No.149
憧れから学び始め、次第に見えてきた料理の道。夫婦で支え合って続けるイタリア料理店や料理教室の原動力は、いずれも人の喜びだった。
イタリア料理 テシマ オーナーシェフ/マダム
手嶋 義之さん 手嶋 法子さん
profile.
手嶋 義之さん
福岡県出身。九州産業大学附属九州高等学校から大阪の辻󠄀調理師専門学校に進学。辻󠄀調グループ フランス校を1992年に卒業後、東京のイタリア料理店『タントタント』、リストランテ『アクアパッツァ』で経験を積み、1997年、北イタリアへ。約2年の間に4店舗で修業を積み、帰国後は福岡市のイタリア料理店『ナヴィリオ』に入り、ほどなくシェフに。独立準備を進め、2003年8月、同市に『イタリア料理 テシマ』をオープン。
手嶋 法子さん
福岡県出身。福岡県立大里高等学校から大阪の辻󠄀調理師専門学校に進学。1991年に卒業後、福岡に戻り、フランス料理店や日本料理店、洋菓子店に勤務。その後は料理書の出版社、料理教室の講師、飲食店マネジメントなどを経て、義之さんとともに『イタリア料理 テシマ』をオープン。料理教室や食育などにも力を入れている。
access_time 2022.05.12
リストランテの料理が気軽に楽しめると人気のイタリア料理店を夫婦で営む。
2003年8月、手嶋義之シェフと法子マダムが福岡市の大橋に開いた『イタリア料理 テシマ』。リストランテの料理が気軽に楽しめると、地元はもちろん遠方からのお客様にも愛され続ける人気店だ。15周年の節目には、より足を運びやすくなる駅前に移転。マダムが主催するワイン会や料理教室なども好評を集めている。
1972年、福岡県に生まれた義之さんと法子さん。地元は離れていたが、ともに料理バラエティ番組『料理天国』でプロの腕前を披露する講師陣に憧れ、高校卒業後は大阪の辻󠄀調理師専門学校へと進学する。
「1年間で和洋中の料理を学ぶカリキュラム。二人とも番組で魅了されたのはフランス料理だったものの、義之さんは「これまで知っていたスパゲティとは別物の料理で、すべてにインパクトがあった」というイタリア料理、法子さんは「普段、食べている家庭料理とは違い、繊細で美しかった」という日本料理にも惹かれるようになる。
講義のクラスが同じだった二人は、福岡出身という共通項から知り合うが、実習が別だったこともあり、学生時代の関わりはあまりなく、それぞれ別の道を歩みだす。
料理の現場や料理教室の講師など、経験したすべてのことが今に生きている。
法子さんは卒業後、地元福岡に戻る。日本料理店を探すも見つからなかったため、新規オープンのフランス料理店へ。基礎的な調理を丁寧に教えてもらえ、冷菜やデザートを任されるようになり、とても勉強になったという。その後、博多に日本料理のレストランがオープンすると知り転職。早くから突き出しや天ぷらを担当することになったが、当時はまだ、女性料理人が活躍するには厳しい時代で、大きなストレスも抱えることになる。
「そのときは現場を諦めようとしたんですが、料理からは離れたくなかったので、料理書を扱う出版社へ。営業職でしたが、料理人の取材にも同行できて勉強になりました。だけどやっぱり料理がやりたくて、募集を見つけ料理教室のスタッフに。40人もの応募があったなか、専門学校で学んできたことも評価され、一人だけの採用となりました」
販売している鍋の機能を紹介しながら、1時間で3品ほど仕上げる料理教室。身近な材料でもできる家庭料理は、法子さんの性に合っていたという。
「プロとしての料理の基本を学べていたおかげで、できるだけ高い水準まで上げた家庭料理を追究できたと思います。それをレシピに起こしたり、教室紹介のキャッチコピーなどを考えてチラシをつくったり、経理を担ったり、すべての材料や機材を運んでの出張料理教室を開いたり、洋菓子専攻科や卒業作品展で学んだ技術を活かしシュガーケーキやお菓子の教室もしました。経験したすべてのことが、現在、手がけている料理教室や店舗経営、ケータリングなどに生きています」
3年半ほどの経験を重ね、1996年に店長候補として転職。これから飲食店を展開していこうとしていた企業だったため、物件探しやメニュー考案、数字の管理や法人登録まで、いつでも独立開業できるほどのノウハウを身につけていく。
今も料理を考えるときには、イタリアで学んだものを原点に応用させている。
一方の義之さんは卒業後、辻󠄀調グループのフランス校へ。フランス料理は西洋料理のベースでもあり、そのスキルはイタリア料理にも共通する。まだどちらの道に進むか迷いもあったため、現場で確認しようと留学へと踏み切った。滞在中はイタリアにも訪れ、長く続けられるのはイタリア料理だと確信。帰国後は東京で腕を磨こうと、恩師の紹介でイタリア料理店『タントタント』に就職する。
