INTERVIEW
No.119

人がつくるからこその味を大切にするチームワーク。軽井沢の地に降り立った瞬間から生活のすべてが芸術になるようなオーベルジュに。

オーベルジュ・ド・プリマヴェーラ オーナーシェフ

小沼康行さん

profile.
千葉県出身。千葉県立八街高等学校から大阪の辻󠄀調理師専門学校に進学。1981年に卒業後、東京・代官山のフランス料理店『レンガ屋』に就職。銀座『レカン』での修業を経て、山梨・河口湖町の『Fitリゾート』、長野・軽井沢の『900シティ倶楽部』の料理長を歴任。神奈川・箱根のオーベルジュ『オー・ミラドー』の調理部長を経て、1996年、軽井沢にフランス料理店『プリマヴェーラ』をオープン。2002年には宿泊施設を併設。以降、ワインセラーや姉妹店の『ピレネー』も設け、2020年には日本料理店『穏坐』と野菜料理を中心とした『ヴィーガン・プリュス』をオープン
access_time 2020.08.21

美食とワインとくつろぎのスペースで、色とりどりな夢の時間を提供。

長野県の東端に位置する高原の町、軽井沢。日本有数の避暑地であり別荘地でもあるこの場所で、色とりどりな夢の時間を提供してくれるのが『オーベルジュ・ド・プリマヴェーラ』だ。オーベルジュとは、宿泊施設を備えたレストランのこと。別荘を改装したフランス料理店のすぐそばには、10室すべてのしつらえを変えた宿泊スペースがある。
オーナーシェフを務めるのは小沼康行さん。近くには圧巻のワインカーヴ(ワイン貯蔵庫)を設け、シュミネ(暖炉)料理が楽しめる『ピレネー』、日本料理店『穏坐(おんざ)』も出店。2020年の夏には、野菜料理を中心とする『ヴィーガン・プリュス』も誕生させた。
「お店の大部分は手づくりです。塗装をしたり、タイルを貼ったり、家具を造ったり…。夏のリゾート地だから冬場は時間があるので、改装や修繕なども自分たちでやっています。うちは10年選手が多いので、その間にDIYの腕も上げて、お手のものです(笑)」
「オープン当初から毎年みんなでフランスへ行っているから、本物を見ている自分たちでやると、より思いどおりにできるんですよね。みんなで力を合わせると気持ちがいいですし、できあがったときの喜びもひとしお。よく見ると下手くそなんですが(苦笑)、味があるでしょう。料理も建築も一緒だと思っていて。人がつくるからこそ出る味を大切にしています」

辻󠄀調に入ったことで、「料理の道で生きよう」と初めて志が芽生えた。

千葉市出身の小沼さん。高校3年の夏までテニス部の活動に明け暮れ、進路についてあまり深く考えずにいた。しかし夏休みに経験した洋食店でのアルバイトが転機となる。
「すごく面白かったんですよね。『こんな料理があるのか!』と驚きの連続。何もかもが新鮮で、世界が広がりました。その頃、好きだった『料理天国』というテレビ番組で、辻󠄀調(辻󠄀調理師専門学校)の学生寮が紹介された回を観たことが決定打に。みんなで切磋琢磨しながら料理の勉強に打ち込んでいる姿に憧れ、行ってみたいなと思ったんです」
会社員だった父親から、『手に職をつけたほうがいい』と言われ続けてきたことも大きかった。大阪まで体験入学に行くと、学生たちが校門の前で立って挨拶をしている。その規律性にも惹きつけられた。
「厳しそうなところが逆に良かったんですよ。近郊の学校ではなく辻󠄀調を選んだのは、格式の高さを感じたから。高校まではほとんど勉強もせず、生きる真剣味がありませんでした。だけど辻󠄀調に入ったことで、『料理の道で生きよう』と初めて志が芽生えたんです。お金もかかっていますしね。覚悟の決めどきを感じました」
当時は東京校もなく、全国各地から熱心な学生が集まってきていたと振り返る。周りともいい意味でライバルのように競い合え、ずっと高いテンションで学べたという。
辻󠄀調理師専門学校時代のノート
「モチベーションの高い友人たちに囲まれると、『自分もやらなきゃ』って気持ちになる。僕は不器用だったので、寮に帰っても繰り返し練習に励んでいました。寮生活も楽しかったですね。毎日誰かの部屋に行き、語り合って…。夢のような時間でした。洋食店『グリル マルヨシ』でのアルバイトも面白かったです。名物のロールキャベツを仕込ませてもらえるのもやりがいで。先生方もよくいらっしゃるお店だったから、その会話から、料理界の奥深さも感じていました」
20歳のころの小沼シェフ ポール・ボキューズ氏と

