No.036
フランス校での研修先だった一つ星店で再び働くようになり、オーナーシェフに。大好きな料理を諦めずに続けてきたことで、今がある。
Le Benaton(ル・ベナトン) オーナーシェフ
杉村 圭史さん
profile.
千葉県出身。辻󠄀調理師専門学校からフランス校へと進学し、ブルゴーニュ地方ボーヌのレストラン『ル・ベナトン』で研修。1996年卒業後、東京・銀座の『クイーン・アリス』、東京・駒沢の『ラ・ターブル・ド・コンマ』で修業を積み、2007年、再び渡仏。『ル・ベナトン』で働き始め、2015年9月、オーナーシェフとなり、現在に至る。
access_time 2017.11.17
ベースとなっているのは、家庭での手づくりの味と何かをつくる喜び。
「小学校の時、近所のファミリーレストランに憧れていたんですよね。周りの子たちが、すごくおいしいって言うもんだから、どうしても行きたかったんですが、親が連れて行ってくれなくて。どうにか頼み込んで念願かなったものの、おいしいと感じられなかったんですよ。家の料理のほうが断然おいしいなと。冷凍ものや出来合いのものを使わない、手づくりばかりの家庭だったので…今、考えたら、あえて連れて行かなかったんでしょうね。良い食育を受けていたんだと思います」
小さい頃から自宅で料理を手伝うのが習慣になっていて、何かをつくることが大好きだったという杉村さん。バーベキューなどで野菜を切ってみせると、みんなから「うまいね」と褒められる。そんな経験もうれしく、料理人をめざすのは自然な流れだった。
「全ての料理を学びたかったから、大阪の辻󠄀調へ行きました。いろんな学校を見たんですが、先生のモチベーション、熱意からして全然違ったので。いざ学び始めると、知らないことばかりで毎日が新鮮でした。あのときが一番勉強していたんじゃないかな(笑)」
フランス校時代のバカンスで(左端が杉村さん)
あの人と出会っていなかったら、今の自分はないと断言できる。
フランス料理へと道を定め、卒業後はフランス校へ。研修先で訪れたのが、ワインの名産地、ブルゴーニュ地方ボーヌのレストラン『ル・ベナトン』だった。
「基本、シェフと2人だったんですよ。だからなんでも、やらなきゃいけない。その分、いろんなことを教えてもらえました。代々研修生が訪れるレストランだったからシェフも日本人には慣れていて、言葉の面もなんとかなりましたし、とても濃密な研修だったと思います」
帰国後は、フレンチの名店『クイーン・アリス』を経て、当時、東京・駒沢にあった『ラ・ターブル・ド・コンマ』へ。現在の神楽坂『カーヴ・ド・コンマ』の総料理長、野菜フレンチの第一人者と言われる小峰敏宏シェフのもとで、約8年間の修業を積んだ。
ラ・ターブル・ド・コンマ時代(中央が小峰シェフ、左端が杉村さん)
「とにかくストイックな人で、野菜一つ切るのに、ここまで怒られるのかっていうぐらい(笑)、厳しかったです。肉にしても、ほかの人が焼くものと全然違うんですよ。味はもちろん、見るからにおいしそうで…。ありがたいことに、細かいことは全て小峰シェフから叩き込まれました。あの人と出会っていなかったら、今の自分はないと断言できます」
日本で学んだパテ・アン・クルートの世界選手権で準優勝を獲得。
確かな技術を身につけ、2007年、再び渡仏。フランス校時代の研修先で、一つ星レストランとなった『ル・ベナトン』で働くことにした。勤め始めて1年ほどでワインに興味を持つようになり、毎週、知人の案内で試飲へと赴くようになった。
鳩のロースト 腿肉と内臓のコロッケ ビーツのデクリネゾン
「あるドメーヌ(畑を所有しブドウの栽培から行う、ブルゴーニュのワイン生産者)のもとを訪れたときに、初めてワインをおいしいと感じたんですよね。それまでおいしいと感じたことがなかったんですが、なかにはおいしいものもあるのだとわかり、毎週行くようになって。全くの無知だったので、これは好き、これは嫌い、といった判断から始めて(笑)。とても勉強になりました」
半熟卵のフライ キャビア添え カリフラワーのムースと共に
2013年には、パテ・アン・クルートの世界選手権に出場。パテ・アン・クルートとは、肉類を使った生地をパイ皮で包み、加熱した料理のこと。世界中から一流料理人が集まるこの大会で、杉村さんは準優勝を勝ち取った。
「フランスの伝統料理といえばパテ・アン・クルート、というイメージがあったので、小峰シェフに一から全部教えてもらったんですよね。フランスに来てから選手権があることを知り、挑戦しました。フランス料理の技術が詰まった料理だと思うんですよ。火がちゃんと入っていないからムラができたり、食材がきちんと詰まっていないから空洞ができたり、生地がまとまっていないから切ったら崩れたり…一つ一つの作業の大切さを感じるんですよね。僕のなかですごく大事な一皿で、今も看板メニューになっています」
メレンゲ いちご マスカルポーネのアイスクリーム
ボーヌの一つ星店であっても、入りやすくて楽しいお店にしたい。
『ル・ベナトン』でともに働くようになった樹里さんと交際するようになり、ドメーヌもともに巡るようになった。ワインには造り手の人柄が出る。料理も同じだ。自身で店を開くことはずっと考えていたが、その思いは年々強くなっていく。
「そんな頃、この店のオーナーシェフが、そろそろ引退したいと言ってきたんですよ。だけど、一人でお店を切り盛りするのは無理だから、パートナーを見つけてからだと。そのことは、樹里にもマダムから伝わっていました。それでいざ結婚するとなったとき、シェフはまるで樹里の父親のように『聞いてないぞ』と怒りだして (笑)。すでに一緒に住んでいましたし、マダムは知っていたから、シェフも知っていたはずなんですけどね。その後はもちろん、祝福してくれましたよ」
奥様の樹里さんと
こうして2015年9月からオーナーシェフを務めることに。既に長年、すべての料理を実質メインで担当していたこともあり、お店の評価は変わらず高く、むしろ日本の要素が加わったと喜ぶ声も聞かれる。
「お客さんがストレートに感想を伝えてくれるのも、この国の好きなところ。良いも悪いも、意見をもらえるからこそ、やりがいがあります。ボーヌはお金持ちの街だというイメージがあるんですよね。ワインの醸造家は裕福な人が多いし、ワインが好きで集まってくる人たちもそう。さらに一つ星店となると、かしこまったイメージをもたれがち。だけど入りやすくて、楽しいお店にしたいんですよ」
周りに惑わされないで、本当においしいものを知ってほしい。
フランスは地方がいい。文化も料理も、地方それぞれの特色が出ている。ボーヌにたどり着いたのは偶然だったが、今、改めてそう感じているという。
「時間の流れが、同じ24時間と思えないほど、都会に比べてゆったりしていて、心地いいです。みんながそれぞれに、自分のやりたいことをやっているから、レストランにも特色がある。“右へならえ”じゃなく、独自の道を貫いているところも好きですね」
日本で生まれ育った限り、“右へならえ”という姿勢が染みつくのも無理はない。しかし周りに惑わされないで、本当においしいものを知ってほしいと、杉村さんは語る。
「食べることは、死ぬまで続くこと。そこに興味があるなら本物の味を知ってほしいし、料理人なら自分の味覚に自信をもって進んでほしい。壁にぶつかることもあるし、諦めたくなる気持ちはよくわかります。だけど諦めないでやっていれば、何かしら良いことはありますよ。僕だって今、なんとかなっていますしね(笑)。仕事となると堅苦しいけど、小さい頃の好きな遊びなら延々と続けていたでしょう。それと一緒で、結局は好きか嫌いか。嫌いなら辞めてしまうところも、好きなら頑張れるでしょうからね。今からめざす人も、好きなことを諦めないでほしいです」
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