INTERVIEW

日本人のチームで独立開業し、街唯一の星つきレストランに。楽しくて続けていたら、気がつけばこうなっていた。

L’Aspérule(ラスペリュール) オーナーシェフ
木村圭吾さん

profile.

大阪府出身。小学校時代、山梨県に移住。辻フランス料理専門カレッジ(現・エコール 辻 大阪)を1996年に卒業後、東京の『カンセイ』、『パザパ』、『ラ・ディネット』などで経験を積み、2000年に渡仏。マルク・ヴェラ氏、リシャール・クタンソー氏、ジョエル・ロブション氏といった名だたる料理人のもとで修業を重ね、2007年、『レ・ボン・ザンファン』のシェフに就任。パリの五つ星ホテル『ソフィテル』の総料理長を経て、2014年4月、『ラスペリュール』を開業。2015年2月には一つ星を獲得。

父の影響で歩み始めたフランス料理への道。広い世界に出て勝負がしたかった。

フランスはブルゴーニュ地方北部、ヨンヌ県のオーセール。旧市街の一角で、2014年4月にオープンした『ラスペリュール』は、1年も経たないうちに『ミシュランガイド』の一つ星を獲得し、大きな話題を呼んだ。街で唯一の星つきレストランとなり、平日の昼から満席続き。週末はパリを中心に遠方からの予約が殺到し、その多くを断らざるを得ないほどの盛況ぶり。街の活性化にも大きく貢献している。
オセール旧市街の風景
「楽しいから一生懸命やり続け、気がついたらこうなっていた…という感じですね。学生時代から料理が楽しくて仕方がなかったので、この道に疑問をもったことなんてありません。好きな人間にとっては、たまらない仕事だと思いますよ」
「仔牛胸肉のカリカリ焼き、スパイス風味」
祖父が寿司屋を営む大阪に生まれ、父もまた寿司職人だった。しかし木村さんが小学生になると、自然豊かな暮らしを求め山梨県でペンションをスタート。そこで出されるフレンチは父の独学によるものだったが、フランス料理への憧れを醸成するには充分だった。
「フォアグラのテリーヌ、黒オリーブとシナモンの薬味添え」
「偉そうに言えば、広い世界に出て勝負がしたかったんです。だったらフランス料理、時代的にも当時は世界のトップといえばフランス料理だろう、という気持ちがありましたからね」

若いときはとにかく欲し、学びたくて学びたくて仕方がなかった。

東京で約4年の経験を重ね、2000年2月、フランスへ。場所は南西部、人口300人ほどの小さな田舎町のホテルレストラン。若い頃、パリの三つ星を中心に渡り歩いたオーナーシェフが、各所で日本人の優秀さを感じ、常に日本人1人を雇うようにしていたという。
「完全予約制のお試しコースを日本人が担当するというスタイルで。自由にやらせてもらえ、良い経験になりました。1年と少し働いた後、フランスの超一流と言われている店で学びたいと、アヌシー(ローヌ・アルプ地方)にあるマルク・ヴェラの店へ。若いときは、とにかく欲していたんですよね。学びたくて学びたくて仕方がなかったんだと思います」
マルク・ヴェラ氏の店【La Ferme de mon père/ラ フェルム ドゥ モン ペール】時代
マルク・ヴェラ氏は間違いなく天才だったが、極度の変わり者でもあった。働き始めたのが2001年5月。2軒目の店舗がミシュラン三つ星をとり、『ミシュランガイド』と並ぶ 美食ガイド『ゴー・ミヨ』でも20点満点を獲得。『世界のベストレストラン50』でも1位に輝くような時代だった。
マルク・ヴェラ氏の店【La Ferme de mon père/ラ フェルム ドゥ モン ペール】時代
「まさに全盛期。とにかく勢いがすごくて、一番いい時代に働かせてもらいました。料理人も『フランスで一番厳しい』と聞きながらも集まってくるようなスタッフたちだったので、やる気に満ちたスゴ腕ぞろいで。だけど入ったときには18人いたのが、2カ月後には7人になっていましたからね(苦笑)。それぐらいの厳しさでした。ただでさえ忙しかったのがシーズンの終わる11月まで7人…もう大変なんてものじゃなかったですよ。それでも2年は耐え抜き、ラ・ロシェルという港町にあった二つ星『クタンソー』へ移ったものの、1年ほどで呼び戻されて…結局は合計4年間(笑)。結果、とても勉強になりましたね」
ジョエル・ロブション氏と

