No.126
食の世界で自分を表現したいとフランス料理の道へ。全国配送の惣菜やデザート、パン類が各家庭に幸せを届け、時代が求める人気店に。
ル・トレトゥール オグロ オーナーシェフ
小黒章太郎さん
profile.
東京都出身。私立昭和第一高等学校からエコール 辻󠄀 大阪の辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジに進学。辻󠄀調グループ フランス校を1996年に卒業して帰京し、銀座にあったフランス料理店『モンセニュール』に就職。その後、神田『ビストロ ル・ヴァン』、竹芝『ザ・ガーデン』、国立『ル・ヴァン・ド・ヴェール』で経験を重ね渡仏。アルザスのフランス料理店やブルターニュのトレトゥール(惣菜店)で約1年半修業し、東京・三鷹『ビストロ グラン ソレーユ』の料理長に就任。約2年後からは開業準備と並行して横浜のフランス料理店などで働き、2013年8月、横浜・山手にフランス料理惣菜店『ル・トレトゥール オグロ』をオープン。
access_time 2021.01.22
人と同じことが好きじゃなく、オリジナルのものをつくりたかった。
神奈川県横浜市。JR山手駅から徒歩5分ほどの閑静な住宅街で、フランス料理の惣菜店『ル・トレトゥール オグロ』を夫婦で営んでいる小黒章太郎さん。
「食への興味は、食べることが好きだった両親からの影響が大きいです。お取り寄せや外食を楽しみながら、『この料理には何を使っているか』『この食材はもっとこうしたほうがおいしいんじゃないか』なんて話をするのが日常だったんですよね」
生まれは東京都江東区。幼少期から絵画教室や工作教室に通い、コンクールで受賞することもあった。母に連れられ美術館や舞台を観に行くことで、芸術的で美しいものが好きになったという。
「高校卒業後の進路に迷っていたとき、向いているんじゃないかと父に勧められたのが料理の道でした。昔、父親が料理好きで、赤ワインを使ったハッシュドビーフとか、本格的な洋食をつくってくれていたんですよ。自分でつくった経験はなかったものの、ものづくりも食べることも好きだったので、料理の世界へ飛び込む決心をしました」
なかでも惹かれたのがフランス料理。学ぶために選んだのが、エコール 辻󠄀 大阪の辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジだった。
「日本料理は引き算、フランス料理は足し算だって聞いたことがあったんですよね。もともと人と同じことが好きじゃなく、オリジナルのものをつくりたい願望があったので、フランス料理なら自分の色を出せそうかなと。テレビで観ていた先生方の印象やフランス校の存在から、学校はエコール 辻󠄀 大阪を志望。両親からは高校を卒業したら自立するよう言われていたので、離れて暮らすことも成長の機会になると考えたんです」
文化、風習、食材の違い、感覚など、国民性の違いを肌で感じられた。
1994年4月にエコール 辻󠄀 大阪へ進学。フランス料理を学ぶことは、感動の連続だったと振り返る。未経験からの実習は大変だったが、帰宅後も包丁を使う練習に打ち込んだ。
「フランス料理がどんなものなのか、その骨格を学べた1年間でした。講習での試食はどれも感動したんですが、なかでもソースの奥行きの深さは衝撃的で。食材と一緒に食べることで化学変化というか、食べ進める間にも味に変化があり、こんなにもお互いを引き上げ合う相乗効果があるのかと驚きました」
フランス校にて
フランス校を視野に、ワインやフランス語の授業に力を注いだ。1年間の課程を経て挑んだフランス留学は、現地で一流のフランス料理を体感できた貴重な学びになったという。
研修先のスタッフたちと
「シンプルな素材が、こうも際立つのかと驚きました。ミシュラン星付レストランのシェフを招いた講習もあり、当番制で調理の補助もさせてもらえたんですよ。ものすごいプレッシャーながらも、どのタイミングでどう動けばいいのか、いい勉強になりました。文化、風習、食材の違い、感覚など、国民性の違いを肌で感じられたことも、フランス料理に携わるうえで、とても役立っています」
約半年後に向かった研修先は、アルザス地方にあったホテルレストラン。
研修先でジェラール エクートシェフと
「オードブルをつくったり、パティシエの補助をしたり、食材の掃除をしたりと、幅広く担当させてもらえました。アルザスの名産であるフォワグラの掃除も大量にやらせてもらえたし、フランス人のスタッフらも仲良くしてくれ、毎日が楽しかったですね。研修が終わってからも残ってほしいと、シェフに言ってもらえたことにも感激しました。学生時代に高い水準で料理の基礎を学び、本物に触れる喜びをたくさん感じられたのは大きな財産。料理に対する探究心や遊び心をなくしてはいけないという精神も根づきました」
