INTERVIEW
No.141

強くはない動機で進んだパティシエの道。何度か迷いつつも面白さに目覚め、地元福岡で人気のパティスリーに成長させる。

パティスリー ルイ オーナーパティシエ

吉村 類さん

profile.
福岡県出身。福岡県立福岡中央高等学校から辻製菓専門学校に進学。辻調グループ フランス校を1997年に卒業後、福岡のフランス料理店に就職。約3年間の修業を積み、博多のショッピングモールにあるカフェレストランのシェフに。その後、福岡市内のホテルにあるフランス料理レストランの二番手を務め、2003年4月、製菓工房として『パティスリー ルイ』を開業。10月には喫茶営業もスタート。8年間の営業を経て、2011年10月、福岡県春日市に移転オープン。
access_time 2021.11.12

自分が何をやりたいのか考え、製菓の専門学校へ進むも「何かが違う」と苦悩。

「父が絵描きだったので、家にいることが多く、よく食事をつくってくれていたんですよね。とても厳しく、あまり子どもとふれあわない父親だったんですが、『自分は絵描きにならなかったら、料理人になりたかった』と言っていたのが頭に残っていて。僕自身、絵は苦手だったんですけど、料理は身近に感じていました」
父親に認めてもらいたかったこともあり、高校は県内屈指の進学校へ。しかしいざ入学してみると、周りが当たり前のように大学をめざすなか、「何かが違う」と迷うことになる。
背景の絵画は画家だったお父様(故吉村 郁夫氏)の作品
「高校3年になり、自分は何がやりたいのか考えたとき、まず浮かんだのが料理でした。そこから幼い頃、お菓子づくりのキットでプリンなんかをつくっていたことを思い出し、お菓子には夢がある気がしてきて…。父に『お菓子の専門学校に行きたい』と伝えたところ、『せっかく行くならフランス校のある辻調グループに行け』と言われたんですよ。以前、ドキュメンタリー番組で知ったらしくて。絵を描くためによくフランスへ行っていたので、その素晴らしさを見せたい気持ちもあったのかしれませんね」
高校卒業後の1995年、大阪の辻製菓専門学校へ進学。学び始めると、早々に現実を目の当たりにする。
「基本を反復する仕事が多くて、またまた『何か違うかも』って思ったんですよ(苦笑)。入学までにお菓子づくりを経験してきた同級生も少なくないなか、自分は器用でもなく、もともとお菓子を食べるのが特別好きだったわけでもない。強い動機でなかったことを自覚し、壁にぶつかりましたが、それでも心のどこかで、フランス校に行ったら何かつかめるんじゃないかと考えて乗り切りました」

「頑張れることも才能だ」という言葉に支えられ、努力を続けたフランス留学。

1年間の課程を経た卒業後も、学生時代からの居酒屋でのアルバイトを継続してお金を貯め、1996年10月から始まるフランス校の秋コースに進学した。
「『行けばなんとかなる』と挑んだものの、実習が始まると空気が一変。周りのほとんどはフランス語の勉強もしていたし、技術も高く、早々に自分の甘さや駄目さを痛感しました。高校時代に受験から逃げ、大阪でも問題を先送りにして、ここでやらなきゃいつやるんだと反省して。その日の授業で出てきたフランス語を寮へ帰って必死で訳すなど、毎晩夜中まで勉強し始めました」
フランス校時代
努力の甲斐あって、徐々にフランス語も聴き取れるようになっていく。決意を新たにお菓子の授業に向き合うようになると、その楽しさもわかるようになってきた。
フランス校時代教室で 左は現『パティスリールシェルシェ』(大阪)の村田義武シェフ
「なぜこうするのか、各工程の理由がわかると、お菓子の奥深い魅力に惹かれていきました。ただ、実習でうまくできないことには常に悩み、一度、担任の先生に相談したんですが、『お前みたいに頑張れる奴はそういない。頑張れることも才能だ』と言ってもらえて…。先生がそう言ってくれているから、今は目の前のことを頑張ろうと、おかげで気持ちが楽になりました」
フランス校時代
フランス校での学びでとくに印象深かったのは、フランス人教授、ドゥニ・キャメラ先生の「驚くほどの几帳面さ」だったという。
「パイ生地を織るときも完全な真四角にされていて。そこまでこだわる必要があるのかと当時は思っていましたが、ああいう一つひとつの細かな部分が気になるかどうかで、最終的な仕上がりに差が出るんだということに後々気づきました。とても繊細で理想が高く、全て完璧に準備をする人。キャメラ先生に学べて本当に良かったと感じています」
研修先の『パティスリー フレッソン』

