INTERVIEW
No.010

この土地ならではの逸品を食材にし、自分らしいフランス料理をつくる。50歳を目前に挑んだ、新たなチャレンジ。

Nabeno-Ism ナベノ-イズム

渡辺雄一郎さん

profile.
千葉県出身。辻󠄀調理師専門学校からフランス校へ。ミシュランの二つ星クールシュヴェル、サントロペ『ル・シャビシュー』『ラ プロポ』にて研修し、1988年卒業後、東京『ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー』に勤務し、リヨン『ラ・テラス』での修業も経験。’94年、東京・恵比寿のシャトーレストラン『タイユヴァン・ロブション』のオープンに携わり、’96年スー・シェフに就任。’98年『カフェ・フランセ』にてシェフ経験後、2004年からは『ジョエル・ロブション』のエグゼクティブ・シェフとなり、’08年版から9年間にわたりミシュラン三つ星を維持。フランスやモナコでの研修も重ねながら'15年10月までロブション・グループで勤め、’16年7月、浅草駒形に自店『Nabeno-Ism』を開業。
access_time 2017.06.02

この場所に引き寄せられたのは 運命でしかない。

隅田川に面し、東京スカイツリーを臨む。3階カウンター席から眺める風景は大きな絵画のようであり、川にせり出した2階のテラス席では、季節の風と一体になれる。隅田川の名物、夏の花火が開くのも目の前だ。21年間勤めたロブション・グループを勇退し、自店を構えるのに導かれたのが浅草駒形だった。
「生まれたときから川や海に縁があるんですよね。すぐそばに200年続くどじょう料理屋さんもあるんですが、江戸食文化の発祥の地がこのあたり。しかも浅草には辻󠄀調の創始者、辻󠄀静雄前校長先生が眠っている。この場所に引き寄せられたのは、運命でしかないなと」
江戸蕎麦の名店『ほそ川』のそば粉をフランス料理の技法で炊き上げた「そばがき」をはじめ、浅草や両国にある老舗の逸品をフランス料理に仕立てる技と発想。江戸伝統野菜とフランス伝統食材を融合させた一皿も『ナベノ-イズム』の真骨頂が発揮されたもの。
「北海道になぜ三平汁があるのか。沖縄になぜゴーヤチャンプルがあるのか。そこに、その食材と文化があるからです。雷おこしやモナカの皮も、僕にとっては食材。きわめて素直な料理の表現なんですよ」

フランス料理を30年間学んできた 日本人が、何を表現するか。

お客様がここに座り、屋形船の渡る川を眺めながら、何を召し上がれば面白いか。それを考えれば、おのずと答えが出てくるという。
「いまの僕の料理は、ここだからこそ生まれたもの。違う場所なら、このイマジネーションは湧いてきません。土地と融合させ、自分らしく楽しく、おいしい料理をつくりたい。それが50歳を目前に挑んだ、新たなチャレンジだったんです」
フランス料理の根幹は崩す気はまったくない。日本人としてフランス料理を30年間学んできた者が、この土地に来て何を表現するか。それをテーマとしている。自分に料理を教えてくれた国に感謝と敬意を込め、店にはフランス国旗を掲げた。フランス料理に対して、一生学び続ける姿勢は変わらない。
「『Parce que je suis japonais.』って、いつも言っています。『僕は日本人ですから』。僕は断言しているんです。フランス人のつくるフランス料理を超えることはできないと。常にお手本としてフランスを見ながら、忠実に、僕なりの表現をしていく。それが常にフランス人と接し働いてきて出した、僕の答えなんです」

すべてがものすごい衝撃で どのレストランよりも感動した。

「働き始めて6年目、どうやらパリの『タイユヴァン』と『ジャマン』が組んで、恵比寿に出店するらしいというウワサが流れてきたんです。三つ星が2つ合わさって六つ星じゃないかと。それはもうペリーの黒船が100隻来たような…インベーダー襲来ぐらいのディープインパクトでしたよ(笑)」

フランス校時代、食べ歩きの勉強で最初に訪れたパリのレストランがジョエル・ロブション氏の『ジャマン』だった。すべてがものすごい衝撃で、どのレストランよりも感動し、ずっと記憶に残っていた。その秘密を知ることができる、またとないチャンス。ロブション氏は料理に対しとにかく神経質で、その厳しさはあまりにも有名だった。しかしチャレンジするしかない。辻󠄀調の恩師・木下幸治主任教授に相談し、『タイユヴァン・ロブション』の一員となるべく名乗りを上げた。
「後に初代日本人料理長となった辻󠄀調の先輩、河野透シェフと一緒に働きたいというのもあった んですよね。現在は『モナリザ』のオーナーシェフですが、当時『ジャマン』で2年も働いた唯一の日本人だったので。厳しいのは百も承知。節々に出てくる僕のキーワードは、“チャレンジ”なんですよ」

