INTERVIEW

「海外で生きていきたい」。その夢に向かって、自分の意志で飛び立つための翼が “食”、すなわち料理の技術だった。

葡萄酒百味処 紫音 オーナーシェフ
塩見正道さん

profile.

大阪府摂津市出身。エコール・キュリネール大阪あべの(現在のエコール 辻 大阪)を1995年に卒業後、大阪のフランス料理店『ラ・ベカス』に就職。1997年から1年間、ニュージーランド、西ヨーロッパ、東南アジアを巡り、翌年、大阪・茨木セントラルホテルに入社。2001年にインドネシア領マカッサル総領事館、2002年からパプアニューギニア日本大使館に公邸料理人として勤務。その後マレーシアに渡り、2007年には『洋食紅音』、2013年には『葡萄酒百味処 紫音』を開業。現在に至る。

世界へ羽ばたくため、料理の技術を身につけようと、大学から再進学。

「大学3年になり将来を考えたとき、『海外で生きていきたい』と思ったんですよね。就職して海外の支店に行っても、それは会社の意志でしょう。そうではなく、自分の意志で、翼をつけて飛んでいきたいと。その翼とは何かと考えた結果が“食”だったんです」
大学時代、語学研修で1カ月ほどニュージーランドに滞在し、海外生活への憧れが芽生えた。ホテルでのアルバイトを機にワインに目覚め、ソムリエスクールにも通い始める。料理の技術を身につければ、自分が行きたい場所へ自分の力で飛んでいける。そう考えて大学を中退し、現在のエコール 辻 大阪へと進学。フランス料理を専攻し、在校中からアルバイトをしていた『ラ・ベカス』へ就職した。
エコールキュリネール 大阪時代のノート 
「だけど1年半ほどで音を上げたんですよね。挫折を経験したことが、『フランス料理を極める』といった道とは別のルートを進む分岐点にもなりました。日本を離れて長いですが、いまも『ラ・ベカス』の渋谷圭紀氏こそが日本最高のフランス料理シェフだと思っています」
ニュージーランドでのワーキングホリデー時代

ニュージーランドや欧州のワイナリーを巡る、バックパッカーの旅。

退職後は、ワーキング・ホリデーのビザを取り、原点となったニュージーランドへ。洋食と和食、2つのレストランで働きながら、一つの計画を立てた。
「当時はまだ少なかったワイナリーに、見学させてほしいと手紙を送ったんです。40弱のワイナリーを一軒ずつ、野宿しながら回りました。当初は1年間いるつもりだったんですが、ちょうどブドウの収穫時期になったので、9カ月目にローマへ渡ったんです」
ニュージーランドのワイナリーをまわっていたころ
そこから、イタリア、フランス、スペインを巡った。主要都市のワイナリーを訪ねて回る、バックパッカーの旅だった。
「だけど2カ月ぐらいで資金も苦しくなってきてアジアに飛び、残ったお金でベトナム、ラオス、カンボジアを回りました。回った経験をどう活かそう、なんて難しいことまでは考えず、とにかくもっと知りたいという気持ちが先走っていたんですよね。ワインの魅力は、ボトルごとのキャラクターの面白さ。味もラベルも一本ずつの個性があって、知れば知るほど、知識欲が刺激されていったんです」
アジアの各国を回っていたころ

ホテルと市場で技術を磨き、公邸料理人としてインドネシアへ。

帰国後は自宅近くにある大阪の茨木セントラルホテルへ入社。経験を積んだら海外へ行く。その目標に向かって、3年間と期間を伝えたうえで働き始めた。
「海外で料理人になるにしても、さすがに技術的に自信があるわけでなく、修業を重ねました。時間がもったいないと、夜中の3時から朝7時までは中央卸売市場にあった魚屋さんの工場で、魚をさばくアルバイトもかけもち。家に帰って2時間ほど寝て、またホテルへ仕事に行くという生活を、工場が閉鎖するまでの2年間は続けましたね(苦笑)。いま思えば若かったからできたんでしょうけど、おかげで技術は磨けたと思います」
日本で仕事をした最後の夜
3年のリミットが近づくと、公邸料理人の求職登録をした。するとインドネシアのスラウェシ島にある総領事館に欠員が出たから、すぐにでも来てほしいという話が舞い込む。全く知らない場所だったが、勤務先のホテルと折り合いをつけ、羽ばたくこととなった。
パプアニューギニア大使館員の御婦人への料理講習会を終えて
「インドネシアは9割近くがイスラム教徒。間違いが起きてはいけないので、注意事項は多かったです。大使のプライベートでは豚肉を出しますが、調理場も冷蔵庫も使い分け、取り扱うときは人目のない時間帯を選んでいました」
大使や総領事など在外公館長の公邸で会食の機会を設けることは、最も有効な外交手段の一つ。その際、クオリティの高い料理を提供しようと、在外公館長は通常、専任の料理人を公邸料理人として雇用し、帯同させている。その規模も求められる料理も、さまざまだ。
外務大臣からの表彰状
「一人で全てを取り仕切っていたので大変でした。現地の方々に来ていただく際の料理と、日本からのお客様が来られた際の料理はまた違う。数多くの魚をさばいた経験やニュージーランドの和食レストランで板前の指導を受けた経験などが、日本食でもてなすのに役立ちました。また、大勢の方と交流されるときの会食と、座ってきちんと話されるときの会食も違います。その時々に合わせた対応が求められました。ゼロから計画してセッティングしていた経験は、いまの店舗運営にも活きていますね」

マレーシアで開業した洋食屋が大人気になり、次の展開への基盤に。

翌年、雇用主の総領事がパプアニューギニアの大使になったのに伴い、現地へ同行。さらに数年の経験を重ねたが、年配だった大使の退官時期は近づきつつあった。
「引き続き公邸料理人をやりたければ紹介すると言われたんですが、次のステップに進みたかったんですよね。自分のつくったものに、値段をつけて、それなりの評価をしてもらい、生計を立てていきたい。街場で生きていきたいと考え、正直に伝えたところ、大使が各所にメールをしてくれていて、マレーシアでお店を出そうとしている実業家とのご縁ができました」
『洋食 紅音』時代 ミャンマー人スタッフたちが祝ってくれた誕生日
こうして2007年、自身も出資し、共同経営という形で、首都クアラルンプールのデサスリに『洋食 紅音(アカネ)』をオープン。インドネシアと同じくマレーシアもイスラムの国だが、同店はマレー人ではなく、中華系マレーシア人や日本人も含めた外国人をターゲットに絞り、お酒や豚肉も扱う洋食レストランとした。すると、その確かな味で、すぐさま人気店に。なかでもハンバーグが絶品だと、評判が評判を呼び、大繁盛店となった。
『洋食 紅音(アカネ)』名物の鉄板ハンバーグ
「だけど共同経営って難しいことも多くて…お互いのためにも終止符を打つことにし、新たな店を開こうとスポンサーを探し始めました」
培った実績は絶大で、“『紅音』の塩見”という名前だけで、すぐに出資者が集まった。すでに次の展開へ向けてワインの勉強を進め、日本ソムリエ協会の認定ソムリエになっていたこともあり、次の店舗のコンセプトはずっと温めていた。
『洋食 紅音』クリスマスの店内
以前はいわゆる日本の洋食屋だったんですが、もっとワインを主体にしたお店にしたいなと。チャンスが来たらすぐ動けるよう、店のデザインもインターネットで資料を集めて、構想を練っていました。『紅音』は僕がつけた名前じゃなかったんですが、せっかくなら踏襲しようと、ワインが熟成していくイメージで『紫音』に。シオンってスイス屈指のワインの産地の名前で、チーズフォンデュの町でもあるんですよ。ほかにチーズフォンデュの食べられる店もなかったので、メニューに入れて。こちらの店もありがたいことに、順調に繁盛しています」
『紫音』のエントランス

ワインを主としたダイニングバーでファンを増やし、自由な料理を表現。

場所は前店からわずかに離れた、セランゴール州のアラダマンサラ。ワインリストはつくらず、小さな一室をワインセラーにし、ゲストがスタッフとともに見て選ぶというスタイルを採用した。
「日本語と英語で解説を表記して、好みや気分、食べたい料理などに合わせて、相談しながら選んでいきます。ワインって、ラベルで探すのも楽しいんですよね。市場で野菜を選ぶような感覚で、気に入ったワインに手を伸ばしてもらいたいなと」
『紫音』のワインセラー
歳をとっても続けられるように、最後は1人で立つぐらいのワインバーにしたい。そこへ向かう前段階として、ファンを増やすことに努め、現在は日本人を対象としたフリーペーパーで、ワインに関するコラムも連載している。
「これまで培ったものを発信して、何年か経って形になればいいなと。海外はいま、日本食がブーム。マレーシアでも、日本の食文化への評価は非常に高いです。それにマレーシアには、日本であり得ないぐらいのお金持ちもたくさんいて、良いものにはいくらでもお金を払います。シンガポールから足を運ぶ人も少なくありません。きちんとしたものを提供できれば、どこまでも有名になり、どこまでもそれを求めるお客さんがやってきます。ファンになってもらえれば、高額なコース料理も受け入れてもらえる。とても夢のある世界です」
『紫音』のバーカウンター

世界を舞台にスキルアップを重ねることで、夢は広がり、夢に近づく。

なぜ海外に惹かれるのか。海外で生きていきたいと願い、生きていこうと決めた塩見さんだが、その根源には、自分が日本人であるという意識が強くあるのではと自身は分析する。
ロブスターのアヒージョ
「海外に出ると、それぞれの人間が日本代表になるでしょう。僕の話すことや振るまいが、日本人の考えや行動だと捉えられる。そう思うと下手なことはできませんが、逆に自分が頑張れば、日本人シェフの評価が高まりますし、それに憧れて、料理の世界に飛び込む人たちも現れるでしょう。『日本人シェフってすごい』、『日本人ってすごい』。そんな尊敬に変わるような仕事をしていかなければと思っていますし、それがモチベーションにもなっています」
純和牛のロースト
マレーシア、ひいては東南アジアには、まだまだ未知の可能性がたくさんある。料理人を志す人たちには、日本だけではなく、ヨーロッパだけでもなく、もっと視野を広くもって、夢をつかんでほしいと塩見さんは語る。
「アジアにも、日本の料理人の腕を求めている人がたくさんいます。そこから日本に帰ったり、別の地域へ飛び立ったりして、勝負をしてみることも可能です。世界を舞台にスキルアップを重ねることで、新たな夢や、自分の夢に近づく方法が見つかるかもしれませんよ」
帰国時に母校へ立ち寄ってくださり、インタビューさせていただきました

塩見正道さんの卒業校

エコール 辻 大阪 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch