No.159
異文化への興味もあり、学校卒業後に渡英。知る楽しさを覚え、日本で手つかずの分野が開拓できればと、アラブ菓子・料理の研究家に。
アラブ料理研究家
小松 あき さん
profile.
広島県出身。広島の県立高校から大阪・辻󠄀調理師専門学校に進学。2000年に卒業後、イギリス・ロンドンへ。日本食レストランや寿司店で経験を積み、2年後に帰国。広島や東京で写真撮影の仕事に携わった後、東京のカジュアルレストランやイタリア料理店に勤務。2008年9月からはシリアで約2年半、現地の食文化を調査。その後、エジプトにも約7年間滞在。アラブ料理に関する記事の執筆や料理教室、翻訳などを手がけ、2019年3月からは拠点を東京に移して活動。2022年6月には、著書『はじめてのアラブごはん 手軽に作れるエキゾチックレシピ62』(イカロス出版)を上梓。
access_time 2022.12.02
基本を知っているかいないかで、とっさのときの応用力に差が出てくるもの。
まだまだ日本ではなじみの薄い、アラブ菓子・料理の研究家である小松あきさん。アラブ諸国の食文化や歴史、食事情の調査がライフワークだという。これまでシリアに2年半、エジプトに7年滞在し、関連する記事の執筆や料理教室、翻訳などを手がけてきた。現在は拠点を東京に移して活動。2022年6月には、アラブ料理のレシピ本を出版した。
『はじめてのアラブごはん 手軽に作れるエキゾチックレシピ62』(イカロス出版)
広島県生まれ。小学校高学年の頃には料理関係に進みたいと思っていた。
「きっかけが思い出せないぐらい、料理の道しか考えていませんでした。子ども雑誌に載っていたレシピを見てお菓子をつくったり、働く母に代わって夏休みには妹や弟に昼食をつくったりするのも楽しかったですし、テレビで観る料理の世界にも憧れていて。たまに連れて行ってもらったレストランでも、働いてみたいなと感じていました」
高校卒業後は迷わず調理の専門学校へ。県外に出てみたかったこともあり、料理系の番組でよく目にしていた大阪の辻󠄀調理師専門学校を選んだ。
「何料理をやりたい、というのもなかったので、和洋中を一通り学びたいなと。食材も調理法も初めて見るものや知らないことばかりで、毎日が新鮮。いい食材を使って基本の部分をしっかり丁寧に教えてもらえ、楽しくてためになりました。先生には、基本を知っているかいないかで、とっさのときの応用力に差が出てくると教わっていたんですが、現場に出てからまさにその通りだと感じています」
ロンドンの飲食店で働き、知らない国に行ってみたいという気持ちが強まった。
卒業後は、イギリス・ロンドンのレストランへ。1年の期間限定だったが、学校で募集告知を見かけ、挑戦することにした。
「海外に興味があったので、こんなチャンスがあるならと志望しました。高校時代、福引きで当たったニューヨーク旅行に一人で参加したんですが、景色も建物も人も食べているものも日本と全然違って、すごく面白くて。異文化への興味がわき、知らない国に行ってみたいなと思っていたんです」
「働いたのは、イギリス人社長が経営する日本食レストランで、厨房はほぼ日本人。日本の大衆食堂のようなメニューでしたが、年中無休の忙しいお店だったので、クオリティを保ちながらスピーディーにつくることに、最初は苦労しました」
スタッフ同士で連携し、限られた時間で提供する。チームワークやスピード感が鍛えられる現場だった。1年間の滞在を経てイギリスへの関心が高まり、もう1年間、語学学校に通いつつ食の現場を経験することに。
「もっと面白いもの、知らなかったものに出会えるんじゃないかと思ったんですよね。イギリスに食のイメージは少ないかもしれませんが、おいしいものにも出会えましたし。日本とは違う噛みごたえのあるベーグルが好きになるなど、今の好みはロンドンでの暮らしが影響しています」
「2年目は、お寿司屋さんで接客を担当。日本人以外のお客様が多く語学力も鍛えられました。調理場ではスリランカ人やスペイン人、コロンビア人など多国籍な料理人が働いていたから異文化交流もできて。今後も知らない国に行ってみたいという気持ちが強まりました」
「日本でまだ誰もやっていないことをやるしかない」と未開拓の分野を探した。
ロンドンでは風景を撮るなどカメラにも興味がわき、撮影を学ぶコースにも通った。帰国後は広島の実家へ戻り職を探していたところ、写真スタジオのスタッフ募集告知を発見。珍しさにも惹かれて応募し、採用が決まる。
「人物撮影でしたが、ご自身の知らない表情や一面を撮って喜んでいただけるのがうれしかったです。ただ、実家にずっといるのも…と思い始め、1年ほどで東京へ。観光写真の仕事を半年ほどやってみたんですが、やっぱり料理がしたいと思うようになりました」
分担ではなくいろいろ経験できるようにと小さめのお店を探し、選んだのは品川の高級サービスアパートメント内のカジュアルレストラン。朝食からディナー、貸切まで、さまざまスタイルで提供できたことも勉強になった。
「その後は有明のイタリア料理店へ。主にパスタのポジションを任せてもらい、発注から一貫して担えました。オープンキッチンだったので、提供したものを召し上がっている反応がすぐわかり、やりがいも大きかったです」
ここから先はどうしていくのか。楽しくはあったものの、将来のビジョンを模索するようになってきた。
「お店を開くぐらいしか思いつかなかったんですが、西洋料理の世界って、センスある方が大勢いらっしゃるでしょう。だったら日本でまだ誰もやっていないことをやるしかない。半年ほど本屋に通って、ひたすら“無い本”を探したんです。そこでアラブ菓子やアラブ料理の本がないことに気づいたんです」
『ひよこ豆とヨーグルトのファッテ』
シリアに移住し、菓子工房や一般家庭を訪れ、現地のお菓子や料理を学んだ。
アラブとは、アラビア語を母国語とする地域のこと。西はアフリカ大陸北部のモロッコやモーリタニア、東はアラビア半島にまたがり、とても範囲が広い。
『シャアリーヤ入りライス』『チキンとエジプト風モロヘイヤ』
「当時は、もちろんアラブのことは、まったくわかっていません。まずは下見に行ってみようと調べたところ、語学留学で行く人が多いエジプトかシリアなら比較的生活しやすそうだなと。大国であるエジプトはエジプト色が強すぎるイメージだったので、在職中の2007年7月、1週間ほどシリアを訪ねてみたんです」
初めて食べるアラブ料理には、とてもインパクトがあった。野菜や果物、一つひとつの味が濃くて力強い。一気に魅了された。
アラブ料理に使う独特の調味料左から『ミックススパイス』『ザクロシロップ』『スンマーク』
「口に合わないのではと心配もしていたんですが、どれもおいしかったんですよね。味つけが私たちの感覚と違うのにも惹かれましたし、有名なドネルケバブは日本と全然違う食べ方なんですけどものすごくおいしい。温かいヨーグルト料理も、最初は違和感があったんですが、食べるうちに大好きになりました。シリアは暑いけれどカラッとした空気で、物価も安い。暮らす人々も穏やかで親切だし、『ここなら暮らしていけそう』と思わせる風土がありました」
ダマスカスで住んでいたアパートの近所(シリア時代 )
アラビア語講座に通い始め、SNSのコミュニティでアラブへの留学生らから情報を得て準備を進める。そして2008年9月、約3年半勤めたイタリア料理店を退職し、その数日後にはシリアへと渡った。
ラクダの肉屋(シリア時代)
「現地では語学学校に通いつつ、お菓子のレシピ本を買って、辞書で調べながらノートに書き記したりしていました。それから首都ダマスカスのお菓子工房を訪ね、勉強させてもらえないかとお願いして半年ほど通ったり。知り合ったシリア人を通じて、地元のお母さんたちから家庭料理やお菓子の手ほどきも受けました。現地の料理って、レストランにはなく家庭でしか食べないものが多いので、暮らしてみないとわからないことばかりでした」
アレッポ(シリア北部の都市)の菓子店(シリア時代)
エジプトに7年間滞在し、アラブ諸国やヨーロッパを中心に約30カ国を訪問。
レバノンやトルコ、ヨルダンなど、中東各地に足を運び、それぞれに異なる食文化を体感。2011年4月語学学校での学びを終え、後に夫となる男性と一緒に帰国し、東京で暮らし始める。
カイロの賑やかな通り(エジプト時代)
「ブログやSNSで参加を募り、アラブ料理教室を開いたりしていました。夫がエジプトで仕事をすることになり、新たなアラブの食を研究しようとついていくことにしたんです」
庶民的なスーク(市場)(エジプト時代)
2012年、エジプトへ。地域によって方言が大きく異なるアラビア語。再び語学学校に通いながら、再び料理やお菓子の調査を進めていった。
「その内容や現地での生活をブログで発信しているうちに、カイロに住む日本人の方から料理教室の依頼を受けたり、日本からアラブの記事の執筆やエジプトでのアテンドの依頼を受けたりするようにもなりました」
パン工房で(イランへの旅行)