なんとかして彼の記憶に残りたいと思わせるほど、偉大な方でした。

日本から発信し、世界のグループ店に並ぶようになった料理が何品もある。渡辺シェフの名前は一切出ないが、当時はそれがやりがいだった。自分にはロブションのスペシャリテをつくり続ける使命と、教えられたものを次の世代に伝承する義務がある。独立のチャンスは過去、何度もあったが、納得いくまで勤め上げてからにしたかった。日本人の料理長としてどれだけ彼に仕えられるか。そのすべての責任を果たし、時が来た。
「ロブション氏に切りだそうとしたら、すぐに勘づいて、数日間は避けられたんですよね(苦笑)。ようやく二人になり、ぜんぶ話しなさいと言われたから、一個ずつ説明して。自分は21年間いた、ミシュランの星も9年守った、そろそろ次のチャレンジがしたいと。ずっと黙って聞いてくれ、細かく質問もしてくれて。全部、伝えたら、愛と気合いを込めたビンタ一発と同時に『ブラボー!』と抱き寄せてくれ、『21年間、本当にありがとう』と言っていただきました…感動とともに涙が流れました」
最後にもう一つ問われた。「ところでお前、何人連れていくんだい?(笑)」。3人の名前を挙げると「ちゃんと面倒を見てやってくれ」と気持ち良く送りだしてくれた。
ロブション氏と
「何度もチャレンジしたくなる人でした。なんとかして記憶に残ろうと意地になるほど。彼の来日時には、常に気を張りめぐらせ、一緒に調理場に立っていました。本当に尊敬しありがたく思って働いていました」

「あのとき一番いい顔をしていた。 あの顔を見たら反対できなかった」

自身のイズムを表した店名から「N」を取ると「abeno-Ism」=「アベノイズム」となる。ここには辻󠄀調グループの本拠地であり、自身も通った大阪あべのへの敬意を込めている。
「僕が料理人として第一歩を踏みだしたところはどこだと考えたら、あべのですからね。自分の料理イズムの原点なんですよ」
将来に迷いがあった高校卒業後。朝、予備校に行くふりして、千葉から大阪まで、辻󠄀調の体験入学へ。そこで腹をくくり、夜、両親に「実は料理人になりたい」と告白した。
「お金がかかるけど、少しずつ返すので、貸してもらえないかと土下座をして。怖い父親だったんで、殴られる覚悟だったんですが一言、『わかった』と。父は『あのときのお前が一番いい顔をしていた。あの顔を見たら反対できなかった』って…2012年に永眠する間際まで、そう言ってくれていました」
まっさらな舌にフランスの味を染み込ませられたことが、いまだに幸運だったと思っている。優れた感覚や技術だけでなく、かけがえのない縁もたくさん手に入れた。フランス校時代の研修先となったクールシュヴェルの二つ星、『ル・シャビシュー』で出会ったステファン・ブロン氏も大切な一人。当時、料理長になったばかりの彼のもとで学び、いまでも連絡を取り合っている。

スタート地に辻󠄀調を選んだのは正解。 だから君たちは幸運だったねと。

「大事にしたいのは縁。僕と関わった人間が、僕と出会えて良かったと言ってくれたら本望です」
東京、大阪の辻󠄀調グループ校で17年間、毎年、外来講師として教壇に立っている。次の世代に刺激を与えたい。戻るたびに気が引き締まる。感謝の念を抱きながら母校へと向かい、授業をする。
「いつも最初に受講生達に問うんです。学費は誰が用意したのか。なんのためにここへ来たのか。スタート地に辻󠄀調を選んだのは正解だから、君たちは幸運だったねと。ここは本物を教えてくれる場所だから、進学させてくれた親に感謝をしなさいと。そして時間を無駄にしないようにと、必ず言っています」
真っさらな状態での素直な感じ方は、とても大切なもの。渡辺シェフには、最初に得るインスピレーションこそが正解だという考えがある。『ナベノ-イズム』では、エントランスをくぐり、最初に目に入るのはガラス張りの厨房。クリアな様子に安心し、活気あふれるスタッフたちの姿に期待が高まる。その多くが、辻󠄀調グループの卒業生だ。
「毎年、授業で自分の思いを伝えると、賛同して『ぜひ一緒に働きたい』と言ってくれる子(人)が自然と集まってくるんですよね。60歳までの10年間で何ができるか。新たなチャレンジに挑むとともに、いままで経験したことを彼らに教える責任があると考えています」

渡辺雄一郎さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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