No.147
フランス料理を学び、自分の店を開く。大学4年間でも変わらなかった目標に向かって学び直し、現場での厳しい経験を重ねて実現させた。
レストラン シャルム オーナーシェフ
宮地 澄人さん
profile.
東京都出身。東京都立成瀬高等学校から関東学院大学を経て、エコール・キュリネール国立(現:エコール 辻󠄀 東京)へ進学し、フランス・イタリア料理を専攻。辻󠄀調グループ フランス校を2003年に卒業後、東京・恵比寿のフランス料理店に就職。その後、代官山のフランス料理店『ラブレー』に入り、約2年でシェフに就任。およそ7年間の勤務後、東京ステーションホテルや際コーポレーションの洋食部門で経験を重ね、2015年12月、代々木にフランス料理店『シャルム』をオープン。
access_time 2022.03.18
本当に料理の道に進みたいのか。食の仕事に携わる4年間で覚悟を決められた。
1978年、東京都町田市生まれ。共働き家庭の長男で、小学生の頃から夕食の準備を手伝っていた。中学2年の頃、母親が入院。命に別状はなかったが、退院後も家事をサポートしていくうちに、いつしか料理をつくることが喜びになったという。
「家族が喜んでくれるのがうれしくて、次第に料理本を見てつくるようになっていきました。だけど調理過程のその状態が正しいかどうかわからない。高校へ入る頃には、ちゃんと料理を学んで料理人になろうという目標を持っていました」
料理のなかでも一番身近でなかったがゆえに興味を持ったフランス料理人への道を目指し、やるからには自分で店をもちたいと考えていた。
「だけど父親から、大学は出ておくようにというプレッシャーを感じて…。自分自身、キャンパスライフという言葉に憧れもありましたし、決断するのにも少し時間がほしい。大学へ行ってもなお、やりたいことが変わらなければ親も納得するだろうと、進学を決めました」
こうして関東学院大学の英米文学科(当時)に入学。第二外国語でフランス語をとるなど、フランス料理の道を見据えた選択でもあった。
「与えられた4年間で、食の仕事に携わろうと考えていました。そのときにはもう、ラジオでよく耳にしていたエコール・キュリネール国立の辻󠄀フランス料理専門カレッジ(現:エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ)に行くことは決めていたので、学校での専門以外の日本料理店やオムライス専門店、ワインバーでのアルバイトを経験。庖丁の使い方やお酒の種類などを覚えていきました」
大学時代にも自宅で料理をつくり、料理人をめざす気持ちを両親に伝え続けた。苦労する世界だとは言われたものの、次第に応援してくれるようになったという。
「厳しいことも言われましたが、それで諦められるくらいの夢ならやめておいたほうがいいという想いもあって、いろんな意見に向き合いました」
「4年間の大学生活の中で気持ちが揺らぐことなく、自分自身の覚悟をしっかり意識できたのは、遅く始める人のメリットかもしれませんね。じっくり自分に向き合う時間もあり、こんな時間はもう訪れないぞと思って、サークルでサッカーもやっていましたし旅行もしましたしスノボで骨折もしましたし(笑)。大学生活はそれなりに楽しく過ごせました」
フランスの三つ星レストランを経験したことで、理想の店舗像が見えてきた。
大学卒業後の2001年、エコール 辻󠄀 東京へ。いつも早めに登校し、半面が白紙になるよう教科書のコピーを取って、そこに振り返ったときに理解を深められるようにしっかり書き込む。そして可能な限り、一番前の席で受講した。
「好きなことを勉強するのは、これほど楽しいことなんだと初めて感じていました。要点を書き込んで、あとで見返せるノートをつくるんですが、それが進化していくのも嬉しかったですね。外来講師としていらっしゃるシェフも、とにかくかっこよくて…。ますます憧れの気持ちが強くなりました」
フランス校時代 クタン先生と
1年間の課程を終えると、入学時から留学を決めていた辻󠄀調グループのフランス校へ。見るものすべてが新鮮で面白かった。
「非常に厳しかったですが、それもむしろ良かったと、振り返って思います。いろんなシェフの外来講習も含め、日本で経験できない授業ばかり。フランス人のシェフにフランス語でフランス料理を教わるのは、やはり説得力ありましたね」
『ラムロワーズ』での研修時代 シェフと