間近で一流の職人たちの技術を見続けたことで、仕事のカンが働くように。

約半年間の課程を経て向かった研修先はロレーヌ地方にある『パティスリー フレッソン』。後にM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)を獲得するフランク・フレッソンシェフによる超一流店だ。研修受け入れ2年目で、まだ実験的な期間だったことも「すごくラッキーだった」と振り返る。
研修先の『パティスリー フレッソン』
「『これならできる』と、週に1回の大掃除を率先してやらせてもらうと、みんなにかわいがってもらえるようになり、やりたがる仕事をどんどん回してくれました。パティシエの研修としては異例でしたが、プチガトーとトリトゥール(総菜)の仕事を半分ずつ任されたことも、僕にとっては面白かったんです」
研修先の『パティスリー フレッソン』(フランク・フレッソンシェフと家族と)
「居酒屋でのアルバイトのおかげで包丁も不自由なく使えましたし。一緒にやっていた人たちの仕事が早かったので、自分もビュンビュンできるようになって。フランクシェフから褒めてもらえたときは本当にうれしかったし、コンクールの計量係に僕を抜擢してくれるなど、とても目を掛けてもらえました」
さほど好きではなかったケーキ類も、商品を毎日、食べ続けるうちに「おいしい」と感じるようになった。
「いきなり良いワインを飲んでもわからないのと同じで、やっと僕の舌が完成されつつあったんだと思います。間近ですごい人たちの技術を見続けたことで、自分も次第にカンが働くようになって。学校とは違い、仕事って合間にどんどん別の作業が入ってきますが、そちらのほうが性に合っていたんですよね。もちろん怒られもしましたが、それ以上に達成感がありました」

帰国後フランス料理の道へ。新たな感覚を得て、製菓の楽しさも再認識。

1997年8月の帰国後は、福岡に帰郷。なんとフランス料理店で働くことにした。
「フランスでの経験から料理もやってみたいと感じたんですよ。シェフに『お菓子はやらせないけどいいのか』と訊かれ、『大丈夫です』と。だけど本音を言うと、『フレッソン』で繊細な仕事を見て、あのレベルの仕事が僕にできるのかなと迷いもありました。福岡で1~2を争うぐらい厳しいシェフでしたが、しばらくすると、料理経験のない僕を大事なポジションに就かせてくれたんです。それがすごくうれしくて…。この人のために頑張ろうと、一生懸命働きました」
オーダーが入ってからつくる料理のスピード感は、お菓子とは全然違うものだった。臨機応変にメニューを変えるシェフを“粋”だと感じ、必死で食らいつく日々。
フランス料理店での修業時代
「料理はお菓子以上にチームワークが重要。研修先でも感じましたが、周りが動きやすい環境をつくることが、仕事をするうえでまず大切なんだと学びました」
肉や魚、前菜など一通り経験すると、デザートも任されるようになった。
「『なんで今までお菓子はだめだったんですか』と訊いたら、『人よりもできる分、お菓子に逃げるだろうから、逃げ場を塞いだだけ』と言われ、それもまたかっこいいなと(笑)。徐々に新作も提案するようになり、手直しなしでOKをもらえたときには感激しました」
フランス料理店での修業時代
丸3年間の修業を経た頃、博多のショッピングモールにあるカフェレストランがシェフを探しているという話が舞い込んできた。
「師匠であるシェフに『普通の人の6年分は働いているから大丈夫』と背中を押され、挑戦することにしたんです。まだ若かったので、年齢のことは確実に問われるだろうから、変なものは出したくないと気合いを入れて料理を一新。統率力もかなり鍛えられました」
その後は、依頼を受けて、福岡市内にあるホテル内レストランの二番手となる。
「物腰も柔らかな優しいシェフでしたが、料理に対しては厳しく、ものすごく勉強熱心。クラシックなフランス料理のあらゆることを教えてくれました。デザートが好きなシェフでもあったので、結婚式のケーキもこれでもかというぐらい頑張るんですよ(笑)。そこで一緒にやらせてもらって久々にケーキと真剣に向き合い、やっぱりお菓子づくりって面白いなと改めて感じられるようになりました」

卸売の機会を得てパティスリーを開業。初心に返れるお菓子が看板商品に。

一方、熊本県小国町に移住していた父親を通じて、道の駅で何か手がけないかという話もあり、挑戦を決意。道の駅に卸すお菓子をつくる工房として、2003年4月、『パティスリー ルイ』を開業した。
「焼き菓子やプリン、ロールケーキなどから始めたところ、少しずつ売れだして。借りた場所は道の駅からも離れた高台だったんですが、元音楽ホールの素敵な建物だったので、妻と二人で喫茶もやりたいなと、週末だけケーキを増やすようになり、徐々にお客様が増えていきました。話して印象に残っているお客様は、その後もずっと来てくれ、応援してくれる。スタート時には心ない批評もあって悔しい思いもしましたが、応援してくれるお客様がいらっしゃるからこそ、やってこられました」
開業当初に手がけたのがフランス校で出会った「ピュイダムール」だ。初心に返れるお菓子として、今も大切につくり続けている。
「『愛の泉』という意味の名前を堂々とつけるフランス人って素敵だなと、前々から感じていて。シンプルにおいしいお菓子なんですが、実習でキャラメリゼしたとき、ぐしゃっと潰れキャメラ先生に怒られたんですよ。震えて上手くできなかったことが悔しくて、強く印象に残っています」
『ピュイダムール』
「お店を始めた当初、学生時代のルセット(レシピ)を思い返し、材料も配合も自分なりにアレンジしてつくったんですが、当時あんなに苦労したのに思ったより簡単に仕上げられたんです。そのときに、今までちゃんと積み重ねてこられたんだなと気づいて…。やがて看板商品としていろんな媒体でも紹介してもらうようになり、今ではピュイダムールがあるからお客様が来てくれる。敏腕営業マンのように、僕を引っ張ってくれるお菓子になっています」

