INTERVIEW
No.017

最高の食材をふんだんに使い、高く評価され、お客様にも喜んでもらえる。料理人にとって、こんな幸せなことはない。

俺のフレンチ・イタリアン 副料理長

笠原鉄平さん

profile.
兵庫県川西市出身。辻󠄀調グループのフランス料理専門カレッジ(現・エコール 辻󠄀 大阪)からフランス校へ。1995年卒業後、辻󠄀調グループに入職。2000年に渡仏し、ブルゴーニュやパリの名店で修業を重ねる。帰国後、ホテルグランヴィア大阪へ。26歳で神戸のフレンチレストランの料理長を依頼されて以降、芦屋のウエディングレストランや輸入食品会社の総料理長を歴任し、2014年、俺の株式会社へ入社。『俺のフレンチ・イタリアン 松竹芸能 角座広場』の副料理長となり、現在に至る。
access_time 2017.07.21

いまだからぶっちゃけますが、1年目は相当トガッていましたよ(苦笑)。

ミシュラン星つき級の料理人が、高級食材をふんだんに使って腕をふるいつつも、破格の安値で提供する『俺の』グループ。東京を中心にさまざまな料理ジャンルで展開する店舗のなかでも最大規模を誇るのが、大阪・道頓堀にある『俺のフレンチ・イタリアン 松竹芸能 角座広場』だ。副料理長を務める笠原さんは言う。
「『料理人は芸術家のようなものなのに、劣悪な環境、低賃金で雇うのはおかしい。最良の材料を用意して、しっかりと給料も支払い、もっと活躍してもらえる場をつくりたい』というのが社長の考えなんですよ。それを成り立たせるのが集客。食材費や人件費を下げないまま、単価ではなく回転数を上げて、利益を高めるという仕組みなんです」
辻󠄀調グループの卒業生も多数活躍
繁盛店を支えるためにも、業界を発展させるためにも、人材育成も重要な柱としている同グループ。かつて辻󠄀調グループで職員をしていた笠原さんは、後進の指導にも定評がある。
「成長するには、何より素直さが大切。でなきゃ何事も吸収できません。『これは知っているから別にいい』という気持ちが少しでもあると、そこで成長は止まりますからね。…なんて言っている自分も、いまだからぶっちゃけますが、辻󠄀調の職員になった1年目は、相当トガッていましたよ(苦笑)」

知識や技術をどこまでも探究する先生方と、対等に話せるようになりたい。

高校卒業後は、現在のエコール 辻󠄀 大阪にあたるフランス料理専門カレッジを経てフランス校へ。研修先はブルゴーニュの『ル・ベナトン』だった。小さなレストランだったこともあり、何から何まで経験させられたという。
「肉まで焼かせてもらえましたからね。めちゃくちゃ厳しかったですが、ほぼ日本人のいない街で、シェフとマンツーマンで対峙し、日々の成長を実感できていたので、充実感に満ちあふれていました。フランス校の最優秀賞も受賞できたんですが…研修先でガムシャラに頑張ることが第一の目的だったので、日本に帰ってからのことは頭になかったんですよ」
帰国後、渡仏前からスカウトされていた、辻󠄀調グループの職員になる道を選択。1年目は辻󠄀調理師専門学校への配属となった
「熱心に誘ってもらった分、正直、天狗になっていました。だけど2年目に、出身校へ異動となり、恩師の先生方と接しているうちに、『自分は1年間、何をやっていたんだ』と目が醒めましたね。先生方は知識も技術も素晴らしいのに、常に探究心が旺盛で、目線が上を向いている。この人たちと対等に話せるようになるには、とにかく勉強するしかないと。早くに気づけて良かったですよ」

