No.024
フランス風「オーベルジュ」の真髄を 料理で表現したい。
オーベルジュ オー・ミラドー スーシェフ
渡邉大介さん
profile.
1999年辻󠄀調理師専門学校卒業、同年オーベルジュ オー・ミラドーに入社。約6年間勤務の後、渡仏。バスク、ニーム、ボーヌの名店で約2年半修業を重ねる。帰国後、再びオー・ミラドーへ。現在は厨房スタッフをまとめるスーシェフを務める。
access_time 2017.08.25
プロの身のこなしと包丁づかいに憧れましたね。
オー・ミラドーのオーナーは、日本フランス料理界の風雲児として謳われた勝又登シェフ。まだ青年だった頃に訪れたフランスの地方にある、宿泊施設が付いたレストラン「オーベルジュ」を、日本で初めて箱根の地に実現させた。地元の素材にこだわり、ここでしか味わえない料理を提供する伝説のレストランだ。渡邉さんは、オー・ミラドーのスーシェフとして、勝又シェフを支える。
まず、最初に、料理界をめざしたきっかけをお聞きした。
「きっかけはアルバイト先のレストランでフレンチのシェフと間近で接したことです。身のこなし、見たこともない包丁さばき、カッコイイと思いました。もともと手先が器用なほうで、物づくりが好きだったこともあり、その時に進むべき道は料理だと決めました。私にとって他の選択肢はありませんでした」
渡邉さんの地元は福島県。しかし、選んだのは大阪あべの辻󠄀調理師専門学校だった。
「入学に当たっては、いくつもの調理師専門学校を調べました。行くからには大きくてレベルの高い学校で学びたい。就職にも有利ですし、選択の幅も広がるはず。厳しいのは覚悟していました。でもなんとかなる、というのが正直な気持ちでした」
今思えば、わかっている風でなにもわかってなかった。
では、実際にどんな学生だったのだろう。渡邉さん自身の自己評価は、あまり高くはなかった。
「それなりにやっていましたよ。成績も良かったですし。わかっていたつもりだったのでしょうね、今思えば。でも、逆に就職してから慌てました。料理用語も、技術も、まるでおぼつかない。周りの同僚は、辻󠄀調のフランス校や技術研究所卒の方もいて、知識の量がまるで違います。それなりでは通用するわけがない。わかったつもりでも、なにもわかってはいなかった学生でした。もう少し、真面目にやっとけよって、就職してから自分に言い聞かせましたね」
あまり真面目な方ではなかったと自身を振り返る渡邉さんだが、今の料理人人生に関わる経験は、しっかり学んでいたようだ。
「初めて見たコンソメのとり方とパイ生地のたたみ方。これは衝撃的だったのを覚えています。それまで見たこともなければ、考えも及ばない。これを考える料理人はすごい。創り出す力ですかね。自分もいつかはそんな料理人になりたい。それが心の糧になっています。ただ、基本は大切。現場で分からないことも辻󠄀調の教科書にはちゃんと書いてあります。それを身につけておけば、創造力の広がり方も現場に入ってから、随分違います」
勝又シェフと
オー・ミラドーで働いて、料理人としての考えも変わりました。
そして、オー・ミラドーへの就職。『勝又流フレンチ』の真髄を会得するための奮闘が始まる。渡邉さん流に言えば、学生時代の遅れを取り戻さねばならない。しかし、がむしゃらだけではダメなのだ。そこには、プロの料理人としての心構えも必要。それを、こう語ってくれた。
「箱根の山合いです。自然豊かで風光明媚ですが、利便は決してよくありません。それでもいつもお客様で賑わっているのは何故だろう、と最初は不思議でした。でも、実はそれこそが料理の魅力です。私たちの料理を楽しむために、わざわざこんな山奥まで足を運んでくださる。
「あしたか牛フィレ肉のロースト 野菜のパニス添え」
それにお応えするためにも、この土地ならではの食材で、オー・ミラドーでしか味わえない料理をいかにご提供できるか。心構えが変わりましたね。食材への接し方、地元生産者の皆さんとのふれあい、自家菜園で野菜を作ってみて、はじめて感じる料理への想い。勝又シェフの気持ちに少しでも近づくのも、私なりのテーマのひとつでした」
ゆっくりと流れる時間の中で、美味しい料理を味わっていただく豊かさも提供する。オーベルジュ(宿泊施設のあるレストラン)で料理人を務めるというのは、そういうことなのだ。
2年半のフランス修行。随分、心が太くなりました。
勝又シェフのもとでキャリアを積むうちに、渡邉さんの心に一つの思いが芽生える。
「勝又シェフも修行した、フランスで働きたい」
気持ちが芽生えたらおさえきれないのが料理人なのだろうか。
フランス修行時代
「フランス料理を志す限りは、フランスで働きたい。それが素直な気持ちでした。本場の空気も吸ってみたいし、経験も積みたい。日本では学べない調理技術もあるはずです」。
友人の紹介で働き先を決め、職場には退職届けを提出。「また一緒に働こう!」マネージャーや先輩は、渡邉さんをそう言って見送ってくれたそうだ。
「フランスでの仕事は、最初はきつかったですね。フランス語はできない。指図されてもわからない。『あいつに言っても通じないぜ』そんなことも言われました。それでもへこたれるわけにはいかない。居場所がなくなりますから」
フランス修行時代
料理では負けない。そのための努力を続けると、やがて周囲は渡邉さんの存在を認めるようになる。
「学んだことはたくさんありますが、何より心が随分、太くなりました。自分でやらなければ、誰も助けてはくれません。それが自信につながりましたし、むしろ認めてもらうための努力が最後には楽しくなりました。それともうひとつ言いたいのが、フランスはとにかく素材が美味しい。その旨味を引き出す料理にこだわります。素材を見極める知識への貪欲さや探究心の旺盛さには感心しました」
フランス修行時代
同時に日本人料理人のよさもよくわかったという。
「調理技術は、日本の方が上だなといつも感じていました。個々の技術というよりも、協調性、手際の良さ、繊細な感覚、思いやり、そういったものがフロアサービスや料理の美しさにも影響します。日本人の繊細さを改めて知りました。これをもっと生かさないと」
勝又シェフがフランスを旅して歩き、何もない田舎町の小さなオーベルジュの心地よさをやがてオー・ミラドーに再現した気持ち。それが実感できたことも、ここにつけくわえておきたい、大きな価値になっている。
自分の技術精進に、後輩たちの指導・厨房のマネジメントというテーマが加わりました。
約2年半のフランス修行を終えて日本に戻った渡邉さんは、再びオー・ミラドーで働き始める。2011年のことだ。「また一緒に働こうぜ」そんな阿吽の約束が果たされたことになる。今度は、スーシェフに次ぐ立場で厨房全体をマネジメントするという責任も託された。
「これまでのように、料理人として自分の作業をこなす、というだけではありません。厨房全体の流れ、若い人たちの所作にも目を配らなければなりません。いかにミスを無くし、素早く、お客様に満足いただけるものをお出しできるかが大きなテーマになりました」
押し付ける教育はしない。
そのかわり1日1日の仕事を
自分で振り返って欲しい。
今、渡邉さんはスーシェフ。辻󠄀調の後輩たちが渡邉さんに憧れて、オー・ミラドーに入社してくる。その存在感は大きい。
「研修は、できる限り受け入れています。大切なのは、社会人としての礼節やマナー。技術そのものは現場で学べばいいのですが、基本さえしっかり身につけていれば、その後の成長は大きく変わるはずです。ただ、私は自分の経験則を押し付けることはしません。料理の上達のためには自分で自分を磨くこと、それしかない。ですから、1日1日の仕事を自ら振り返って反省し、ミスを無くし、どうすればできるようになるかを自分で考えてほしい。その積み重ねが技術と経験と自信につながります。そのための職場の環境づくりは、しっかりと出来ているつもりです」
先輩が新人料理人の面倒を見ながら、互いに切磋琢磨し、渡邉さんはそれを見守りながらいろんな機会を与えていく。そんなチームワークが出来ているようだ。
「オー・ミラドーはこの土地の素材を使って、この土地ならではの味覚を創造するレストランです。もちろん料理人にもこの土地への愛着と創造力が必要です。勝又シェフの想いを、みんなで一緒に引き継いでいきたい。そう思っています」
辻󠄀調理師専門学校
西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ
食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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