
フランス校時代
レストラン形式での実習を毎日のように行い、着実に成長できた。約半年間の課程を終えると、いよいよ現場研修へ。最優秀生徒賞に輝いた亀井さんの行き先に選ばれたのは、当時、世界最高と謳われた三つ星レストラン『ポール・ボキューズ』だった。
最優秀生徒賞に送られるコックコートに同期のメンバーが寄せ書きをしてくれた
「友人たちに祝福されるなか、実は正直、大ショックで。希望を伝えていたわけでもないのに、なんでも任せてもらえる小さなお店を勝手にイメージしていたんです。もともと大きな組織が苦手だと感じていたし、謙遜でも何でもなく、自分がそんなにできているとも思っていなくて…」
最優秀生徒賞に送られるコックコートに同期のメンバーが寄せ書きをしてくれた
「エコールでの1年間、フランス語の教室に通っていたので、スタートダッシュは僕が一番早かったんですが、一緒に学んでいくなかで、自分より上手くてセンスのある人に負けたと思っていましたし。何より三つ星店を働く場所としての目標には置いていなかったことが一番の問題でした」
研修先のシェフ、ポール・ボキューズ氏とフランス校にて
結果、約半年間の予定だった研修から、たった10日で帰ってきてしまう。
「今思うと、ただのホームシックです。コミュニケーションがとれず、完全についていけなかった。シャトー(フランス校の校舎)に戻り、先生方を前にして、『同期に申し訳ない』とボロボロ泣きました。自分だけ逃げるなんて…と思いましたが、完全に心が折れていたので、そのまま帰国したんです」

「見て覚えろ」ではなく、「なぜこうなるのか」をひたすら教えてもらえた。

フランス料理はもう無理だと落ち込みつつも、飲食業には就きたいと学校に相談。当時、大阪市内にあった洋食店『ぷちローザ』に就職する。
「若い女の子でにぎわう、カジュアルな感じのお店にサービスで入ったんですが、ここでマクドナルドでの経験がとてつもなく役立ちました。入って早々、アルバイトのスケジュール管理から売上げの計算、ドリンクの仕入れまで全部任されることになり、新店では20歳でほぼ店長職に。いい経験は積めましたが、実際に料理をすることへの想いが強く、転職を決意しました」
再び学校へ相談に行き、大阪府高槻市のフランス料理店『フルーレット』へ。辻󠄀調グループの元教職員だった杉本夫妻が営む小さなお店だった。
「シェフとマダムと先輩が一人いて、その下を探しているという状況で、僕が想い描く理想的なお店でした。料理もまさに王道のフランス料理で。お菓子やオードブルから始まり、最終的にはお肉を焼いてソースもつくらせてもらえるように。これまで学んだ技術をどんどんブラッシュアップしていけました」
働いている間はそれが当たり前になっていて気づかなかったが、とても丁寧に教えてもらえていたことを後になって実感できたという。
「その後に行ったお店のシェフや先輩から、『こんなにも基礎ができている奴は久しぶり』とか『ここまでいろいろできるように教わっているとは』とか評価してもらえて…。毎回のように、最初に入ったのがいい店だったんだろうと言われたんですよね」
「もともと辻󠄀調の先生だから説明もわかりやすく、『見て覚えろ』ではなく『なぜこうなるのか』をひたすら教えていただきました。何か失敗したときも、『理由はこれだと思うから、今度はこうやってみたら』という助言をしてもらえる。その後、自分がそう教えられるようになったのも、杉本シェフのおかげです」

料理、サービス、コミュニケーション…トータルでお客様に提供する満足を。

約4年間で手がける料理をすべて学ぶと、次は都心部で働いてみたいと母校に相談し、大阪市内のフランス料理店に転職。
「学校が好きすぎて、毎回、相談に行っていました(笑)。面接に行ったところ、僕が子どもの頃食べに行っていたホテルのレストランで、シェフをされていた方のお店だとわかり驚きました。その味が学べるのもうれしかったです。入ってみるとシェフにはとても褒めていただけて、シェフ仲間にもよく僕のことを紹介してくれたんですよ。働いていたスタッフたちとも仲良くなれ、人脈が広がりました」
スズキのデュグレレ
しかし再び、挫折を味わうことに。自身への評価は高かったものの、他のスタッフに厳しすぎるシェフに、ついていけなくなった。
「それで精神的に参ってしまって…。辞めて転職先を探していた頃、心斎橋で人気を集めていた『ル・クロ』が新店を出すと知り、まずは食べに行ってみたところ、常に満席で。バンバン回転していたことに驚き、その秘密が知りたくなったんです」
その想いをオーナーの黒岩シェフに伝え、2号店『ル・クロ・ド・クロ』で働き始めることに。
「黒岩シェフに料理で怒られたことはなかったんですが、唯一怒鳴られたのは、お客様の情報を何も得ないまま帰らせてしまったとき。どういうきっかけでなぜ今日うちに食べに来てくれたのかを知らなければ、次のおもてなしにつながらない。料理、サービス、コミュニケーション…トータルでお客様に満足してもらおうというのが黒岩シェフの考えで。だからこそ繰り返し来てもらえるんだとわかりました」

