INTERVIEW
No.153

生産者と飲食店や消費者をつなぐことで、食の喜びを共有しながら魅力を発信。ライフステージが変わっても自由に活躍できる舞台が、食の世界にはある。

株式会社パピーユ  料理ディレクター

木邨有希さん

profile.
東京の国際製菓専門学校高等課程から大阪の辻󠄀調理師専門学校に進学。1998年に卒業後、株式会社エノテカに就職し、大阪『ブルディガラ』、兵庫・神戸『ソスタンツァ』、東京・六本木『テロワール』で経験を重ねる。2003年に渡仏し、プロヴァンスのレストラン『ラ・ファリグール』で約2年間修業。帰国後、東京・青山『アディング・ブルー』へ。2008年独立し、東京・下北沢に『レストラン マナ』をオープン。目標だった1,000組の来客を達成した2013年に閉店し、株式会社パピーユに入社。2018年から1年4ヵ月の産休を経て、翌年4月に復帰し、現在は九州を拠点に活躍中。
access_time 2022.07.29
FUJIMARU 東心斎橋店 角打ちスペースにて

変わらないのは「おいしいものを提供して喜ばれるのがうれしい」という感覚。

ワイン販売を軸に、自社葡萄畑や醸造所、飲食店などを展開している株式会社パピーユ。そのディレクターとして、ワインや食の魅力を発信し続けているのが木邨(きむら)有希さんだ。料理人として培ってきた経験をもとに各地の生産者を訪ね、酒販店や飲食店への紹介や提案に尽力。現在は九州を拠点とし、飲食店の立ち上げやメニュー開発、百貨店の催事や食とワインにまつわるイベントの企画・運営、リアルやオンラインでの料理教室の開催やレシピ提供など、幅広い業務を手がけている。
FUJIMARU 東心斎橋店 ワインショップにて
「自分にタイトルをつける気はないし、『何をしているの?』と訊かれたら、『おいしいものをつくっています』と答えています。根が食いしんぼうなので、核は“おいしいもの”。もちろんワインありきの会社なので、ワインを飲んでほしくなるシチュエーションを一緒に考えるわけですが、おいしいものを提供して喜んでもらえるのがうれしい、というのは飲食店で料理やサービスをしていたのと同じ感覚です」
「一人で使える食材は限られていますし、今はいろんなチームと仕事ができるのがすごく楽しい。自分が食いしんぼうだから、喜びを分かち合いたいという気持ちが強いんでしょうね」

色あせず、何回めくっても発見がある当時のノートは、いまだに愛用している。

「母がいまだに超えられない料理上手なんですよね。超適当につくるのに、めちゃくちゃおいしい。その原体験が大きいと思います。自分でもつくってみたら、人が喜んでくれる。『なんてうれしいんだ!』という、そのまんまの気持ちで今も仕事をしています」
幼少の頃(右端)「The starting point of job.」(ご本人のフェイスブックより)
1979年、東京都生まれ。幼い頃、何より楽しかったのが、お菓子づくりだった。中学を卒業すると、高等課程を履修しながら製菓技術が学べる国際製菓専門学校へ。しかし卒業後、すぐに働きたい場所がみつからなかったこともあり、料理も学んで即戦力になろうと、大阪の辻󠄀調理師専門学校へ進学した。
辻󠄀調理師専門学校時代
「結婚して専業主婦になった母が、『これからの時代、手に職をつけなさい』と言い続けてくれたんですよ。専門的なことだけじゃなく、全部できるところがいいと学校を探し、一番楽しそうに見えた辻󠄀調(辻󠄀調理師専門学校)を選びました」
入学すると、これまでにないほど真面目にノートをとり、学ぶことを楽しんだ。授業中の教壇はすでに職場のようで、プロ同士の仕事を目の当たりにしたと振り返る。
辻󠄀調理師専門学校時代 
「材料を渡すタイミングが悪かったり、仕込みが悪かったりすると、教授から助手の先生へ厳しく指導が入るんですよ。それがすごくリアルで痺れました。各ジャンルのプロの先生方がそろっていたのは、思い返しても貴重。当時のノートは、いまだに愛用しています」
今も活躍する辻󠄀調理師専門学校時代のノート
「何回めくっても発見があるし、クラシックと呼ばれるものたちには色あせないものがある。具体的な知識を細かく教えてくれた学校に感謝しています。授業で素晴らしい食材を惜しみなく使っていたのもありがたかったです。知っていれば、選択できるようにもなりますからね」

大箱で重ねた経験が、技術の基盤。数をこなさないと、理想の質には到達できない。

「卒業後もお菓子の道に進もうと考えていましたが、辻󠄀調でとても素敵な授業をする個性的な先生たちと出会ってしまい…めちゃめちゃ迷いました(笑)。だけどもともと、グランメゾンで出されているようなデザートやお菓子を日常的に提供したいという夢があったので、フランス料理の道を選択。フランス校への留学もしてみたかったんですが、早く現場に出たいという思いが勝ちましたね」
自分自身、できるだけ早く成長したいという想いが強かったので、早い段階から仕事を任せてもらえる環境がいいと志望したのが、多角的に事業展開を始めていた株式会社エノテカだった。大阪の『ブルディガラ』で経験を積み、新規開業の神戸の『ソスタンツァ』へ。
「仕事漬けの毎日でしたが、せっかくなら言われる前にできるようになろうと、日々がむしゃらに頑張っていました。一人で100人前を担当するのが当たり前のような大箱で重ねた経験は、私の技術の基盤。数をこなさないと、理想とする質には到達できないという考えのもとにもなっています。一流と言われる方たちも皆、過去には壮絶な数を経験されていますからね」
その後、東京でも仕事をしてみたいと希望を出し、六本木の『テロワール』に異動。
「ワインに合わせるコース料理を手がけられる現場で、良い経験になりました。料理を勧めるサービス人がいて、楽しませられる知識と経験があってこそ成り立つ世界なんだなと。名だたる料理人が一目置いていた当時の総料理長、金子(浩二)さん(現『クスクス ルージール』オーナーシェフ)に仕込んでもらえたのも財産。いずれはと考えていたフランスへ行くノウハウも教えてもらえました」
ラ・ファリグール店内

現地での経験を経て、フランス以上にフランスを感じる、熱いレストランへ。

2003年に退職後、渡仏。プロヴァンスにあるレストラン『ラ・ファリグール』で約2年間、修業を重ねた。
フランス修業時代「ラ・ファリグール」のシェフとマダム
「南仏の食材に魅力を感じていたんですよね。履歴書を送ったなかで、一番いい返事をくれたのが、このお店でした。オーナーシェフと3人だったので、仕事はなんでもやらせてもらえたんですが、バカンスの時期はものすごく忙しくて。かなり鍛えられましたし、現地の人が普段食べている食文化も体験でき、いい勉強になりました」
フランス修業時代のワイン生産地巡り
滞在中に知り合ったシェフたちと話すと、必ず出てくるのが「あのときのメンバーは最高だった」という思い出話だった。それに憧れて帰国後は、実際に訪れて、最もチーム全員が熱そうだと肌で感じた東京・青山の『アディング・ブルー(当時のグランドシェフは三谷青吾さん シェフは長澤宜久さん)』の門を叩く。
アディング・ブルー時代 左から2人目が木邨さん、右端が長澤宜久シェフ(現ブルーノートエグゼクティブシェフ)
「海外ゲストもガンガン来るし、異言語が飛び交うし、ヨーロッパの香りが濃厚。大人の遊び場みたいなお店で、フランスにいたとき以上にフランスのエスプリ(精神・機知)や料理人魂を学べました」
師匠の三谷青吾さん(元アディングブルー グランドシェフ)と
「何十品もの固定メニューが日替わりであるうえ、その日の食材をわんさかワゴンに載せ、『なんでも調理しますよ!』っていうスタイルだったんですよね。本当においしいものを食べてほしいというのが根底にあるから、スタンダードなフランス料理もジャンルレスな料理も同時に提供できるし、この人たちがフィルターを通してつくればここの料理になる。めちゃくちゃ大変でしたが、飲食店のライブ感が味わえて、すっごく楽しかったです」

素敵な食材を見つけたら、お客様にも紹介したいし、喜んでもらいたくもなる。

フランス料理とワインは切っても切り離せない。いずれはしっかり学びたいと考えていたため、退職後はソムリエ資格を取得。2008年には、東京・下北沢に1日1組限定の『レストラン マナ』をオープンさせた。
「たまたまいろんな話が重なって、お店をやることになったんですよね。1日1組のレストランなんて、名だたる料理人が最後にやる形態だと思っていたんですが…。お庭を見ながら食事ができる一軒家のダイニングが素敵すぎたので、この空間を楽しんでもらおうと、営業時間も決めず、料理もサービスも全部自分でやることに。目標がないと頑張れないので、1,000組を集客したら閉店すると決めて始めました」
レストランマナ時代のワイン会
最初は予約の入らない日もあったが、徐々に評判を呼び、多くの人から愛される場所になっていく。週末には、単品やワインを提供するバーのような営業や、音楽と組み合わせたイベントなども展開。自由に時間が使えるようになったことで、国内外の生産者を訪ねるようにもなった。
レストランマナ時代のパーティー
「旅も人も好きなので、生産者というより人に会いに行く感覚です。素敵な食材を見つけたら、お客様にも紹介したいし、喜んでもらいたいし…。新たに出会うことで、自分のなかから違うものが生まれるのも好きなんですよね。よくイベント好きって言われるんですが、そうじゃなく、好きな人と仕事がしたいんです。つくったものを食べてもらう姿を見ることがあまりないというお声から、生産者とお客様をつなぐ催しも多く開きました」
生産者「パーラー江古田」さんと
「つくり続けるためには、ハッピーがないと難しいですからね。命を預かりつつ、喜びをシェアできるのがこの仕事の醍醐味。食べに行く、おいしい、また食べたい、つくりたい…そんなサイクルが原動力にもなっていますし、『おいしいものが食べられたらうれしい』という気持ちは、今も常にありますね」

尊敬できる料理人やソムリエと力を合わせたことで、チームで働く喜びを実感。

そろそろ1,000組に到達しようかという頃。所用で大阪を訪ねた際、できたばかりの『フジマル醸造所』にたまたま立ち寄り、出会ったのが同所を営む株式会社パピーユ代表の藤丸智史さんだった。
「また東京で呑みましょうという話になり、実現したときに言われたのが『東京に進出したいから一緒に働いてくれないか』という言葉でした。心身ともに出し切った感があり、閉店したら旅をしようと考えていたんですが、しばらく一人だったのでチームでの仕事がしたくなっていたんです。食材を使い続けなければ、つくり手さんはいつかいなくなってしまう。だけど自分一人のお店では、使える量が限られている。会社に入ることで、自分が料理をする以外の場でも提供できればと考えました」
「これまでに得たワインの知識も活かせるし、生産者さんと料理人をつなぎ、さらにはお客様へおいしさを届けられる。そんな橋渡し役になれそうな気がして、藤丸さんからのお誘いを受け入れる覚悟をしました」
目標を達成し『レストラン マナ』を閉店した2013年、株式会社パピーユに入社。ワインショップ&ダイナー『FUJIMARU 浅草橋店』の立ち上げに力を尽くした。
フジマル浅草橋店立ち上げメンバー 左から木邨さん、ソムリエの伊禮(達哉)さん(現『和洋葡yoshi』オーナーソムリエシェフ)、料理人の山田(武志)さん(現『マイクロビストロ ペタンク』オーナーシェフ)
「料理人の山田(武志)さん(現『マイクロビストロ ペタンク』オーナーシェフ)、ソムリエの伊禮(達哉)さん(現『和洋葡yoshi』オーナーソムリエシェフ)と3人で立ち上げたんですが、彼らと一緒だったからこそ盛り上がってお店をつくれました。尊敬できる人たちとチームを組んで働く喜びを再び味わえたことが、その後、会社でさまざまな事業を手がけるステップにつながったと感じています」

“好き”を見つけて、大事にできることは、生きていくうえでとても大切。

その後、東京でもワイナリーをつくろうと、ワイナリー&レストラン『清澄白河 フジマル醸造所』をオープン。大阪での開業もいくつか手がけ、2018年から1年4ヵ月の産休へ。
「働けるスキルがあれば、どんな生活環境でも、どこで何をしていてもいい。藤丸はずっと『辞めなくてもいい会社をつくりたい』と公言していて、コロナ禍前からそういう方針だったんです。子供ができても、介護をすることになっても、生活は変わるものですが、ライフステージにおいてやむを得ないことが発生し、食の世界を離れる人がいるのはもったいない。そんな彼の考えに賛同しています」
翌年4月に復帰し、現在は福岡県北九州市で暮らしながら仕事を続けている。
4歳になった(取材時)息子さんと
「復帰後は、0歳児を抱っこしながら全国にある食材や調味料の生産者のもとを訪ね、飲食店や一般のお客様にご紹介する方法を考え、実践してきました。百貨店での催事などでは、食材のセレクトからメニュー考案、調理まで私が担当。知ってファンになってもらうことが、生産者の方への一番の応援になりますからね。九州での展開もどんどん拡大中。以前と表現方法は違いますが、喜びのシェアという面では変わっていませんよ」
料理配信@阪神百貨店さま
「好きなことをやって、誰かに喜んでもらうなんて、こんな幸せなことはない」と微笑む木邨さん。迷ったときは、自分がおいしい、楽しいと思うほうを選び、その経験はすべて今につながっているという。
LUG(ビール)の造り手と
「喜んでもらえた笑顔を見ると、やめられないなと常に思います。“好き”を見つけて、大事にできることは、生きていくうえでとても大切。忙しくなりすぎると悩む人もいますが、そんなときに思い出してほしいのが、もともと自分は何が好きだったのかという原点です」
グランシェフ「イヴシャルル」氏のアトリエに訪問 日本の魚醤との出会い 幾度かご一緒に仕事をさせてもらっている
「私の場合、食いしんぼうなこと、人に喜んでもらうのがうれしいこと。好きがあふれ、『あれもこれもやりたい』というのは全然いいと思うんです。それらをくっつけられるのは、自分にしかできないことかもしれませんからね。…昔は、お店をもったら子どもは産めないと思っていたんですが、『大丈夫、できる』と声を大にして言いたいです。やりたいことを諦める必要はありません。その人に魅力があれば、どんな形態でも続けられますよ」

木邨有希さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校

西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ

食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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