独立に向けてオールラウンドプレイヤーになろうと、デザートも勉強。
約10ヵ月間の留学を終え、1996年2月に帰国。就職は東京でしようと、辻󠄀調グループの東京校で探し、当時銀座にあったフランス料理店『モンセニュール』へと行き着いた。
「いろんなお店へ食べに行ったなかでも、クラシックでおいしかったんですよね。最初の1年間はサービスだったんですが、お客様と直接ふれあうことで気持ちを知れ、料理のこともお客様ありきで考えられるようになりました」
その後、調理場で補助を務め、お店からの紹介で神田の『ビストロ ル・ヴァン』へ。
「調理場がシェフと二人きりだったので、焼き場やパティシエの補助、オードブルなど、なんでもやらせてもらえました。学生時代から将来はお店をもちたいという夢があり、幅広く経験したかったのでありがたかったです。自家製パンをつくらせてもらえたのも、いまに生きています」
約2年間の修業を積むと、シェフから「大きいキャパも経験したほうがいいのでは」と勧められ、竹芝の『ザ・ガーデン』に転職。約20人もの調理場で、コース料理や宴会料理、ウエディングなども経験できた。その後は国立のフランス料理店『ル・ヴァン・ド・ヴェール』へ。
「パティシエの部署が空いたと知り、専門的に勉強したいなと思って、キュイジニエ(料理人)兼パティシエとして勤めました。その頃はまだ、将来どんなお店をしたいかのイメージはできていなかったんですが、独立するならオールラウンドプレイヤーでなければと思っていたんですよね。とても多忙でしたが、ケーキや焼き菓子、ソルベやグラスデザートなど、幅広く学べて多くのことを吸収できました」
フランスの料理人たちに認められ、現地ならではの食文化を体得した。
実務経験を積んでから、もう一度、フランスで修業をしたい。ずっと抱いていた願いが、同店で働き7ヵ月ほど経った頃、叶うこととなった。
ジェラール・エクート シェフの店『ウィンステューブ・シェ・ジェラール』のスタッフたちと
「フランス校時代の研修先のジェラール・エクートシェフが同じアルザスで独立され、しばらく働かせてもらえることになったんです。最初はアミューズ(突き出し)やオードブルを担当していたんですが、自分からアピールし、魚料理や肉料理も任せてもらえるようになりました」
『ウィンステューブ・シェ・ジェラール』付近の当時の街並み(アルザス地方 オベルネ)
「肉や魚に地元アルザスのワインを使ったソースを掛け合わせるような、その土地ならではの料理も学べて面白かったし、つくるのが早くて盛りつけがきれいだと褒めてもらえたのもうれしかった。ほかの料理人たちにも認めてもらい仲良くなって、休日には遊びに出かけたり、クリスマスにはシェフの家でパーティを開いたりと楽しかったです」
同店の冬休み期間には、ブルターニュ地方へ。シェフの友人が営むトレトゥール(惣菜店)を手伝わせてもらえることになった。
『ウィンステューブ・シェ・ジェラール』を出る際に店のスタッフたちがコック帽に寄せ書きをしてくれた
「住んでいる土地のものを使っておいしいものをつくろうという、フランス人の食文化に対する自信や、多彩な食材を扱っていることへの誇りなどを感じました。ブルターニュはリンゴの名産地なんですが、まかないの時間に初めて食べたタルトタタン(リンゴを使ったタルト)が感動的においしくて…。作り方を習い、数多くの仕込みを経験。そこのシェフからも気に入っていただけ、別れ際にタルトタタンをつくるための銅鍋をプレゼントしてもらい感激しました」
本場で腕を磨くこと約1年半。帰国後は、直前に働いていた『ル・ヴァン・ド・ヴェール』のシェフが東京都三鷹市に開いた『ビストロ グラン ソレーユ』の料理長に就任した。
「多彩な野菜やジビエも扱っていて、手間のかかる仕込みも含めて勉強になりました。自らもメニューを考え、デザートまでトータルに手がけられ、大きくステップアップできたと思います」
自宅での時間を大切にする傾向を察知し、テイクアウトメインの店に。
2年ほど勤めて30代を迎えた頃、独立に向けて自由に動きやすいポジションで仕事をしようと転職。横浜のフランス料理店などで働きつつ、書籍で開業や経営のノウハウも学んだ。
「いくら料理ができても、経営ができなければ開業できませんからね。基本的なことを勉強しつつ、ほかのお店にも経営者目線で食べに行き、ひとりで切り盛りできるスタイルのお店を模索していました」
そして横浜で働きだしてから知り合った幸子さんと婚約。学生時代から夢見ていた独立についても、夫婦ふたりで長く続けていけるお店をつくりたいと具体的に考えるようになった。
「妻は食品業界で品質管理、商品開発の仕事に携わっていて、食に関して非常に興味をもっていたんですよ。当時は中食の需要が高まりつつあって、自宅での時間を大切にする人が増えてきた頃。女子会も流行りだし、家でゆっくりおいしいものを食べようという流れがきていたので、ならばテイクアウトメインでやろうと考えました」
