INTERVIEW
No.106

「つくることが好き」から入り、“生き物”ならではの魅力があるパンづくりに没頭。フランス伝統の味を日本に馴染むよう届けたい。

Louloutte(ルルット) オーナーシェフ

中岡里有子さん

profile.
大阪府出身。大阪府立山本高等学校から大阪の辻製菓専門学校へ進学。1993年に卒業後、雑貨と飲食の複合ブランド『アフタヌーンティー』のティールームに就職。大阪梅田の阪神百貨店や神戸旧居留地の店舗で働く。友人に誘われ、大阪の『コンテンツレーベルカフェ』設立に関わり、1996年11月の開業時よりデザートを担当。そこでパンづくりに目覚め、いくつもの製パン店で修業を重ねる。その後、企業のパン事業復興やインストアベーカリーの建て直しに携わり、2007年渡仏。2店のブーランジェリーで約4年間修業し帰国。2013年10月、大阪市西区にブーランジェリー『ルルット』を開業。
access_time 2019.11.29

製菓学校への進学を反対されるも、「学費は自分で払うから」と説得。

大阪市西区の静かな街並みをひときわ明るく彩る『ルルット』。フランス語で「かわいらしい子」を意味する店名どおりの愛らしいブーランジェリーだ。オーナーシェフを務めるのは中岡里有子さん。パンづくりに魅了され、独立開業の夢を果たした。
「パンは全部、生き物だから、仕込みの時点から刻一刻と変化していきます。季節や気温、湿度などの環境に左右されるのはもちろん、成形の仕方や時間の置き方、手の加え方によって生地は同じでもまったく違うものが出来上がる。なかでもハード系のパンは難しくて面白いんですよ」
中岡さんが生まれ育ったのは東大阪市。高校2年生になり、まわりの友人たちから大学進学の話が出るようになったが、学びたいこともない。「自分は何をやりたいんだろう」と考えたとき、浮かんだのが製菓の道だった。
「つくること全般が好きだったんですが、なかでもお菓子に興味がありました。だけどいざ三者面談で話しても、親にも先生にも反対されて…。『とにかく短大に行け』と」
その後、新聞広告で見かけた辻製菓専門学校の体験入学へ行き、想いはますます強まった。歳の離れた兄に相談すると、「やりたいなら行けばいい」と後押しされ、「学費は自分で払うから」と両親を説得。自ら教育ローンを組んで進学した。
辻製菓専門学校の卒業式に川北先生と
「少しも無駄にしたくないと授業は必死に受けましたが、興味のある内容だったから、めちゃくちゃ面白かったです。洋菓子、和菓子、製パンそれぞれ学べましたし、ケーキも毎回、1人1台つくれてやりがいがありました。アルバイト先に持って行くと、すごく喜んでもらえたのもうれしかったです」

阪神・淡路大震災を体験して人生観が一変。世界を広げたくなった。

卒業後は、雑貨と飲食の複合ブランド『アフタヌーンティー』のティールームに就職。大阪梅田・阪神百貨店の店舗に配属され、製菓だけでなく、料理やパンも手がける。その際、今につながる体験もあった。
「あるとき偶然、とても良いバゲットが焼けたんですよ。みんなが『どうやったの!?』と集まってきたんですが、自分でもわからない(笑)。食パンはいつもおいしく焼けるのに、ハード系は毎回思うようにならなくて…。当時から、そういったところがこの仕事の魅力だと感じていました」
やがて神戸旧居留地の店舗へ異動となるも、1995年1月、阪神・淡路大震災に直面。独り暮らしをしていた北野坂のアパートで被災する。
「外に出たら灰が降ってきて、三宮が火事で真っ赤でした。幸いガラスが足に刺さった程度で済んだんですが、ガス漏れが発生してしばらくは身動きがとれず、3日目になってようやく実家へ。電車がつながっている六甲道の駅まで線路を歩いて向かったんですが…道路が寸断され、ビルが倒壊していたりと、信じがたい光景でした。電車には、新聞の死亡欄を見て泣いている人が何人もいて…文字どおり人生観が一変しました」
非日常の世界を見た衝撃はあまりにも大きかった。今のうちに世界のいろんなところを見たいと考えて退職。興味のあったニューヨークやニューオリンズ、ベトナムへと旅に出た。
「若くして年上のアルバイトの人たちを管理する立場だったので、コミュニケーション力も鍛えられましたが、大変さもあって…。1回死んだと思ったらなんでもできるだろうと飛び立ちました。とてもいい会社だったし、今も当時の同僚たちとつながっているほど、恵まれた環境だったんですけど、命に関わる経験をしたことで、その時々で今やるべきことを考えるようになりました」

