No.059
落ちこぼれだった学生時代、すぐに挫折した初就職…。何度も転びながらも、独創的なケーキで魅了する人気店のシェフパティシエールに。
有限会社apartment 取締役 pâtisserie de bon coeur シェフパティシエール
武 幸子さん
profile.
群馬県出身。エコール・キュリネール国立(現・エコール 辻󠄀 東京)からフランス校へ。1999年に卒業後、東京・東小金井の洋菓子店に就職するも3カ月で退職。約半年間のアルバイト生活を経て、代官山、六本木、西麻布のレストランや、渋谷のカフェなどを経て、2011年、有限会社apartmentがプロデュースする武蔵小山の『パティスリィ ドゥ・ボン・クーフゥ』に転職。新作づくりやカフェ内でのスクール講師なども担当し、2015年7月からシェフパティシエールを務める。
access_time 2018.04.27
ただただお菓子づくりを楽しんだ専門学校時代。
「専門学校時代の成績は、全然良くなかったんですよ。先生からもよく怒られていたし、将来のこともあまり考えていなかったし…ただ、学校は大好きでした」
姉のお菓子づくりを手伝うのが好きで、幼い頃は「ケーキ屋さんになりたい」と言っていた。だけどいつしかそれも忘れてしまっていた高校2年のとき。たまたまクラスメイトが持って来た辻󠄀調グループのパンフレットを目にして、そこへの進学を決めた。
「すごくキラキラと素敵に映り、もう『ここに行きたい』と。入ってからは、毎日とにかく楽しかったです。自分と同じお菓子づくりが好きな子たちが、いろんな県から来ていて、今まで当たり前だと思っていた感覚も全然違ったりして…日本って広いんだなと。毎日騒いで、いつも先生に怒られていました(笑)」
エコール・キュリネール国立(現・エコール 辻󠄀 東京)時代
その後、今度は紹介ビデオを見て「かっこいい」と感じ、フランス校へ進学。事前に語学を勉強していなかったので、ほとんどフランス語がわからず、先生も厳しい。毎日帰りたいと嘆いていた。
「まず『知らない』が通用しない。1回言われたことはできて当たり前だし、同じことを訊いたら叱られるので、本当に来なければ良かったとずっと思っていました(苦笑)。だけどおかげで徹底的に見て、メモを取って、1回で覚える習慣がついていたから、『仕事を覚えるのが早い』って。社会に出てから、ようやく誉められるようになりました」
フランス校時代
「10年後も絶対残る」という決意とは裏腹に、就職後、3カ月で退職。
卒業後は、国立近くにあった街場の洋菓子店に就職。家族経営の小さな店舗で、仕事もきつくなかったが、3カ月で辞めてしまう。原因は典型的な甘え。学生の気持ちから切り替えられなかったんだろうと振り返る。
「その後はテレアポのバイトをしていたんですが、半年ほど経った頃から焦り始めたんですよ。入学して最初の授業で、『好きなことを仕事にするのはとても素晴らしいことだけど、この世界に残って活躍しようとするなら、それなりの覚悟も必要』って担任の堀田(朗子)先生から言われたことを思い出して…。当時、私は将来のこともあまり考えていなかったんですが、『絶対、私は残ってやる』と思ったし、『自分は絶対に残れる』という根拠のない自信があったんですよ。にもかかわらず、今こんな状態じゃないかって…」
そんな折、フランス校で一緒だった料理人から、知り合いのシェフがパティシエを探しているからと声をかけられる。自分に務まるか不安を感じたが、今いるパティシエに教わればいいと言われ、代官山のレストランへ。しかしその人は、わずか1週間で退職する。
「発注から何からすべてやらなきゃいけなくなりましたが、フランス校で鍛えられた成果があり、1週間でマスターできていました。2年目ぐらいからは、カフェのケーキも好きにつくっていいと言われるようになって、自分で考える楽しさを感じるようになりました」
その後はさまざまな店で経験を重ねたが、西麻布のレストランに勤め始めて1年半ほど経った頃、忙しさのあまり身体を壊してしまう。
「仲間にも恵まれ、仕事自体はとても面白かったので、精神的には全然つらくなかったんですが、身体がもちませんでした。それ以降、調理場に入るのが怖くなってしまったんです」
そのため体調が戻った後も、勤務時間の緩やかなカフェで接客の仕事を始めた。30歳を超え、気づけば店長に。いつまでもこのままでいいのかと思っていた頃、以前同じ職場だった仲間から、求人話を持ちかけられたのが、現在、シェフパティシエールを務める武蔵小山の『パティスリィ ドゥ・ボン・クーフゥ』だった。
異色の有名パティシエールがつくるケーキに感動し、イズムを継承。
「実は私、ケーキをつくるのは好きでも、食べるのはそれほどでもなかったんですよ(苦笑)。だけど面接の日に買って帰ったドゥ・ボンのケーキを食べて、『めっちゃうまっ!』と感動したんです(笑)。ギュッと濃厚で、無駄なものが一切なくて、とっても好きな味。ここなら間違いないなと確信し、2011年に入社しました」
パティスリィ ドゥ・ボン・クーフゥの店内
2005年から続く『パティスリィ ドゥ・ボン・クーフゥ』は、有限会社apartmentがプロデュースするカフェ併設の洋菓子店。後に焼き菓子ブランドとして誕生した白金の『ル・コフレ・ドゥ・クーフゥ』や横浜・たまプラーザの販売店、水道橋や神保町に開かれたカフェ『ディゾン』で提供する生ケーキの製造をすべて担っている。創業時からシェフを務めていた岩柳麻子さんは、独学で技術を身につけた異色の有名パティシエールだ。
岩柳麻子さん(右)
2015年に独立し、等々力に『パティスリィ アサコ イワヤナギ』をオープン。雑誌の企画として始まり大きな話題を呼んだ「パルフェビジュー」(宝石のパフェ)は、旬の高級フルーツを使った完全予約制の逸品で、スイーツ好きたちの憧れの的となっている。2人は語る。
「指導はまったくしなかったですね。レシピを渡せばできる技術があったので。スーシェフとして入ってもらい、新作を考えてもらう比重をどんどん上げて、オープン10周年という区切りのタイミングでバトンを渡しました」(岩柳さん)
「麻子さんからは、だめって言われたことがないんですよ。提案すると『いいじゃん、やってみなよ』って…それまでなら反対されていたようなものでも、賛同してくれるから、本当にいいのかなと思うことはありました(笑)」(武さん)
「好きなものや嫌いなものが一緒だったんですよ。2人ともパクチーが好きだったから、お菓子に入れてみたり。自分の感覚とズレてないうえ、自分の引き出しになかった案を出してくれて面白いんです。レストラン経験が豊富だから、デセール(デザート)の感覚でデコレーションをしたり。今までにないものを生みだしてくれました」(岩柳さん)
「受け継いで守っているのは、『特別な人の特別なケーキ』というコンセプト。とてもいいなと惹かれ、今もほかにはないものをつくろうとしています。原価を考えず、自分のつくりたいものを絶対につくる、麻子さんの奔放さにもかなり影響されましたね(笑)。まずつくってみて、そこから売るためにどうするかを考えるスタイルは、今も踏襲しています」(武さん)
自転車に乗りながら目にした風景から、新作のケーキをイメージ。
「製造長になった年ぐらいかな、クリスマスの忙しいときに、体調崩して倒れたんですよね。その後、麻子さんに勧められて自転車を始めたんですが、それからは体力もついたと思います」(武さん)
「今じゃ私より全然はまってますから(笑)。自転車に長く乗って通勤できるよう、わざわざ遠くに引っ越したんだもんね」(岩柳さん)
「お店から25kmぐらい離れたところに(笑)。そのとき目にしたものから新作ケーキのヒントを得たり。考えを巡らせるのにもいいんですよ」(武さん)
25kmを自転車で通勤
新作のアイデアは現在、すべて一人で考えている。年に2回、新作ケーキパーティを開催。春夏と秋冬、それぞれテーマを決めて5種類ずつ考え、1カ月ごとに出していく。いずれも頭のなかだけで考え、試作は1~2回。味や食感の組み合わせも想像上で構成し、あとは微調整だけ。大幅にずれることはないという。
PERIDOT / ぺリドット ココナッツのブランマンジェとコブミカンジュレ パクチーの香りとともに
ブラン Blane シルバーリーフが美しい「ダスティーミラー」をイメージ。
シャルドン Chardon 赤く可愛らしい「アザミ」をイメージ。
「毎年、夏に北海道へ自転車旅に行くんですけど、そのときの風景を取り入れることも多いです。砂浜に咲いていた美しいダスティーミラー(白妙菊)や黄金色に輝く麦畑など、北海道で見た風景からイメージをふくらませてつくったり。素材から考えることも多いですね。おいしいものを食べたとき…たとえばゴルゴンゾーラとイチジクのパスタがすごくおいしかったら、それをケーキにしてみたり。逆にケーキを参考にしてケーキをつくることはありません。そこも麻子さんと共通した部分ですね」(武さん)
毎年北海道を自転車旅行
転ばない努力より、転んでも起き上がる努力をすれば、道はつながる。
「現在は各店舗少人数で頑張ってつくっているので、もっとお店を有名にして、スタッフもつくる数も増やしたい。そうして一人でも多くの人に、私たちのケーキや焼き菓子を食べてもらいたいです」(武さん)
全店の焼き菓子を手がける『ル・コフレ・ドゥ・クーフゥ』で現在、店長兼製造長を務めるのは、2014年にエコール 辻󠄀 東京を卒業した石井未来さん。つまり武さんの後輩にあたる。
石井未来さん
「見た目も味もほかとは全く違うケーキに惹かれて、志望しました。最初は何年も経験を積めば、お二人みたいなすごい人になれると思っていたんですけど(笑)、そのときそのときで、やれること以上の努力をしないと、こうはなれないんだと気づいて。あっという間に時間は経つから、常に課題を見つけて頑張らないとダメなんだって、背中を見ていてよくわかりました」(石井さん)
「そんなことを感じてくれていたなんて」と驚く2人に、これから食の業界をめざす人たちへのアドバイスを聞いた。
「海に行くのでもいいし、山に登るのでもいいし。自転車もそうですが、好きなことを、たくさんやってほしいですね。食べ物だけじゃなく、ジャンル関係なく『いいな』と思うことをいっぱい吸収することで、自分の色は出てくると思います」(岩柳さん)
「つまずかない努力、転ばない努力をするより、つまずいても転んでも、立ち上がる努力をしたほうが、残る人間になれると思います。私がまさにそうなので(笑)。何度でも立ち上がる勇気さえあれば、なんでもできるんじゃないでしょうか」(武さん)
辻󠄀調グループ フランス校
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フランス料理とヨーロッパ菓子を学ぶための最新設備がずらり。
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