INTERVIEW

私の場合、たどり着いたのは 「姫木の生ハム工房」でした。

Maison du jambon de Himeki
藤原伸彦さん

profile.

大阪府出身。1990年辻フランス料理専門カレッジ(現:エコール 辻 大阪 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ)卒業、1992年フランス校シャトー・ド・レクレール卒業。ご両親がリゾート地である長野県姫木平でペンション経営を始めたため、小学校高学年から高校時代を長野県姫木平で過ごす。そんな環境から料理を志し、フランス料理の道へ。卒業後、シェフの経験を積む途中で、レストラン経営や商品開発などに興味を持ち、日本国内やアメリカ・ラスベガスでも店舗開発のスタッフとして参加。両親の住む長野県に戻ると地元のネットワークを活用して2013年から「生ハム工房」をスタート。本場ヨーロッパに引けを取らない味へのこだわりに注目が集まっている。

本場ヨーロッパに負けない 信州産豚肉の「生ハム」をつくりたい。

標高約1500m。夏は避暑地として、冬はスキー客で賑わう長野県小県郡長和町姫木平(ちいさがたぐんながわまちひめきだいら)のリゾート地の一角に、その「生ハム工房」はあった。白樺林と雄大な山々の彼方には浅間山も望むことができる。
「自宅ペンションの一部を改装して工房にしました。生ハムといえばイタリアのパルマやフランスのバイヨンヌが本場。シェフの頃にはそれに肩を並べる日本産を自分で造るなんて、想像もしませんでした。それがこうして少しずつ具現化できています。料理を通じての経験や出会いがあればこそです。」
工房には天井狭しと吊り下げられた「生ハム」が熟成途中。商品によって熟成期間は6ヶ月、1年、2年と異るが、いずれも暑い夏を超えてから出荷される。
「日本の生ハムといえば、信州。そして長和町、姫木平。そう言ってもらえるようなエリアにしたい。それが今の私の活動エネルギーになっています。」

「どうせやるなら、トップをめざせ。」 父親の言葉が、背中を押してくれた。

藤原さんが高校生の頃は、グルメ番組といえば、辻調が監修していた「料理天国」。辻調理師専門学校を知ったのはその番組で。トップシェフ(ほとんどが辻調の料理講師)がさまざまな料理を美味しそうに手際よく仕上げていく様は実に興味深かったそうだ。
「ペンションということもあり、父親が料理好きでしたから料理人を志すのは自然の成り行き。ただ、やる限りはトップをめざせ。そんな父親の言葉が辻調理師専門学校への入学につながりました。トップをめざすなら、まず辻調だ。シェフのトップになるならフランスだ。そのためには、まず辻調でトップになることだ。最初からそんなテンションでした。今思えば、どんなシェフになりたいとか、どんな料理をつくりたいとか明快な夢や目標はなく、漠然としてましたね。ただ、トップになろう、それだけだったかな。」

若くして知る本物の食材、本場の技術、 とにかく吸収の毎日でした。

入学、そして念願のフランス校留学。その過程で藤原さんは改めて料理の深さや幅の広さを知ることに。
「辻調では本物の素材をふんだんに使います。そして基本を徹底的に学びます。そこで素材の持つ本当の力を知りました。素材の力を引き出すのが調理師の仕事であることも。私が魅力に感じたのは創造力とリーダーシップでした。料理もチームワークですから役割分担もあります。ただし、いつまでも指示待ちでは自分なりの創造力は発揮できないし、伸びない。だから、リーダーシップを発揮するにはどうすれば良いかばかりを考えていまし た。」
誰よりも早くフランス語をマスターし、本場のお店を誰よりも多く食べ歩き、食材を見て回り、先輩や講師を捉まえては技術論に花を咲かせる。
「そんなことができるのは、辻調という環境に恵まれたからこそ。若くして本物を知るチャンスはいくらでもあります。」

経営や商品開発、食のマネジメントに むしろ興味を持ちました。

日本に戻ってからのシェフ経験も順風満帆。短期間でグランメゾンの魚や肉料理のシェフ・ド・パルティ(各部門の料理長)もこなすほどに。しかし4年間で藤原さんはシェフとして、一旦立ち止まる。
「あまりにも早いステップアップに戸惑いもありました。シェフであることの誇りと不安が入り混じり、もっと違う世界もあるのではないか。今一度自分を見つめ直してみたい。本当に自分が将来どうありたいか、わからなかった状態です。」
そんな折、藤原さんは知人から居酒屋開店準備の相談を受ける。
「安くて美味しいメニュー開発です。これが、ひとつの転機になりました。それまでの私は美味しい料理はできても、原価や在庫管理まで緻密に計算されたメニュー開発や経営マネジメントまでは考えが及びませんでした。店舗規模やお客様単価に応じた素材の仕入れや、回転率、人材教育など経営に関する知識を生かすことができなければ、経営は成り立ちません。食を料理という面からだけでなく、多角的に見つめるきっかけになりました。これが意外に面白い。」
そうとなれば、即行動。居酒屋経営という小さなエポックは大手レストランチェーンでの商品開発、アメリカ・ラスベガスでの店舗開発など大きなキャリアへと繋がっていく。
「シェフの知識と経営者目線、そして市場開拓という視野。食を中心としたビジネス創造が、私には新鮮でした。」