カフェメニューのための研修でのめり込み、パンの道へ進もうと決意。

帰国後、カフェを始めるのにデザート担当を探していると友人から誘われた。立ち上げメンバーの一人となり、1996年11月、カフェブームの先駆けとなった『コンテンツレーベルカフェ』を大阪市内にオープン。そのなかでパンもやりたいと、神戸の『フロイン堂』へ研修に行ったことが分岐点となる。
「機械を使わず、桶の中で手ごねして、石窯で焼くんですが、ものすごく面白かったんですよ。そこで決定的にのめり込み、パンの道へ進もうと決めたんです」
こうして『ブーランジェリー・アルション』や『パンの小屋』、『パン工房 青い麦』など、大阪を中心とした本格の製パン店で修業を重ねるようになる。ゆくゆくは自分の店を開きたい。そう考え始めていた頃、パン事業を復活させるため職人を募集していた企業へ入社。唯一の社員として、セントラルキッチンでパン製造をイチから始めることになった。
「だんだんと軌道に乗り、店舗も大阪市内5カ所にまで増え、いい勉強になりました。だけど会社の経営が行き詰まって…。解雇にあたり仕事を選ばせてもらえたので、将来の独立開業を見据えて、スーパーの中にある赤字経営だったベーカリーの立て直しに挑戦することにしたんです」
いざ店長になってみると、改善の余地が多くあった。これまでの経験を活かしつつ試行錯誤し、店舗数を増やすまでに成功。経営は順調だったが、業態上、中岡さんがめざすハード系のパンが売れる状況にはならなかった。
「5年ほど頑張りましたが、やはりインストアベーカリーでは求められるものが違います。両親を雇ってもらうことを条件に店をオーナーに引き渡し、いつかは行きたいと考えていたフランス修業へと旅立ちました」

“自分の店”として動いたことで、信頼関係が築けたフランス修業。

2007年、学生ビザで渡仏。片言でも研修できる店を飛び込みで探し続け、店舗数が多く人手が必要だったパリの大手『ル・グルニエ・ア・パン』へ。語学学校に通いながら1年弱、見習いとして働いた。
『デュ・パン・エ・デジデ』での修業時代
「バゲットがとてもおいしい店だったんですよね。大統領に食べてもらう年1回のコンクールでも優勝していて。今もその製法を活かしています」
その後、旅行でフランスを訪れたときから惚れ込んでいた『デュ・パン・エ・デジデ』にアプローチ。3カ月の試用期間を経て、良ければ就労ビザを取ってくれるという条件を快諾した。
「エスカルゴやクロワッサンなど、種類は少ないんですが伝統的な作り方をしていて、ものすごくおいしかったんですよ。3カ月間は無給でしたが、運良く採用してもらえました」
言葉はつたなかったが、技術面は高く評価された。すでに日本で店舗経営を経験していたおかげで「店のために」働くことができ、オーナーシェフから絶大な信頼を得る。
デュ・パン・エ・デジデのシェフと奥様が開業前に来店
「“自分の店”として動けば、自然と信頼関係ができる。海外で成功するかどうかは、そこだと思います。認められれば毎月少しずつ給料が上がっていくのがフランスの制度。私から何も言わなくても、頑張れば頑張るほど、惜しみなく上げてくれました。フランスって、おいしいお店には大抵日本人がいるんですよね。だからシェフも外国人は日本人しか採りませんでしたし。それもこれも先輩方が頑張ってくださったおかげ。日本人の活躍ぶりが誇らしかったです」
2011年3月、東日本大震災が発生したのは滞在中のことだった。専門学校時代の恩師から声がかかる。
「フランスに移住されていた松谷(治代)先生が、現地で働く日本人パティシエやパン職人、ショコラティエらに呼びかけ、被災者支援を目的に活動を始めたんですよ。イベントなどでの商品販売を通じて義援金を集める運動に参加していました」

