INTERVIEW
No.063

28歳の若さで、五つ星ホテルが擁するフレンチビストロのスーシェフに。現場のトップに立てた原動力は、向上心と努力と、人への思い。

セント レジス ホテル 大阪『ル ドール』 スーシェフ

駒路 和司さん

profile.
大阪府出身。辻󠄀調理師専門学校 調理技術マネジメント学科からフランス校へ。2010年に卒業後、世界最速ミシュラン三つ星を獲得した大阪のレストラン『HAJIME』に就職。修業を重ね、五つ星ホテルであるセント レジス ホテル 大阪のフレンチビストロ『ル ドール』へ。ザ・リッツ・カールトン大阪のフランス料理店『ラ・ベ』を経て、2016年6月、『ル ドール』に復職。同年、「食の都・大阪グランプリ」でファイナリストの優秀賞を受賞。2017年、「サンペレグリノ ヤングシェフ2018」で日本代表候補の10人に選ばれ、10月にはスーシェフに就任。実質トップとなり、現在に至る。
access_time 2018.05.25

若くしてトップに立たせてもらったものの、器用なわけではなかった。

ミシュラン五つ星(ホテルの最高評価)の高級ホテル、セント レジス ホテル 大阪。その1・2階に位置するフレンチビストロ『ル ドール』で指揮をとるのは、2017年10月、28歳の若さでスーシェフを任された駒路和司さんだ。
セント レジス ホテル 大阪 フレンチビストロ『ル ドール』1F
「僕のすぐ上司がイタリアンの料理長兼総料理長なので、スーシェフでありながらも料理はすべて僕が考えています。2017年の6月にフランス人の料理長が退職したあと、毎日のように試食に来た総支配人が僕を引き上げてくれて。外資系のホテルですし、日本人がトップに立つのは稀なことだったので、本当に光栄でした。ビストロですが、僕の提案で高価なコースも始めるなど、自由にさせてもらえています」
セント レジス ホテル 大阪 フレンチビストロ『ル ドール』2F
『ル ドール』に招かれた2016年からは、コンテストにも挑戦するようになった。まずは「食の都・大阪グランプリ」でファイナリストとなり、優秀賞を獲得。2017年には「サンペレグリノ ヤングシェフ2018」で日本代表候補の10人に選ばれている。
日本〜仔羊 桜 山菜のマリアージュ〜 (「サンペレグリノ ヤングシェフ2018」の作品 )
「自分の考えやテクニックがどう評価されるのか、立ち位置を知りたくて挑戦し始めました。その結果がスーシェフを選ぶ判断材料にもなったようです。コンテストに出ると一つ一つの料理を極限まで突き詰めて考えるので、非常に勉強になる。自分のスペシャリテ(看板料理)も生まれます。この若さで貴重な経験をさせてもらっていますが、もともと器用なわけではないんですよ。だけど学生時代から同期に刺激され、練習はものすごくしていました。当時から仲間の存在が大きかったです」
鱧〜大阪の夏のイメージで〜 (「食の都・大阪グランプリ」の作品 )

初めての授業で食べた料理に感動し、フレンチへの道が決まった。

大阪府岸和田市出身。幼い頃、テレビに映る料理人の姿に憧れ、小学校の卒業アルバムにも「コックになる」と夢を記した。しかし身を置いたのは、進学校の特進クラス。途中までは大学へ行くつもりでいたが、高校3年になる直前、将来について考え、夢を思い出した。
「親に『コックになりたい』と相談したら、『やりたいようにやれ』と。やりたいことを尊重してくれる人だったんですよね」
「だけど専門学校へ進む生徒もいなかったので、先生には猛反対され、『将来のためには、絶対に大学に行ったほうがいいから、とりあえず大学に行け』と言われ続けました(苦笑)。だけど今となっては先生も、すごく喜んでくれていて。最近、Facebookでつながったんですが、僕の投稿を見て『調理師学校に行って良かったね。誇らしいです』って(笑)。近々、食べに来てくださる予定もあって、本当にうれしく感じています」
高校の先生の反対を押し切り、辻󠄀調理師専門学校で開設されたばかりの調理技術マネジメント学科に進学。同校2年制の第1期生となった。
「せっかく学ぶなら一番いいところでしっかりと、という性格なので迷いはありませんでした。入学当初、どのジャンルに進むかは考えていなかったんですが、初めて受けたフランス料理の授業で、フォアグラのロッシーニを食べたとき、もうめちゃくちゃ感動して、世の中にこんなおいしい料理があるのかと(笑)。その時点でほぼ、道は決まりました」
辻󠄀調理師専門学校へ講師として訪れる(リッツ・カールトン大阪時代)
「だけど今も和食や中華の技術を取り入れることもありますし、他ジャンルも知っているとアイデアを展開しやすい。和洋中すべてを学べたことも役立っています」
学生時代、初めて食べ歩きに行ったのが、五つ星ホテルであるザ・リッツ・カールトン大阪のフランス料理店『ラ・ベ』だった。将来はここで働きたい。そう考えて親にも相談したところ、「フランスに行きたいのなら、今のうちに行っておいた方がいいのでは」と後押しされ、辻󠄀調グループフランス校へ進学することにした。
ブリ大根〜フレンチスタイル〜
「渡仏の夢は伝えていたんですが、親に言ってもらわなければ、そのまま就職していたと思います。フランス校まで行かせてもらえたおかげで、働き始めてからどんなにつらくても踏みとどまれましたからね。『ここで辞めたら親不孝。恩返しできない』と、必死に頑張れました」

一生の思い出にもなる体験ができた『ポール・ボキューズ』での研修。

フランス校の研修では『ポール・ボキューズ』に行きたい。そう考え、必死で勉強した。実技にも力を注いで結果を出し、研修生に選ばれる。
「日本人は僕だけだったんですが、研修生ではなくいち従業員として扱ってくれて、ありがたかったです。やりたいと言ったことは全部任せてくれて。代表料理でもあるスズキのパイ包み焼きやトリュフのスープも教わりました」
フランス校のキュイジニエ
1965年に獲得したミシュランの三つ星(レストランの最高評価)を50年以上も維持している『ポール・ボキューズ』。そのオーナーシェフでフランス料理の重鎮だったポール・ボキューズさんは、2018年1月、91歳で料理にかけた人生の幕を閉じた。
『ポール・ボキューズ』での研修時代
「ボキューズさんは84歳だった当時も、毎日のように厨房をチェックしてスタッフとも積極的にコミュニケーションをとっていました。日本から持っていた本にサインしてほしいとお願いしたら、『もっとあるからあげるよ』とプレゼントしてくださるなど、フランクに接してもらえて。お店にはボキューズさんも含めM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)が4人もいたんですが、最後に『一緒に写真を撮ってくれませんか』とお願いしところ、その全員を集めてくだって…。一生の思い出になる体験をさせてもらいました」
M.O.F. 4人と (左から2人目がボキューズさん)

史上最速の三つ星レストランでは、リーダーシップも学べた。

帰国後は、大阪の『HAJIME』に就職。大学で電子工学を学び、エンジニアを経て料理人となった奇才、米田肇さんが2008年5月に開いたレストランだ。開業直後から注目を集め、その1年5カ月後にミシュラン史上最速で三つ星を獲得し、大きな話題となった。
「フランス校への留学前、食べに行って感動し、『帰ってきたらここで働きたい』と。学校で習ったクラシックな料理とは全然違うものを食べている感覚で、最も印象に残っていました。それでフランスから帰る3カ月ほど前に予約をし、『どうしても働きたい。話だけさせてください』と手紙を送ったら、予約当日に会ってくださったんですよ。もともと入れないと言われていたお店だったんですが、『ここまでする人間が今の時代、あまりいないから』と採用してもらえました」
ミリ単位まで計算され尽された盛りつけが独特。形や配置にもこだわりが強い米田さんは、非常に繊細で厳しかったという。
「すべての料理がおいしかったのはもちろん、右肩上がりに盛りつけると気分が向上するなど、心理的な影響も考えられていて、すべてが勉強になりました。怒られたらめちゃくちゃ怖いんですが、理由を説明してくれ納得できるんですよね」
「それにオンオフの切り替えもはっきりしていて、休みの日に食べ歩きに連れて行ってくれたり、自宅でのホームパーティーに呼んでくれたりしましたし。怒るだけじゃなくモチベーションの上げ方も上手で、アフターケアも丁寧な人だったからこそ、みんなついていくんだなと、リーダーシップも学びました」

経験を重ねて多様な料理を吸収し、引き出しを増やしたいという目標。

働き始めてからも、食べ歩きにはよく行っていた。まだ経験していないことを経験したい、さまざまな料理を吸収したい。とにかく引き出しを増やすことを目標に、次のステップを模索していた頃、訪れた『ル ドール』に心を打たれた。
「ビストロ料理も勉強したいと考え食べ歩きをしていたとき、『ここしかない』と感じて。オープンキッチンで、お客様の反応が見られるのも魅力でしたし、いきいきと働くスタッフの姿にも惹かれ、料理長に直接、働きたいとお願いしました。入ってみるとシェフ(ヴァンソン・ガドーさん)が僕の言ったことをどんどんやらせてくれる人で、メニューも考えさせてくれたり、考えた料理を採用してくれたり。その頃から自分の料理を考えるようにしていました」
フレンチビストロ『ル・ドール』テラス
一方で、学生時代に食べ歩きで行った、ザ・リッツ・カールトン大阪の『ラ・ベ』には、ここで働きたいという気持ちを持ち続けていた。​倍率が高く、ホテルに入社しても、なかなかすぐに働ける場所ではない。しかし幸運にも、そのチャンスが巡ってきた。
ザ・リッツ・カールトン大阪 時代 ブルーノメナールシェフとのコラボイベント
「ソースにしろ仕上げ方にしろ、店によって全然違うので、そういう違いも勉強したかったんですよね。声をかけてくれたのは、もともと『HAJIME』で働いてたスタッフです。働けるタイミングがあったら教えてほしいとお願いしていたところ、連絡をもらえました。周囲に自分の意志を伝えておくのは本当に大事ですね。『ラ・ベ』の料理は王道でありつつ、意外な食材も取り入れている。日本人受けする味の組み合わせで、間違いない味の法則はそこで学びました」
次はマネジメントも経験してみたいと考えていたとき、あとを任せられる人を探していたガドーシェフの要望で、『ル ドール』から声がかかり、復職。
「言われる前に自分から動いたり、言われたことの120%を返すようにしたりと、ガドーシェフのサポートはずっとしていたつもりでしたが、それだけ信頼を得られていたのはありがたかったです。これまでも退職の際に説得はされたものの、いざ移るとなったときには皆さん『頑張ってこいよ』と送り出してくれ、今もいい関係が続いているんですよね。だから僕も、部下がステップアップのために辞めるときには、活躍を祈って送り出そうと思っています」

人とのつながりが最も大切。気持ちがわかれば、さらに思いも強まる。

事実上のトップに立ち、2018年6月で1年を迎える。全てのことを一気に任され、さまざまなプレッシャーもあったが、がむしゃらに突っ走ってきた。
蝦夷鹿
「もちろん今でもプレッシャーはあるものの、原価のコントロールや企画の提案など、一通り流れも把握し、やっと落ち着いてきました。お客様の評価も最初は不安でしたが、『おいしくなった』と言ってくださる方が多くてうれしいです。月替わりのコースを始めてからリピーターの方も増えてきましたし、毎月来てくださる方もいらっしゃり、励みになっています」
歳上のスタッフを率いる立場は難しいことも多いだろう。若手の育成も大きな課題だ。しかし現在は、良いチームワークが築けているという。
「メニューを組み立てるときには、全員の意見を聞いて一部を取り入れるなど、料理を考える機会もつくるようにしています。若いスタッフでも僕にはないアイデアをもっていると思うので、何か相談事や思いつくことがあれば言ってきてほしいと伝えていますし。僕自身、過去にそうしてもらったことが、モチベーションにもなっていましたからね」
学校や職場、コンテストの場などで得てきた、人とのつながり。広がれば広がるほど、情報や食材、技術の幅も広がり、料理にも良い影響を与えてくれていると駒路さんは語る。
「やっぱり人とのつながりが最も大切。コンテストを機に、今では大阪の食材を使うイベントも行っているんですが、今後はさらに生産者の方々とのつながりも増やし、料理で発信していけたらと思います。食材だけでなく、器の生産地にも、スタッフみんなで行けるようにしたい。
つくってくれている人と対面して気持ちがわかれば、さらに思いも強まるでしょうからね。お客様との関係もそうです。直接のやり取りはもちろん、召し上がっている笑顔を見るだけでも、疲れが一気に吹っ飛び、意欲も高まります。進路に悩んだあのとき、料理の道を選んで本当に良かった。関わる人それぞれに喜んでもらえる、素晴らしい仕事だと思いますよ」

駒路 和司さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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