INTERVIEW

料理人は素晴らしい職業。夢を持つ料理人たちと、ともに達成感が味わえるチームの基盤や、自身の店だと実感できる環境をつくりたい。

HAJIME KOTO 代表 chef executive
厚東 創さん

profile.

北海道札幌市出身。エコール 辻 東京 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジからフランス校へ。2005年に卒業後、アラン・デュカス・グループに就職。東京・青山の『ブノワ』、フランス・プロヴァンスの『オステルリー・ド・ラベイ・ド・ラ・セル』で修業を積む。その後、北海道の『ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン』、東京・銀座の『ベージュ アラン・デュカス東京』といった二つ星の名店を経て、2013年より東京『ドミニク・ブシェ』のシェフとなり、開店4カ月でミシュラン二つ星を獲得。2015年の移転後、エグゼクティブシェフとなる。2017年に独立し、『HAJIME KOTO』を設立。

20代で二つ星レストランのシェフとなり、独立し、ブランドを設立。

パリに自店を構えるフランスの料理人、ドミニク・ブシェ氏から2013年、東京の店舗『ドミニク・ブシェ トーキョー』のシェフを任され、オープンしてわずか4カ月でミシュラン二つ星を獲得。当時29歳、日本のフランス料理界における最年少で二つ星シェフとなる。移転後の2015年、2016年にもエグゼクティブシェフとしてミシュラン二つ星を獲得。2017年、独立。
ドミニク・ブシェ トーキョー時代
「5人の料理人としか一緒に働けない箱では、5人の料理人としか共に成長できません。とはいえ一気に60人の料理人と働ける箱を最初からつくるのも、現実的ではない。であれば最初に箱をつくるのではなく、まず自分の名前でレストランのブランドをつくろうと。そして共にそのブランドで一緒に働こうと思ってくれるチームが成熟した段階で次のステージに進んでいこうといった事業を進めています。」
HAJIME KOTO LOGO
チームの土台となるメンバーを一から育て、またそのメンバーから新しいメンバーに継承されていく。そんな考えのもと、一緒に働くメンバーの多くは新卒の料理人も多い。たとえ“プロデュース”という立場で請け負ったレストランでも“プロデュース”というと、名前を貸し、立ち上げ時の大枠を決めるだけのような印象をもたれがちだが、厚東さんの場合、メニューはもちろんレストランの細かい部分も管理したうえ、営業中も日常的に足を運んでいる。
TABLEWARE
「チームのメンバーが成長すれば、可能性がどんどん広がっていくはず。つくりたいのは、方向性を共有できる強いチームです。私がフランス人シェフのレストランブランドの、メイド・イン・ジャパンをやっていたように、HAJIME・KOTOというブランドのメイド・インを若い子たちと共に手がけ、いずれはそれが自身のブランドになっていく仕組みをつくりたい。夢を持つ料理人たちの選択肢の枠を広げ、オーナーシェフにならなくても、自身の理想のレストランを築けるようにしたいんです」

携わる方々と向き合い、オモイを汲みとってつくることも料理の醍醐味。

独立のもう一つの柱は、オートクチュールで料理を創るケータリングだ。これまでの経歴に加え、店舗という枠組みに縛られないことで、名だたるトップメゾンの要望に応え料理を手がけている。
「メゾンのブティック内だったり海外だったり、着席だったり立食だったりと、場所も条件もさまざまです。ただ、自分が今まで携わってきたレストランが基準になっているので、自然と同レベル以上のクオリティが求められる。普段慣れているレストランの厨房で料理を作るわけではなく、調理をする上での条件がととのってないを言い訳にしたくない。そして緊張感も常にもっています。面白いのは、1日限りでも一体感のあるチームがつくれること。案件によっては行った先々の料理人が自分のレストランを閉めてまで手伝いにきてくれることも多く、とても集中力の高い濃密なチームとなって臨めます」
一般的なレストランのメニューは、白紙のキャンバスからシェフがつくり、お客さんがそれを楽しみにやって来る。それとは逆に、クライアントの要望に応じた料理をつくるのには、また違った面白さがあるという。
「長年の伝統をもつブランドに合わせた料理は、その歴史を知らなければつくれないと思っています。携わる方々と向き合い、オモイを汲みとってつくることも料理の醍醐味を感じます。「ピーチ・メルバ」というデザートが歌姫メルバを想ってつくられたように、今もなお継承されているフランス料理は、誰かのためにつくったのがきっかけだったんじゃないでしょうか。料理人人生のなかで、後世まで残る『この人のためにつくった』という料理が一つでもつくれたら本望ですね」
SIGNATURE DISH EZOJIKA

フランス料理にのめり込むと同時に、自身の未熟さを知った修業時代。

出身は北海道。小学生のときに東京へ引っ越し、中学校からは私立大学の付属校に通い始めたが、そのまま大学に進学はしなかった。
「昔から夢を描くのが好きでした。当時いろいろな夢を描いてたんですが、料理人という道を選びました。そしてエコール 辻 東京に通い始めると、みんなの高い志に、圧倒されました。フランス校へ進学したあとも2005年の2月にフランス校から帰国してからも、プロの料理人を目指す同期と自分を常に比べてはヘコみ、人と比べるのをやめて自分自身と向き合い、フランス料理をやっていくのであればフランスの料理人が携わる方のもとでやろうと決めて、半年後オープン予定だったアラン・デュカスグループの新店舗に勤めることにしたんです」
ベージュ アラン・デュカス東京 時代
働き始めるとオープニングから一番下としての立場から始まったが良き先輩たちや環境に恵まれ、よりフランス料理にのめりこんでいった。
「仕事はハードでしたが、魅力のほうが大きかった。シェフの料理に心から魅了されていたんですよね。もちろん最初は言われたことしかできずでしたが、当時の働き始めのレベルの自分でも気がついてできることは、お店の中で一番した自信はありました。それは、「掃除」です。」
SIGNATURE DISH YURINE
そして、みるみる頭角を現すようになる。お店に入ってからおよそ2年後には、一気に部門シェフの位置に抜擢された。
「いろいろなことが重なって、一つのポジションを任せてもらえるようになりました。私にとってはとても光栄なことでしたが、私と一緒に同じ部門で働く料理人は歳上しかいないのに、全員が立ち位置が私より下になったわけです。当時の私はキャパシティが小さすぎて、一緒の部門で働く同僚に、歳上の方でも遠慮なく失礼な言葉を使ったりしていました。」
小島景シェフとの出会い、そこで痛感した作業でなく料理を追求するということとチームの大切さ。 

「小島シェフが新たにブノワのシェフとして就任されてまもない頃も私は相変わらず尖っていました。ただそこで圧倒的な技術であったり一緒に働く料理人達を惹きつける力というもので人を動かす力の差をみせつけられました。そこでようやく自分が勘違いをしていたことに気がつきました。目の前の作業に夢中になっていてお客様と向き合ってない時点で料理でなく作業をしていたんだと。そして一人ではできない料理がチームで作ることにより可能になるということ。チームの大切さを知り、チームを守りたいと思うようになったんです。」
ベージュ アラン・デュカス東京 時代

フランス料理をつくる際、重要かつ大きな魅力となるのがチームワーク

もう一度フランスに行きたい。そう考えるようになったのも、尊敬する小島シェフがきっかけだった。
「モナコの『ルイ・キャーンズ』で働いていたときの話を、毎日のように聴かせてくれたんですよね。やはりアラン・デュカス氏の料理は、向こうへ行かないとわからないのかなと志願しました。行き先はプロヴァンスの店舗でしたが、シェフの尽力で妻と子どもも連れて行けた。今でもずっと感謝しています」
プロヴァンス時代
着いた先は、シェフが誰よりも働いている店だった。かといって孤立するのではなく、先陣を切って全員を引っ張っていく。料理を通じて、みんなで分かち合える達成感を覚えることができた。
「よくあれだけの人数のお客様に対して、ここまでの料理が出せるなと驚きました。しかも楽しんでやっている。『このシェフと一緒にやりたい』と思わせる、素晴らしい方でした。違う店舗に来たことで、自分がいかに大切にされてきたかにも気づいて。フランス料理をつくるうえでの大きな魅力はチームワークなのだと実感できました」
MENU DIRECTION COURGETTE
アラン・デュカス・グループに勤めて約6年。違う料理も学んでみたいと、北海道にあるミシェル・ブラス氏の店へと転職する。そして、小島シェフ率いる『ベージュ アラン・デュカス 東京』で小島シェフの少しでも力になりたいと彼のもとへ戻った。その後にドミニク・ブシェ氏のレストランでは、自身がシェフという立場になった。独立した今でもベースにあるのは、伝統的なフランス料理だ。
SIGNATURE DISH ROUGE
「今この時代にどんな音楽が流行ろうと、モーツァルトってずっと残っている。やはり残り続けているものには、普遍的な素晴らしさがある。私のなかでのフランス料理の核は、ソースです。私のソースは、手間を惜しまずしっかりつくるのを大切にしているので4日間ほどかかるし、原価もかかるんです。日本では食材の質が上がり、ソースを加えると素材の味を消してしまうのでは、なんて考えもありますが、自分がめざしているのは、フランス人が見ても本物のフランス料理だと思えるもの。もちろんそこに日本らしさは出していくので、私がやっているのはフランス料理のメイド・イン・ジャパンだと考えています」
SIGNATURE DISH LEGUMES

意欲ある料理人が理想を実現できるよう、料理業界を変えていきたい。

2018年には、新たなプロジェクトも始動予定。
「現状、一緒にやりたいというメンバーが増えれば、その人たちが働ける環境をつくろうと動いています。そのためには、どういう方向のお店をめざすのか、一緒に現場で働くメンバーだけでなくそこに携わる方々とも常にコミュニケーションをとり、全員で共有することが大切です。お店をやりたいという夢を持っている方はたくさんいます。でも、そういう方はお店を作ったらそこをゴールにしてしまう方もいると思います。なんのためにお店をやりたいのか、お店をもって自分がなにを表現していきたいのか等、夢と現実をしっかりとリンクさせていくことを自分の力でつくれない人はたくさんいます。以上の部分は料理の技術とはまた違う部分だと思いますので私が担うことで、オーナーシェフでなくても自分のお店だと実感できる環境をつくって選択肢を増やせたらと」
FINGER FOOD & MIGNARDISES
一緒に働くメンバーとして、採用時に重視するポイントは、チームを大切にする心と向上心。その2つがあれば、謙虚になれるし、周囲に感謝もできると考えている。
「事業を進めるなかで、最も大切なのは継続性。1人辞めたから1人入れよう、では続きません。だから時間をかけ、『この人だから一緒に働きたい』と思えるメンバーだけに絞っています。食事は人間にとって、とても大切なことが詰まっているもの。“思い出に残る食事”には、何かを変える力があります。それだけの食事を提供できるよう、チームで“本物”を追求していくことが私の理想です。料理人は素晴らしい職業です。だからこそ意欲ある料理人たちが、もっと活躍できる場を整えていきたいんです」

厚東 創さんの卒業校

エコール 辻 東京 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch

辻調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch