No.060
「お客さんの日常の一部になれるカフェ文化を根づかせたい」。広く長く愛される自家焙煎コーヒー店が大切にするのは、人とのつながり。
カフェヴェーク オーナー
久保 美幸さん
profile.
大阪府堺市出身。短大の栄養学科を卒業後、エコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀製パンマスターカレッジ(現在は別クラス設置)へ。1999年に卒業後、兵庫・神戸のブランジェリー『コム・シノワ』に就職。その後福島県の『椏久里珈琲(アグリコーヒー)』で約6年間、経験を積みつつ、東京・南千住の『カフェ・バッハ』で焙煎を学び、地元大阪へ。大阪・玉造のカフェ『ヴィーナーローゼ』などで働きつつ、約3年間の準備期間を経て、2008年、大阪・南堀江に自家焙煎コーヒー店『カフェヴェーク』をオープン。
access_time 2018.05.04
同級生が働く全国の店を巡ろうと、最初に訪れたのが運命の場所に。
「最初は料理人になりたかったんですよ。だけど魚アレルギーで生の魚などが食べられなかった。これは無理だなと諦めて、短大の栄養学科に。働くとしたら食関係がいいなと思って選んだんですが、在学中、辻󠄀調グループにパンを専門的に学べるコースがあることを知って、興味を持って短大卒業後に進学することを決めました」
そしたらもう、むちゃくちゃ楽しくて。授業を聴くのも実習をするのも面白くて、短大までとは違い真面目に勉強しました(笑)。意識の高い同じ目標を持つ友人と関わるのも楽しかったです」
辻󠄀製パンマスターカレッジ卒業作品
1999年の卒業後は、当時から大人気だった神戸のブランジェリー『コム・シノワ』に就職。在職中は精いっぱい頑張ったものの、1年半で辞めることに。
当時のコムシノワ店内
「周りにいた先輩のパンへの情熱はすごいものでした。慌しく過ぎる充実した日々でしたが、私自身はと考えたとき、アイデアと気力と体力に限界を感じた自分がいたんです。自分が本当にしたいことは何なのか、一度考える時間が欲しくなって、退職後は少し旅に出ることにして。辻󠄀調の同級生が全国にいたので、北から順番に友人を訪ねてみようと福島に行き、出会ったのが『椏久里珈琲(アグリコーヒー)』だったんです」
椏久里珈琲(アグリコーヒー)時代
『椏久里珈琲』は、福島県で市澤さん夫妻が営む自家焙煎コーヒー店。友人宅に1週間ほど滞在することにしたものの時間を持て余したため、「カフェを経験してみたいから、皿洗いでいいので働かせてください」とオーナーに相談。忙しい土日に入らせてもらったところ、「半年間だけでいいから働いてくれないか」と逆に誘われた。
椏久里珈琲(アグリコーヒー)時代
「ちょうど業務拡大のタイミングだったようで。『コーヒーの抽出を教えていただけるなら行きます』と言ったところ、『教える教える』って(笑)。専門学校時代、『カフェ・バッハ』の店主、田口護先生によるコーヒーの特別授業を受けて以降、いつかはコーヒー屋さんでも働きたいと思っていたんですよ」
お客さんもお店と一緒に年を重ねていく、カフェ文化の素晴らしさ。
1972年に自家焙煎をスタートさせた東京・南千住の名店、『カフェ・バッハ』。『椏久里珈琲』はそのグループ店の一つだった。
「実は、その特別授業を受けるまで、コーヒーが好きじゃなかったんです。飲んだあとに気分が悪くなったり、胸やけしたり…。アレルギーがあるから、自分の身体に合わないものが入ると弱いようで」
「だけど授業で飲んだコーヒーでは、それがなかった。聞いてなるほどと思ったんですが、古い豆や酸化した豆など、豆自体が良くないと、敏感な人は受けつけないようです。だけどしっかり選別された新鮮な豆を焙煎したコーヒーならおいしく飲める。あの授業をきっかけにコーヒーが好きになり、在校中、東京へ遊びに行ったときもバッハを訪ねました。何かご縁があったんでしょうね」
田口さんの弟子たちによるバッハグループの店舗は全国に広がっていて、ファンが多く、各地の系列店を巡る人も少なくない。『椏久里珈琲』もそんな1軒で、市街地から離れた農山村にありながら多くの人に愛されている。働き始めると、カフェの面白さにのめり込んでいった。
「人口が少ない田舎のカフェなのに、地元の方はもちろん、宮城や山形、埼玉などからもお客さんが通ってくれていたんですよ。お客さんとの距離も近くて。つくって終わりじゃなく、お客さんと話して、ダイレクトに反応が返ってくるのも面白かったです」
半年後に継続の意志を示し、福島県に移住。お店で出す自家製のパンやお菓子も担当させてもらうことになる。
「『せっかく勉強してたんだし、やってみない?』と言ってもらえて。以前、バッハグループの人たちが辻󠄀調に製菓や製パンを学びに行く企画があり、『椏久里珈琲』の奥さんも年に2回、通われていたり、当時エコール 辻󠄀 大阪の製パン担当だった江崎修先生が、毎年『椏久里珈琲』にも指導に来てくださったりと、つながりがあったんですよ。だから辻󠄀調のレシピをベースに、原価を気にせず、いい材料を使わせてもらえて(笑)。やっぱりパンやお菓子をつくるのが好きだし、自分のペースでできることも、大きかったです」
『椏久里珈琲』では丸3年間働くと、海外へ研修に連れて行ってもらえる。その際、訪れたウィーンで、人々の生活の一部になっている“カフェ文化”の良さを改めて感じた。
ウィーンでの研修旅行 右端が奥様(『椏久里珈琲』時代)
「カフェで何気ない会話をして、お茶をする日常がいいなと。おなじみさんが来て、地域性がある。バッハのお弟子さんの店は郊外が多いんです。それでもお客さんを呼べる商品づくりをしているから。お客さんもお店と一緒に年を重ねていく、カフェ文化って素敵だなと。自分もそんなカフェを開きたいという思いが、日増しに強くなっていきました」
自分が豊かでなければ相手も豊かにできない。それがカフェの心得。
30歳での独立を目標に、5年目からは月に1度、『カフェ・バッハ』に焙煎を学びに通い始める。そして約6年間の勤務を終え、独立準備のため大阪の実家へ。物件を探す間、せっかくなら役立つ経験をと、イタリアンの大型レストランやホテルのフレンチレストランなどでアルバイトをしながら、2カ月に1度のペースで『カフェ・バッハ』の研修に通った。
「コーヒーは、とても奥が深くて面白い。豆や焙煎機が同じでも、焼く人が違うと味が違ってくるんです。学べば学ぶほど面白さを感じました。研修期間中には、アフリカへの産地視察にも同行させてもらって。コーヒーがつくられる過程を目の当たりにできて理解が深まりました」
アフリカでの産地視察
「バッハでは、技術はもちろん、それ以外の部分で得るものも大きかった。心が豊かじゃないと、相手も豊かにできない。カフェは地域との関わりを大切にしないとだめだと。ちゃんと関わりがあれば、景気にも左右されないと教わりました」
しかし一方で、思うような開業場所が見つからない。当初は神戸にと考えていたが、田口さんに「地元が一番だ」と言われ、大阪で探すようになった。
「ちょうどその頃、エコール辻󠄀 大阪を退職され、カフェの開業準備をしていた江崎先生とバッハで再会したんです。その時、江崎先生はお勤めの方でしたし、私は開業を経験していないから、新しくできる江崎先生の店を手伝ってみてはどうかって田口先生から提案を受けたんです。それで物件が見つかるまでの約1年間、大阪・玉造の『ヴィーナーローゼ』で開業前からお世話になりました。江崎先生は、すごく丁寧な考え方をされる人。おいしいものに対する姿勢が徹底していて、充分おいしいレシピでも、さらに良くしようと頻繁に変えられる。学ぶことばかりでした」
ルーレオ フランボワーズ
お客さんとの関わりも、つくるのも楽しい。食の世界は本当に楽しい。
約3年間かけ、大阪市内の南堀江にようやくいい場所を見つけた。近くに図書館があり、繁華街に隣接しながらも公園に面した静かな環境が気に入り、出店を決意。2008年に自家焙煎コーヒーの店、『カフェヴェーク』をオープンさせた。
洋梨のタルト
「プレオープンのときに来てくださった『コム・シノワ』のシェフに、『パンの学校に通ってパン屋にも勤めたのに、パンを出さないのは寂しくないか』と言われて。『ポテトパンならミキサーも要らず手ごねでおいしく提供できるのではないか』と教えていただき、メニューに加えています。『コム・シノワ』にいたのは、たった1年半でしたが、その間、無我夢中でやってきたからこそ、今でも相談できる師です」
カカオのフィナンシェ
これまで培った一番の財産は、人とのつながり。その時々で助けてくれる人がいたので、なんとかやってこられたと振り返る。
「決して見返りを求めていたわけではなく、早く一人前になりたいという思いで必死だっただけですが、その時々で頑張ってきたおかげで、いろんな人に助けられました。人とのつながりは何より大切ですね」
「オープン時、偶然近所に住んでいたエコール辻󠄀 大阪の卒業生がお店の前を通って、辻󠄀調から花が届いているのを目にして入ってくれたんですよ。その後も1週間ほど毎日来てくれ、何十人お客さんを紹介してもらったかわかりません」
『カフェヴェーク』は、コーヒーはもちろん、丁寧につくられた自家製のパンやお菓子も好評で、地域に根づいた店となり、10年を迎えようとしている。お客さんの日常の一部になりたい。独立前に抱いていたいくつかの夢も、かなうようになってきた。
「ありがたいことに、地元だけでなく、奈良県や和歌山県から通ってくださる人もいます。毎週来られる方は、来られないとき電話をくださったりするんですよね。そのお気持ちがうれしい。お客さんとの関わりも楽しいし、つくるのも楽しい。興味があれば、この世界は楽しいと思います。だけど結論を急がないこと。早いうちに『自分には食の業界は向いていない』と決めつけるんじゃなく、長いスタンスで見てほしい。食の世界は本当に幅広いので、きっと自分に合った舞台が見つかると思います」
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