大好きなパンづくりをし、大好きなお客様と関われて、毎日が幸せ。

濃密な約4年間の修業を経て帰国し、物件探しを始める。ハード系のパンが売れるエリアであることを軸に、ようやく見つけたのが今の場所だった。
「たっぷりと日が差す角地が、まさに理想的でした。経営的には駅前のほうがいいですが、なるべく家賃は抑えたくて…。近くにワイン屋さんがあるし、あとから知ったんですが、ビストロも結構あって。お店用にも愛用してもらっています。どの駅からも歩いて10分ほどかかってしまう場所ですが、わざわざ遠くから買いに来てくださる人たちも増えていきました」
材料にはこだわりたい。だけど毎日食べてほしいから、なるべく低価格で提供したい。家賃を抑えたかったのは、そのためが大きかった。フランスの伝統製法を守りながらも日本人好みに合わせたハード系のパンを軸に据えつつ、ソフトなパンも多彩。お客様の要望に応えようとするたびに種類がどんどん増えていったという。
「お店に来て30分ぐらいしゃべっていかれるお客様も多いんですよ(笑)。私たちもみんなおしゃべりが大好きだから、とにかく楽しくて…。『こういうのが食べたい』と言われたものが、だんだん増えていった感じです。人とつながれるのは、お店を開いてこそ。大好きなパンづくりをして大好きなお客様と関われるから、毎日が幸せですよ」

好きを仕事にすれば一生続けられるから、触れられる機会を提供したい。

2019年11月現在のスタッフは5人。そのうち2人は母校の卒業生だという。
スタッフの学生時代のノート
「2人ともつくるのが好きだから、すごく助かっています。基礎的なことが共通認識としてあると指示も伝わりやすいし、安心感が違います。いろんな国の伝統的なレシピを、ちゃんとした材料を使ってつくれるよう学んだから、きちんとベースができるんですよね。先日、そのうちの1人が実家にあった学生時代のノートを持って来たんですが、今見てもパンづくりに応用できることが書いてあって。当時のメモ書きも役に立っているんですよ」
お客様やスタッフはもちろん、地域とのつながりも大切にしている中岡さん。近隣小学校の社会見学にも協力しているという。
「知ればのめり込む子だっていると思うので、触れられる機会をより多くしたいんですよ。『面白そう!』と思ってもらったらやりがいがあります。やってみたくても、親御さんに反対されたり、金銭的な問題があったりもするでしょうが、それで諦めてしまうのはもったいない。『それでもこの道に進むんだ!』という意志さえあれば、あとから自分で学費を払うことも充分にできますから」
同じ道に進む人を増やしたいのは何故かと訊ねると、「それだけ面白いから」だと即答。
「好きなことを仕事にしたら一生続けられることを実感していますからね。私の場合、歳をとったら、厳選したパンを料理と一緒に提供できるお店をのんびりやっていきたいなって考えています。自分のお店をもてば、働く時間帯も形態も自由にできますし。やろうと思えば柔軟性をもってずっと続けられる仕事なので、かなり“強い”と断言できますよ」

中岡里有子さんの卒業校

辻製菓専門学校 launch

辻製菓専門学校

洋菓子・和菓子・パンを総合的に学ぶ

フランス・ドイツ・ウィーンの伝統菓子から和菓子や製パンまで、多彩なジャンルでの学びを深めながら、クオリティの高い製菓技術を習得。あらゆる現場に生かされる広い視野を養い、
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