エジプトでの仕事が任期満了した後も、旦那さんは現地で翻訳の仕事を続け、最終的には7年間滞在。その間、アラブ諸国やヨーロッパを中心に約30カ国を訪れた。
代表的な料理「ヒンカリ」を地元の女性に教わる(ジョージアへの旅行)
「アラブの多くの地域では、主食の平たいパンでおかずをつまむこと。お米もよく食べ、豆も多くの料理に使います。イスラム教徒が大多数なので豚肉料理はほとんどなく、羊肉は高級食材。一般家庭では肉自体が割と贅沢品ですが、使うにしても鶏肉や牛肉が多いです」
「美食の国として知られるのがレバノン。どこで何を食べてもおいしいのでよく足を運び、長いときで1カ月は滞在していました。シリアやレバノンのいわゆるシャーム地域は、レモンやオリーブオイルを多用した酸っぱい料理が多く、ヨーグルトもよく使います。食べ慣れるほどにどんどんおいしく感じましたし、どの地域に行っても新鮮な発見の連続でした」
日本で手に入る材料を使い手軽につくれるアラブ菓子・料理のレシピ本を出版。
日本の翻訳会社から旦那さんに声がかかったことで、2019年3月に帰国。小松さんは、料理教室や記事執筆などの活動を続けた。
「料理教室には、アラブに興味がある人はもちろん、世界の料理を一通りやってみていらっしゃる方もいます。コロナ禍で開けない時期もありましたが、アラブ料理の魅力についてオンラインで話す依頼などもありました。教室をきっかけにアラビア語を習い始める方もいてうれしかったですし、発信をきっかけに興味をもっていただける方が増えることにもやりがいを感じます」
レシピ本出版の声がかかったのは、2021年の秋。主に航空や鉄道関係の書籍を扱う出版社から、旅と料理を絡めたシリーズとして刊行されるものだった。
「日本で手に入る食材で手軽につくれるものは何か。100個ほど提案し、話し合って62個に絞りました。3分の2ぐらいはブログで書いたり料理教室でつくったりしたものを手直しする形で。自宅でつくり写真も私が撮ったんですが、思わぬところで撮影の仕事に携わった経験も生きましたね」
前菜
レシピだけでなく、現地で撮影した市場やレストラン、菓子店など、食にまつわる写真やエッセーも掲載。アラブの風景も織り交ぜている。
白いんげん豆のトマト煮
「向こうで10年も暮らしたので、自分の味覚が日本人とかけ離れているのではという心配もあったんですが、日本人向けにアレンジするのも本意じゃない。一度試してそれぞれに調整してもらえたらいいだろうと、本場の味にこだわりました。『つくりやすくておいしかった』といったご感想はもちろん、『アラブの魅力を知れた』『アラブに行きたくなった』といったお声も聞けて、喜びを感じています」
ファッテ・マクドゥース
アラブ料理の歴史をさらに掘り下げたいと大学へ。視野が広がるのも食の魅力。
アラブ料理の歴史をさらに掘り下げたいと、現在は大学の通信課程で史学を専攻。2022年7月には、約3年ぶりにエジプトへ訪れた。
サイヤーディーヤ・サマク
「つくって、食べて、ハイおいしい…も、いいんですが、もっと歴史や文化も絡めた情報を、きちんと発信したいなと。独学で本を読んでいるだけでは厳しいので、大学で学ぶことにしたんです。現地の状況もどんどん変わっていくでしょうから、できるだけも足を運び続けたいですね」
クッバ・ハラブ
今後は、これまでの活動はもちろん、イベント出店やポップアップレストランといった形態などで、アラブ菓子の販売やアラブ料理の提供などにも力を入れていきたいという。
バクラワ
「食の分野で生きていくとなると、どうしてもお店で働く、お店をもつというイメージが大きいと思います。もちろんそれも素晴らしいですが、自分で疑問をもって、解決していくことで、新しい仕事をつくれたり、お店で働く場合にも新しいものを提供できたりもする。とても可能性の大きい分野です」
ハラーワート・ジュブン
「私自身、もともと歴史の勉強も苦手でしたが、ふれるうちに興味がわいて視野が広がっていきました。今まで嫌いだと思っていたものに興味が出てきたり、思いがけず何かがつながったり、自分の知識や経験が増えていったりするのも食の魅力。面白い分野だと思うので、進む人が増えるといいですね」
辻󠄀調理師専門学校
西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ
食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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