INTERVIEW
No.157

若くして大規模ライブレストランの料理長に抜擢。働き始めてから見えてきたのが、「わくわくする料理をつくりたい」という理想だった。

Billboard Live OSAKA 料理長

永岡沙理さん

profile.
三重県出身。三重県立名張高等学校から辻󠄀調理師専門学校のカフェクラス(当時)に進学。2007年に卒業後、ライブレストラン『ビルボードライブ大阪』に就職。2016年には料理長に。2021年から約1年間の産休を経て、翌年9月、現場に復帰。さらなる活躍を見せている。
access_time 2022.10.26

さまざまな実習を経験するなかで、食の世界へ進みたいと考えるように。

アメリカの音楽チャート「ビルボード」に由来する、世界標準のライブレストラン『ビルボードライブ』。国内外の多彩なアーティストたちのライブを、おいしい料理とともに味わえる、客席数300を超えるエンターテインメント空間だ。
その大阪店の料理を取り仕切っているのが、2016年に29歳の若さで女性料理長となった永岡沙理さん。約1年間の産休を経て2022年9月に現場復帰し、さらなる活躍を見せている。
お子さんの志麻ちゃんのコックコート は出産&復帰お祝いでキッチンスタッフからのプレゼント
「若くして大バコの料理長」というと、さぞ野心をもって今のポジションに登り詰めた人なのかと思いきや、きっかけは「なんとなく」だったと振り返る。座学が苦手で、地元三重県名張市の総合学科がある高校へ進学。さまざまな実習を経験するなかで、食物系のコースを選択した。
「芸術、メディア、スポーツ、被服など、1年次に好きな授業を受けてから2年次からの専攻を選べる学校だったんですが、調理が一番、面白かったんですよね。学校で習ったお菓子を家でつくって人にあげて喜ばれるのもうれしくて。3歳上の兄が大阪の辻󠄀製菓専門学校に行っていたこともあり、自分も食の世界へ進みたいなと考えるようになりました」

和洋中やエスニック、スイーツなど幅広く学べたことが今に生きている。

受験期の学校説明会で知ったのが、辻󠄀調理師専門学校のカフェクラスだった。和洋中やエスニックなど幅広い料理ジャンルの基礎技術を習得し、スイーツやドリンク、盛りつけなどの専門知識も学習。おいしい料理で集客できるカフェづくりをめざそうというクラスだった。
「いろんなジャンルにチャレンジできるのがとても魅力的でした。当時は地元におしゃれなカフェがなかったので、大阪にあるようなお店を開ければなとも思っていました。電車で1時間ほどだったので、大阪へはよく出かけていたんですよ。グループ校に兄が通っていた安心感もあり、迷わず進学しました」
小中高~エコールと一緒にすごした友人とは今も交流が続く
極度の人見知りだったが、小中高と一緒だった同級生が同じクラスになったことで不安はなくなった。その友人とは通学もアルバイトも含め、ずっと行動をともにしていたという。
「おかげで友だちの輪もすぐに広げられました。高校では家庭料理がメインでしたが、専門学校では初めてふれる料理ばかり。幅広く学べたことが今に生きています。自由参加の講習会にもさまざまな講師が来てくださり、季節のお菓子をつくったりバリスタの体験をしたりと勉強になりました。アルバイトはUSJ。テーマに沿ったレストランのオープンキッチンで調理し、お客様の楽しまれている様子がやりがいに。その頃からエンターテインメントの世界には惹かれていたんだと思います」

わくわくする魅力がある、創造性豊かな料理に出会い、めざす道が見えてきた。

1年間の学生生活は楽しく、あっという間に時間が過ぎていった。料理をすることは楽しかったが、一分野を突き詰めようとは思えない。就職したい店舗も見つからず、学んだことをどう応用すべきかを考えあぐねているうちに、卒業間近となってしまう。
「悶々としていた頃、母親がネット上で『ビルボードライブ大阪』の募集告知を見つけてくれたんです。そこで二人でライブを観に行ったところ、楽しそうだし雰囲気もいいし歳の近そうなスタッフも多いんじゃないかと応募。しばらくして、『明日、面接に来られる?』と電話があったので即答し、アルバイトとして働き始めることになりました」
そういった行動力はあるものの、極度の人見知りは相変わらず。年齢層が近かったのはホールスタッフだけで、キッチンは7歳上が一番近いという状況。大先輩たちに囲まれ、ほぼ誰ともしゃべれない期間が続いた。
「面接してくださった和田成生(わだしげなり)さんの下につく形でサラダやデザートを担当するようになったんですが、見た目がすごく怖くて(苦笑)。実際はとても優しかったので、1カ月ほどで話せるようになってからは楽しかったです」
「西洋料理がベースながらも、和田さんがつくるのは見たこともない創造性豊かな料理。どれもひと手間かかっていて、わくわくする魅力があるんです。学生時代は自分のめざす料理が見えず、どこに就職したらいいかもわからなかったんですが、わくわくする料理をつくりたいと思えるようになりました」

「責任は取るから自分のやりたい料理をぶつけてほしい」と口説かれ料理長に。 

しばらくは、和田さんとしか話さなかったというが、先輩たちから声をかけてもらい、徐々に打ち解けていった。3年目にもなるとメニューの提案を求められるようになり、考えることが面白くなってくる。頭つきの魚を率先してさばかせてもらうなど、技術を高めることにも積極的に取り組んだ。
「料理長にも褒められるようにもなったことがうれしく、『こういう料理をつくりたい』というアイデアがどんどん湧いてくるようになりました。ライブレストランという形式上、開場から開演まで1時間でオーダーをとって提供するのでスピードも重要。集中して素早く動き、演奏が始まるまでにさばききる達成感も楽しいんですよ。長年勤めていくと、演者さんや音楽の系統によって、よく出る料理の傾向がわかってくるので、それに合わせて段取りを組み立て、スムーズに進められると気持ちがいい。どんどんやりがいが高まっていきました」
現ビルボードライブ大阪 支配人の吉田圭吾さんと
料理長が交替するタイミングで、東京への異動前だった当時の総支配人から「もっと料理を盛り上げてほしい」と誘われ、正社員となる。その後、さらに大規模な改革が始まり、『料理も面白くしていこう』と、二十代にして料理長にと打診された。
「その頃には料理に対して意見することも多かったので、風が変わるのでは、という狙いがあったと思います。まさかの出来事でしたが、新しい支配人から『責任は取るから自分のやりたい料理をぶつけて、料理長として頑張ってほしい』と言ってもらえ、挑戦することにしたんです」

みんなで話し合いながら料理をつくりあげ、チームワークもできていった。

しかしそれまでメイン料理の担当経験もない。どう進めればいいのか難しかったが、突破口はとにかくコミュニケーションをとることだった。
グリーンサラダ
「その料理を担当経験豊富なスタッフに勇気をもって、『こういうふうにつくってほしい』と相談したり、『もっとこうしてほしい』とお願いしたり、つくってみた料理に意見をもらったり。みんなで話し合いながらつくりあげ、チームワークもできていきました。自分が提供したい料理を売り出してもらうには、サービスのメンバーにもきちんと伝えなければといけません。ここに来てようやく、人見知りが克服できたと思います(笑)」
グリルサーモンのシーザーサラダ
とはいえ、いい料理ができたとメニューに載せても、それがオーダーにつながるとは限らない。うまくいかずくじけそうになることもあったが、責任あるポジションと周囲の協力が前を向かせてくれた。
バーニャカウダ 3種のソース
「いきついた先は、老若男女、誰もがわかるメニュー名です。ご入場から本番までの時間のないなか、メニューを見て悩ませてしまうと、演奏が始まるまでにオーダーを受けられなくなりますからね。
新しいメニューには、こういう客層にはこういう方向性がいい、といったアイデアを詰め込みました。ベースを活かしつつ、季節感も盛り込みながら1~2カ月ごとにメニューを変更。みんなの努力のかいあって、売上げが右肩上がりで伸びていきました」
サフランのリゾット ホタテの炙り添え

アーティストのイメージを形にするコラボメニューも盛んに手がけるように。

「いろんなお店へ食べに行ったり、インスタや雑誌、本などを見たりしてイメージをふくらませ、アイデアを形にしていくのは本当に面白いです。昔はお客様にいいものを提供したいという思いが空回りし、言いたいことを言うだけばかりでしたが、みんなとコミュニケーションをとるようになって、『こういう考えもあるな』と吸収できるようにもなりました」
アウトサイドステーキ フライドポテト添え
永岡さんが料理長になって以降、アーティストとのコラボメニューも盛んに手がけるようになった。普段の料理に対してはもちろん、そういった特別な料理をアーティスト本人やファンのお客様にも喜んでもらえると、ライブレストランならではのやりがいを覚えるという。
アーティストとのコラボメニュー
アーティストとのコラボメニュー
「アーティストが好きな食材やメニューをアレンジしたり、そのアーティストをイメージしてつくったりと、オーダーはさまざま。ゲストにちなんだメニューを考えることもあり、すごく楽しいです。ケータリングの料理をハロウィン仕様にしたらアーティストやスタッフの方々がすごく喜んでくれ、コラボメニューづくりに発展したことも。『全面的にお任せで』と言われることもあり、プレッシャーも大きいですが、ご好評をいただけると満たされた気持ちになります」
ウェディングビュッフェ
「また、『ビルボードライブ大阪』を会場にした、ウェディングプランのメニュー開発もあり、一般的なウェディングプランとは異なる、特別な空間での演出に合う料理への探求もやりがいのある仕事です」
ウェディングビュッフェ

結局は動いてみないとわからない。いろいろ経験を積むなかで見えてくる。

阪急阪神グループの経営で福利厚生が整っているのも安心だった。コロナ禍で一時は休業を余儀なくされたが、その間も手厚いサポートが受けられた。産休からの復帰後は、勤務を早めの時間帯にシフトさせられるなど、ライフスタイルに合わせた働き方もできるという。
「現在は朝11時に出勤して、納品物やメールをチェックし、クリスマスなどシーズンメニューの考案や料理の撮影、資料の用意などを行い、仕込みが足りていないところは手伝い、終われば事務作業を行い、オープン時にキッチンへ入ります」
「セカンドステージが始まる前は確認だけして20時には終業。タイムスケジュールが組める、段取り力のあるスタッフが残ってくれているので、仕事も進めやすいです。まだ海外アーティストの公演が難しいので、早く以前のような状況を取り戻したい。再びいらっしゃるお客様にも、料理が成長しているなと感じてもらえるとうれしいです」
コミュニケーションが苦手で空回りした部分もあったが、この環境に身を置けた結果、「無理かと思うことでも、やってみたらなんとかなる」という度胸もついた。
イタリアでの研修先のシェフと
「コロナ禍前、ワインの勉強をしに一人で初めてイタリアまで行ってきたんですが、行ったら行ったでなんとかなりました」
「以前は『こうじゃないとだめ』という思いが強かったんですが、案外そうじゃなくても大丈夫だし、怖そうに見える人も接してみないとわからないし(笑)」
「なんでもやってみないとわからいものです。漠然と料理の道に進もうと考えている若者のなかには、私のようにやりたいことが全然わからない人もいると思います。見つかれば楽しいんですが、出会うまでは思い悩むこともあるでしょう。結局は動いてみないとわかりません。いろいろ経験を積むなかで見えてくるものなので、まずは飛び込んでみたほうがいいと思いますよ」

永岡沙理さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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