INTERVIEW
No.174

フランス菓子の先駆者から基礎を学び渡仏。パリのレストランで三つ星獲得を支えたシェフパティシエが理想のパティスリー開業をめざす。

パティスリーTOSHIYA TAKATSUKA オーナーパティシエ

高塚 俊也さん

profile.
埼玉県出身。埼玉県立伊奈学園総合高等学校からエコール 辻󠄀󠄀 東京 辻󠄀󠄀製菓マスターカレッジに進学。辻󠄀󠄀製菓技術研究所 製菓研究課程を2005年に卒業後、東京・高幡不動の『パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ』に就職。約5年間の修業を経て渡仏。南仏のパティスリーやトレトゥール(惣菜店)で経験を重ねた後、パリのレストラン『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』、『ホテル・ランカスター』に勤務。2013年からは『レストランKEI』のシェフパティシエを務め、2017年の二つ星、2020年の三つ星獲得に貢献。2023年に退職し、現在はパリでパティスリー『TOSHIYA TAKATSUKA』の開業準備を進めている。
access_time 2024.04.12

計算してつくらないとおいしくできない難しさが、自分の性格に合っていた。

2009年に渡仏。2013年からは当時ミシュランガイド一つ星店だった『レストランKEI』のシェフパティシエとなり、2017年の二つ星、2020年の三つ星への昇格を支えてきた高塚俊也さん。2019年には、ミシュランがセレクトするベストパティシエ30名の一人にも唯一のアジア人として選ばれ、現在はパリでパティスリー『TOSHIYA TAKATSUKA』を開業すべく準備を進めている。
ミシュランがセレクトするベストパティシエ30名の一人に唯一のアジア人として選ばれる
「ベストパティシエに選ばれてからは、セミナーなどで親交を深める機会もあり、パティシエの友人が増えました。レストラン業に従事する同世代のパティシエって、自分のパティスリーを開きたいという情熱をもってやっている人たちも多いんですよ。いろんな方向に挑戦する、血気盛んな層が集まっていたので、彼らからも刺激をもらいました」
ベストパティシエの集いにて
1984年、埼玉県に生まれた高塚さん。小さい頃から、一つのことを突き詰めて極める職人に憧れていた。食の世界を意識しはじめたのは小学生の頃。
「家でお手伝い程度に炒飯をつくったりして、喜んでもらえるのがうれしかったんですよね。母の誕生日にはケーキをつくってみたんですが、炒飯のような感覚ではうまくいかない。ちゃんと計算してつくらないとおいしくできない難しさが、自分の性格に合っていたようで、のめり込むきっかけになりました」
多感な時期のテレビ番組では、有名パティシエたちが魅せるきらびやかなケーキが数多く取り上げられ、ますます惹かれていく。高校時代に進路を決めるにあたり、製菓の学校へ行きたいと両親に伝えると、実は元料理人だったという父は喜んで後押ししてくれた。
「父のつくる料理はおいしいなとは思っていたんですが、そのときまで知らなくて…。応援してもらえてうれしかったです。食の世界をめざすなら、フランスの食文化を日本に持ち込んだ 辻󠄀󠄀調グループしかないと考えていたので、迷わずエコール(エコール  辻󠄀󠄀  東京 辻󠄀󠄀製菓マスターカレッジ)に進学しました」
インタビューを実施したエコール 辻󠄀󠄀 東京 にて教えを受けた先生方と再会

ひとつの概念から未知の世界がどんどん広がるのが、たまらなく楽しかった。

フランス菓子の学びは、初めて触れることばかりで、どの授業も楽しくて仕方がなかったという。つくる面白さはもちろん、知らないことを学べる喜びで毎日があっという間に過ぎていった。
インタビューを実施したエコール 辻󠄀󠄀 東京 にて教えを受けた先生方と再会
「たとえばシューを使うお菓子って、シュークリームだけじゃないでしょう。エクレアやプロフィットロールやサンノトーレやパリブレストやクロカンブッシュなど、すごい種類があって、それぞれに、いつどこで誰がつくり始めどんな意味が込められているかといったヒストリーがある。そういう話を聴くのも大好きだったんですよ。ひとつの概念から未知の世界がどんどん広がっていくのが、たまらなく楽しかったです」
1年間の課程を経ると、さらに上級の辻󠄀󠄀製菓技術研究所 製菓研究課程に進学。大阪へ移ってでも学びたいという高い意欲があった。
インタビューを実施したエコール 辻󠄀󠄀 東京 にて教えを受けた先生方と再会
「本物の職人になりたかったので、さらに厳しく指導してほしかったんですよね。教えてくださった先生方は、自らフランス菓子の学びを開拓していった世代でもあり、知識の幅や深さや厚みがとんでもない。フランスでの体験談も面白かったです。その地方にしかない郷土菓子の話もずっと覚えていて、フランスに来てからは、それを食べるためだけにヨーロッパの地方を巡ったりもしていました。あのとき学んだことが、自分の土台になっています」

最初からできないからこそ面白い。そう自分に言い聞かせながら修業に励んだ。

卒業後は、東京・高幡不動に本店を構える『パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ』に就職。1969年に渡仏して修業を重ね、そこで得たものを日本に広めたフランス菓子の先駆者である藤生義治シェフが営むパティスリーは、数々の店舗を食べ歩いたなかでも理想そのものだった。しかし学生時代はとても優秀な成績を残せたのに、いざ働き始めるとできない自分に相当悩んだという。
「先生たちにも最初からできるもんじゃないと言われていたんですが、思いどおりにできない自分がもどかしくて…。『だからこそ面白い』って自分に言い聞かせながら踏ん張りました。今振り返ってみても最初の2年間が一番きつかったです。後輩たちが入ってくるとしっかりしなきゃいけないし、自分もこうだったと思えるようにもなり、3年目には思い悩む時間もなくなって。4年目には、いつの間にか砂漠の中を歩き切ったんだと気がつきました。最初の段階で悩みきることが、その後につながると身をもって感じています」
『パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ』勤務時代
後進を育てようという藤生シェフの方針のもと、もともと最大5年間で卒業することが決められていた『フジウ』。生菓子や焼菓子をはじめ、常時200種ものフランス菓子をつくっていたパティスリーで、修業をしながら日々学び、知識を蓄えることができたと振り返る。
『パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ』勤務時代
「広くいろんな技術の基本を一通り身につけるのにかかるのがおよそ5年。ある程度のレベルになったら、今まで自分のやってきたことが正しかったのかどうか、自分の目で確認して、納得して、立証させることが大事だというのがシェフの考えでした。将来のために、自分のやりたい方向性も考えながら、いろんな場で学んでこいと。これって本当にすごいことで。自分が育てて、やっと使いものになったぐらいのタイミングで、ほかへ行ってこいなんて、僕らのため以外の何ものでもないじゃないですか。人を育ててくれるシェフのもとで最初に学べたのが、本当に幸運でした」
南仏時代MOF (国家最優秀職人)のお店

渡仏早々、ハプニングに見舞われるも、絶望することはなく楽観視できた。

こうして2009年に渡仏。歴代の先輩たちが修業に訪れていた南仏のパティスリーに入るも、半年ほどでオーナーが姿を消すというハプニングに見舞われる。しかし運良く隣の町のトレトゥール(惣菜店)が人を探していることを知り、住み込みで働かせてもらえることに。その仕事ぶりが評価され、フランスで長期にわたり働ける滞在許可証も取得してもらえた。
南仏のトレトゥール(惣菜店)勤務時代
「自分を追い込みたかったので日本人のいない地方を希望したのですが、最初の試練としてはなかなかハードでしたね(苦笑)。今思い返すとゾッとしますけど、絶望することはなかったです。先輩方から苦労話を聴くのも好きだったので、ネタができたなと。真面目すぎる性格だと自分でもわかっていたので、少しは楽天的になれるいい機会でした。トレトゥールでの仕事は料理の勉強にもなりましたし、各地へ出かけ季節ごとの多彩な地方菓子にも触れられ、いい経験ができました」
南仏のトレトゥール(惣菜店)勤務時代
約1年半の勤務を経た2011年の初頭、パリへと上京。最先端のお菓子を学ぼうと考えていたが、たまたま食事に訪れた星つきレストラン『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』でパティシエであることが知れると、働いてくれないかと誘われた。
『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』時代
「未経験だったレストランでの仕事も、一度経験してみたいと思ったんですよね。できればパティスリーで働きたかったんですが、いいお店は研修希望者が多すぎて、無給ならいいよというスタンスだったんです。それでは生活ができないのはもちろん、藤生シェフから『タダで働くことは許さん』と口酸っぱく言われたので(笑)。『価値があるように育てたんだから安売りするな。対価をもらうことがフランス人と対等にやり合うことだ』という教えは守り続けました」
『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』時代

