INTERVIEW
No.099

地元鹿児島で完全予約制のレストラン兼料理教室をオープン。子育てをしながらレシピ・商品開発や食育など“食”の幅広い分野で活躍中!

ターブル・ド・シック  フレンチレストラン/料理教室 オーナーシェフ 1級フードコーディネーター

寺地貴子さん

profile.
鹿児島県出身。鹿児島県立松陽高等学校卒業後、辻󠄀調理師専門学校へ進学。1998年に卒業後、鹿児島のイタリア料理店に就職。約3年間修業を積み、鹿児島サンロイヤルホテルに女性初の料理人として入社。第2回「AJCAチャレンジ・カナダカップ料理コンテスト」、第19回「トック・ドール料理コンテスト」で総合優勝を果たす。2011年に上京し、フランス料理店に勤務しながらフランス料理文化センター上級コースを履修。その後、フランスへ留学し、一流レストラン3軒で研修を積む。帰国後、料理教室も開催する完全予約制のフランス料理店『ターブル・ド・シック』を2014年10月に開業。翌年結婚し、2016年3月に出産。オーナーシェフを務めつつ、現在は1級フードコーディネーターとして幅広い分野で活躍。
access_time 2019.08.30

夫婦の地元・鹿児島市で営む、ディナー1日1組限定のフランス料理店。

鹿児島市にある『ターブル・ド・シック』は完全予約制のフランス料理店だ。ランチは1日2組、ディナーは1組限定。月8回は料理教室を開催していて、半年以上先まで満員が続いている。
オーナーシェフは寺地貴子さん。フードコーディネーター1級の有資格者で、外部の料理教室や短期大学でも講師を務め、フードスタイリング、テーブルコーディネート、レシピ・商品開発など、“食”にまつわる幅広い分野で活躍。幼い娘さんを育てつつ、食育活動にも力を注いでいる。
「フランスから帰国した翌年の2014年10月にお店を開き、しばらくは一人で厨房を切り盛りしていたんですが、翌年に結婚してからは主人がメインで入ってくれていて。おかげで子育てをしながら、調理以外の仕事にも取り組めています」
ご主人の田代隆史さんとは、同時期に修業をしていたフランスで知り合い、同じ鹿児島出身ということもあって意気投合。「地元でレストランを開きたい」という想いも共通していた。隆史さんは言う。
「大きなレストランでシェフを務めていた時に、忙しくて中々納得のいく料理がつくりにくかったんですよね。だけど組数限定というスタイルをとり、すべて自分で手がけることで、細部にまで目が行き届くようになりました。それに予約制だと食材のロスも出ないので、良い材料を惜しみなく使える。鹿児島のおいしい食材を中心に使いつつ、地元の方に喜んでいただけるフランス料理を提供できるよう心がけています」
お互い料理が趣味だという二人。日常的に料理の会話が多く、お店や料理教室のメニューに対してお互い意見を言い合うことで、より良いものへと高めている。「普通の料理人とは違うスタイルですが、とてもやりがいがあります」と貴子さん。
「料理人という本業を活かしながら、“食”をベースにさまざまな方向で活動できているのも、これまでの積み重ねがあってこそ。子どもを大事にしながら、手がける仕事それぞれを突き詰めていきたいですね」

毎日ワクワクしながら通い、料理がますます好きになった専門学校時代。

「母親の影響で、小さい頃から食べるのもつくるのも好きだったんですよ。庭で育てた野菜を使って、よく一緒に料理をしていました。小学校の高学年になってからはレシピ本を見て、一人でもつくるように。それで料理の学校に進もうと資料を取り寄せたところ、辻󠄀調(辻󠄀調理師専門学校)のパンフレットで目にした、見たこともない華やかな料理の数々に惹かれて…。いろんな料理ジャンルを名だたる先生方に習えると知り、大阪へ出ることにしました」
辻󠄀調理師専門学校時代
1997年に進学し、一番に感じたのは料理の面白さ。どの授業にも個性があり、毎日ワクワクしながら通っていたと振り返る。
「毎日が濃くて、料理自体がますます好きになりました。学べて良かったのは、基本的な技術はもちろん、料理人としての姿勢です。厨房は厳しいところだと教えられていたので、現場に出てからも順応でき、今まで続けることができています」
料理はどのジャンルも興味深かったが、なかでも初めて経験する味覚の西洋料理に惹かれていく。先生らの助言により、食べ歩きも多く経験。
「当時はちょうどイタリア料理がブームだった頃。卒業後は地元に帰ろうと夏休みや冬休みに食べ歩いて探したものの、当時の鹿児島には女性の求人がほとんどなくて…。そんななか受け容れてくださったのが、東京から来られたオーナーシェフのイタリア料理店でした」

若手の登龍門と呼ばれる料理コンテストで、九州初の女性優勝者に。

約3年間で一通りの仕事を経験。次第に刺激的だった学生時代の感覚がよみがえり、今度は福岡や大阪などの都心で働きたいと考えるように。実家を出るお金を貯めようと、鹿児島県庁にあったレストランでアルバイトを始める。
天使エビのポシェ 茸のフランとグレッグのサラダ仕立て
「サンロイヤルホテル系列のレストランだったんですが、働いているうちに料理長(故前川定徳統括総料理長)が『ホテルにあるフランス料理のレストランで頑張ってみないか』と声をかけてくださって…。お料理をいただいて、この人から学びたいと感じ、お世話になることに決めました」
いくらとサーモンのリエットのグージェールと スパイスの香るイチジク、生ハム、マスカルポーネチーズのワンスプーン
鹿児島サンロイヤルホテルに女性の料理人が入社するのは初めてのことだった。コンクールに強いホテルで、前川シェフ自身も、2000年の「世界料理オリンピック」に日本代表メンバーとして参加し、3部門で銀メダルを獲得。地産地消や食育にもいち早く取り組んでいた、先進的な料理人だったという。
鱚のカダイフ揚げエストラゴン風味とラタトゥイユ オリーブとアンチョビのサワークリーム
「既製品をほとんど使わず、ソースなどもイチから作っているホテルだったので、より学べることも多かったです。先輩方も熱意をもって教えてくださり、とてもいい職場でした。料理長は、厳しいながらも頑張った者にはそれだけ返してくれる方。若手であっても、挑戦の機会をたくさん与えてくれました」
ミニャルディーズ バリエ(盛り合わせ)カヌレ・クレームブリュレ・ピスタチオのマカロン
周囲のバックアップもあり、2007年度には2つのコンテストに挑戦。2回目の開催となった「AJCAチャレンジ・カナダカップ料理コンテスト」では全国総合第1位に輝き、若手の登竜門と呼ばれる「トック・ドール料理コンテスト」の第19回大会でも総合優勝。九州初の女性優勝者となり、カナダ・モントリオールのインターコンチネンタルホテルで招待研修を受けた。
「トック・ドール料理コンテスト」で総合優勝
「全国で戦えるコンテストには強く憧れていたんですよね。ずっと鹿児島にいたので、自分の実力がどこまで通用するのか試したかったんですが、サンロイヤルホテルで勉強できたおかげで、良い結果を出せました。料理長は後進の育成にも熱心で、講師を務められていた料理教室にも助手としてよく連れて行ってくださったんですよ」
アフタヌーンティーをテーマにした料理教室の風景
「フードコーディネーターの資格をめざし始めたのも、『長くこの仕事を続けるなら、料理だけやるより取り入れたほうがいい』と、料理長にアドバイスを受けていたから。『料理界でも、これからは女性の活躍する時代が来る』と、道を切り拓くサポートをしてくださいました」
年末にテイクアウト販売しているオードブルセット

地元鹿児島で独立開業するために、東京やフランスの一流店を経験。

在職中は、宴会場やバンケット、バイキングレストランなども経験し、引き出しを増やした。やがて部門シェフも務めるようになるなど大きな成果を残し、後進の女性料理人が活躍できる土壌を築いた。そして2011年、次なるステップをめざして東京へ。フランス料理店で働きつつ、プロの料理人が学ぶフランス料理文化センターの上級コースを修了して渡仏。パリにあるフランス料理の名門、フェランディ校で学び、一流レストラン3軒で研修を積んだ。
『メゾン・ラムロワーズ』のエリック・プラ シェフと
「調理師の仕事を一生続けていきたかったので、いつかはフランスに行きたいとずっと考えていました。やはり本場を見た人は強いと学生時代から感じていましたから。留学するにあたり、東京の現場も見ておきたかったので、フランス料理文化センターを選択。どれだけの技術や知識があれば鹿児島でやっていけるかを探しに行くつもりで、東京とフランスで約2年間学びました」
ジェラール・ベッソン氏と
こうして2013年の夏に帰国し、開業準備を進めた。地元を離れることで、改めて鹿児島の良さもわかったという。
「食材がおいしくて安い。自然が豊かで、都会とは違う魅力があります。開業は、料理教室と併せた個性的な営業形態にしたことで、県から創業支援の補助金が受けられ、負担も減らせました。このことは独立開業を考えている人たちにも伝えるようにしています」
およそ1年間の準備期間を経て、『ターブル・ド・シック』をオープン。とくに広告宣伝はしなかったが、過去の経歴も手伝って徐々に常連客が増えていき、新たな仕事も舞い込むようになった。
「ホテル時代から私のことを知ってくださっていた方や、料理教室を通じてフードコーディネーターでもあることを知ってくださった方、インスタグラムに載せた料理写真をご覧になった方などからお声がけいただくことも多くて…。商品開発やレシピ提供、講師の依頼などを受けるようにもなりました」

“食”にまつわる仕事は、やろうと思えば女性でも一生続けていける。

結婚後は、フードコーディネーターとしての活躍の場を広げていった貴子さん。南日本新聞では、レシピのコーナーを連載。料理教室の経験を活かしたわかりやすさやコーディネートの美しさも評価され、好評を博した。商品開発の分野では、調味料のメーカーから依頼を受け、新商品の味を調整したり、開発されたドレッシングに合うレシピを考えたりと奮闘。この種の仕事は自宅でできる作業が多く、育児をしながらでも取り組みやすいと語る。
フードコーディネーターカレッジにて
「調理師からフードコーディネーターになるケースは珍しいようですが、現場経験があるのは大きな強みです。料理研究家という肩書だけでなく、ある程度のキャリアを築いて自分の個性をプラスしていけば、お声もかかりやすいことを実感しています。めざしている人も、しっかり現場で基礎を学んでからでも遅くないどころか、むしろ早道。いろんな世界を体験することが、必ずプラスになりますよ」
幼児食のレッスン
洋食の離乳食を考案して発表したり、市内の幼稚園で味覚の体験ができる食育イベントを開いたり…。出産後は食育に対する意識も変わったという。
かごしま水族館との食育コラボイベント
「人間の基本的な味覚は、3歳までに基盤が形成され、9歳頃までに与えられたもので個人差が出てくるといわれています」うちの娘は幼いころから食材の香りを嗅いだり、触ったりと五感をフルに使う「料理」に1歳頃から触れ、3歳になった今は、自然に台所に立ちます」
上記イベントの際の料理(鹿児島のきびなご・県産の野菜・黒酢・オリーブオイルを使用)
「幼少期の様々な食の「体験」は、記憶にも残りやすいといわれているので、なるべく「楽しい」「おいしい」を共有できるように過ごしています。娘との生活の中から多くの「食育」についてのヒントを日々学んでいます。これからはそういった経験をもとに、地域の子供たちや親御さんたちともにもより良い食の機会に触れてもらえるよう努めていきたいと思っています」
地元の中学校でキャリアの授業も実施
その時々でやりたいことに全力で取り組むよう心がけてきた結果、今がある。頑張っていれば、きっと何か見えてくると、寺地貴子さんは断言する。
「女性料理人の着地点は、男性と違う部分があるからこそ、新たな個性が産まれ面白いのかもしれません。子育てをしながらの料理人の仕事は、育児の拘束もあり、現場に入れる時間も短く大変な部分も多いです。しかし、子供の存在が励みになり「食育」など新たな気づきもあって新しい分野への可能性も広がりました。ただレストランで料理を作る事だけやっていたら見えなかった部分です」
「料理人の仕事をベースにしながら「食」に関わる色々な仕事にも関わり、家庭と両立する。「料理人」の仕事は、女性は結婚や出産を機に辞めてしまう方が多いのが現実ですが、やろうと思えば女性でも一生続けていける分野だと思います。私自身を例に、こういう働き方もあるのだと、女性料理人のモデルケースになれたらうれしいです」

寺地貴子さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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