日本人チームを率いて新店の評価を高め、パリ五つ星ホテルの総料理長に。

そしてパリにあったジョエル・ロブション氏の『ラ・ターブル』へ。そこでも頭角を現すと、スーシェフに「父親がブルゴーニュに店を開くから」と誘われ、2007年、『レ・ボン・ザンファン』のシェフとなった。人選も一任されたため、料理人には全員日本人を採用。
「フランスまでわざわざ来るほどやる気に満ちた日本人は、仕事に取り組む姿勢も素晴らしい。技術も高い人間が多いんです。オーナーも『日本人には熱意と才能があって、よく働く。彼らのおかげで料理が完璧にできる』と感心していましたよ」
【レ・ボン・ザンファン】時代
店は評判となり、パリの五つ星ホテル『ソフィテル』から総料理長にとの依頼が。日本人の抜擢は異例のことだった。2年半勤め、土地勘もあったブルゴーニュで独立。華々しい経歴も手伝って、開業時には地元の新聞社が一面で取り上げる。宣伝効果は絶大で、最初の1カ月半ほどは連日大盛況だった。
「その後、2カ月目ぐらいでいったん落ち着いてしまったのには焦りましたが(笑)、夏が来ると、さすがに田舎町でも少しは観光客が訪れてくるので、ぼちぼち忙しくなって。さらには9月10月、『ル・シェフ』という専門誌と『ゴー・ミヨ』で立て続けに賞をもらったので、その度に新聞社が取材に来てくれ、本来、ヒマになるはずの秋冬も、客足が途切れず忙しくできました」
「ルバーブと苺の冷製スープ、黒米のアイスクリーム添え」

とことん考え抜くことで、自分にしか出せないオリジナリティを追求する。

そして翌2015年2月、ミシュランの一つ星を獲得。星の影響力が大きいのは間違いない。やはり目標には据えていた。
「星をとると、オリジナルの料理も出しやすくなるんですよ。ベースは押さえながらも、ある程度、一味違うオリジナリティのあるものは出したいので、その説得力としても星の力はあると思います」
情報はいくらでも手に入る時代になった。人と違うものをつくりたいと言ってパソコンの前に座り、自分独自のものを探すためにインターネットを検索する。それでは似たようなものができあがるのも無理はない。
「だけど自分の頭のなかにあるものは、自分でしか見られませんからね。まったく何も見ないことはありませんが、なるだけ控えて、意識的に自分で考えるようにしています。情報化が進めば進むほど、ますます自ら考えることが重要になる。だからスタッフにも、今自分が何をしているのか、それはなぜなのかをしっかりと意識しながら仕事をしてもらうように伝えています」

自分が好きなことで、お客さんが喜んでくれる。こんな幸せなことはない。

「ここの店でも、料理人はすべて日本人です。自分の若い頃のように、毎日刺激を与えられ、ワクワクしながら仕事をする感覚を若い人たちにも味わってほしいと願っています。せっかくなら楽しくやってもらいたいですからね。でなけりゃ、この仕事はしんどいだけですから(笑)」
毎日が創作の喜びに満ちている。これまで師事してきたシェフたちの料理は、自分という料理人を形成するために必要だった。専門学校時代にクラシックな料理をしっかり学べ、基盤を築けたことが、今につながっていると振り返る。
「首席で卒業できたおかげもあり、早い段階から『努力をすれば結果が伴う』ことを体感できたのも大きかったです。おかげで仕事を始めてすぐに即戦力として任せてもらえましたし、そこから次へ次へとつなげていけました」
「自分にとって料理は人生そのもの。これしかやってこなかったですし、頭のなかのほとんどを仕事が占めている。つまらない男なんですよ(笑)。そりゃもちろん、キツいことは山ほどありましたけど、単純に料理が好きで、挑戦することを楽しめるタイプなので、辞めようなんて気は一度も起きませんでした。いわば設計から製作までを自分で考えて仕上げ、目の前でお客さんが評価してくれる。自分が好きで楽しんでやっていることで、お客さんが喜んでくれる。こんな幸せなことはないと思います」
共にお店を支える奥様と

木村圭吾さんの卒業校

エコール 辻 大阪 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch