INTERVIEW
No.023

僕の道標は、勝又シェフと渡邉スーシェフです。

オーベルジュ オー・ミラドー

森本雅之さん

profile.
エコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ卒業後、辻󠄀調理技術研究所へ。2014年卒業後、オーベルジュ オー・ミラドーに入社。研修先としてオー・ミラドーを訪れ、勝又登オーナーシェフと渡邉スーシェフと出会い、調理場でのやりとりを見て、後を追うことを決断。3年の歳月を経て「焼き場を任せられるようになった今が、一番嬉しくて、楽しい」という。
access_time 2017.08.18

早くから、料理人になる。そう決めていました。

「出身は大阪・枚方です。叔父がレストランのオーナーシェフでした。小さな頃からシェフの厨房に立つ姿を見て育ち、料理界の厳しさも楽しさも、料理のこともいっぱい教えてくれました。しかも、こんな美味しい料理ができる叔父がかっこいい。その影響で、早くから料理人をめざすことを決めていました。叔父が先生を務めていたこともあり、行くなら辻󠄀調しかありません。それ以外、頭になかったですね」
叔父さんのレストランにて
高校は進学校で周りも大学進学がほとんど。森本さんには大学という選択肢はなかったのだろうか。
「親は大学進学を望んでいました。料理は後からでも学べるはずだと。でも、それでは遅い。少しでも早くこの世界に入りたかった。幸いかどうか、推薦がきた大学が意に沿わなかったこともあって、辻󠄀調に入学することを許してもらいました」

辻󠄀調の学生時代は、
高校の時よりもガリ勉タイプでしたね。

「授業はとてもわかりやすかったです。レベルを僕たちに合わせてくれているんだと思いますが、それでも遅れる生徒には補習したりして手厚くフォローしてくれました。僕にとっては全てに好奇心いっぱいで、習ったことはすぐに自宅のキッチンで復習です。すずきのパイ包みという実習が難しくて、自宅で何回もできるまでトライしたのを覚えています。家族にここまでできるようになった、と報告できるのがうれしくて」
通学の電車の中では、本にかじり付いていたという。
「時間がもったいない。少しでも料理のことを覚えたかった。学校の教科書の中には黒い表紙のハンドブックがあって、それをいつも持ち歩いていました。料理の背景となる歴史や文化、調理技術の発展や進化など、学ぶことは沢山あります。いわゆるガリ勉でした。料理人は天才肌の人も多いですが、僕は凡人。努力で補うしかありません」

「オーベルジュ オー・ミラドー」で発見した料理人の道標。

学生の頃、森本さんは辻󠄀調の先生に憧れを持ち、辻󠄀調への入職を望んでいた。
「それほど授業が楽しかったし、授業に臨むまでの準備作業にも興味がありました。叔父も教えていたし、自分も人に教えるのが向いている、と思っていましたから。」
そんな折に、今の職場である「オーベルジュ オー・ミラドー」での研修が決まった。オーナーは、フレンチの風雲児として有名な勝又登シェフ。オーベルジュとは、フランスの地方にある宿泊施設付きのレストランで、日本で初めて勝又シェフが箱根の地で実現させた。地元の食材にこだわり、その食材にふさわしい料理を創造する「勝又流フレンチ」で名高い。
「勝又シェフにお会いしたかったし、オーベルジュというサービス形式にも興味がありました。その時に僕たちの面倒を見てくれたのが、渡邉スーシェフです。面倒見がよくて、いろんなことを教えてもらいました。調理の技術もすごいし、一緒に調理場に立てるのが嬉しかった。ある時、勝又シェフと渡邉スーシェフが調理場で打ち合わせされている空気がとても素敵で、僕も同じ道をいきたいと感じたんです。この二人を僕の道標(みちしるべ)にしようと決めました。辻󠄀調への入職から、再び料理人の道へシフトチェンジです」
大阪に戻り、森本さんは憧れの渡邉スーシェフに直接連絡をとって、オーベルジュ オー・ミラドーに就職を決める。