2013年2月に入籍し、店を開ける場所を自宅の近くで探したところ、現在の物件を見つけた。レストランだけでなく惣菜店の営業許可証も取得し、8月に『ル・トレトゥール オグロ』をオープン。フランス料理をベースにしたサラダや肉・魚料理などの惣菜、パンやケーキなどの販売を始めた。
「新鮮で安全な食材はもちろんのこと、調味料や水にもこだわって調理。保存料や化学調味料といった添加物は一切使わず、自然食材だけでつくっています」
「レストランはその場で提供しますが、惣菜は持ち帰って後日に召し上がることもあるので、温め直してもクオリティが変わらず日持ちすることが重要。そのため、つくった料理を持ち帰り、翌日や翌々日、さらに先までおいてから食べるチェックを繰り返しました。料理って、その食材に対しての最適な火入れをすると、おいしくなるだけでなく日持ちもするんですよ。これまでの経験と研究の成果が、うちの強みになっています」
牛ほほ肉の赤ワイン煮込み
コロナ禍でも自宅でレストランの味が楽しめて幸せだという喜びの声。
お皿に盛りつけるだけで、簡単にレストランの味を楽しめる。近所の住人を中心に、クチコミで徐々に常連客をつかんでいった。
「最初は定番をメインに、お客様がついてきたら徐々に創作料理で自分の色を出すようにしました。定番のメニューも、たとえばラタトゥイユなら最初から煮込むんじゃなく、材料を炒めてから合わせることで、色をくすませず野菜それぞれのフレッシュな味が楽しめるようにするなど、独自の工夫を凝らしています」
リエット
当初は簡易なイートインスペースのみ設けていたが、お客様からのリクエストにより、2階を使って予約制でコース料理も出すようになった。要望に応える形で、2年目からは出張料理やケータリングも手がけ、3年目からは通信販売もスタート。地道に続けてきたSNSでの発信も実を結び、いまでは北海道から沖縄まで日本全国から注文が入るようになった。
熱海レモンタルト
「惣菜店ですが、惣菜としてではなく、組み合わせたらコース料理になるイメージでつくっています。惣菜、パン、スイーツ、それぞれの商品にリピーターがついてくださっていてありがたい。過去の修業経験が、すべて生きています」
季節ごとに用意するフレンチ惣菜セットも、オードブル、スープ、魚料理、肉料理といったコース仕立てで構成。12月にはクリスマスセット、年末にはフレンチおせちもつくり、毎年楽しみにしている顧客も多い。
全粒粉のパン
「惣菜系もスイーツ系も季節によって何種類も変えているので、それぞれ時季が訪れたら必ず頼んでくださる人の数も増えてきています。秋のタルトタタンは、その代表格。ブルターニュで感動した本場の味に近づけるよう、あらゆるリンゴの品種を試し、火入れの時間も変え、いまの形にたどり着きました。新作を楽しみにされている方や、週2ペースで通ってくださる常連様もいらっしゃるので、常に変化も必要。ほかにはないメニューを自分の発想で生みだせるのも、また楽しいです」
X'masセット
2020年春から続くコロナ禍により、テイクアウトや配送のみの営業に絞ることになったが、その需要が急増。前年に比べ1.5倍もの売上げになった。
おせち料理
「配送先のお客様からは、『コロナ禍の大変なときでも、こんなにも優雅でおいしいものを家で食べられるのは幸せだ』『楽しみのないなか、レストランで食べている気分を自宅で味わえた』といったうれしいお言葉を頂戴できていて、とてもやりがいがあります。おいしいものを食べたときの幸せを、より多くのお客様に届けたいですね」
コロナ禍は原点回帰のいいきっかけになったと語る小黒さん。
「あらためて、食の大切さを痛感しました。美味しいものを食べたときの幸せそうな顔は本当に素晴らしい。それを提供できる仕事に誇りを持ちながら、自分自身も楽しんでやり続けたいですね。今まで培ってきた技術を強みにして、全国のお客様に必要とされる店にしていきたいです」
「お客様に驚きや感動を覚えてもらわないとリピートもしてもらえません。自分が理想とするトレトゥール(惣菜店)を、シンプルに力強く進めていきたいです。…はじめは僕も技術が追いつかず、とても苦労しました。最初からできる人なんていません。昨日より今日、今日よりも明日、諦めずに一歩一歩前に進んでいけば、必ず道は開けます。食の可能性は無限大です。これから進む人たちには、柔軟な発想で新しい食の未来を切り拓いていってほしいですね」
辻󠄀調グループ フランス校
本場でしか学べないことがきっとある
フランス・リヨンに郊外にあるふたつのお城の中には、
フランス料理とヨーロッパ菓子を学ぶための最新設備がずらり。
話題になっている記事
食から拡がる様々な業界で働く