INTERVIEW
No.108

ここでしか味わえない食を求められる喜び、地域の文化を伝える喜び、生産者や料理人を育てる喜び…食に関わる仕事は喜びに満ちている。

オーベルジュ・エスポワール オーナーシェフ/ 一般社団法人日本ジビエ振興協会 代表理事

藤木徳彦さん

profile.
オーベルジュ・エスポワール オーナーシェフ
藤木徳彦さん
profile.
東京都出身。東京・私立駒場学園高等学校の食物科(現・食物調理科)を1990年に卒業後、長野県茅野市の蓼科高原にあるオーベルジュに就職。約7年半の修業を経て、1998年4月、蓼科高原に『オーベルジュ・エスポワール』をオープン。2012年5月に任意団体として活動を始めた現・一般社団法人日本ジビエ振興協会の代表理事も務める。著書に「フレンチで味わう信州12か月」(信濃毎日新聞社)、「ぼくが伝えたい山の幸 里の恵み~フレンチシェフが巡る」(旭屋出版)など。農水省選定「地産地消の仕事人」、内閣府認定「地域活性化伝道師」。

オーベルジュ・エスポワール 料理人
鈴木敦詞さん
profile.
愛知県出身。大阪の辻󠄀製菓専門学校から辻󠄀調グループ フランス校へ。2006年に卒業後、大阪のパティスリー『ル・グラン・シャリオ』に就職。3年目からは新規事業のパン部門の配属となり、4年間の修業を経験。その後、愛知『パンのトラ』、『ビゴの店』東京店での製パン修業を経て、2016年、エコール 辻󠄀 東京の辻󠄀調理技術マネジメントカレッジへ再進学。卒業後の2018年、長野県茅野市の『オーベルジュ・エスポワール』に就職。
access_time 2019.12.26

料理人になる道しか考えていなくて、高校も食物科へ進学。

藤木徳彦さんが少年時代を過ごした実家は、東京の吉祥寺近くにある商店街。母・静江さんがジーンズショップを営み、父・健一さんはジーンズメーカーに勤めていた。両親ともに忙しく、4歳離れた妹のために料理をつくるのが日常。静江さんから各商店のお勧め品を材料にするよう促され、知らない間に旬の感覚も身についていた。
藤木さんが小学生の頃は、バブル景気にわくペンションブームの真っただ中。健一さんも長野県茅野市の高原リゾート地、蓼科(たてしな)で土地の権利を買い、休みになると家族旅行であたりを訪れ、第二の人生への夢をふくらませていた。
「父からの洗脳もあり(笑)、ペンションの料理人になる道しか考えていなかったんですよね。高校も食物科へ進学。食に関わるアルバイトがしたくて、ステーキハウス、スペイン料理店、寿司屋と、3店舗の門を叩きました。なかでも惹かれたのがステーキハウス。精肉販売も行っているところで、大きな塊からカビを磨いて脱骨する作業も手伝い、とても興味をそそられました」

地方にあっても、その食を求めに人が来るオーベルジュを開きたい。

高校卒業の際には、家族旅行で泊まったオーベルジュ(宿泊設備を備えたレストラン)のオーナーに相談。「できるだけ早く独立したい」と伝えたところ、頑張るなら経営も含めて5年で仕込んでくれるという話になり、長野へ移住することにした。
「まずはサービスで入ったんですが、20歳のとき、フランスへの研修旅行でブルゴーニュにある三つ星のオーベルジュを訪れ、衝撃を受けたんです。自分たちとは違ってメニューの説明がものすごく長い。地元の誰それがつくった採れたての何を使っている…といった話を、アットホームな雰囲気で丁寧に語ってくれたんですよ」
「しかも出てきた料理が全部おいしい。そこで初めて鹿と鴨、ジビエ(狩猟で得た野生鳥獣の食肉)を食べたんですが、そのおいしさにも感動して。地方にあっても、その食を求めに人が来る場所こそがオーベルジュなんだと気づき、ペンションではなくオーベルジュをやろうと心に決めました」
修業先では地元産の食材を使っていなかったが、自分が独立したときには活用したい。そう考え、地域に何があるのか、車で巡って周囲の農家を見て回るようになった。
「スーパーに並んでいるものと見た目が違いすぎて、最初はほうれん草ですらわかりませんでした。味見をさせてもらうと感激するほどおいしい。東京で生まれ育ち、それぞれの野菜がどんな花を咲かせるのかすら知らなかったので、見ること聞くことすべてが楽しかったです。一方でジビエへの関心から、休みの日には、と畜場(家畜の解体処理などを行う施設)へアルバイトに行き、食肉をさばけるよう勉強させてもらいました」

地域の伝統食材や食文化を伝えるのも、レストランの大切な役割。

独立開業への夢はふくらむ半面、修業はとても厳しかった。なかなかホールから厨房へと移らせてももらえず、実に3度も夜逃げをする。そのたびに静江さんに連れ戻されたという。
「その際、母に『物事の考え方を変えろ』って説教をくらったんですよ(苦笑)。『誰々のせい』『忙しいせい』と責任転嫁していたことに対し、『自分の責任として仕事をしろ』と。そこから怒られる原因の根本を考えるようになり、『言われる前にやろう』『自分から動こう』と意識を変えたところ、怒られなくなるどころか褒められるようになったんです」
エスポワールのワインセラー
気持ちが変わると、追加オーダーも面白いほど取れるようになり、群を抜く売上げを達成。うまく回りだすと仕事が楽しくなり、ワインへの興味もわいて勉強に励むようになった。こうして4年目からキッチンとの兼務へ。結果、7年半の月日がかかったが、オーナーから「もう教えることは何もない」という言葉をもらい、25歳で退職。茅野駅前のレストランでアルバイトをしながら1年間、建築などの準備を進め、1998年4月、『オーベルジュ・エスポワール』を開業する。しかし問題はすぐに起こった。
シニアソムリエ 野村秀也さん
「地元のものが何一つ手に入らなかったんです。当時は直売所もなく、農産物はすべてJAを通じて県外へ。知り合った農家さんにも売るのは無理だと断られ、結局は東京でも食べられるようなものを出していたんです。するとゴールデンウィーク中、東京から来たお客さんに『地元のものを出すのがオーベルジュじゃないのか』と怒られて…。初めて父に相談したら、『口説くぐらいのつもりで農家さんのもとへ通え』と」
足しげく通ったところ、次第に距離が縮まり、採れたての野菜を分けてもらえるようになった。付き合いが始まると、別の野菜を育てている農家も紹介され、夏には地元の高原野菜をメニューに入れられるように。苦言を呈したお客様も、再訪した際には褒めてくれたという。
地元生産者の方と
地域に目を向けるうちに、地元の人しか食べない夏きのこが西洋料理に多用されるポルチーニ茸と同種だと知る。レシピを書いて売りだそうと提案したところ、「信州産ポルチーニ」として県外からも買い求められるようになった。また、地元の食べ方として熟し柿を凍らせて食べることも教わり、デザートに取り入れていった。
天然きのこコース
「王道のフランス料理ではありませんが、地元の食材を組み込みながら、ここならではのものを出したかったんですよね。レストランの役目って、ただお腹を満たすんじゃなく、何かを学ぶ場所でもあるんじゃないかなって。地域の伝統食材や食文化を伝えるのも、大切な役割なんだと考えるようになりました」
蓼科産地野菜の温製 凍み大根添え 野菜のソース(冬)

地域の農家と共に成長し、食べた人の声を届けるのも、料理人の使命。

秋が終わると、また別の問題が浮上してきた。冬場はマイナス15度にもなる地域であるため、野菜がつくれなくなるという。
骨付き鹿肉のロティ ジビエの赤ワインソース
「11月から4月頃まで、地元の食材がほぼ使えなくなる。思い悩んでいたとき、近所のお母さんから聞いたのが、鹿猟の話でした。家族が鉄砲でとってきて、使わないわけにいかないけど、おいしくないと。どんなものかと冷凍庫にあるものを分けてもらったら、焼いて食べるだけでとてもおいしかったんです。聞けばどうやら調理法が悪い。強火で焼くと固くなるし、独特のにおいも出る。ちゃんと調理すれば信州ジビエとして提供できるなとインターネットで発信したところ、東名阪からもお客さんが来てくださるようになったんです」
自家製信州産仔イノシシの骨付き生ハム
鹿だけでなく猪や鴨などの猟師ともつながりができ、冬場もコンスタントに集客できるようになった。地産地消に力を入れているという評判が広まると、県内の農家から「食べてみてくれ」と逆にアプローチされるようにもなった。
山鳩と里芋のパイ包み焼き フォンドジビエ マデラ酒を香らせて(冬)
「心がけていたのが、チャレンジしてもらうこと。売り先がないからって自分の技術を隠しちゃう人たちが結構いたんですよ。うちは料理で使うから形はどうだっていい。失敗したものは全部、引き取るからと、改良を重ねてもらいました。農家さんや生産者さん側にも、規格でなく味で評価してほしい、食べた人の生の声が聞きたいんだという思いがあったので、お客様の声も伝えていくべきだなって。地域の農家と共に成長するのも、料理人の使命なんだと気づきました」

喜んでもらうことはもちろん、人を育てることも大きなやりがいに。

開業から20年以上が経った『オーベルジュ・エスポワール』。その間、数々の料理人やその卵たちを育ててきた。自身の挫折経験を教訓とし、夏場の繁忙期には、母校や調理師学校の学生たちも受け入れ、社会で働く充実感や達成感を味わってもらえるよう努めた。
2018年4月に33歳で就職した鈴木敦詞さんは、料理人としてのキャリアをこの場所でスタートさせた一人。もともとは辻󠄀調グループが監修していたパティシエのドラマに憧れ、大阪の辻󠄀製菓専門学校に進学。大阪のパティスリーや東京の有名店などで修業を重ねるうち、もう一度、辻󠄀調で学んでみたいという思いが高まり、エコール 辻󠄀 東京の辻󠄀調理技術マネジメントカレッジへ再進学した。
鈴木敦詞さん
「将来は地元愛知県でケーキもパンも料理も出せる店を開きたかったんですよ。だけど料理の現場へいきなり入ってもすぐには勉強できないはず。歳も歳だったから、だったら2年間、きっちり学校で学んでから働こうと考えました」(鈴木さん)
『オーベルジュ・エスポワール』を知ったのは2年次のとき、外来講師で来ていた藤木シェフの授業に感動し、終了後すぐ研修に行きたいと申し出た。
「しっかりした資料で丁寧に、しかも本音の部分まで教えてくださったので、この人のところで学びたいと思ったんです。当時、勤めていた辻󠄀調の卒業生の方が助手で来られていたんですが、シェフとのやり取りを見ていて、いいお店なんだろうと感じとれました」(鈴木さん)
就職時、キッチンには歳下の先輩がふたり。とくに高校卒業時に就職した藤下拳成さんとは13も歳が違う。最初はギクシャクしていたと、藤下さんが振り返る。
「職場では自分が先輩でも、人生としては全然後輩ですからね。どう接していいかわからなくて…。だけど藤木シェフが間に入り、何度かお互いの本音を訊き出してくれて。お互い言いたいことを言い合ったら、誤解し合っていた部分もわかり、そこからはいい雰囲気で仕事ができるようになりました」(藤下さん)
左から、 藤木シェフ、鈴木さん、藤下さん
それに対し鈴木さんは、「話すのが苦手なせいで今までうまくいかないことも多かったんですが、ここでは皆さんに受け容れてもらえています。藤木シェフが根気強く向き合ってくださったおかげも大きいです」と微笑んだ。「就職して失敗するのって、職場の責任も大きい」と藤木さん。
「接した人によって大事な人生が変わるんだから、無責任なことはできません。人を育てるにはかなりの時間が必要ですが、ちゃんと向き合えばいい奴ばっかりだし、できるようになっていくとこちらもうれしくなる。お客さんに喜んでもらえることはもちろん、人を育てることも大きなやりがいになっています」(藤木さん)
スタッフと父健一さん、母静江さんと
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