INTERVIEW

国産小麦でつくるパンのおいしさに魅了。地産地消から農家保護へとつなげる活動や食育イベントを通じて、思いを伝え、共有し、広めたい。

ムール ア・ラ ムール シェフ /ミルパワージャパン 代表
本杉正和さん

profile.

本杉正和さん
神奈川県平塚市出身。神奈川県立平塚農業高校の食品科学科から東京製菓学校へ。2002年卒業後、プリンスホテルへ就職。カナダでの修業を経て、2004年4月から伊勢原市のベーカリー『ブノワトン』に勤務。2007年7月から製粉工場『ミルパワージャパン』での仕事にも携わる。2009年8月、高橋幸夫オーナーシェフの他界により、2010年3月、『ブノワトン』閉店。翌月、跡地に『ムール ア・ラ ムール』をオープン。『ミルパワージャパン』も引き継ぎ、2013年から食育イベント「麦踏み塾」をスタート。

本杉夏子さん
エコール・キュリネール国立(現・エコール 辻 東京)を卒業後フランス校へ。グルノーブルにある『 パリ デリス』での研修を経て帰国後、横浜の『パティスリーレシュヴァン』に就職。同店の仙台に移転後も含め、約3年勤務した後、『ブノワトン』へ。閉店後は、正和さんと共に『ムール ア・ラ ムール』をオープン。オーナーシェフとして夫の正和さんを支え続ける。

開業日に訪れた『ブノワトン』で衝撃を受け、将来の道が決まった。

生まれは神奈川県の平塚市。母親の影響で幼い頃から料理に親しみ、中学時代には自身のパン屋を開くという夢を描いていた。そのため高校も普通科ではなく食品科学科へ進学し、食品や発酵の基礎知識を吸収。そんなある日、自宅に投函されたチラシを頼りに向かったのが伊勢原市の『ブノワトン』だった。
「隣の市だったんですが、オープン当日、バイクで買いに行って、ものすごい衝撃を受けたんですよ。今までの常識が覆されるようなインパクトのあるパン。扉を開けた瞬間の香りからして、まったくの別ものでした。一気にファンになり、修業をするならここだと。値段も高めだったんですが、勉強のためにもおいしいパンを食べるためにも、アルバイトで貯めたお金を持って毎週末、買いに来ていました」
東京製菓学校に通い始めてからも、時間を見つけては足を運んだ。都内のパン屋も巡ったものの、「ここしかない」という心は変わらなかった。シェフを見かけたことはなかったが、店の奥から声は聞こえてくる。厳しい店であることは充分にわかっていた。
「学びが進むにつれ『ブノワトン』は、あまりにレベルが高すぎて、卒業後すぐに志望するのは無謀な気がしてきたんです。まずは技術の土台をつくりたいと担任の先生に相談したところ、ホテルを勧められて。2年間でパンづくりの全工程を学んで移ろうと考えました。ホテルは役割分担がきっちりしていますが、割り当てられた仕事をしっかりこなせば次のステップに進んでいける。時間外に練習するのも構わないと言われていたので、ほかの部署の勉強もさせてもらっていました。目標があると学ぶのは楽しい。自分自身の成長がモチベーションにもなっていました」
予定より早く、1年半ほどで目標に達する。努力次第で自分の技術が高まっていくことを体感し、まだまだ到底及ばないにしろ、実地で学ぼうと『ブノワトン』に入る決心をした。
「12月前だったかな。募集は出ていなかったんですが、普通に来店してスタッフの人に『働きたい』と(笑)。ちょうど奥に社長がいたので、間を取りもってもらったんですが…かなりビックリされましたね。それが実は今の妻、夏子だったんです(笑)」
後日の面接で採用され、4月からの勤務が決まった。2カ月ほど時間が空いたため、勉強をしようとカナダへ。知人を通じてパン屋で働くことにした。
「最高級の食パンの粉=カナダ産という印象が当時からあったんですが、行ってみて驚きました。現地で使われている粉は、実は等級の低いものばかり。なのに日本に入ってきている最高級品よりおいしかったんですよ。製粉メーカーにも見学に行かせてもらったところ、カナダで使われている二等級は、真っ白に製粉された一等級のものより味わい深い。ちゃんと穀物の味がして甘みがあり、飲みこんだあとの余韻が長いんです。カナダでの経験が、今の製粉にもつながってきています」

