No.035
いかにネットワークを築けるかが、成功のカギに。人とのつながりを大切にし、周囲に語り続けた結果、フランスで店を持つ夢が叶った。
Restaurant SO オーナーシェフ
高橋 創さん
profile.
千葉県出身。辻󠄀調理師専門学校からフランス校へ。1999年卒業後、チーズの輸入会社やワインショップでの勤務を経て、千葉県柏市のレストラン『ル・クープル』へ。その後、東京・恵比寿のシャトーレストラン『タイユヴァン・ロブション』、2004年からは同所『ジョエル・ロブション』で働き、再び渡仏。ブルゴーニュ地方ディジョンの一つ星レストラン『ステファン・デルボード』などで経験を積み、2012年12月、同所に自身の名を冠した『レストラン ソウ』をオープン。現在に至る。
access_time 2017.11.10
「料理は人を幸せにしてくれる」という実感が、夢へとつながった。
「父親が土日に料理をする人だったんですよね。ステーキを焼いて、最後にブランデーで火を着ける姿を見てすげぇなと(笑)。だけど決定打は、小学2~3年の頃。末期がんの祖母に1日だけ会わせてもらったとき、ベビーホタテを甘辛く煮て持っていったんですよ。なぜそれをつくったのかは覚えていないんですけど、ほとんど点滴だけでガリガリに痩せていた祖母が、1個だけ口にし、めちゃくちゃ喜んでくれて。ああ、料理って人を幸せにしてくれるんだという感覚が、ずっと残っていたんですよ」
自分の店をもつことは、学生時代から心に決めていた。だからこそフランス校から帰国すると、チーズを主力とした輸入会社に勤務。働きながらソムリエスクールに通い、ワインショップへと転職した。
「自分で店をやるには、この2つをわかっていないと無理だと考えたんですよね。レストランで働き始めてからでは時間がないと思っていたので、まずはチーズとワインを学ぼうと」
その後は千葉県柏市のレストラン『ル・クープル』に、ほぼ立ち上げから携わる。『ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー』で初代総料理長を務めた佐々木清恭シェフが開いたとあって、当初から連日満席に。特にテレビで取り上げられてからは予約が殺到し、毎日が目の回る忙しさだった。
「いろんなことを自由にやらせてもらえたのでありがたかったんですが、圧倒的に修業不足でしたから。土台のないまま上がっていくと先細りしてしまうと不安になり、佐々木シェフに相談したところ、シェフがポール・ボキューズ時代に部門シェフだった渡辺雄一郎シェフを紹介してもらい、『タイユヴァン・ロブション』に入りました」
フランス校時代
尊敬する人から求められることなんて、人生でそうあるものじゃない。
『タイユヴァン・ロブション』は、厳しいながらも腕を磨くには最適な舞台だった。そこにはフランス校出身者も大勢いたという。同店の経営体制が変わる25歳のタイミングで、次のステップに向けてフランスへ渡ろうと考えていたが、そのことを察した渡辺シェフから電話があった。
「『この先どうするのか』と訊かれ、『フランスへ行こうと思っている』と答えたら、『立ち上げから入って2年ほどキャリアを積めば、部門の責任者にできると思うから、残ってやってみないか』と言われて…。尊敬する人に求められることなんて、人生そうないじゃないですか。それがうれしくて、続けることに決めました」
こうして同所でオープンした『ジョエル・ロブション』も含めてトータル約5年間、ロブショングループで経験を積み、再びフランスへ。ワインへの思いから、北西部の名産地、ブルゴーニュ地方にある一つ星レストラン『ル・シャルルマーニュ』に活躍の場を移した。
「すごく料理がうまいから、絶対彼に決めたほうがいい」という後押し。
2007年からは同地方ディジョンの一つ星レストラン『ステファン・デルボード』へ。約4年間の修業を重ねた。
「ワイン好きのシェフだったので、土曜なんて朝の5時までふたりで呑んでいましたね(笑)。最近は誘われても行かない人が多いですが、自分は断らずについていきます。気に入られることも一つの能力。上の人から聞く話は得られるものが多いですし、気に入られてさえいれば、いろんな仕事も教われ、任せてもらえますから」
そんな社交的な姿勢から人とのつながりがどんどん広がり、土地の名士、ユベール=ド・モンティーユ氏とも懇意に。弁護士と醸造農家、二足のわらじを履く著名人だったが、自宅へ呼び合う仲になったという。
家族と店の近くで
「あるとき、昔一緒に働いてた友人が良い物件を見つけたと連絡をくれたんですよ。ずっと周囲に『店を開きたい』と言っていたんでね。だけど行ってみると、アジア人だからと大家さんにためらわれて…。それを知ったユベールさんが、その大家を知っているからと電話してくれ、『すごく料理がうまいから、絶対彼に決めたほうがいい』と言ってくれたんですよね(笑)。しかも通常なら店を借りるには弁護士と公証人が必要なのに、兼務されている人を紹介してくれて。手続きがとてもスムーズだったうえ、初期費用も安く抑えられました」
地方紙や『ゴー・ミヨ』、『ミシュランガイド』で紹介され人気店に。
こうして2012年に『レストラン ソウ』をオープン。目の前に裁判所があったため、当初から客層の中心が法曹関係者だったという。
「ちゃんと値段とお皿の内容を見てくれる、クオリティがわかる人に来てほしかったんですよ。だから最初は苦しくても広告は出さないでおこうと決めていました。すると弁護士とのつながりで地方紙の方が来てくださり、新聞で特集が組まれて。その後は『ゴー・ミヨ』でも評価され、『ミシュランガイド』のビブグルマンにも載って、一気に回り出しました」
確固たる人気店となったが、今もマイペースに営業を続けている。
「自分がいないなかで料理が提供されるのはイヤなので、2店舗目はないし、お客様との距離も近いままでいたいから、これ以上、大きくしようとも思いません。今のレベルで、今のままキープしていくことが目標です。40歳を超え、人生の半分は過ぎただろうから、残りの半分は苦がないよう楽しく暮らしたい。料理をすることは好きで楽しんでいるし、70%ぐらいは店に費やして、あとの30%はいかに遊べるか、ですね(笑)」
Vendanges(ヴァンダンジュ)ブドウの収穫を毎年お手伝いしている
周囲に夢を語れば、きっかけを得る機会も増え、叶えやすくなるもの。
子どもの長期休暇にも合わせ、年間で8週間ほどは休業。年に一度は日本へ帰国するように。ブドウの収穫期には毎年1週間ほど店を閉め、スタッフ全員でワイン農家へ手伝いに出向いている。
Vendanges(ヴァンダンジュ)
「泊まり込みで行くんですが、摘み終わるとパーティをするんですよ。そのときの料理を頼まれるのが恒例。まったく利益にはなりませんが、その代わりおいしいワインを飲ませてね、って感じで(笑)」
ワインの造り手たちを自宅に招き、料理を振る舞うことも多い。そこで造り手同士がつながって、ネットワークが広がっていく。それが楽しいのだと笑顔で語る。
Vendanges(ヴァンダンジュ)摘み終わるとパーティが始まる
「ビジネスの成功って、お金でもなんでもなく、いかに人とネットワークができるかだと思います。真面目にやっていればお金はついてきますけど、独りよがりでやっていても周りには誰もいなくなる。何かあったときに支えになってくれるのって、やっぱり人ですからね。近頃は夢を語らない人も多いですが、人にちゃんと話をしていれば、みんなの頭に残っているから、何かあればつながるきっかけになる。特に最初って、いろんな人の手が必要ですしね。それに人間って弱いから、言わなかったら実行しなかったり、苦しくなって諦めたりしがち。叶えるためにも、夢は大いに語っていくべきだと思いますよ」
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