下積みを重ねていた分、レストランでもできるようになったのは早かった。

いざ働き始めると、パティスリーとはまるで異世界だった。仕事に必要な知識も、スピード感も全然違う。
「今までパティシエだけで完結していたのが、料理長も料理人もソムリエもレセプションもいる。パーツとパーツが全部重なって、ようやく完成するものなので、コミュニケーションの取り方がめちゃくちゃ重要です。料理からの流れを受け、お客様がどんな表情で食べているのかまで目の当たりにできたことで、ステージが広がり、奥行きが出たように感じます。イメージする時点での感覚も全然違うので、つくるものの幅が広がりました」
初めてのレストランではあったが、ほどなくスーシェフ(二番手のシェフ)の立ち回りを任されるに至った。
「すぐに盛り付けるとか、何を優先するとかいったことは勝手が違ったので、多少時間はかかりましたけど、下積みがあった分、できるようになったのは早かったと思います。レストランでしか働いたことのない人と僕だと、1日でつくったことのあるシューの数が桁違いですからね。パイ生地が素早くきれいに折れるとか、生地を均一にのせるとか、同じように絞るとかも、これまで培ったものがあったので、高いレベルで達成できました」
四季折々のデセール(デザート)も一通り見られたところで、やはりケーキがつくりたいとパティスリーを探し、開業準備中の店舗に採用される。しかしシェフパティシエから『ここで働くのはもったいない』と紹介されたのが、『ホテル・ランカスター』だった。
『ホテルランカスター』時代
「大きなホテルのチームだったので、マネジメント力が鍛えられました。うまく仕事を回すには、コミュニケーションや慕われる信頼関係も欠かせません。仕込みの段取りをどうつけるか、開始と同時に全員で100%の力を発揮する仕切りが重要でした。休日には地方を巡り、たとえばチーズの生産者の住所を調べて訪ねてみたり、ローカルな食材を探して食べてみたり。おかげで引き出しが増えたと思います」
『レストランKEI』時代

ステージが上がるごとに頭を打つ経験をするが、努力を続ければ突破できる。

仕事の流れがつかめた1年ほどで、次のステージを探し始める。そんな頃、連絡をくれたのが、パリで『レストランKEI』を営んでいた小林圭シェフだった。
「オープンして2年ほど経った頃で、『三つ星をめざす体制をつくっていくから、一緒にやらないかと』と誘われました。僕にとって、シェフパティシエのポストは未経験。もっと自分を追い込まなければと考えていた時期だったので、挑戦してみることにしたんです」
シェフ達との交友関係を深める
何人かの候補のなかから選ばれ、正式に就任。すでに一つ星を獲得していたが、そこから先へと進むのがどれだけ難しいかを後々、思い知ることになる。
2020年 KEI三つ星獲得
「クリエイトするがシェフの仕事。新しいものを生みだすのが初めての挑戦だったんで、最初はきつく、悩むしかなかったです。お客さんからは最初、『前のパティシエのほうが良かった』と容赦なく叩かれましたよ。日本人なら面と向かっては言わなくても、フランス人は違います。料理の流れを受けてのデセール、という部分でも、これまでに比べ格段に要求が高かったですし…。乗り越えられたのは、やはり『一生懸命やっただけ』、これに尽きますね。ステージが上がるごとに頭を打つ経験もありますが、努力を続ければ突破できないことはありません」
2人の娘からも『パパ、ケーキ屋さんやったらいいのに』と言われ
パティシエでありつつも、やがて実質、二番手としてキッチンのコントロールやマネジメントの部分も担うようになった。そして小林シェフが、フランス版ミシュランガイドでアジア人初の三つ星に輝いたのが2020年1月。以降、連日予約の電話が殺到し、メディアの取材にも追われていたが、直後の3月末に、COVID-19のパンデミックが起こり、ロックダウン。国から補助は出たものの、小林シェフはスタッフに働ける場をと、以前から構想のあった日本での新店舗展開を進めていく。そのサポートもしつつ、高塚さんは独立開業を考えるようになった。動機はシンプルに、「ケーキをつくりたくなったから」。
娘のお友達もパパが作る誕生日ケーキを楽しみにしています
「それが好きで始めましたし、ずっとつくりたかったんですよね。10歳と7歳になる2人の娘からも『パパ、ケーキ屋さんやったらいいのに』って言われ、いよいよその想いが膨らんだんです。彼女らは国籍こそ日本なんですけど、パリで生まれ、アイデンティティはもはやフランスにある。当初はいつか日本に帰って地元でお店を出そうと考えていたんですが、娘たちの帰る場所がここなら、パリがいいやと気づいたんです」
師匠の力強い握手で励まされる

理想のパティスリーを開くことで人に恩返しをし、最後は地域に貢献したい。

体制を整えてからでなければ次に進めない。意向を伝えてから退職までには丸1年はかかった。そして独立準備を始めた2024年2月に一時帰国。改めて研修したいと藤生シェフに依頼し、3日間、『フジウ』で働かせてもらう。
改めて研修したいと藤生シェフに依頼し、3日間、『フジウ』で働かせてもらう
「就業していた当時、習いきれなかったことを学びたいとお願いしたんですが、驚いたのはシェフが誰よりも早く来て、当時と何ら遜色ない動きをし、同じペースで働かれていたこと。今年で77歳ですよ!一挙手一投足、無駄がなく、むしろ進化されていました。最初から最後まで最大限に効率よく動いて、以前と同じようなスピード感を保ち、仕事が終わったあとに疲れた様子もない。しかも目が後ろについているレベルじゃなく、下にもついているかのように、全スタッフの作業に神経を行きわたらせ、気を配り、何を優先して、ミスがあれば順番を組み替えといったことを瞬時にやっている。上に立つ人の姿を改めて目の当たりにし、自分の目標はやはりこの人だと実感しました」
マドレーヌシトロン 藤生シェフとの思い出のお菓子
新しくつくるお店のコンセプトは、「お菓子を通して人とつながること」。今までの人生が人とのつながりによって築かれてきたので、それを少しずつでも還元していきたいと語る。
アントルメグラッセ
「入った瞬間、おいしい香りが漂い、幸せを感じられるようなお店にしたいです。今まで培った力を使ってこそ、できることもあると思うんですよね。自分の終着点を考えたとき、人に恩返しをして、最後には地域貢献をしていきたいなと。前へと進むのに大切なのは、とにかくなんでも楽しむこと。こんなに楽しい仕事はありません。今つらいと感じている人たちも、厳しさを乗り越えたら大事なものが見えてくるので、その状況を楽しんでほしいです」
インタビューを実施したエコール 辻󠄀󠄀 東京 にて教えを受けた先生方と記念撮影

高塚 俊也さんの卒業校

エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジ  (現:辻󠄀調理師専門学校 東京) launch

エコール 辻󠄀 東京
辻󠄀製菓マスターカレッジ
(現:辻󠄀調理師専門学校 東京)

お菓子をつくり、味わい、集中して製菓の基本と応用を学びとる。

多くのお菓子と出会うことで、
基礎と応用を徹底的にマスター。
お菓子をつくる仕事に就く自信や誇りにつながる1年間。
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