約半年後からの現場研修では、ブルゴーニュ地方の『ラムロワーズ』へ。ミシュランガイドで三つ星を獲得していた、憧れのレストランだった。
「たくさんの人が働き、たくさんのものをつくる規模やスピード感に圧倒されました。いくつものセクションの人が関わって一皿をつくりあげる。そのすごさも感じましたが、何か自分の理想とは違う…グランメゾン(ミシュラン3つ星クラスのレストラン)での仕事を経験したことで、全工程を自分が担ってお客様と直接向き合いたい、という想いも強まりました」
『ラムロワーズ』の調理場
『ラムロワーズ』が冬休みに入ると、その間も働きたいと、別のお店を紹介してもらい、同地方のレストラン『ル・ジャルダン・デ・ランパール』へ。
リヨン ペラーシュ駅にて
「研修生2人を加えた6人の調理場で、5週間ほど働かせてもらったんですが、ブルゴーニュのクラシカルな伝統料理をアレンジしたメニューでとても勉強になりました。自分たちでパンもつくるなど、手がけられることも多くて良い経験をさせてもらいました。せっかくフランスに居るのだから古典料理や地方料理も知りたいと思っていたので、留学中、休みの日にはフランス国内はもちろん、イタリアやスペインにも食べ歩きに行っていたんですよ。その料理をつくり続けている地域で本物を味わえたことが、良い経験になりました」
自分の想いを形にする。独立開業は、お店をつくる過程そのものが面白かった。
帰国後は東京・恵比寿のフランス料理店に就職。しかし1カ月も経たず先輩3人が退職し、シェフと2人きりに。そのため相当厳しい経験をすることになったが、料理をやめようとは思わなかったという。
「長い人生を見れば、そのぐらいの経験をしておいたほうが良いとも思えたんですね。同期が大手のレストランに誘ってくれたんですが、遠回りして独立をめざしていた自分としては、個人店で修業しダイレクトに目的へ向かうほうが早いと考えていました」
約1年間の勤務を経て、代官山の『ラブレー』へ。著名なサービス人である山田恵氏がオーナーを務めるフランス料理店だった。それまでの濃密な経験が実を結び、2年ほどでシェフに就任。約7年間勤め上げ、独立に向けて行動する。
かぼちゃのムース 鴨のコンソメのジュレ
「『ラブレー』で料理人を続けていく価値を再確認することができたので、組織運営などを学ぼうと、東京ステーションホテルで半年間お世話になりました。まだ自分に足りないものがあると感じていたので、その後は際コーポレーションへ。和洋中の多店舗展開をしていて、店舗デザインや施工の部門も自社でもっている企業だったので、店づくりや店舗管理など、独立するうえで必要なことが学べるなと入社しました」
菜花のクスクスとホタルイカのサラダ仕立て
洋食部門に所属し、都内にあった複数店舗の料理長や店長を兼務。2年目からはメニュー開発や新しい店舗の提案にも取り組めた。数字面がすべて公開されていたので、経理のノウハウも学べたという。そして3年近く経験を重ね、本格的に独立準備へ。
デザート
「まずは、お店の場所探し。恵比寿や代官山に戻りたかったんですが、家賃が段違い。探し始めて3ヵ月目に見つけたのが、当時まだ手頃だった今の代々木の物件なんです。飲食店が並び一定の対流があるようなエリアではないものの、アクセスは非常にいいし近隣に住宅街もある。フランス料理のなかでも、来てもらいやすい価格帯で抑えたかったので即決しました」
「独立開業は、お店をつくること自体がまず面白かったです。内装やデザインを決めて、細部までこだわたって真剣に打合せして進めていく。各分野の専門家との関わりも気持ちよく、とてもいい時間が過ごせました」
お客様の人生に関わり、お客様のストーリーを意識して料理を提供する喜び。
念願だったフランス料理店を2015年12月、東京・代々木にオープン。堅苦しさを感じることなく、おいしい料理やワインを楽しみ、笑顔で帰ってほしい。そんな時間が過ごせる魅力的な場でありたいという願いを込めて、フランス語で「魅力、趣(おもむき)」を意味する『Charme(シャルム)』という店名にした。
「最初は知り合いを通じた外部のお客様ばかりでしたが、徐々に近隣の方にも来てもらえるようになりました。フランス料理のなかでも、クラシックなものをやっているので、それを求めて繰り返し来てくださるお客様がいらっしゃる。刺激を求めて新しい料理に変えていくのも素晴らしいことだと思いますが、変わらないことへの評価を頂くことも大切なことだと、続けるうちに実感していきました」