今が一番楽しくてやりがいがあります。

料理人には、一人前になるまでのステップが当然ある。オー・ミラドーの場合は、通常ホールでのサービスが約1年。ここでレストラン全体の流れやサービスの基本を身につけ、洗い場、前菜のサブ・チーフを経験し、魚、肉の調理へと続く。
「僕の場合、ホールを飛び越えていきなり調理場への配属です。ちょうど熱海での新店オープンを控えていて、先輩調理人はそちらに駆り出されていました。そういった環境もあって、わずか3年で魚も肉も両方の焼き場を任せてもらえるようになりました。責任や緊張感もありますが、いまが一番楽しい」
若くして焼き場を任されたことを渡邉スーシェフに聞くと
「そうか、森本幾つだっけ」
「23です。今年24」
「ちょっと早いな、私たちがその歳の頃は、何も触らせてもらえなかった。でもこいつ、頑張っているから」
「3年間、渡邉スーシェフと調理場に立って見てきましたから。焼きのタイミングや出し入れ、所作は完コピさせてもらってます」
そんなやりとりが始まった。
「森本にとっては大きなチャンスだから、この機会を生かしてほしいですね」。渡邉スーシェフから後輩へのエールも飛んだ。

長年積み重ねた信頼も、
失うのは一瞬。それを肝に銘じて

「憧れだった渡邉スーシェフのもとで、ともに調理場に立つ。こんな嬉しいことはありません」
もちろん期待に応える、失敗は許されないという緊張感も大きい。
「自分の中の名言として、肝に銘じていることがあります。それは『信頼を築くには長い時間がかかる。でも信頼を失うのはあっという間だ』という言葉です。せっかくの努力も万全の準備も、少しの気の緩みで台無しになります。しっかり積み上げて崩さない努力をしていきたいですね」
熱海で新規店舗オープンということもあって、今、箱根のオーベルジュ オー・ミラドーの調理場は、渡邉スーシェフを筆頭に若手が中心で構成されている。プロとしての緊張感、躍動感と同居するようにどこか柔らかな雰囲気も伝わってくる。
「だからこそ、準備を怠らない。甘えない。今は後輩たちにそのことをしっかりと伝えていかないと。料理はチームワークですから」
取材当日の「賄い」

本格フランス料理に「賄い」でチャレンジ。

森本さんのオー・ミラドーへの就職理由が、もうひとつあった。
「うちの賄いは、本格的なフランス料理を若手がつくるという伝統があります。賄いのために食材を発注することも予算として認められています」。
比較的手軽で、お腹に溜まる料理が賄いの常識だ。食材もそれほど高価なものは使えない。ところがここでは勝又シェフの方針で、若手にフランス料理をアピールする機会を「賄い」に設けている。
同じように憧れを抱いて、辻󠄀調グループ出身の後輩が続々と加わる
「これは、僕にとっては願ったり叶ったり。いろんなフレンチにトライアルできます。皆さんに食べてもらって評価を聞けるわけですから、いい勉強になります。最初の1,2年は簡単なものしかできませんでしたが、今はいろんなことに挑戦しています。たまに渡邉スーシェフから『これはどうやってつくった?』なんて聞かれると、ヤッターって感じです」
後輩にアドバイスを送ることも

料理への想いをお客様に感じてもらえる料理人になりたい。

最後に、どんな料理人になりたいかを聞いてみた。
「僕はいろんな人に憧れて、料理の世界をめざしました。叔父の作る料理は美味しい。勝又シェフの発想力はすごい。渡邉スーシェフの料理への姿勢がかっこいい。それって、料理をつくる人の気持ちが、素直に僕に伝わってくるから。そういう意味では、料理は表現して伝える場でもあると思います。季節、素材、盛り付け、味覚、雰囲気、それらをひとつにまとめて、料理は完成します。それを、お客様に感じてもらえるような料理人になりたいですね」

森本雅之さんの卒業校

エコール 辻󠄀 大阪 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ  (現:辻󠄀調理師専門学校) launch

エコール 辻󠄀 大阪
辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ
(現:辻󠄀調理師専門学校)

フランス料理とイタリア料理の現場で、
必要となる技術や力を集中して学びとる。

フランス料理とイタリア料理。
共通点が多い2つの料理の、基本の技術と理論を徹底マスター。
望む未来を切り拓く力と自信を養う。
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