No.038
初めて旅したフランスで心を奪われ、料理の世界へ。フレンチベースの日本料理で新境地を開拓し、広くは日仏の文化交流をめざす。
Ma yucca オーナーシェフ
植田 祐加さん
profile.
静岡県出身。エコール 辻󠄀 東京からフランス校へ。2000年に卒業後、カンヌ近郊の『ロアジス』などを経て、サヴォワ県のリゾート地、クールシュヴェルのレストランに勤務。2002年に一時帰国し、東京日仏学院(現・アンスティチュ・フランセ東京)内のレストランや、『グランド ハイアット 東京』を経て、再び渡仏し、カンヌのレストランで労働ビザを取得。五つ星ホテルで日本料理部門のシェフを務め、2011年3月、ニースに『Ma yucca(まゆっか)』をオープン。2012年から和雑貨店も併設。
access_time 2017.12.01
初めて渡仏した18歳のとき、フランスの空気に呼ばれている気がした。
「高校3年で初めてフランスを旅行したとき、もう恋に落ちたというか。『フランスの空気が私を呼んでいる!』と感じたんですよね(笑)。だけど将来の目標は見えていなくて。その後、母が『フランスで学べるコースがある』と新聞で見かけたエコールのことを教えてくれて、体験入学へ。そこで初めてコックコートを着たところ、母に『祐加ちゃん輝いてる!』って言われ、その気になっちゃって(笑)。
もともと母の影響でお菓子づくりが好きだったんですが、料理の方に魅力を感じ、『この道で行こう』と心に決めました。フランスへ行けるというのが一番の理由でしたが、一つの目標を見つけられたことで、それまで悩んでいたことが一気に吹き飛んだのを覚えています」
めざす先を見つけると、やれるところまで駆け抜けるタイプだったという植田さん。エコールでは特待生をとり、勉強にも遊びにも全力投球をした。
エコール 辻󠄀 東京時代
フランス校卒業後も現地で経験を重ね、フランスへの思いが高まった。
フランス校では、多くの一流シェフを生みだした伝説のレストラン『アラン・シャペル』で研修。“料理界のダ・ヴィンチ”と呼ばれた故アラン・シャペル氏の夫人と息子のロマン氏、愛弟子のフィリップ・ジュス氏の3人がそろう貴重な時期だった。
フランス校時代『アラン・シャペル』での研修(最前列一番左がフィリップ・ジュス氏)
「周りのフランス人は『これは歴史的な瞬間なんだぞ』と言っていたけど、当時はピンときていなくて(苦笑)。今振り返ると、素晴らしい時間を過ごさせてもらったと感じます」
フランス校での経験を経て、フランスへの思いはますます高まった。卒業後は、恩師の紹介により、カンヌ近郊の『ロアジス』へ。
カンヌ近郊の『ロアジス』時代
見習いとして魚の下ごしらえや付け合わせなどを担当したが、180席もの大規模な二つ星レストランは目が回るほど忙しく、みるみる鍛えられた。シーズンオフの12月から4月にかけては、同店の部門シェフの誘いにより、アルプス山中に位置するクールシュヴェルへ。国内屈指の高級スキーリゾートにあるレストランで経験を積んだ。
「後に一つ星をとっていましたが、とても腕の立つシェフだったので、学ぶことばかりでした。濃密な期間だったと思います」
クールシュヴェル時代
一時帰国するも、常にフランスを感じられる環境で働き、再び渡仏。
ビザの関係から22歳で一時帰国。しかし、いずれフランスへと戻るため、身近にフランスを感じられる環境で働こうと職を探した。
「日本でフランス人が一番多い場所を調べると、東京の神楽坂だったんですよね。実際に見て歩いたところ、フランス政府が運営するフランス語学校、日仏学院(現在のアンスティチュ・フランセ東京)のなかにもレストランがあることを知って、勤め始めました」
語学に限らずフランス関連の文化講座やイベントなども催す交流拠点だったこともあり、大使館の人間をはじめ、数多くのフランス人や関係者と知り合った。そのつながりから、『グランド ハイアット 東京』へ。渡仏資金を貯め、今度はフランスで労働ビザをとろうと、カンヌのレストランに勤め始めた。
「だけどそこが14~15歳のアプランティ(見習い)がフルに働いているような、過酷な労働を強いられるところで…。今まで二つ星などレベルの高さで大変な思いをしましたが、また別の苦労がありました。それでも頑張れたのは、フランスを愛してしまっていたから。住めば住むほど、自由気ままに生きられるこの国の空気にのめり込んでしまったんですよ」
五つ星ホテルで日仏のフュージョン料理を手がけたことが転機に。
約2年半の勤務を経て、28歳のときに労働ビザを取得。新天地を探していたところ、同じくカンヌにあった五つ星ホテルで日本料理部門のシェフを募集していることを知り、新たな扉を開いた。
薄切りサーロイン寿司、フォワグラ、照り焼きソース、ガーリックチップス
「日本料理といっても純和風のものではなく、フレンチとのフュージョン料理。そのメニューの開発に明け暮れました。創作を重ねていくうちに、もうこれでやっていけるのではという自信もつき始めて。実は30歳になったら地元(静岡県富士市)に戻ってレストランをやるという約束を親としていたんですよね。それを5歳下の妹が手伝うと言っていたので、1年間、フランスで学ばせてから、日本に戻る予定だったんですが、妹もフランスを気に入っちゃって(笑)。ちょうどパリで日本人女性による起業ブームが起こり始めた頃でもあったので、そういう方にもお話を伺い、フランスでお店をオープンさせる考えに至りました」
当初はカンヌで開業しようと考えていたが、妹の麻友さんがニースの大学へ通っていたことから、心が変わる。
柚子シャーベット、フルーツゼリー、ヨーグルトアイス、フルーツサラダ
「カンヌは世界的に有名な土地ではあるものの、すごく田舎なんですよ。映画祭や世界最大の不動産会議のときに世界中から人が集まるぐらいで、それ以外は閑散としていて、コンスタントにお客様を呼ぶのはハードルが高い。一方、ニースは地元の人も多いし、国際空港もあってモナコも近く、夏はセレブの人も大勢集まる。だからニースで物件を探し、2011年3月にオープンさせました」
フランスと日本の素晴らしさを融合させた新たなレストランに。
念願だったレストランは、姉妹の名前を合わせて『Ma yucca(まゆっか)』と命名。開店早々、世界最大の旅行クチコミサイト、トリップアドバイザーで、ニースのレストラン約900軒中3位を獲得し、多くの人が訪れるようになった。
妹の麻友さんと(右)
「初めて妹と一緒に働きましたが、息がぴったりだったんですよね。彼女の型にはまらないサービスがすごく良くて。いままで私はプロとしてのサービスマンを大勢見てきたけど、我が妹ながら、その人たちにはない良さがたくさんありました」
お店のテーマは、“franco-japonais”。フランスの素晴らしい食材と日本人の素晴らしいテクニックや繊細さをコラボレーションさせるような、理想の料理を追求しているという。
抹茶アイスのプロフィトロール
「フランスには、『これはだめ』というものがありません。出る杭が打たれることもないし、縛られるものもない。流行りだからといってみんなが同じことをやらないし、お客様も、ここで出会う初めての料理を、おいしいと感じれば素直に受け入れてくれる。だからやっぱり、とても居心地がいいんです」
2012年には新たに和雑貨のショップをオープン。2013年には、ベトナム料理店だった隣の物件も購入してリニューアルし、現在は同じフロアで営んでいる。
「日本ならではの食器や小物なども紹介できたらなと始めました。祖母が描く絵てがみも取り扱っているんですが、『お店に飾る絵てがみをつくらなきゃ』って、生きがいにしてくれているのもうれしいですね」
おばあちゃん作の絵てがみ
いま道を探している人も、やると決めたからには、諦めないでほしい。
サービスとして勤めた麻友さんは、料理人であるフランス人と結婚し、2016年に帰国。彼女が築いたお店のカラーを引き継ぎながら、いまは旧日仏学院とのつながりを活かし、ワーキングホリデーで渡仏する日本人を雇い入れている。トリップアドバイザーの日本料理部門では、2017年現在も1位をキープ。日本に憧れる外国人客が多いこともあり、日本について知れる同店の環境はとても喜ばれ、ちょっとした文化交流拠点にもなっている。
「文化交流が自分のコンセプトでもあるので、ゆくゆくは日本とフランスを結ぶイベントを催すことができたらと思っています」
「いま、進むべき道を探している若い人たちも、やると決めたからには、諦めないでほしい。はじめから諦めるという選択肢をつくるのではなく、やりたいか、やりたくないかで判断して、まっとうしてほしいです。私も迷いに迷って体験入学へ行き、そこで『やりたい』と思えたから、いまがあります。まずは自分探しのために、なんでもやってみたらいい。100のことにチャレンジしてみて1つでもやりたいことが見えれば、それできっと道が開けますよ」
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