マネジメントのなかで出会ったのが 地元の食材を生かした「生ハム開発」でした。

マネジメントの経験を重ねる中で携わったのが、地元に近い諏訪湖での複合施設の立ち上げ。藤原さんはレストランのシェフ、店長、その他施設やサービスの企画も含めてトータルに経営マネジメントを担う。
「商品企画というジャンルに取り組むことで、多くの地元の人々がさまざまな挑戦を始めていることを知りました。これをなんとか繋げられないか。どうすればお客様に喜んでいただけるか、地元の産業再生につながるか。模索の末に出会ったのが生ハムでした。豚の育成から商品のブランド化、さらに野菜や特産物との連携ができれば、有意義な地域創生ができるはずです。」
父親の体調への不安もあり、高校時代までを過ごしたペンションに戻ることを決意した藤原さんは、そこで本格的な「信州産豚肉の生ハム開発」の道へ。
「シェフ、マネジメント、メニュー開発と続いて、本格的な生ハム職人への挑戦です。すべてが手探りからの再スタートですが、食に対する知識や技術は大いに役に立ちました。ただ、ハムを成熟させる麹菌やハーブの研究など、やることはいくらでもあります。友人の地元酒蔵の杜氏からもらった種麹は、味噌や醤油の麹へと辿り着きました。豚肉も長野県内で育てられた黒豚や放牧豚です。脂身が滑らかで独特の風味を醸してくれます。」

地元と辻調のネットワーク。どちらも力強い味方です。

お話を伺った当日は、河口湖のレストラン時代に同じ職場で働き、今は愛知県春日井市で「ビストロ プティポワ」を経営されている遠藤さんご夫婦が応援に駆けつけてくれていた。
「遠藤さんも、実は辻調の後輩です。夫婦ともに。河口湖時代からずっとつながっていて、今でも生ハムづくりを応援してくれています。」
実直で、行動力があり、知識も技術も半端ない。ずっと憧れの上司であり先輩でした。生ハムづくりを始めた時は驚きでしたが、試食してもっと驚き。こんなに美味い生ハムが日本でできることに感動です。とは、遠藤さんの藤原評。今ではお店で生ハムのワークショップやキャンペーンを積極的に催したり、時には工房で仕込みを手伝ってくれる相棒のような存在だ。
「姫木平のペンション村に限らず、多くの地元の皆さんや、首都圏、県内のシェフや食に関心の高い方々がワークショップに参加してくれたり、辻調の卒業生ネットワークも広がりつつあります。私にとってはどちらもかけがえのない財産であり、力強い味方です。」

この姫木平でしかできない 地元創生を、食の連携力で。

藤原さんの活動は今、地元で「食」の連携力を広げている。
「豚に始まってアスパラなど地元野菜の栽培、チーズ工房など、いろんな人々が集ってその土地柄にふさわしい商品開発も始めています。もちろんいい食材を美味しく提供するレストランのシェフ仲間も増えています。」
さらに、地方行政も注目し新しい可能性も生まれつつある。
「この辺りは、美味しい湧き水でも有名で、かつてはニジマスやイワナなどの養殖も行われていました。その養殖施設を再利用して「チョウザメ」の養殖を実現しようというプロジェクトもスタートしています。チョウザメの卵であるキャビアは有名ですが、魚肉はあまり知られていません。でも、れっきとしたフランス料理の食材なんですよ。これも料理の知識があればこそ。さらに町内でのワイン栽培や、ヨーロッパ品種の放牧豚のプロジェクトにも積極的に関わっていきたい。辻調での食の学びと環境は、実におおきな可能性を私に与えてくれました。食の世界を志すという以外、漠然とした目標しかなかった私ですがしっかり取り組んでいれば、自ずと道は開けてくる。それが実感。この姫木平でどれだけ新しい食の世界を広げられるか。また、さらに新しいスタートの始まりです」
「食」の学びの先は、料理人だけではない。食を基本とした可能性は、あらゆる方向に無限に広がっている。藤原さんの辿り着く「食」の世界も、まだまだ広がっていくのかもしれない。
Maison du jambon de Himeki_ショートムービー

藤原伸彦さんの卒業校

エコール 辻 大阪 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch

辻調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch