INTERVIEW

伊賀焼の窯元の跡継ぎとして、今の自分にできる、やるべきことは、若い世代に敬遠されがちな土鍋の魅力を、料理を通じて伝えること。

有限会社土楽 代表取締役
福森 道歩さん

profile.

三重県伊賀市出身。短大を卒業後、料理研究家の村上祥子さんに師事。3年間の経験を経て、辻調理師専門学校へ進学。2002年に卒業後、京都の大徳寺龍光院にて1年間修行。2003年、家業である伊賀焼窯元『土楽』に入り、2016年、代表取締役に就任。著書に『一年中使える!ご飯炊きからローストビーフまで スゴイぞ!土鍋』(講談社)、『土鍋だから、おいしい料理』(PHP研究所)。2018年末には、髙島屋京都店、松屋銀座店などで展覧会を開催予定。(『土楽』は、本来土の右側・中に点のつく『圡楽』ですが、環境依存の文字のため、この記事内では点なしの『土楽』と表記させていただいています)

伊賀焼の窯元に四女として生まれ、
料理の道を模索していた青春時代。

「土鍋は使えば使うほど魅力が出てくる、優秀な調理道具です。鍋物だけではなく、煮たり蒸したり、ご飯を炊いたりはもちろん、焼いたり炒めたり、オーブンに入れたりと、一年中いろんな使い方ができます。土鍋特有の穏やかな熱の伝わり方で、野菜はとろけるほど甘く、肉や魚はやわらかくジューシーに。ふだんの料理が驚くほどおいしくなるんです。それに土鍋は、食卓に出しても映える、大きな器にもなりますからね」
江戸時代から続く、三重県伊賀市の『土楽』。七代目・福森雅武さんが始めた手づくりの土鍋を主力とする、伊賀焼の窯元だ。その四女として生まれた道歩さん。仕事場に併設された自宅には日々たくさんの人が訪れ、幼い頃から料理でもてなす父の姿を見てきたという。
「父はおいしいものが大好きなんですよ。この囲炉裏を使って、土鍋料理もつくっていました。私も手伝って、ごちそうのおこぼれをもらうことが大好きで(笑)。『土楽』は三女が継ぐと言っていたので、私は料理関係の道に進もうと考えていました。『土楽』の調理道具や器を使って、何かできればいいなって」
高校卒業後は、神戸の短大で食物を専攻し、料理屋でのアルバイトに明け暮れた。そこで料理の楽しさを覚えたものの、阪神・淡路大震災の影響もあり、卒業後は実家へと戻る。
「農業をやろうと思っていたんですよ。昔から、おばあちゃんと一緒に畑仕事をするのが好きだったので。だけどまぁ、今でいうニートですね(苦笑)。父の本が出ることになったとき、打ち合わせにいらっしゃったディレクターさんが何もしていない私を見て、料理の道に進みたいのならと、声をかけてくださったんですよ」
その後、料理研究家の村上祥子先生を紹介してもらい、上京して3年間、助手を務めた。学ぶことは多く、フードスタイリストやカメラマンなど今に続く友人ができ、視野も人脈も広がった。しかし…。
料理研究家の村上祥子先生のもとでの修業時代
「ありがたい反面、自分ひとりで何もできないことに焦りを感じていたんですよね。何か一本筋の通ったことをしたいと、24歳で辞めて、25歳で辻調へ。調理師の学校へ行くなら、一番のところへ行けと言われたから、それまでに貯めたお金で進学しました。必死で稼いだお金でしたから、学ぶことは全部吸収しようぐらいの勢いで、先生にも質問攻めでしたよ(笑)」
辻調理師専門学校時代

自分が何かを表現するとは考えてもいなかったものの、陶芸の道へ。

入学後は着実に成長を遂げていく。しかし12月の調理実習で、事件が起きた。生きた海老を天ぷらにする実習だったが、なぜか急に怖くなってしまったという。
「突然、命を奪うことへの罪悪感に襲われてしまって。それまでは普通に魚もさばけていたんですが、何もできなくなってしまったんです。こんな状態では、もう料理人になれない。この先どうしたらいいのか、いろんな人に相談したんですが、そのうちの一人が、お寺に行って考えを整理してみたらどうかと、京都の大徳寺を紹介してくださって。手紙を書いて伺ったところ、和尚さんから『土楽さんの娘さんでしょう。住所でわかりました』と言われたんですよね。まったく知らなかったんですが、父も昔から何度も来ていたようで。そのときに、自分と『土楽』との宿命のようなものを感じました」
辻調理師専門学校卒業後は、大徳寺龍光院での生活に入った。朝4時に起きて掃除をし、5時からは読経が始まる。お経を習いながら、毎日の料理を担当。年に一度の開祖忌には、和尚様方に出す精進料理も任されるようになった。
大徳寺龍光院での修業時代
「お寺に立派な畑をつくっていて、ものすごく野菜がおいしいんですよ。精進料理は、昆布出汁だけでも充分おいしい。引き算のうま味がわかるようになりました。普段の料理では、半年ほど経って、最初は貝から始め、そこから徐々に魚もさばけるように…。私たちは命をいただいて生きています。植物だって生き物です。人はそもそも罪深いもの。禅宗の教えで、生きるとはそういうことだと納得できたおかげで、再び料理と向き合えるようになったんです」
1年の修行を終えたら、料理の仕事をしよう。そう考えていた年末、三女から結婚をして家を出たいので、あとを継いでくれないかという連絡が入る。
「私自身、もともと父のつくるものは好きだったんですよね。父の器に料理を盛りたいという想いはずっとありました。それまで自分が何かを陶器で表現するとは考えていませんでしたが、その頃にはもう、すべてが『土楽』につながっていたと思えたので、すぐに受け容れました」
『土楽』に入ると、陶芸について兄弟子にゼロから教えてもらった。当然ながら最初は何もできないが、やるしかない。とにかくつくらなければうまくならないと、ひたすら修練を積んだ。
「ものになるまで、小さい土鍋で5年、大きいものだと10年はかかります。手づくりであっても、一定でなければならないし、時間がかかっていてもだめ。数と正確さをキープできてこその職人ですからね」
父の雅武さんから、言葉で教わったことは何もない。見て覚えるしかなかった。そこで改めて感じた、父の偉大さ。
「『土楽』でも、かつては型を使って土鍋をつくっていたようですが、父がそれを全部やめたんです。17歳のときに6代目が亡くなり、これからは手づくりで勝負してやると、ろくろを使った土鍋づくりを始めました。それから50年以上経った今もなお、父は新しいものを生み出し続けている。さすがに頭が下がります」
まだまだ思うように器がつくれない頃、跡継ぎとして、今の自分にできることは何かと考えるようになった。若い世代に敬遠されがちな土鍋の魅力を、料理を通じて伝えることはできないか。そう思い至り、発信する活動を行うようになった。
「『ほぼ日』(コピーライターの糸井重里さんが主宰するWebサイト)で土鍋の扱い方やレシピを紹介する連載をさせてもらって。2010年の書籍化のおかげで、より多くの人たちに伝えることができました。若い人に使ってほしかったので、和食に限らず幅広く紹介しています。そういう面でも、辻調に通っていて良かったですね」
前列右端が福森道歩さん、その隣がお父様の雅武さん(写真提供 ほぼ日 撮影 大江弘之)
土鍋を使った直火料理のレシピ本「スゴイぞ!土鍋」は前代未聞だった。その内容も、ペペロンチーノやステーキ、ローストビーフやラタトゥイユ、パエリアや麻婆豆腐、さらにはプリンや洋梨のコンポートなど、土鍋料理の概念をくつがえすバラエティの豊かさ。使い始めや取り扱いの注意点も明記し、土鍋のガイドブックとしての役割を果たしている。
福森道歩さんの著書『スゴイぞ!土鍋 』
「土鍋を使えば、よりおいしくなるレシピを意識しました。土鍋は中から熱が通っていくため、水分が蒸発しにくく、保温性が高い。だからローストビーフなんかもパサパサにならず、失敗しないんですよ。フライパンでできるものは、揚げ物以外ならほとんどつくれます。だけど土鍋で空焚きができますよと公にするのは、窯業界ではあり得ないことだったようで。大々的に書籍で謳うのは自殺行為だと言われましたからね(苦笑)」
耐火性・耐熱性が高い伊賀の粘土をろくろで成形し、素焼きのあとに釉薬をかけて本焼きしている『土楽』の土鍋。だから直火料理も可能なのだと本書では謳っている。
「皆さんにとって、土鍋料理のバイブルになったようで、何度も増刷が続いています。『土鍋の使い方が広がった』という声を聴くと本当にうれしいですね」
家族の一員「こはな」と

福森 道歩さんの卒業校

辻調理師専門学校 launch