No.031
目的もないまま大学へ行くのではなく、本当に好きなことを学ぼうと辻󠄀調に進学し、教員という天職に出会えた。
辻󠄀調理師専門学校 教授
松島愛さん
profile.
奈良市出身。辻󠄀調理師専門学校を1996年3月に卒業後、辻󠄀調グループに入職。日本料理の助教授を経て、2016年度から教授を務める。
access_time 2017.10.13
付き添いで行ったオープンキャンパスを機に、自分の内面と真剣に向き合った。
「とくに夢や目標もなく、とりあえず大学へ行くものだと思っていました。そんな高校3年の夏、友人に付き添いを頼まれて、辻󠄀調のオープンキャンパスへ。自分は見学だけだったんですが、先生の熱心な指導のもと、同年代の子たちが楽しそうに調理をする様子に圧倒されたんですよ。もともと料理が好きだったこともあり、その日を境に自分が何をしたいのか考えるようになって。目的もなく大学へ行くのではなく、自分が本当に好きなことを学びたいと辻󠄀調への進学を決めました」
1年間で和洋中を学ぶ辻󠄀調理師専門学校へ進学したが、早い段階から日本料理の道へ進みたいと考えていた。その大きな理由は、生涯にわたり学び続けられる環境が、日本国内にそろっているから。「外国語が苦手だったことも理由の一つ」と笑う松島さんだが、日本料理の歴史や背景への興味も大きかった。
辻󠄀調の学生時代
「やりたい勉強だったから楽しかったですね。同じ料理の道を志す仲間が全国各地から集まってきていて、いろんな話ができるのも面白いし、技術と知識の両面が身につく楽しさもある。逆に、なかなか上手くできない悔しさもありましたが、失敗したらその分、みんなで一緒に練習を重ね、できるようになる喜びも共有できました」
辻󠄀調の学生時代
遠い憧れが、徐々に「先生方のようになりたい」という目標に変わった。
「講習の授業では、まず助手の先生方の凄さに驚きました。必要なものを必要なタイミングで出してこられるので、主任の先生がほとんど動かれないんですよ。気配を察知して対応される姿が美しくて。まったく失敗されないし、動きに無駄がない。自分たちとたいして歳も変わらなかったんですが、すごく歳上に見えたことを覚えています」
教壇に立つ先生方は憧れの的だった。助手の先生方にも遠く及ばず、ましてや教授なんて雲の上の存在だった。そんな道へ進むことなど思いもよらなかった頃、就職活動を前に恩師から「教員にならないか」と誘いを受け、初めて意識するようになった。
「すぐには返事できませんでしたね。憧れだけで就職するのは無理だろうという気持ちがあったので。だけどそれ以降、授業中も『自分が教壇に立つなら』という見方に変わってきて。徐々に『先生方のようになりたい』と強く思うようになりました」
しかし就職し、助手を務め始めると、思うようにいかないことばかりだった。指導にあたる先生の動きにもついて行けず、自分には向いていないのではと悩みもした。なかでも苦しんだのは、左利きであるということ。
「包丁の技術も左手で身につけましたが、教える対象である生徒の多くは右利きです。左で見本を示しては混乱させてしまいます。それに日本料理は右利きが基本。お刺身を想像してもわかる通り、魚をおろすにしても盛りつけるにしても、右手を使わなければ右利きの人が食べやすいようにはならないんですよ。だから必死に訓練し、今では両手が使えるようになりました。左利きの生徒の指導でも頼りにされ、自分の強みにもなっています」
楽しく学び続ける姿勢を、後輩たちに見せていくことが大切。
日本料理は、料理以外からも学ぶべきことが数多くある。働き始めて間もない頃、4年先輩の若林聡子先生に「盛りつけの勉強になるから一緒に頑張ろう」と誘われ習い始めた生け花は、今でも続けている。
「日本料理は上から見るのではなく、座ったときの姿勢からの目線で、一番美しくなければいけません。器とのバランスも大切です。この色味をどこまで覗かせるか、高さをどうするかなど、生け花と共通することが多く、とても勉強になります。習っているのが本校の外来講師でもある先生なので、『これが料理だったら…』といったお話もしてくださり、よりイメージがふくらみます」
細部にまで気を遣い、主役を引き立て、余分なものを取り除く。生け花で身につけた感性は、実際の盛りつけにも活かせている。今では「先生の盛りつけを勉強させてほしい」と相談してきた後輩らとも、ともに習いに行くようになった。
「辻󠄀調には、日本酒や焼き物、蕎麦打ちなど、それぞれに詳しい先生がいるので、休日は蔵元の見学へ行ったり、器を見に行ったりと、常に勉強を重ねています。この仕事は、いつまでも学び続ける必要がある。それを後輩たちに伝えるためには、私たちがチャレンジしているところを見せていかないと。先輩方がそうだったように、楽しく学び続ける姿勢を見せていくことが大切だと思っています」
何事もコツコツと努力を重ねた結果、2016年度には、日本料理の女性教員としては若林先生に続く2人目の教授に昇進した。今では教えること、何より生徒と関わることが楽しくてたまらないという。
これからも生徒たちと一緒に成長し、生徒の成長を見守り続けたい。
「就職がゴールではありません。5年後、10年後も働き続けられる人を育てることを、私たちは強く意識しています。働き続けるためには、1年目はどうあるべきか、2年目はどうあるべきか、常にビジョンを持っておく必要がある。そのためにも自分たちが今、どこまで成長できているのか、次の段階まではどれぐらい成長すればいいのかを実感してもらえるように心がけています」
自身が生徒だった頃は、先生方に何を訊いても答えが返ってきた。どの先生も惜しみなく、持てる知識を自分たちに与えてくれた。だから自分も、そうありたいと努めている。
「辻󠄀調は卒業生とのつながり、人同士のつながりが、とにかく深い学校です。ここに帰ってくれば職場で訊きづらいことも訊けるし、悩みも聞いてもらえる。いつでも自分のためになる答えを返してもらえると思うからこそ、卒業後もみんな足を運んでくれるんですよね。やはり在校中に、安心して帰れるだけの絆をつくることが大切だと思っています」
教員は生徒の人生を左右しかねない、責任の重い仕事。そう捉え、真剣に向き合っている。日々、生徒たちと接することで、「学び続けなければ」という気持ちにもなれるという。
「生徒たちに育ててもらったおかげで、ここまでやってこられました。私自身、ふわっとした歩み方で入学してきましたから(笑)、目標をもっている子たちは心底、尊敬しますし、まだ模索中の子も含め、夢を叶える手伝いをしたいと強く感じています。これからも生徒たちと一緒に成長し、生徒の成長を見守り続けたいですね」
辻󠄀調理師専門学校
西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ
食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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