地元福岡で勝負がしたいと移転。自分が好きだと思うケーキが救ってくれた。

いつかは福岡に帰って勝負がしたい。そう考えつつ、一人でつくり続けた。やがて8年の月日が経った頃、福岡県春日市に2011年10月移転オープン。駅からも離れた住宅街ではあったが、小国での実績が後押ししてくれた。
「卸しの仕事もいろいろやっていたものの、ほぼゼロからのスタート。小国のときのお客様が足を運んでくださったことには、すごく助けられました。だけどオープンから2~3ヵ月が経った頃、初めてお客様がゼロの日があって…。焦って売れるものをつくろうとしていたときに、古くからのお客様に『最近のルイ君のケーキはキレがない。まとまりすぎて面白くない』と言われてハッとしたんです」
その翌日に考えてつくったのが『デカダンス』。スパイスの効いたインパクトのあるケーキだった。
『デカダンス』
「そこからやっぱり自分が好きだと思うものをと、気を引き締めてつくりだしたところ、フランス菓子が好きなお客様もいらっしゃるようになって。テレビの取材も入り、それをきっかけにイベントや百貨店の催事などにも呼んでもらえるようになり、お客様がどんどん増えていきました」
今では、連日お昼過ぎにはほぼ売り切れるという人気店となった。

料理をつくるような感覚でお菓子をつくるのは、自分だからできること。

自分の店である限りは、自分がいいと感じているものだけを出す。おいしくないと言われても仕方がないと思えるぐらい、自分に言い訳をしたくないし、後悔もしたくない。そこは常に意識していると、吉村さんは語る。
「映画を観たり音楽を聴いたりしているときに、『こういうものをつくりたい』と思い浮かぶことが結構あって。その作品のタイトルをケーキに名づけることも多いです。すっと消えるおいしさではなく、なんかちょっと『ん?』と引っかかりがあって、何カ月か経ったらまた食べたくなる。そんな印象に残るケーキをめざしています。
料理をつくるような感覚でお菓子をつくるのは、僕だからできること。お菓子はルセットありきですが、料理はその日その日で素材も違います。季節のものを盛り込み、ハッとする楽しみをケーキに入れ込んで、常に新しいものを生みだしていきたい。そうすれば、『またルイが変なものをつくったな。じゃあ食べに行ってやるか』と来ていただけます。お店の歩みとともにお客様の舌もどんどん肥えていきますから、定番のものだってより高みをめざす必要がある。続けていくためには、変えていく勇気も必要だと思っています」

続けないと見えないものがあるし、続けないと認めてももらえない。

開業から18年以上。県内外の人たちが足しげく通う、不動の人気店として今もにぎわっている。
「ほかに何もない場所なのに、SNSに上げたお菓子をわざわざ買いに来てくれる人たちがいる。自分がつくったものを食べてもらってお金がもらえる…これって究極なことだなぁと、ありがたく感じています」
スタッフも増え、これまでに専門学校の外来講師や、料理人らとのコラボイベントなども数々手がけてきた。
右側のスタッフは、辻j製菓専門学校を2021年に卒業後入店した、地福 遥香さん
「外来講師として初めて母校へ行ったときは、これ以上ないぐらい緊張しました。外来のすごい先生方に憧れていたので、まさか自分がここで授業ができるとはと感動。夢あふれる若い学生たちとのふれあいが、自分自身を見つめ直すきっかけにもなっています。母校の卒業生とのネットワークでイベントの声をかけてもらうこともある。学生時代の学び、料理とお菓子の経験、小国での8年間…いろんなものが融合し、スタッフたちにも支えられ、今があることに感謝しています」
働き方改革にも力を入れ、長く働き続けられる環境づくりに努めている。毎年、何人もの就職志望者が来るが、「もっと魅力ある、この人とこの店で働きたいと思える店づくりをしたい」と力強く語る。
「良い暮らしができる、夢のある職業として、なり手をつくっていくことが僕たち世代の使命。じゃないと次の世代につなげられませんからね。続けないと見えないものがあるし、続けないと認めてももらえない。20年近く継続できていることで、うちの店が答えを出していると思います。周りからも羨ましがられるような形で、仕事ができているのがすごく幸せです」
「僕は器用なわけでも才能があるわけでもないですが、担任の先生がおっしゃっていたように、頑張ってきたことが続けられた秘訣。キャメラ先生もおっしゃっていましたが、お菓子づくりは素晴らしい仕事なので、これから頑張ろうとしている皆さんにも、ぜひ続けてほしいですね」

吉村 類さんの卒業校

辻製菓専門学校 launch

辻調グループ フランス校   製菓研究課程 launch

辻調グループ フランス校

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