僕の大好きな言葉、「謙虚にしておごらず」そのものの人との出会い。

教員時代は、名だたる外来講師からも刺激を受けた。学生たちを育てることにもやりがいを感じていたものの、フランスからやって来るトップシェフらと関わるうちに、「もう一度、フランスで学びたい」という気持ちが高まり退職。研修先だった『ル・ベナトン』に働き口を紹介してもらおうと連絡したところ…。
「『いますぐ働きに来てほしい』と。まだまだ初めて扱う食材もあり、さらに勉強できました。修業時代、ひたすらメモをとったボロボロのノートは、現在も大切に残しています。若い子たちにも言っていますが、とにかくメモは大事。その場でとれなくても、休憩時間にでも思い出して記せば、さらに覚えられますからね」
修業時代ひたすらメモをとったノート(清書版)
その後、パリの一つ星だった『レ・ベアティーユ』を紹介され、そのつながりで三つ星『ル・ブリストル』でも経験を積んだ。帰国後のことは考えていなかったが、辻󠄀調時代の恩師を通じて、まだオープン間もなかったホテルグランヴィア大阪のフレンチレストラン『フルーヴ』から誘いがあった。
「ホテルには縦社会のイメージがあったんですが、当時の佐藤伸二総料理長が素晴らしい人徳者で…僕の大好きな言葉、『謙虚にしておごらず』そのものの人だったんですよ。現状の力を試すにはコンクールが一番だからと、若手にも積極的に参加するよう後押ししてくださり、腕を磨けました」

自分にはフランス料理の繊細さや広がりの大きさの方が魅力だった。

ホテル在職中には、大阪司厨士協会から年間、最も活躍した若手に贈られる「和幸賞」を受賞。その後も新たな挑戦をしたいというタイミングで次々と声がかかり、ステップアップを重ねていく。2012年には、アメリカの食材を輸入する食品会社に魅入られ、セントラルキッチンの総料理長に就任。ニューヨークでの研修も貴重な体験となったという。
「アメリカの料理は未知の世界だったので、ものすごく新鮮で面白かったです。そんな頃、辻󠄀調グループを定年退職し、『俺の』グループの顧問をされていた恩師から、強いお誘いをいただいたんですよ。ここの話は随分と耳にしていました。当時、メディアでも盛んに紹介されて、ノリにノッていましたからね。だけどまだ前社に入って1年ほどだったので、最初は断ったんですが…やはり自分にはフランス料理の繊細さや広がりの大きさの方が魅力だったので、転職を決意しました」

まずはフランス料理を知ってもらうことが、地域社会への貢献につながる。

料理原価率の平均は約55%。これは驚異的に高い。なかには100%を超える料理もあるという。高級食材を惜しげもなく用いて、驚きのコストパフォーマンスを体感できる異色のレストランだ。
「グランドメニューも各店舗で考えるんですよ。さらに予約制の特別席でお出しするスペシャルメニューは、スタッフみんなで自分たちのつくりたいものを考案できます。質のいい食材をふんだんに使って調理でき、お客様にも喜んでもらえる。料理人にとって、こんな幸せなことはないですよ」
フランス料理には、高級で足を運びづらいというイメージもあるだろう。しかし一流シェフの料理をリーズナブルに食べられるなら、はじめの第一歩として訪れやすい。
「グループの経営理念の1つに、『飲食業を通じての地域社会への貢献』という言葉があります。フランス料理を身近に感じてもえたら、近所のフランス料理店や、ホテルでのフレンチを食べてみようかな…というきっかけにもなる。まずはフランス料理を知ってもらうことが、地域社会への貢献につながると考えています」

お客様を喜ばせたいという人間がチーム一丸となると、ものすごく強い。

お客様との距離も近いので会話もしやすく、反応を直に見られる。毎日が一体感のあるレストランだと笠原さんは語る。
「さまざまな形態で仕事をしてきましたが、僕は大人数のほうがやりやすい。バスケをやっていたこともあり、チームプレーが好きなんでしょうね。お客様においしいと言ってもらえることに喜びを感じる人間ばかりなので、それがチーム一丸となるとものすごく強い。ときには目の回る忙しさですが、マンパワーで乗り切ったときの達成感は清々しいです」
後輩たちにはグループで上をめざしてほしいし、違う環境へ巣立っていくなら、そこで名を上げて活躍してほしい。そのための手伝いは全力でしていきたいという。
「かつて指導を受けた先生方をはじめ、自分の慕っている先輩方が、『背中を見て覚えろ』というタイプではなく、何を訊いても丁寧に教えてくれる人たちだったんです。できる人って、そうなんですよ。わからないなら手取り足取り教えて、次からは一人でできるようにする。それを見習い、常に『謙虚にしておごらず』の姿勢を忘れないようにしています。まだまだ次なる発展をめざすグループです。自分はいま、この会社がものすごく好きなので、今後の展開にも貢献していけたらと願っています」

笠原鉄平さんの卒業校

エコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch

辻󠄀調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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