技術も思いも、引き継げるのは自分しかいない。迷いはなかった。

『ブノワトン』で働き始めると、先輩陣から熱心にノウハウを学んだ。仕事が終わってからも一緒に食事へ行っては話を聴き、男性スタッフならそのまま相手宅へ。そこでノートを写させてもらいながら、質問を続けたという。
「毎日のようにどこかへ行って、なんだコイツと思われていたでしょうね(笑)。お店にあった100種類ほどのパンも、最初の1カ月間で全部食べました。仕込むにしても焼くにしても、味や食感がわかってないとダメだろうと」
ムール ア・ラ ムール
誰よりも貪欲に技術や知識を吸収する姿勢は、オーナーの高橋幸夫シェフにも気に入られ、たくさんの話を聴かせてもらった。北海道を訪れた経験から、石臼による国産小麦の自家製粉に取り組んでいた高橋シェフ。『ブノワトン』のおいしさの秘密はそこにもあった。そんなシェフが偶然、通りがかった場所で、地元の湘南エリアにも小麦畑があったこと、価格の低迷により廃業の危機に陥っていることを知ったという。そこで相場よりも高い価格で買い取ることを条件に契約を結び、石臼製粉プラントの設立を決意する。これが、「湘南小麦プロジェクト」の始まりだった。
ムール ア・ラ ムール
「製粉工場は設計の段階で声をかけてもらい、僕が入る前提で話が進んでいたので、図面に対し意見も出させてもらいました。修業の段階から、ほかのスタッフよりはるかに細かいという評価はもらっていたんですよ。『俺でも気づかないことに気づくんだよ』と言ってもらえたことも。その細かさが、製粉に適していると思われたようです。同じ作業を淡々とこなす、集中力や忍耐力にも自信がありました」
2007年の夏、契約栽培された小麦が運び込まれ、製粉工場『ミルパワージャパン』は動き始めた。いよいよ「湘南小麦プロジェクト」が形になっていく。しかし立ち上げから2年後の8月1日、高橋シェフはこの世を去った。
製粉工場『ミルパワージャパン』外観
「亡くなったと聞いた瞬間、動けなくなり、その場で泣いた記憶があります。病気であることはみんな知っていたんですが、とても急な話だったので…。ちょうど僕の心が揺れていた時期。独立をめざして入ったものの、彼の片腕として働いていきたいという願いが芽生えてきた矢先の不幸でした」
 
故高橋シェフからいただいた帽子
「高橋シェフと一緒に仕事をさせてもらって、シェフの想いや考え方、そして、技能・知識などたくさんの影響を受けましたが、モノとしていただいたのはこの帽子だけ…。この帽子をかぶると自然と身が引き締まり、プロのスイッチが入るんです。いつしかこの帽子の後ろかぶりが僕のトレードマークになりました」
当然、『ブノワトン』はクローズになる。しかしプロジェクトを終わらせてはいけない。引き継げるのは自分しかいないとわかっていた。
「パン職人自体は日本中にゴマンといますが、この工場設備を使いこなせる人間は僕しかいなかった。高橋幸夫の遺志を引き継げるのも、僕が一番だろうと。誰よりも長い時間、一緒にいましたからね。いろんなところへ連れて行ってもらい、胸に秘めた思いも聴かせてもらっていた。大変なのはわかっていましたし、周りからは『無理をしなくてもいいのでは』と言われましたが、あとを継ぐことに迷いはありませんでした。ある程度の無理はしていかないと、自分の人生、充実も成長もないと思っていますから」

麦本来のうま味を100%に近い状態で残せるよう製粉することが使命。

夏子さんの賛同を得て、両家の両親も後押ししてくれた。独立に向けて入籍をし、3月末に『ブノワトン』を閉店。その跡地に4月中旬、『ムール  ア・ラ  ムール』をオープンさせた。
「お客さんも待ってくださっていた状況でした。常連さんたちとは2人とも顔なじみでしたし、僕ら夫婦を応援してくれる方たちにも恵まれていました」
『ムール  ア・ラ  ムール』の営業は、金曜から月曜まで。その間は午前3時過ぎからパンづくりを始め、午前中いっぱいで焼き切り、午後には翌日の仕込みを始める。火曜はレストランに卸すパンを焼いたり、パン以外の商品を仕込んだり。仕込み後など、店にいる以外の時間は、車で10分ほどの場所にある『ミルパワージャパン』での作業に取りかかる。小麦をブレンドし、精麦処理をしてから石臼での製粉へ。低温低湿度のなか、ゆっくりと挽いていく。
「小麦は熱が天敵です。香りや味わいが飛んでしまうため、熱が発生しにくい石で挽くことがとても重要になる。量産タイプの製粉機だと、鉄のロールを回転させた間に通して摩擦で挽くから、麦粒自体が温まってしまうんですよね。本来のうま味を100%に近い状態で保たせたまま粉にして出荷し、使っていただくことに心血を注いでいるので、熱というストレスをかけないよう細心の注意を払っています」
速度は1分間に9~12回転。国産の石臼としては日本最大のサイズだが、1時間に2kg程度しか挽けない。食パンでいえば9斤程度だ。
「非常に非効率的ですが、そこまでしないとおいしい粉にならないんですよね。効率を考えて粉の品質を下げるなら、大手製粉メーカーと張り合う意味がない。小さな工場設備でつけられる付加価値はクオリティです。使っていただくシェフにも見学に来てもらい、どれだけ時間をかけ、気持ちを込めているかを伝えるようにしています」

夢をもてない子どもたちに、活動を通じて、夢のかなえ方も教えたい。

「湘南小麦プロジェクト」のスタート時には2軒だった契約農家も、今では5軒となった。この取り組みをきっかけに、小麦栽培を始めた人もいるという。しかし育てるだけではなく、どう流通させるかも大きな課題。自社以外のパン屋や製粉メーカーとの間を取りもつことにも力を注いでいる。
「流通をスムーズにするために、例えば津久井地区の小麦にはこういう特徴がある、といったアドバイスをするなど、これまでの経験で得た知識は惜しみなく発信するようにしています。農家さんが小麦を育てやすい環境をつくるためにも、地域のパン文化を盛り上げたい。一つの街が一つのお店みたいな感覚です。うちだけがおいしいパン屋だと、街の価値はうちの店の価値でしかない。『どの店へ行ってもおいしい』ことのほうが、圧倒的に価値があるんです。なおかつ国産小麦を使うのであれば、地域の農家も同時に盛り上がる。パン屋も農家も街も盛り上がるのが理想です」
地産地消から始め、農家保護につなげようという「湘南小麦プロジェクト」。これは決して「農家の生活を守ってあげよう」という取り組みではないと強調する。
「農家さんが小麦を育ててくれないと、僕らが国産小麦を使えなくなる。農家さんのモチベーションが上がるようなパンを、僕らがつくっていかなければと思っています。最終的には日本全国の農業をもっと盛り上げたい。そのためのスタート地点です」
2013年には、小麦農家や湘南小麦を扱うパン屋らとともに、「麦踏み塾」をスタートさせた。当初は親子向けの食育イベントとして考えていたが、小学校の課外授業や大人向けのワークショップ、東京農業大学のオープンカレッジ講座などにも発展。2015年度には伊勢原市の市民提案型協働事業にも認定された。
エコール 辻 東京の学生たちも麦踏みを体験
「麦がどう育つのか、畑に来てもらい、麦踏みや麦刈りなどの体験を通じて教えています。踏まれて育つ植物は珍しい。心が弱くなっているような子どもたちに対し、試練を乗り越えるからこそ強く育つというメッセージも込めています。それから湘南小麦を使っていただくシェフも呼ぶようにしているんですよ。農家さんがどんな思いで育てているのかも知ってもらえますからね。すると次はスタッフにも同じ経験をさせたいと言ってくださるところが多い。思いを理解し、共有してもらえると、お店全体の雰囲気も必然的に良くなるようです」
麦踏み塾のスタッフの方との記念写真
思いを伝え、共有し、広げていくこと。そのためにも、できるだけ発信の機会をもち、講演活動にも力を入れている。取り組みのなかで、感じることがある。
「今って夢をもたない子どもがすごく多いんですよ。そういう子たちに影響力のある人になったうえで、夢のかなえ方を伝えていきたい。そのためにはお店の発展、スタッフの育成など、自分自身の夢も一つずつかなえていかないとね。夢は途中で変わっていってもいいと思うんです。僕自身も夢のカタチが途中で変わっていきましたし。ただ、夢がないことには、どう進めばいいかわからない。周りに合わせて進路を決めるのはもったいないです。夢に向かうチカラがあれば、必要なものはおのずと見えてきますし、学ぶこと自体も楽しめると思いますよ」
奥様の夏子さんとお店の前で