想い描いていた理想のビストロを同期が開いたことで、独立開業を決意。

30歳までには独立したい。そんな想いを抱きつつ、次に選んだキャリアは意外なものだった。
「マクドナルドOBの方々が、うどんやお好み焼きのチェーン店を立ち上げられ、やってみないかと声をかけてもらったんです。関東にも出店を始めていたので、まだ行ったことのないフランス料理店の食べ歩きもできるなと。最終的には複数の店舗を任せていただき、貴重な経営の経験も積めました」
牛タンブレゼ(タンシチュー)
その間、雑誌の記事でフランス校同期の独立開業を知ることになる。大阪市内の人気エリアに開かれたその店は、訪ねてみるとまさに理想的だったという。
ジビエのテリーヌ
「木のぬくもりがある20席ほどのビストロで、自分でやるならこんなのがいいと想い描いていたとおりのお店で、先を越されたなと。ちょうど大阪にビストロブームが来ていた頃で。一皿をみんなでシェアして食べられるような、緊張しないフランス料理は大阪人の気質に合っているなと感じていたところだったんですよね。やるなら今だと、独立開業に向けて動き出しました」
フォアグラのロースト

大好きなフランス料理の提供に、これまで学んだ基礎がとことん生きている。

激戦区は外して探し、見つけたのが大阪市内の官庁街、谷町四丁目エリアだった。
「何もない場所でしたが、わざわざ人の来るお店が数軒あったので、やりようによっては成り立つだろうと。店名の『Kamekichi』(カメキチ)は、僕の昔のあだ名です。一度聞いたら忘れないインパクトのある名前にしようと、前々から決めていました」
ベカスのロースト ソースサルミ
『ル・クロ・ド・クロ』での教えを生かし、オープンキッチンの前にカウンターを設置。お客様と密に関われる造りにした。
「内装デザインでお願いしたのは、見た目で素敵だと思って足を運んでもらえること。僕についてくれているお客様がいない状態からのスタートだったんでね。こだわったおかげで、店をつくっている最中から注目していただけました」
仔羊背肉の香草パン粉焼き
2006年5月にオープンすると、早々に何冊もの雑誌に掲載され、そのたびにお客様が増えていった。一度、足を運んでもらえれば、これまでの経験を総動員させた料理やサービス、コミュニケーションで心をつかむ。こうして常連客を着実に増やしていった。
鴨もも肉のコンフィ
「魚や肉などのメイン料理は、ドがつくぐらいクラシックなものが大好きなので、これまで学んだ基礎がとことん生きています。そのなかで、前菜で斬新なことができたら、食事のスタートとして驚きもある。そこからテンションをグイっと上げていき、メインで『わぁ、おいしい!』という感動を与えたいんですよ。いろいろ食べた結果、フランス料理はやっぱソースだろ、って確信していますからね」

何度も挫折してきたが、好きであれば続けられる、やりがいも夢もある仕事。

「単純ですが、お客様がおいしいと喜んでくださることが一番うれしいです。それに杉本シェフの影響なのか、スタッフがいろいろ覚えてくれたり、お客様からご評価いただけることが、大きなやりがいにもなっています」
「うちのスタッフは母校の卒業生が多いんです。学校に求人をお願いして、よく知ったうえで来てもらったほうが、長続きするんですよね。ときにはフランス校時代の同期から紹介してもらうことも。みんなとはFacebookなどを通じて交流を続けているんですが、情報交換もできますし、そのつながりがとてつもなく深いをことを実感しています」
この15年の間には、大きな失敗もあったという。2011年に開いた2号店の『Usakichi(ウサキチ)』は、3年も経たず閉めることに。
「頑張っているスタッフがたくさんいたので、その活躍の場をとテイクアウトメインのお店にしたんですけど、需要が伸びず…。イートインのご要望は多かったものの、そのスペースが小さかったので、不完全なまま終わってしまいました。コロナ禍の現在、『今あの店があればすごく重宝する』『先行しすぎだった』とみんなに言われますけどね(苦笑)」
現在のコロナ禍も、過渡期であることは間違いない。営業自粛によって空いた時間は、スタッフのスキルアップや自身の勉強などに費やし、これからの展開につなげようと動いている。
「もう15年も経つので、店内のリニューアルも考えていたんですよ。密を避ける傾向は今後も続くでしょうし、限られた席数でご満足いただくためには、何らかの工夫が必要。今いるお客様に次、何を楽しんでいただくかを考え、コース料理も検討しています」
「ありがたいことに、常連さんになればなるほど『カメちゃんに任せるから、つくりたいものつくってくれたらいいよ』と言ってくださいますし、そのほうが自分の技術も高められるでしょうしね。これまで何度も挫折してきましたが、そのたびに学ぶこともたくさんありました。超えることで見えてくる世界は、料理への想いを更に強くしてくれます。好きであれば続けられる。やりがいも夢もある仕事だと、断言できますよ」
左は辻󠄀調グループの卒業生でスタッフの深沢真優さん

亀井 健さんの卒業校

エコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ  (現:辻󠄀調理師専門学校) launch

辻󠄀調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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