No.028
最も大切なのは、料理に想いを込める「一食入魂」
AU GAMIN DE TOKIO(オー・ギャマン・ド・トキオ)オーナーシェフ 株式会社T.K-BLOCKS 代表取締役社長
木下威征さん
profile.
1972年生まれ。エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジを1992年に首席で卒業後、フランス校へ。フランス・イタリアでの修行中は、三ツ星レストランで働き、帰国後は「AUX BACCHANALES / オーバカナル」で5年、その後9年白金台「MAURESQUE / モレスク」にて料理長を務め、独立。
2008年に「AU GAMIN DE TOKIO / オー・ギャマン・ド・トキオ」を開店。「GAMIN / いたずら小僧」の名のように枠にとらわれず、フランス料理店の常識を覆す全対面オープンキッチンが評判を呼ぶ。食のガイドブック「東京最高のレストラン」100店にも選ばれ五つ星を獲得。お客様との距離感とおもてなしの心に重きを置き、「一食入魂」の想いを胸に日々厨房にて腕を振う。現在7店舗のオーナーシェフ。
access_time 2017.09.22
常にお客さまの顔を見ながら、料理に心を込める。
それが、ギャマングループの教えです。
木下威征シェフは、これまでの常識を打ち破った鉄板フレンチや、お客様と向き合って料理をつくる「オープンキッチン」スタイルで一世を風靡したことで知られる。お店の名前が「オー・ギャマン(いたずら小僧)」というのも、料理に対する心構えがあらわれているような気がする。
「料理人にとっていちばん大切なのは、お客様への感謝と想う気持ちです。その気持ちがあれば、たとえば立派なお皿でなく、一枚の葉の上であっても表現できるはず。
技量や知識は後から付いてくる。私がお客様の顔が見えるオープンキッチンにこだわる理由はそこにあります。お客様と対話しながら、今の感謝を料理に込める。お客様の気分を察して臨機応変に対応させていただく。そこから料理人の仕事ははじまります。たとえバックヤードにいたとしても、覗きにくるくらいお客様の顔を見なさい。そして感じたことを料理に生かしなさい。それが、開業以来のオー・ギャマンの若い料理人に対する教えです」
すべては、素敵な思い出を
持ち帰っていただくために。
「感謝の気持ちを料理に表す。結局それは料理人でありながらサービスマンであれ、サービスマンでありながら料理人であれ、ということ。お客様のために今できることがあれば、それを一生懸命する。私自身、気がついたらトイレ掃除だって何だってやります。要は何が目的で何のために必要なのか。お客様に少しでも素敵な思い出を持って帰っていただく」
オープンキッチンを見おろせるボックス席の下はワインセラーに
そのために各々ができることをする。料理もサービスも、掃除もインテリアもすべて同じ目的のためにあるのだから、それを忘れてはなりませんし、そうでなければお客様に愛される繁盛店は生まれない、と思っています」
オーバカナル、三谷シェフ、
そしてビストロ料理との出会い。
木下シェフはフランス、イタリアで修行を積んだのち、フランスの食文化を日本で開花させたといわれる「オーバカナル」を三谷シェフとともに立ち上げ、5年間を過ごす。
「私はエコール 辻󠄀 東京を卒業して、フランス・イタリアに渡りいくつもの三ツ星レストランで働きました。フランス料理への自信もプライドもありました。そして三谷青吾シェフ(当時、オーバカナルの総料理長)のもとでビストロ料理に出会い、それまでの考え方が大きく変わります。私たちの三ツ星レストラン時代は、美しい料理という絵を一生懸命描いているようなものでした」
「とうもろこしのムースと生ウニ」
しかし三谷シェフが求めるビストロ料理は、それこそフライパンごとお出しするような、その場の勝負勘が求められます。熱い料理をいかに早く美味しく出せるか、みたいな。どちらがいいか悪いかではなく、それはお客様に判断していただければいい、という姿勢です。それが評判となり1年後には、本場フレンチの名だたる三ツ星レストランのシェフの視察が相次ぐほどになりました。
『日本にすごいビストロができた』『こんなビストロは、フランスにもないよ』というわけです。辻󠄀調の辻󠄀静雄先生が、日本にフレンチを紹介し根付かせたように、私たちもビストロ文化を日本に定着させた、そんな気分でした」
「トリュフのふわふわスフレオムレツ」
