INTERVIEW
No.062

思い描いたイメージを形にしようと、代官山に開いた香港カフェ。そこから料理教室やケータリングなど、新たな道が広がっていった。

香港カフェ 代官山 蜜香 mi-shang 店主

村木 美沙さん

profile.
愛知県名古屋市出身。辻󠄀調理師専門学校を2002年に卒業後、兵庫・神戸の『神戸オリエンタルホテル』に就職し、中華調理部の点心部門で修業を重ねる。約3年後、神戸の中国茶専門店で働き始め、名古屋の分店開業を機に責任者に。その後、洋食店に移り、フードコーディネーターの資格を取得し、フードコーディネーター事務所へ。約1年後、開業準備のため東京へと移住し、2010年2月、東京・代官山に香港カフェ『蜜香』をオープン。料理教室やケータリングなど活躍の幅を広げ、現在に至る。
access_time 2018.05.18

『蜜香』という店名から、雰囲気やデザインのイメージもふくらんだ。

東京・代官山。個性的なお店が建ち並ぶキャッスルストリートの一角に、2010年、テイクアウト中心のカフェとして『蜜香』(ミーシャン)はオープンした。イメージはイギリス領時代の香港。わずか5坪ながら店主・村木美沙さんの思いが詰まった、立派なお城だ。
「蜜香って“甘い香り”の形容詞なんですよ。蜜香紅茶とか、料理でも何々の蜜香風とか、甘い香りで味つけしてあるものを言うんです。思いついた店名からお店の雰囲気やデザインのイメージもふくらんで…すぐに始めたいと仕事を辞めて東京に移住し、物件探しを始めました」
名物は杏仁豆腐。もっちりとした食感や濃厚な味のバランスが絶妙で、とてもインパクトがある。さらにはエッグタルトや香港ミルクティーに香港アイスレモンティー、軽食として香港テイストの麺類も提供。現在は、パーティやイベントなどに出張して料理を提供するケータリングの仕事がメインとなったため、不定期営業としている。
名物の杏仁豆腐
「開業当初は、ケータリングという業態すら知りませんでした。代官山は個人商店も多く、下町のような人づき合いも盛んな地域性。加えてギャラリーも多くて、アートやアパレルの展示会もよく行われていて。そういう方々は、料理においても色や形やテーマなど見た目にこだわった美しい物を好まれる傾向にあり、レセプションに合う華やかな料理を作ってもらえないか?と相談をいただいたことがきっかけです」
ケータリング料理の一例
「香港のエッセンスを加えたものが中心ではあるものの、完全オーダーメイドでノンジャンル。いかにも中華をつくりそうな恰好をしていますが、ドイツの木のオモチャの展覧会に合わせてドイツ料理を承ったことや、「黒」というイベントテーマに合わせて黒い食べ物ばかりをそろえるということもありました」
ケータリング料理の一例
厨房で不定期に開催している料理教室もリクエストに応える形で始めた。ステップアップ形式の点心講座や中国料理講座、お菓子講座などを上限4人の少人数制で開いているほか、出張教室にも対応。同じく依頼を受けて始めたおせち料理の販売や、チャーシューの量り売りイベント、他店へのレシピ提供など、幅広い活動を行っている。
出張料理教室
「イメージがないと動けないんですが、1回思いつくと我慢できないんですよ。人に求められるのも嬉しくて、やりたいと思ったことはすべて挑戦して。中途半端にいろんなことをやってきてしまいましたが、過去すべての経験が今につながっているのは間違いありません」

手に職をつけたい。その思いから出会った点心の面白さに魅了された。

「小学生の頃から画家になるつもりで絵ばかり描いていて、高校も美術科に進みました。だけど私も含めみんなが当然のように美大を受験するなか、大学卒業後の将来に不安を感じ始めて…。自立したい気持ちも大きく、高3の終わり頃、手に職をつけて自分でお金を稼ぎたいと思うようになったんです」
蜜香の叉焼祭り
出身は愛知県名古屋市。栄養士だった母の影響で、もともと料理が好きだった。美術を学んでいたこともあり、彩りや見せ方で表現すること、ものづくりの面での共通点を感じ、製菓の道を志す。しかし。
「一番しっかり学べる学校ということで大阪の辻󠄀製菓専門学校を志望したんですが、もう募集が締め切られていて(苦笑)。同様に興味のあったデザートも含む料理を総合的に学べる辻󠄀調理師専門学校への進学を決めました」
授業はどれも楽しかった。なかでも選択制だった中国料理の点心の授業に魅了された。
「美しい工芸点心の写真に惹かれて専攻したんですが、手先を使って一個一個つくる、細かい作業が私の身体に合っていたんですね。何か疑問があるとすぐ先生たちに訊きに行く生徒だったんですけど、なかでも点心の先生には鬱陶しいぐらい質問をしていました」
同校は放課後に、自主練習ができるよう厨房を開放している。村木さんはほぼ毎日、中国料理の実習室に通っていたという。
「誰よりも学校を活用したのは村木だと言われるぐらい、お世話になりました。授業でやっていないメニューにも自由に挑戦させてもらえて、先生も手が空いていたら手伝ってくださっていました。今でも毎年、関西へ行ったら先生方とお会いして、相談にも乗ってもらっています」
中国茶専門店時代

香港点心に衝撃を受けたことで、「人の記憶に残る料理」がテーマに。

卒業後は、点心部門のあった神戸オリエンタルホテルの中華調理部へ。香港点心師・麦氏のもとで修業を重ねた。
「香港の料理は、日本のものとは全く違って、味の伝え方がストレートなんです。最初に驚いたのは焼売。具材をミンチにせず、弾力ある食感でジューシー。ガツンと利かせるような、しっかりとした味つけで、こんなおいしい焼売あるんだと感動しました。シンプルで飾らないけど、舌に残る強烈なおいしさ。そのときの衝撃から、今でも『人の記憶に残る料理』をめざしています」
中国茶専門店時代
料理にのめり込むにつれ、徐々に「自分のお店を持ちたい」という思いが強まっていく。個人店に移って経済的な感覚を身につけたいと考えていたところ、中華調理部がなくなることになり、神戸にあった中国茶専門店へ。並行して日本茶のお店にもアルバイトに入った。
「ドリンクを一通り学びたかったんです。辻󠄀調時代にも西洋料理の先生からカクテルについて教えてもらっていたんですが、それらすべてがケータリングでのドリンク提供にも役立っています。中国茶はお店でも提供しますし、イベント的にお茶会を開くこともありますし。お茶席の懐石料理を頼まれることもあるので、日本茶もやっておいて良かったです」
その後、中国茶のお店が名古屋に分店を出すことになり、責任者に抜擢される。実家に帰れば貯金もしやすいと快諾し、スタッフ育成やメニュー開発を担当。
「そのとき『こんな杏仁豆腐は今後できないだろう』というぐらい、いいレシピができたんです。いつか自分がお店を出すときには、これをメインに勝負しようと思っていました」

テイクアウトの杏仁豆腐専門店を一人でやっていきたいと独立開業へ。

しかし多忙のあまり、体調を崩してしまう。そのため緩やかな仕事を探し、立ち上げ要員を募集していた洋食店を見つけて転職。
「何店舗かの新店開業をサポートさせてもらって勉強になりました。時間に余裕ができた分、自分がお店を出すという目標を視野に、将来につながる勉強をしようとフードコーディネーター講座に通い始めたんですが、その先生に誘われて、フードコーディネーター事務所に移ったんです」
フードコーディネーターといえば、撮影用の料理を美しく並べる仕事をイメージしがちだが、メニュー開発やレストランプロデュース、販促展開など、フードビジネスをプロデュースする食の専門家全般のことを指す。
「それまで会社員をしていた人などが飲食店を開業する際の調理指導やメニュー提案、お店づくりを手伝う事務所だったので、ここで得た知識やつながりが自分の開業時に役に立つだろうと考えていました。加えて、その事務所が新しく出したパン屋カフェも担当したんですが、料理も勉強になりましたね。フレンチや和食、中華の垣根なく、おいしい料理をつくるお店だったので、その影響も受けています」
メニューを厳選したテイクアウトのお店なら、さほど資金もかからず一人でできる。さまざまな開業ケースを目にするなかで目指したのが杏仁豆腐専門店だった。具体的な構想ができた時点で退職し、東京へと移住。出店場所を探す間は、今後の参考にとテイクアウトの洋菓子店でアルバイトをした。
「自分一人でやりたかったので5坪を基準に探していたんですが、なかなかサイズや金額の見合う場所が見つからなくて…。吉祥寺や自由が丘などさまざまなエリアを探して、理想とマッチしたのが代官山のこの場所でした」

食にまつわる職業は、1日に何度も幸福感が得られるチャンスがある、おいしい仕事。

「おいしいのは大前提。加えて見た目にきれいじゃないと、おいしく感じてもらえません。味は同じでも、見た目によって印象は全然違ってくる。もともと絵を描いていた者として、そこは気にしています。目においしく、口においしく、そして身体に優しく。そのうえで、記憶に残る料理をめざしています」
食の世界には、チームワークでつくりあげる面白さもあるが、一人でできる自由さもある。自分がイメージするものを思い通りに仕上げたい村木さんには、今のスタイルが性に合っているという。
「何をやっても100%自分のためなので、本当に楽しいです。不安定ではありますが、今のこの生活は手放したくありません。人は毎日必ず食事をします。朝食・昼食・夕食と考えても3回。食べておいしかったら幸せですし、つくったほうもおいしいと言われたらうれしいです。食の仕事にかかわるということは、つくって「おいしい」と言われるチャンスが1日に何度もあるんですよ。とても幸福な仕事だと感じています」
おいしいものを食べたとき、なぜおいしいと感じるのか。近頃は、それを考えながら料理するようになったという。
「やわらかいもののなかにカリッとした食感が入るとおいしいけど、その硬さが合わなかったら逆にまずく感じてしまったり。そのバランスが難しいし、複雑だからこそ追究することに面白さを感じています。興味のあることは突き詰めてやるべき。本気にならないと面白くありませんからね。失敗しても、またやり直せばいい。その時々に意識が向いたことをとことんやったほうが、楽しい人生が送れると私は思いますよ」

村木 美沙さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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