この仕事には、お客様の人生の一部分に色濃く関われる喜びがあると、宮地さんは言う。
「記念日ごとに来てくださるご家族のお子さんが中学生になり、高校生になり…と、お客様の成長を見られるのがすごく好きなんですよね。いつか彼女を連れて来て、そのうちお子さんと一緒に来られたら素敵でしょう。お客様のストーリーを意識して料理を提供していくのに、大きな店だと把握しきれない。何がお好きで過去に何をお出ししたのかも考えてメニューを組むには、今の規模感がちょうどいいんですよね」
「以前、お客様にリクエストされたパテ・ド・カンパーニュ(田舎風パテ)を、丁寧に一生懸命つくったことがあったんです。1週間熟成させると、とてもいい仕上がりになったんですよ。求められたものを自分が納得いくレベルでつくりあげ、それにお客様が感動してくれる。こんなシーンに日常的に出会える料理人は、非常にやりがいのある仕事です」
大切にしているのは、自分のスタイルを信じてお店を続けること。そのためには、良いスタッフと働くことがとても重要だという。
「キッチンとホールが分かれているので、フロアのスタッフもすごく大切。今のマネージャは『ラブレー』で5年ほど一緒に働いていた、同じ専門学校の卒業生なんですよ。オープン時から手伝ってくれていて、感謝しかありません。調理もできるから、人がいないときは朝の準備を手伝ってもらうなど、とても頼もしい存在です。
シストロン産仔羊
学生時代に学んだことは、今でも使える知識や技術ばかりでしたよ。卒業後、20年近く経験を重ねてきましたが、今振り返ってみても専門学校の授業で食べたものはおいしかったし、学んだレシピは素晴らしかった。時代は流れていますが、クラシカルなフランス料理はやはりおいしいんですよ」
ノドグロのマリネ
やりたいことを目がけて、ブレずに向かっていけば、いつかはそこに辿り着く。
コロナ禍により、2020年の4月5月は完全休業に。再開するにも席数を減らす必要があり、在庫管理も厳しい状況になったため、お客様が料理を自由に選べるプリフィクススタイルからシェフおまかせのメニューのみに変更した。
蝦夷鹿のタルタル低温調理
「お客様が戻ってきてくださったのが、ものすごくうれしかったですね。再開後、ご来店の回数が増えた方もいらっしゃるんですよ。『ここに来るのが楽しみなので』と、明らかにわざわざ応援しに来てくださる方もいて、本当にありがたい。自分自身、食べに行きたいなと思って訪れても、リターンするお店って数少ないです。年に数回、何年かに1回でも、戻ってきてくださるというのは貴重なこと。心から感謝しています」
魚介のパイ包み焼き
休業中の2カ月間は気が滅入っていたが、再開後、お客様への感謝を改めて感じ、悪いことばかりではなかった。
モンブランっぽい栗のデザート〜キャラメルアイスと共に〜
「コロナ禍以前はとても忙しく、プリフィクスで大変だったこともあり、厳しく当たってしまっていたのか、2年ぐらいでキッチンスタッフが入れ替わってしまっていたんですよね。今いるスタッフはほぼ新卒ながらも、コロナ禍からスタートしたので、慣れるまでの時間ができたことは逆に良かったかなと。定休日には時々一緒にフットサルをするんですけど、彼のほうがうまいから教えてもらったり(笑)。現状の関わりは良い感じかなと思っています」
「いろいろ想い描くだけで届かない人生より、自分ができることをやって、達成していく人生のほうが良い。やりたいことを目がけて、ブレずに向かっていけば、いつかは目標に辿り着くものです」
オープン時に、フランス校の同期7名から送られたイラスト。学び舎の「エスコフィエ」をバックに描かれている。
「料理人としての引きだしは多いほうが良いとも思いますが、開けられない引きだしは持っていないのと同じ。スタートが遅かった分、引きだしを増やすことよりも、自分ができることに特化したからこそ今の自分があると思っています。グランメゾンでシェフをやって星をとる、という目標も勿論素敵ですが、僕は器用な人間ではないので、自分にできることを突き詰めた結果が今の形です。お客様一人ひとりと向き合える環境に、とても満足しています。スタートはいつでも大丈夫。やってみたいと思うチャレンジは、絶対にしたほうが良いと僕は思います」
辻󠄀調グループ フランス校
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