薪で焼くピッツァが1日200枚も出るほどの人気店で、とても忙しく、大量の料理をスピーディーにつくる技術が今も基盤になっているという。約3年半ですべての持ち場を経験し、1995年、当時は西麻布にあったリストランテ『アクアパッツァ』へ。
「ベーシックでカジュアルなイタリア料理とはまた違う、高級なリストランテの料理も学びたかったんですよね。両方経験したことで、雰囲気はカジュアル、だけど料理はリストランテのクオリティという、今の方向性が見えてきたように感じます」
一通りの仕事を経験し、独立開業をめざしてイタリア現地での修業を決意。1997年、準備のため福岡に引き上げた際、法子さんと再会し、二人は付き合うことになる。結婚を約束するも翌月には北イタリアへと渡り、約2年の間に4店舗を経験。最初と最後は、多種多様の手打ちパスタで知られる地方、エミリア・ロマーニャ州のリストランテで働き、技術を高めていった。
手嶋義之シェフのイタリア修業時代
「日本と同じで、イタリアにも郷土料理が山のようにあり、すべてを知るにはキリがありません。軸にする3品を手打ちパスタ、野菜の蒸し煮、ウサギの煮込みに定め、素材の旨味の出し方や食感のつくり方、味の決め方などを意識。近しい料理ならそれに磨きをかけ、違う材料や調理法でもそれを原点に考えるようにし、集中的に学びました。今も料理を考えるときには、これらを原点に応用させるようにしています」
手嶋義之シェフのイタリア修業時代
帰国後は、イタリアで知り合った料理人の紹介で、福岡市のイタリア料理店『ナヴィリオ』へ。ほどなくシェフに就任すると、いつでもお店をできるようにとメニューを考えていった。義之さんがつくったストロッツァプレッティ(ねじりパスタ)を食べ、これならお店を出しても大丈夫だと法子さんは確信する。
どう差別化するか考え、「手打ちパスタといえばテシマ」と呼ばれる存在に。
義之さん帰国後の2001年に第一子を授かった二人。法子さんはその後も職場復帰し、合計7年間で3店舗の立ち上げに関わった会社を2003年2月末に退職。義之さんも独立の意志をオーナーに伝え、独立開業の準備に取りかかり、同年の8月に『イタリア料理 テシマ』をオープンさせた。法子さんは語る。
『イタリア料理 テシマ』の手打ちパスタ ❶ほうれん草入りタリアテッレ ❷パッパルデッレ ❸タリアテッレ ❹イカ墨入りタリアテッレ ❺タリオリーニ ❻ガルガネッリ ❼ストロッツアプレッティ ❽コルツェッティ
「どう独自性をだすか考え、“手打ちパスタと季節の野菜”と店名の上につけました。当時、小学生以下が入れるレストランは周囲になかったんですが、普段、召し上がらない近所の人にも来てもらえるようにしたかったので、最初からお子様づれOKに。居抜きのお座敷を活かした靴を脱いで上がるスタイルで、お箸も使っていただけるようにし、まだレストランでは珍しかったランチ営業もして。駅から少し離れた裏通りだったんですが、入りやすい雰囲気が集客につながりました」
旬の魚介と野菜、豆や雑穀を使った前菜の盛合わせ
しかし、まだまだ手打ちパスタが浸透していなかった時代。最初は乾麺を選ぶ人も少なくなかったが、そのおいしさが徐々に評判を呼ぶ。ウリにしたことで、地元のテレビや雑誌に取り上げられることも多く、「手打ちパスタといえばテシマ」と呼ばれる存在に。コストパフォーマンスの高いお勧め店に与えられる「ビブグルマン」の獲得店としてミシュランガイドに掲載されてからは、九州全土、遠方からもお客様が訪れるようになった。
今ではほとんどのお客様が注文する手打ちパスタだが、その提供には相当な苦労を要する。
イカ墨入りのタリオリーニ 渡り蟹のトマトソース
法子さんは言う。
「こねて休ませて…を繰り返しつくるんですが、1日かけてこねても2時間かかる製麺で一度には16食分しかとれないんですよ。その甲斐あって、『こんなの食べたことがない』といった衝撃や感動を覚えていただけますが、こんな大変なものを20年近くもつくり続けているのはすごいと思います」
義之さんが続ける。
タリアテッレ ポモドーロ
「種類によって、こね方も配合も違い、味わった感じもそれぞれ違いますからね。少なくなってきたものを随時、つくり続けているような状態です。今まで食べなかった方もおいしいと喜んでくださると、『もっと伝えていきたい』って思うんですよね」
手嶋法子マダム主導で開催するワイン会にて
おいしいもので喜んでもらえること、食を通じて人とつながれることが楽しい。
お客様との距離が近いことも大きな魅力となっている『イタリア料理 テシマ』。法子さんの主導で、オープン5年目頃からはワイン会も開催。一度に何種類ものワインが、おいしい料理とともに味わえると好評で、コロナ禍の前は、20名規模の会を年に7回、8~10名の会なら数十回と開いてきた。
手嶋法子マダム主導で開催するワイン会にて
さらには町内にみんなが集まれる拠点をつくり、季節の家庭料理や行事食を中心とした料理教室も実施。子ども向けにも開くなど、食育にも力を入れている。
季節の家庭料理や行事食を中心とした料理教室
「田舎では季節のものを食べるのが当たり前でした。子どもたちの世代にもそれを伝えたい。本物を食べさせたいんですよ。たとえば春なら毎年、子どもたちと木の芽味噌をつくっています。ほかではできない経験で季節を体感してもらえるし、持ち帰るとご家族も喜んでくださる。どんな料理でもいいんです。皆さんに喜んでもらえることが、自分にとって楽しいんですよね」
生産者の方と
2010年からは毎年9月に、大分県安心院(あじむ)のワイナリーを訪ねるバスツアーも開催。お客様と生産者をつなぐことで、双方に喜ばれてきた。九州大学でも自炊を促すための料理授業を担当するなど、「呼ばれたらどこへでも行く」という法子さん。人とのつながりを何よりも大切にする姿勢も、多くの人たちから愛され続ける理由だろう。
タリオリーニ 蛤と春キャベツのオイル仕立て
「コロナ禍では、オープン当初からのお客様や地元の友だち、町内の方々など、いろんな人がテイクアウトメニューの購入などで支えてくれました。皆さんにご支持いただいていることが、コロナ禍でより実感できたんですよね。常連のお客様はもちろん、クチコミで新規のお客様が絶えないのもありがたいです」
ストロッツアプレッティ ポルチーニ茸と赤ワインのラグー
食べることは一生続くもの。食の仕事は幅広く、いろんな形で関われる。
料理教室もシェフのサポートも、知識がなければ今のようにはできていないと法子さん。シェフと対等に話せるのも、同じものを学んできたからだと振り返る。
魚介を詰めたビーツのラビオリ
「やはり学校で習ったことが基本になっているなと、あらためて感じます。今は家庭料理とプロの料理で違いますけど、普通ならわからない部分も、基礎を学んできたから踏み込めますし」
アクアパッツア
「シェフによる料理教室も月に1回、開いているんですが、どこまで歩み寄って家庭に落とし込める形にできるかを考えられるのも、プロの料理を学んで重ねてきた経験があってこそ。いくらおいしくても、ご自宅で再現できなければ喜びも半減しますからね。逆に私の料理は、できる限りプロに近づけるコツを3つだけ教えますみたいな形。喜んでくださったら、『よっしゃ、うれしい!』ってなりますよ(笑)」
サルティンボッカ フォンドボーと白ワインのソース
まさにベストパートナーからのサポートを受ける義之さんも、「今があるのは学生時代があってこそ」とうなずく。
「本物を見せてもらった経験がベースになっているのはありがたいし、その経験をできるだけ今に活かせたらと思っています。同窓会組織(コンピトゥム)の福岡事務局立ち上げ時にも感じましたが、身近なところに同窓の仲間が多く気軽に繋がり合えるのも心強いです」
ティラミスとマンゴーのジェラート
「料理の勉強には終わりがない。まだまだ知らないこともたくさんあるし、どうすればより良くなるか、気になる食材を使って何かできないかなど、常に考えています。おいしいと言ってくださるお客様がいらっしゃる限り、つくり続けたい。新しい感動も届けたいし、さらに中身を濃くしていきたいですね」
3人の子宝に恵まれつつ、夫婦そろってお店を切り盛りし続ける二人。仕事も暮らしも楽しんでいることが伝わってくる。最後に、食の道を考えている人たちへのメッセージをもらった。
「食べることは一生続くもの。食べられればなんでもいい、ではもったいない。食べることが楽しいと思えると幸せですし、それの楽しさを提供できるのがこの仕事の醍醐味です。味覚を磨くことも大事なので、ぜひ好き嫌いなく、多くの食を体験してみてほしいですね」(義之さん)
「食の仕事は幅広く、いろんな形で関われます。私自身、転々としつつも一度も食から離れていませんし、これまでの経験に何一つ無駄がなく、すべてが今に役立っている。女性でも長く続けられる世界です。食いしん坊な人って元気だし、元気だと前向きな気持ちにもなれますよね。皆さんに元気になってもらうための仕事だと思うので、食いしん坊な人はぜひ飲食の道に入ってほしいです。おいしいものがあれば、みんなが集まってきてくれるし、お客様同士も仲良くなるし、生産者さんともつながれる。食は最高のコミュニケーションツールだと思います」(法子さん)
辻󠄀調グループ フランス校
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