料理は形ではなく
その表現方法だ。
ビストロはフランスの身近な食文化だが、そこには実に奥が深く緻密で高度な料理技術と情熱が注ぎ込まれている。その時のことを木下シェフは、こんなエピソードを交えて教えてくれた。
「たとえばフランス料理には焼きながら出た肉汁をかけて表面をカリッと仕上げるアロゼという調理方法があります。子羊の骨を一人前だけ切ってアロゼするのはそれほど難しくはない。ところがビストロ料理で、ランチに出すためには大きな骨のままアロゼしなければなりません。三谷シェフは私に『きのやん(三谷シェフは、まだ若かった当時の木下シェフのことをそう呼んでいたらしい)、朝6時からやろう』お店の開店までの約5時間、160度の低い温度でオーブンにかけ、アロゼです。それをランチメニューに加えて出すと、次の日からたくさんのフランス人でいっぱいになる程。“オーバカナル伝説”の始まりです」
料理は形でなはなく、表現方法と情熱、想い。しっかりとした料理を出せば、遠くからでも、お客様はわざわざ来てくださる。私は、そんな料理をめざそう、とその時思いました」
愛情にかなう料理はない。
その後、白金台のモレスクで料理長を務めることになる。シェフになったのは26歳。まだまだ若く、鼻っ柱も強かったという。ところがひとつの出来事がきっかけで、木下シェフの心持ちは、さらに大きく変化する。
「お店によく通ってくださるご家族がいらっしゃいました。ご夫婦とお嬢さん。私も親しくさせていただいてました。そのお嬢さんが病気になってしまったのです。
小児がんでした。ご両親の嘆き悲しみは、測りようもありません。家族一丸で病魔と戦うのですが、癌の進行は止まりません。お医者さんから余命数ヶ月と宣告されてしまいます。お父さんが娘さんに願いを聞くと、『最後に家族で、きのやんのお店に行きたい』と言ってくれたそうです。料理人冥利に尽きますよね。ご両親に伴われて来店されたお嬢さんは、痩せて料理も口にできないような状態でした。
『お子様ランチが食べたい』フレンチにそんなメニューはありませんが、私もスタッフも総動員で心を込めてつくりました。
お嬢さんはそれを2時間かけて食べてくれました。残念なことにお嬢さんはその1週間後に旅立たれたのですが、私に手紙を託してくれていました。『私はこれまで両親に連れられて、たくさんの一流レストランで食事を楽しみました。どれも美味しかった。でも、本当に温かさを感じたのは母の料理と、きのやんがつくってくれたあのお子様ランチでした。きのやん、これからも温かい料理人でいてください』そんな内容だったのです。
それまで天狗になっていた鼻を折られた気分でした。私は今まで、冬山を登りきり達成された人に、寒さで震えているのに最高のシャンパンと料理を出して『これが最高のフレンチです』と、自慢しているような料理人に過ぎなかった。お嬢さんが最後の食事にお子様ランチを求めたように、寒さで震える人には温かい豚汁でしょう。ペコペコにお腹が空いている人には、シンプルな塩おにぎりこそがご馳走だと思います。フレンチの常識なんて関係ない。その時料理人がすべきは、その人が一番食べたいと思う料理を、誠心誠意込めてつくりお出しすることなんだと」
「フォアグラエクレア」
鉄板フレンチも、オープンキッチンも、ギャマングループの料理とおもてなしの想い。そしてお客様に喜んでいただくための柔軟な発想こそが「枠にとらわれない、いたずら小僧」という店名なのだ。
1階の「モード・カフェ・ギャマン」では、スイーツも楽しめる。
「ギャマングループは現在7店舗。レストランに加えて洋菓子、商品開発も手がけるプロジェクトや、宮古島のビーチで独自のリゾートレストラン&ホテル計画も始まっています。やりたいと思ったら、まず手を挙げよう。そして全力で取り組もう。宮古島でのレストラン計画もそんな気持ちでスタートし、何度も現地に通ってやっと実現にこぎつけました。19年の春には開業の予定です。
地方プロジェクトでは、その土地の食材を生かす地方創生のために、スタッフを伴って現地にも出かけます。これからはもっといろんな人材が必要になります。料理人、パティシエ、レストランスタッフ、企画、マネジメント、料理から広がる可能性は無限です。全ては、同じ目的のために何ができるか、何がしたいか。そんな夢に、若い人たちをどんどん巻き込んでいきたいですね」
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