伝説の名店から日本屈指のグランメゾンへ。最高の見習いをめざした。

卒業後は東京・代官山の『レンガ屋』に就職。日本を代表するフランス料理店の一つで、今なお語り継がれている伝説の名店だった。
「別格な感じでしたね。暖炉があって、かっこ良くて。年に1回、ポール・ボキューズ氏が指導に来てくださるんですが、その料理姿を見るだけでも感激しました」カフェのギャルソンとレストランの厨房を1年ずつ経験。運命的だったのは、「人生最大のこころの師と出会えたこと」だと語る。
「原宿で古書店を営まれていて、いつも自転車でお茶を飲みに来られるお客様だったんですが、本当に可愛がってもらえました。どのお話も面白く、勉強になることばかり。とても食通な方で、一緒に食事をさせてもらったり美術館のようなご自宅へ遊びに行かせてもらったりしながら、料理に向かう姿勢や修業する心得など、いろんなことを教えてもらいました」
高原野菜とオマール海老のテリーヌ オレガノ風味
もともと俳優業にも携わり、著名人にも顔が広かった名士。彼から紹介された人々が、その後の人生の良きアドバイザーにもなってくれた。しかし『レンガ屋』は、就職から2年後に惜しまれつつ閉店。紀尾井町のフランス料理店『成川亭』を経て、日本を代表するグランメゾン、銀座『レカン』へと移った。
鴨胸肉のロースト 軽井沢のクレソンの香り
「修業をするならグレードが高く忙しい店で数をこなしたほうがいい。そんな先輩たちからの助言を受けて志望しました。『1週間もてばいい』と聞いていて、承知のうえで入ったものの、厳しかったですね。『成川亭』ではストーブ前(温かい料理)も担当していたので、ある程度はできたんですが、どこから入りたいかと訊かれ、『最初からやります』と言っちゃったもんだから(笑)、まずは洗い場を1年間。人の3倍頑張り、最高のアプロンティ(見習い)になってやろうという気持ちで臨みました」
キジハタのバプール タップナードと自家農園花ズッキーニの詰め物添え

1日にどれだけの仕事ができるかを、楽しみながら広げていった。

「普通なら洗って返すだけのところを、同じ時間でも必ずピカピカにして返す。日々スピードを速め、時間を空けて、さらにやれることを増やしていきました」
修業とは、1日にどれだけの仕事ができるかを少しずつ広げていくこと。それを楽しみながら次々やるのと、嫌々やるのとでは、結果が格段に違うと小沼さんは言う。
信州産生チーズ 季節のフルーツと奏でるファンタジア
「すぐにステップアップしたいと、つい考えてしまいますが、1年という時間は、1日にどれだけ仕事ができるかの繰り返し。集中する日々を重ねてこそ、大きな螺旋状を描きながら上っていけるんです。当時『レカン』のシェフを務められていた恩師、城(悦男)さん(現『ヴァンサン』オーナーシェフ)からも学んだこの考えは、この道をめざす若い人たちに伝えるようにしています」
1年後には、アントルメティエ(温前菜)を担当。そこから一気に頭角を現した。
「それから3年以上、味の要にもなるコンソメづくりを担うことに。洗い場にいたときから、仕込みの内容は意識して観察するようにし、いつでも対応できるよう備えていました。オードブルもすぐに任され、4人だった持ち場を2人で回すことになりました。僕がラッキーだったのは、お店を通じて知り合ったソムリエの田崎真也さんに呼ばれ、料理をつくりに行くなど、オフの時間も経験を重ねられたこと。それは最初から、高い目標を設定したからこそだと捉えています」

軽井沢に訪れ、自身の経験と自然の恵みを活かした料理を表現できた。

『レカン』での4年半の修業を経て、山梨県の大型リゾートホテルへ。27歳にして1,000人規模の料理を仕切る総料理長に抜擢された。
「だけど世間知らずが『レカン』ばりに立ち回ろうとして、歳上の料理人たちをうまく引っ張っていけなかったんですよ。自分の感覚だけで、相手にとっては無茶な要求をして、退かざるを得なくなってしまいました」
その後は、軽井沢のゴルフ場が営むフランス料理店の料理長に。小さなレストランだったが、いいお客様に恵まれ、本気で料理にぶつかれたと語る。
「高原野菜など、軽井沢の自然の恵みに感動したのもそのときです。これまでの経験を活かした料理を、料理評論家の見田盛夫さんがご評価くださり、新聞や雑誌での紹介を通じてお客様が増えていきました」
しかし4年ほど経ち、バブル崩壊の影響により閉業。先輩からの紹介を受け、神奈川県の箱根にある日本初のオーベルジュ『オー・ミラドー』へ。勝又登シェフのもと、調理部長を務めた。
「そのときにオーベルジュを初めて体験し、憧れを抱く一方で、『自分の店をもちたい』という気持ちが一気に高まりました。多くのお客様に愛された、軽井沢でなら実現できるかもしれない。そう考えて物件を探し、駅から近いこの場所でスタートを切りました」
カーヴ(ワイン貯蔵庫)にてソムリエ・レストラン支配人・ソムリエの長嶋由光さんと

すべてが美しく、居心地が良くて、おいしいものを味わえる場所に。

こうして1996年の初夏にフランス料理店『プリマヴェーラ』をオープン。現在の『穏坐』の建物で始めた、小さなレストランだった。
「一緒に働いていた若いスタッフと妻と3人で始めました。自分は知名度もないからと、ランチ2,150円、ディナー3,600円という破格の設定で始めたんですよ。だけどこれまでの修業で、どこにも負けない味を出せる自負はありました」
カーヴ(ワイン貯蔵庫)には、常時7000本のワインが保管されている
オープン2年目には雑誌にも取り上げられ、破格の価格設定で本格的なフランス料理も味わえることが評判になり、瞬く間に繁盛していった。パーティ利用もできるようにと、2000年に現在のスペースを併設。2002年には近くにあった保養所を改装し、オーベルジュとして生まれ変わった。
「場所が空いたときに『オー・ミラドー』を思い出し、チャレンジしてみようと思ったんです。軽井沢の駅を降りたときから、すべてが美しく、居心地が良くて、おいしいものを味わえ、また来たいと思ってもらえる時間を、どうすれば演出できるか。フランスのオーベルジュ『ラ・コート・サン・ジャック』に行ったとき、アール・ド・ヴィーヴル(Art de Vivre)、生活のすべてが芸術だという捉え方を知り、僕がめざしていたのはこれだと改めて気づきました」

みんなで協力して好きな料理をつくり、お客様に喜ばれる幸せな世界。

毎年フランスを訪ねてきた経験から、「食べ手としてこういう店に行きたい」という思いで、ダイナミックな暖炉料理レストラン『ピレネー』をオープン。日本料理店『穏坐』は、年を重ねられたお客様の嗜好にも寄り添いたくて設けた。店名の『穏坐』は、「家に帰りて穏やかに坐す」という意味の禅語に由来。家は本来の自己をさし、日本人の心の奥に優しく染みる料理を、ほっとくつろいで愉しめる馴染みの場所でありたいという想いが込められている。
姉妹店の暖炉料理レストラン『ピレネー』
そして『ヴィーガン・プリュス』は、名乗りを上げたベテランのスタッフに任せることに。
「このあたりは感動するほどおいしい野菜が農産直売所で手に入りますからね。プリュスは英語のプラス。ヴィーガン(完全菜食主義者)の方だけでなく、野菜料理に肉や魚をトッピングできるようにして、一緒に楽しんでもらえたらなと。フードロスになるような出汁はとらず、ごみを出さないようにするのも狙いです」
姉妹店の暖炉料理レストラン『ピレネー』
農家をはじめ生産者との付き合いも多く、ジビエ(野生鳥獣の食肉)も日常的に取り入れている。近頃は魚介類も豊洲市場から当日直送してもらえるようになった。自分たちでも畑をもち、使いたい野菜やハーブ類、豆類などをみんなで育て、ほしい大きさで収穫。いずれも旬の食材を新鮮な状態で調理している。スタッフの総勢は、今や20名以上。母校で行った特別授業がきっかけで就職したスタッフもいるという。
日本料理店『穏坐』 『プリマヴェーラ』はこの場所からスタートした
「尊敬する恩師から、外来講師にと声をかけてもらったときは、とても光栄でうれしかったです。みんなで協力しながらお店をつくり、好きな料理が振る舞えて、お客様にも喜ばれる。こんな楽しくて幸せなことはありませんよ。小中高と、たいして勉強してきませんでしたが、本気でやれば“食”の世界なら大逆転できる。心を豊かにでき、自由で人間らしい生活ができる。そんな、若い方にとっても大きな希望を持てる世界ですよ」

小沼康行さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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